90:核の在り処
「それを使えるのであれば、最初から使っておくべきでしたね」
「正直な所、反動がデカくてな。あんまり積極的には使いたくないんだよ」
「ふむ……まあ、他人の能力である以上、それは仕方ないでしょう」
着地したリーゼファラスから掛けられた言葉に、カインは若干乱れた息を整えながら肩を竦めていた。
人にあらざる力を使いこなせるようになってから、これまで息を乱すような事など殆どなかったカインであったが、今回ばかりは疲労に近い感覚を覚えていた。
若干新鮮にも感じるそれに苦笑しつつ、カインは笑みと共にリーゼファラスを出迎える。
「さて、動きは止めたが……どうする?」
「無論、破壊します。しかし……貴方も気付いていますね、カイン」
「コイツが色々と不自然だって事か? まあ、否定は出来んがな」
無機質な反応を見せていたかと思えば、獣のように敵意を露にしながら襲い掛かってくる。
そんな本能的な動きで襲い掛かっていたかと思えば、リーゼファラスの攻撃に対して理性的で的確な行動を取る。
ちぐはぐな印象を受けるばかりであり、それ故に二人は強い警戒心を抱いていたのだ。
まるで、何らかの意図が働いているような状況に、リーゼファラスは近付きながら目を細める。
「それだけではありませんが……私達は、思い違いをしていたのかもしれません」
「思い違い、だと?」
「ええ。核が、ここ以外にある可能性です」
その言葉に、カインは反射的に視線を蜘蛛の方へと向けていた。
これまでの動きや反応から、この蜘蛛が核を持っている事はほぼ間違いないと考えていたからだ。
完全に決め付けて行動していた訳ではないものの、これ以外の場所で何処にあるのかと問われれば説明できないのは事実であった。
とは言え、それを否定する材料がないのも事実である。
「……なら、どこにある?」
「地中に有る……という事はないでしょうね。この蜘蛛が活動できている以上、地上に核が露出している事は間違いないはずです」
「地面の下じゃ、ここまで影響力は届かないのか?」
「少なくとも、ここまで精緻な形状を維持する事は不可能です。これに関しては断言できます」
相変わらず情報源に関しては不明であったが、リーゼファラスが断言する以上は信頼できる情報なのだろうと判断し、カインは小さく首肯する。
しかし、そうなれば更に謎が深まってしまうだろう。
もしも核がこの蜘蛛の内部に存在しないのであれば、何故地下まで退避させていないのかが疑問となるのだ。
核を護るためならば、地上に露出させておくのは下策であるとしか言いようがなく、契約者達を迎撃するにも地下の方が都合がよいはずなのだから。
「そうだとしたら面倒極まりないが……とりあえず、あれをぶっ潰してみれば分かる事だろ」
「……確かに、そうですね。確定事項なのですし、速やかに処理するとしましょう」
軽く嘆息し、リーゼファラスはカインの横を通って前へと進み出る。
それと共に、地面に倒れる蜘蛛の周囲から四つの水晶柱が発生し、蜘蛛を四方から取り囲んでいた。
そこに込められた力に、カインは思わず息を飲む。何でもない事のような仕草で発生させたにもかかわらず、そこに込められた力は一つ一つが《眠りの枝》に匹敵するほどのものだったのだ。
流石に、カインが長年の積み重ねによって鍛え上げた《刻限告げる処刑人》程ではなかったものの、瞬時に作り出したにしては十分すぎる力を有していた。
柱に込められたリーゼファラスの力は、柱同士の間で繋がりを作り上げる事により、蜘蛛を取り囲むように流れ始める。
徐々に上がっていく力の密度。肌を刺すように感じる圧迫感に、カインは自然と口元に笑みを浮かべていた。
感じ取れる力の差は、未だに大きい。それでも、己がその高みへと近付いてきている事を、カインは確かに感じていたのだ。
「一つ、思った事があります」
「おん? 何だ?」
莫大な力を制御しながら、それでも涼しい顔で蜘蛛を見つめつつ、リーゼファラスは声を上げる。
けれど、その澄まし顔の奥底に潜む激情を、カインは敏感に察知していた。
柱より感じるリーゼファラスの力が、あまりにも刺々しすぎるのだ。
故にこそ、カインは問う。リーゼファラスが辿り着いた、一つの可能性を。
「この蜘蛛は、これ自体が高度な意志を持つ訳ではなく、他の何者かが操っていたのではないか、と」
「……ふむ、成程な。それなら確かに、あのちぐはぐさ加減も納得は出来るが……他にも理由はあるんだろ?」
「と言うより、仮説ですがね。その相手は、もしかしたら私の力を知っている者なのではないかと、そう考えただけです」
リーゼファラスの力をよく知る存在によって操られた蜘蛛。
もしもそうだとすれば、蜘蛛の行動に対して中途半端に理性が感じられたのも、リーゼファラスの攻撃に対して適切な対応をとっていた理由にも頷けるだろう。
根拠こそないが、否定できる要素もないと、カインは小さく頷いていた。
そして、同時に考える。果たして、味方以外でリーゼファラスの力を知る存在とは何者なのか。
――カインが有している情報の中で知る限り、そんな存在はたった一つだけだ。
「……本当にそうだと、考えているのか?」
「可能性ですよ。可能性の話です。ですが――」
かつて、リーゼファラスが全力を賭して戦ったのは一度だけ。
そしてその時の相手は、仕留め切れずに未だこの世界に存在している。
《奈落の渦》の側でリーゼファラスの力を詳しく――それこそ、その身を以って理解しているのはたった一人だけ。
「星天の王、か」
「アレから私の話を聞いた別の《将軍》という可能性もありますが……不愉快である事に変わりはありませんね」
殺意を滲ませるリーゼファラスの様子に、カインは軽く息を吐き出す。
冷静さを保ってはいるものの、リーゼファラスの中に根付いている星天の王への憎しみは計り知れない。
もしもその存在を目の前にする事があれば、彼女はすぐさま飛び出していく事だろう。
未だ可能性の話であるため、あまり真に受けすぎるのもよくはないが、可能性の一つとして考えておくべき事柄であった。
「もしもそうだったとしたら、今度こそ確実に叩き潰すまで。ともあれ……まずは、この蜘蛛です」
力の流れを乱すこともなく、リーゼファラスは四つの柱に込められた力を接続する。
蜘蛛の四方を囲む柱は、それぞれが力によって繋がる事により、一つの檻を形成していた。
リーゼファラスの有する莫大な力によって編まれたそれは、内部にある不浄を祓い清める浄化の檻。
魔物が触れれば一瞬で水晶と化す力の波動を、一欠けらとして無駄に放出はせずに、リーゼファラスはその力を内部へと向ける。
刹那――
「滅びなさい」
ガラスが砕け散るような音と共に、大蜘蛛は柱の内側にある地面ごと水晶の塊と化していた。
表面だけなどではない、芯まで完全に水晶と化し、反対側が透けて見えている。
圧倒的なまでの能力の強度によって、黒蜘蛛はその動きを完全に停止させていた。
これだけの力を苦もなく操って見せたリーゼファラスに、カインは僅かに息を飲む。
蜘蛛は確かに、リーゼファラスに対する対策を行っていた。だが、彼女はその上から圧倒して見せたのだ。
これこそが力だ、と言わんばかりに。
しかし――
「……周りの侵蝕は、消えねぇな」
「という事は、やはりあの蜘蛛は核を持っていなかったようですね」
腕を下ろし、リーゼファラスは嘆息を零す。
予想していた事とはいえ、探す当てが無くなってしまったのだ。
地上にある事は間違いないだろうが、この広い土地から探し当てる事は難しいだろう。
相手の目的が掴めなければ、こちらから動きを予測する事も難しい。
結局の所、現状で出来る事は非常に少ないのだ。
「とりあえず、あいつらと合流しとくか? アウルの奴を連れてきてもいいと思うが」
「流石に、アウルでも流れが最初から見えていなければ探すのは難しいですが……そうですね、一度合流しておくべきでしょう」
核を破壊できなかった事は大きな痛手ではあるが、ここで手を拱いていても意味はない。
少なくとも、今この場に留まり続けていても仕方がない事は分かりきっている。
二人はそう判断し、ミラ達が戦っている方面へと向けて走り始めていた。
核を破壊できなかった以上、溢れ出る魔物達が止まる事はない。
いずれは押し込まれてしまう可能性がある以上、彼女達を放置する事はできなかった。
友誼を結んだ相手を放置すると言う選択肢もなく、リーゼファラスは強く地を蹴って――
「――早いところ、眠らせてやらねぇとな」
――そんな、カインの呟きを耳に拾っていた。
普段のカインが発するような皮肉や狂気の色など何もない、ただただ純粋なその言葉。
それに驚き、リーゼファラスは思わず彼の方へと視線を向けていた。
対するカインは、そんなリーゼファラスの反応に対して苦笑し、軽く首を横に振る。
「いや、何でもない。行こうぜ?」
「……そう、ですね。急ぎましょう」
カインが何を考えているのか。記憶を取り戻した彼が何を想い、何を成そうとしているのか。
それはリーゼファラスにとっても知るべき事であったが、彼は戦いの中でそれを示すと言った。
ならば今ここで問うべきではないと、リーゼファラスは視線を前へと戻す。
その瞬間――リーゼファラスの視界には、天より降り注ぐ無数の雷が飛び込んできたのだった。
* * * * *
テッサリアの一角。
ひたすらに広いこの大都市の中で、特に暗く、黒く、《奈落の渦》による侵蝕が進んでいる場所。
そこには今、無数の魔物の死骸が転がっていたのだった。
《兵士》も《重装兵》も、《砲兵》や《指揮官》すらも、死骸となって散乱している。
――そして、人の姿をした他には同種の見えない魔物すらも。
「いやぁ……やっぱり凄いなぁ、あの二人。いいね、凄くいい。楽しみだよ」
そんな死骸たちの奇妙な点は、全てが一様に、何かで体を削り取られるようにしながら事切れている点であった。
手足が、上半身が、下半身が、何処かしらが大きく削り取られる事によって絶命している。
その断面は非常に滑らかであり、何かによって無理矢理に抉り出した訳ではない事が分かるだろう。
このような傷を作り出すことは、カインにも、リーゼファラスにすらも不可能であった。
「やっぱり、あの人たちは違う。僕を見てくれる……いいなぁ。楽しい、楽しみだよ」
そんな異様な光景の中、一人の少年がゆったりと歩を進める。
黒髪黒目であること以外に、特徴らしい特徴もない少年であった。
彼はどこか芝居がかった調子で死骸の中心を歩いていき、地に転がった漆黒の球体を拾い上げる。
黒く、光を反射しないそれは、どこかゆっくりと脈動しているようにも思えるものであった。
「さて、どうしようかな。どうなるのかな。彼か、彼女か、それとも両方か」
くすくすと、少年は笑う。
年相応の少年のように、けれどこの異様な光景の中で、ゆったりとした表情のまま。
動揺も、緊張も、何一つなく。少年はただ、くすくすと笑いながら周囲へと視線を巡らせる。
人を超えた力を持つ二人の方へ、視線を向けるようにしながら。
「でもまだ、直接やるには若干早い、か。我慢、我慢だね」
どこか残念そうな口調で、けれどそんな感情など表情には微塵も表さず、少年はいつも通りの表情のまま酷薄に笑う。
そして彼は、手に漆黒の球体を持ったまま、二人の方角へ向けてゆっくりと歩き始めていたのだった。




