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聖女の唄う鎮魂歌  作者: Allen
4章:追憶のセレナーデ
95/135

93:手を伸ばす先











 ――リーゼファラス・ミュケーナという少女にとって、自らの生とは価値の見出せぬ事柄でしかなかった。

ミュケーナは、正印教会において重鎮をいくつも輩出してきた名門とも呼べる家系だ。

その性質は、ロズィーアの家系にも若干似ているが、正反対と呼べる性質の部分も存在している。

端的に言えば、ロズィーアは武官の家系であり、ミュケーナは文官の家系だったのだ。

徹底的な実力主義を掲げ、教会に強い影響力を持っている点は共通していたものの、戦闘能力に重きを置くロズィーアに対し、ミュケーナはひたすら政の世界に身を置いていた。


 戦闘能力を要求されぬ文官は、それだけ強力な神霊との契約は求められていない。

むしろ、強力な神霊と契約を交わす事が出来た人間は、戦力としての能力を期待されてしまうのだ。

故に、ミュケーナは高位の神霊と契約を交わせた者を武官へ、それ以外の者を文官へと成長させる事で教会への影響力を強めてきたのである。

そのやり方は、ひたすら力を磨く事しか考えぬロズィーアの家系よりは合理的だろう、とリーゼファラスは考えていた。

適材適所であり、力ない者だからといって捨て置く事はしない。使えるものは全てを使う、徹底した合理主義。

それこそが、ミュケーナの家だったのだ。


 そして、だからこそ――リーゼファラスは、己の家系に嫌悪を抱いていた。


 ミュケーナの家系は、ひたすらに合理化されているが故に、個人の人格などは殆ど無視される傾向にあったのだ。

個人のやりたい事など考慮に入れず、システム化された教育方法でありとあらゆる知識を叩き込んでゆく。

そこに個人の感情など関係なく、来る日も来る日も勉強をするだけの毎日。

家の中はまるで牢獄のようであったと、リーゼファラスは感じていた。

食卓で他愛もない雑談を交わす事もなく、必要がなければ部屋から出る事すらも叶わず、ただただ自分自身を否定されながら学びを重ねるだけの日々。

それに疑問を抱けた事は、ある種の奇跡だったのだろう。



『お主は、神霊と契約を交わすべきではないのぅ』



 ジュピターとの謁見の機会を得たある日の事、リーゼファラスは最高位の神霊たる彼女からそのような言葉を受け取っていた。

その日は、神霊との契約を交わす予定になっていた。何かを疑問に思う事もなく、両親から命ぜられたと言う理由だけで。

己の意志など関係なく、ただただ命ぜられるままに、予定調和で生きていく――そこに疑問など何もなく、最高位の神霊との謁見すら、一つの作業のようにしか考えていなかった。


 ――だと言うのに、たった一言、その言葉だけで。



『お主自身が、何よりも求めるものを探すがよい。そうすれば、お主はどのような聖女よりも強くなるじゃろう』



 両親の決めていた予定をたった一言で崩してしまったジュピターの言葉は、リーゼファラスの魂に刻み込まれていたのだ。

両親の言葉こそが絶対であると信じきっていたリーゼファラスにとって、それは何よりの衝撃であった。

両親よりも正しい存在がいるなど、思考の埒外であった。


 ――その時初めて、リーゼファラスは己の『意志』というものを手に入れたのだ。


 だが同時に、それは苦痛の始まりでもあった。

これまで何の疑問も抱かずに受けてきた教育が、自分の求めるものではないと気付いてしまったのだ。

それはあくまでも両親が、ミュケーナの家系が求めているものであり、そこにリーゼファラス自身の意志など存在しない。

ただ求められ、応えていただけ。自分自身の意志で欲した事など、ただの一度としてない。

それに気付いてしまったが故に、リーゼファラスは気が狂いそうになるほどの苦痛を覚えていたのだ。


 ――自分がいない。

 ――この世の誰も、自分自身ですら、『リーゼファラス・ミュケーナ』という人間を知らない。


 ただひたすらに、道具として、歯車として育てられてきたが故に――普通ならば当の昔に手に入れているであろう『自己』を、リーゼファラスは持っていなかったのだ。

故に、混乱し、狂乱し――《拒絶》した。

自分自身を道具として扱うもの全てを、リーゼファラスと言う人間を認めぬ存在全てを。

両親も、家族も、仲間も、神霊すらも――リーゼファラスと言う個人を無視する存在を、全て《拒絶》した。


 ――私を見て。

 ――誰か、私を知って、私を認めて。

 ――好かれなくてもいい、嫌われるのでも構わない、誰か、私を――



『寂しい貴方。誰かを《拒絶》して、誰かを求めている貴方』



 ――だからこそ。

 ――その言葉を聞いたとき、リーゼファラスは魂の底から歓喜したのだ。



『わたしが、貴方を、見ているよ』



 『拝謁』を受けたのは、特に理由があった訳ではない。

ただ単純に、ジュピターからの勧めがあって行ったに過ぎなかった。

神霊との契約が交わせなかったリーゼファラスには元より居場所などなく、ジュピターからの呼び出しとて単なる作業程度にしか感じられなかったのだ。

けれど――その存在と相対したとき、リーゼファラスはジュピターに対して深い感謝の念を抱いていた。


 《女神》――その言葉以外に、彼の存在を形容できる言葉はないだろう。

黄金の髪、黄金の瞳、白いローブに黄金のヴェールを纏いながら、世の頂点たる《女神》はリーゼファラスへと笑いかけたのだ。

誰からも認められず、自分自身というものを得られず狂乱していたリーゼファラスへ、彼女はただ慈しむように手を伸ばしたのだ。

全てを見透かしたように、《女神》はただ、慈愛を込めてリーゼファラスの頭を撫でる。

その仕草は、母が我が子へと愛を注ぐ様にも似ていた。



『貴方の理は、貴方の心は、きっと他者には触れがたいもの。《拒絶アブレーヌング》の力を得てしまった以上、それは変わらない』



 当時のリーゼファラスは知る由もなかったが、その力は《女神》の行動を見守っている《魔王》と同じものであった。

全てを排斥するその理は、リーゼファラスが真に求めるもの以外を振り払ってしまう。

そして、彼女の心を理解できる者がいない限り、彼女は、真に理解者と呼べるものを得る事が出来ないのだ。


 ――理解者が欲しい。私を見てくれる誰かが欲しい――


 リーゼファラスの願いは、ただそれだけ。

けれど、理解できぬ者を排斥してしまうが故に、『理解者となるまで交流を続ける』という行動そのものが取れないのだ。

そして彼女自身、その矛盾に気付く事が出来ぬほど、心を歪んだ形で定着させてしまっていた。

それを理解していたからこそ――《女神》は、リーゼファラスに手を差し伸べたのだ。



『だから今は、わたしが貴方を見ているよ。貴方は一人じゃない、天上から、いつもわたしが貴方を見ている』



 《女神》は、『信仰』という形でリーゼファラスの生に価値観を与えた。

例え歪んだ形であったとしても、リーゼファラスが確固たる自己を得る事が出来るようにと。

無論《女神》とて、それがリーゼファラスを歪めるものであるという事は理解していただろう。

それでも、彼女はそうせざるを得なかったのだ。



『でも、貴方はきっと一人じゃない。いつかきっと、貴方を真に理解してくれる人が現れる』



 けれど同時に、《女神》は告げる。

いつか必ず、リーゼファラスが真に求める存在が現れるのだと。

自分のような紛い物ではなく、隣に立ち、同じものを見てくれる誰かが現れるのだと。

リーゼファラスに、その言葉の真意を理解する事はできなかったが――《女神》の言葉は確かに、彼女の魂に刻み込まれていた。



『だから、その時は――その人の事を、ちゃんと見てあげてね』











 * * * * *











 がたがたと揺れる車内で、リーゼファラスはゆっくりと目を覚ます。

そのままゆっくりと周囲を見渡し、彼女はようやく己の今の状況を把握していた。

現在、普段のメンバーからカインを抜き、更に魔力自動車の運転手であるレームノスの兵を加えた面々は、滅んだ東の都市であるコーカサスへと向かっていた。

目的はカインの奪還。星天の王の目的は不明であったが、《奈落の渦》の主たる存在がカインを利用しようとしているのだとしたら、どうした所で自分達にとって害となる。

下手をすれば、ファルティオンが――そして、全世界が危機に陥りかねないと、リーゼファラスはそう判断していた。

しかし、一人全速力でコーカサスへと向かおうとするリーゼファラスを、ミラを初めとした面々は必死に呼び止めていたのだ。



『あの化け物と戦えるのが貴方だけだという事は、さっきの応酬で理解しているわ。でも……いいえ、だからこそ、貴方を一人で行かせる事は認められない』

『リーゼ様が全力で走られた場合、私も長時間付いて行くのは不可能ですからね。このままでは、敵の本拠地にリーゼ様一人で突っ込む事になってしまいます』

『僕たちだって力不足である事は理解していますけど、それでも《将軍ジェネラリス》相手に逃げられる程度の実力は付けられたつもりです。僕たちも補佐として付いて行きます』



 その言葉に、リーゼファラスは何とか踏み止まっていた。

リーゼファラスとて、星天の王の実力はしっかりと把握しているのだ。

その上、以前戦った時のように、互いの能力を完全に知り尽くした上での戦いとなる。

以前よりも厳しい戦いになってしまうだろうと、リーゼファラスは考えていた。

そしてもしも、己の懸念が当たっているのだとすれば――



(……私ですら、滅ぼされる可能性がある)



 考えたくもない可能性を脳裏に浮かべ、リーゼファラスは僅かに顔を顰める。

そんな彼女の変化を、隣に座るアウルは敏感に感じ取っていた。



「目を覚まされましたか、リーゼ様」

「ええ……あまり、気は休まらなかったけれど」



 小さく嘆息し、リーゼファラスは周囲へと視線を巡らせる。

ミラたちからの言葉を聞きいれ、アウルの能力を使って急いで車の待機場所まで移動し、こうして車を走らせているのだ。

ちなみに、行きに自分達が乗ってきた『エリクトニオス』は、カインでなければ運転できないために放置してある。

もしもあの車を運転しようとした場合、運転手であるレームノスの兵は五分と経たずに絶命する事となるだろう。

そのため、移動速度や強度をある程度犠牲にする事となったものの、通常の魔力自動車を使ってコーカサスへと向かっていた。

その僅かな時間の遅れすら、小さな焦りとなってリーゼファラスを苛立たせる。



「全く……ままならないものですね」

「申し訳ありません、リーゼ様。あの時私が動けていれば――」

「いいえ。星天の王相手に、それは高望みというものです。正直な所、カインがあそこまで反応出来ていただけでも驚くべき事ですからね」

「……引き分けたとは聞いてましたけど、そこまで凄まじい相手なんですね」



 慄くようなウルカの声に、リーゼファラスは軽く肩を竦める。

カインがまともに抵抗する事も出来ず、あっさりと制されてしまった事は、ウルカにとっては衝撃を受ける事だったのだ。

ウルカにとって、カインは力の象徴である。契約の力などなく、純粋な技術のみでも契約者を圧倒する上に、凄まじいまでの能力をも持つ。

カインが敗れる光景など、この少年には想像する事も出来なかったのだ。

――けれど、現実は異なる。



「あれと直接戦う事が出来るのは、私だけです。もしも戦闘になったならば、すぐに逃げなさい。私も、貴方達を庇いながら戦う余裕はありません」



 事実、テッサリアでは攻撃を打ち落とす事に集中していたが故に、反撃する事もできずカインを奪われてしまっている。

これが一対一の状況であるならば、接近する余裕もあっただろう。

だが、相手は対等以上の力を持つ存在なのだ。足手纏いが近くにいる状況では、戦う事など出来はしない。

そう告げてくるリーゼファラスに、ウルカは僅かに眉根を寄せる。

カインやアウルすら『足手纏い』のカテゴリーに入ってしまうような相手であるとは言え、正面からそう言われてしまうのはウルカとしても複雑だったのだ。

そんな少年の様子を見て、リーゼファラスは僅かに苦笑する。



「ですので、カインを奪還したら即座に撤退をお願いします。私も、今回はあれとの決着をつける気はありませんので」



 個人的な感情で言えば、すぐにでも戦いに臨みたい所ではある。

だが戦略的に考えて、ここで己が戦う事に意味はないと、リーゼファラスはそう考えていた。

――そう、星天の王と戦う事に意味はない。



(けれど、もしも――)



 ――この懸念が当たっているとしたら。

そう考えて、リーゼファラスは目を閉じる。

大崩落の日、全ての破滅が始まった都市、コーカサス。

黒く染まったその姿は、遠景に徐々に浮かび上がろうとしていた。





















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