88:聖女達の舞踏
「ミラさん、さっきプラーナを使ってましたけど、大丈夫ですか?」
「ええ。派手なのを使う事は出来ないけど、今はこれだけ戦力がいるのだからね。節約しながら戦えば問題は無いわ」
レイピアに雷を纏わせ、ミラは軽やかに宙を舞う。
彼女の振るう刃は、現状では魔物達を一撃必殺にするほどの破壊力は持っていない。
ジュピターの持つ雷の力は比類なき強力さを有しているが、その分だけ魔力の消費は激しいのだ。
そのため、この場に駆けつけるためにプラーナを使用してしまったミラは、今の所大規模な術を発動させるほどの余裕は存在していない。
故にこそ、彼女はその刃で魔物を突き、奔る雷で相手を痺れさせるに留めていたのだ。
そうして行動不能に陥った魔物達の始末は、上位神霊契約者以外の、あまり力のない聖女へと任せていた。
「それより貴方も、あまり私を心配する必要は無いわよ」
「べ、別にそういうつもりじゃないですけど……ミラさんの近くの方が戦いやすいだけです」
ミラに対し、ウルカはかなり効率的に魔物を殲滅している方であろう。
元々、切っ先さえ掠れば《兵士》を消し飛ばせるだけの火力を持つウルカだ。
適当に刃を振り回しているだけだとしても、十分に魔物達を相手にする事が出来るだろう。
しかし、プラーナの制御を学んでより細やかな魔力制御を会得したウルカにとって、自分の周りだけを相手にする事などそれほど難しい行為ではなかったのだ。
現在ウルカがミラの近くで戦っているのは、ミラとの共闘に慣れてきているという理由だけではない。
他の聖女達に対して、居心地の悪さを感じていたのだ。
元々、この場では唯一の男であり、『ケラウノス』の称号を持つミラと親しげに話す少年。
手に持つ武器を見れば、ウルカがヴァルカンの契約者である事は容易に分かるのだ。
そんな彼が、注目を受けない理由などあるはずも無かった。
(ただ見られるだけならまだしも、あっち人達は僕まで巻き込んで術ぶっ放しそうな視線してるし……)
炎を飛ばすような事はせず、ただ近付く敵を炎熱の刃で斬り裂きながら、ウルカは軽く嘆息する。
ウルカへと視線を向けているのは主に二人。かつて口論になった相手であるネレーアと、ほぼ初対面であるはずのレイクレアであった。
どちらもあまり好意的な視線であるとは言えず、ひしひしと感じるプレッシャーにウルカは憂鬱な気分を覚えていた。
これでもしも戦闘が疎かになっているのであればミラやケレーリアから叱責が飛ぶところであるが、流石は上位神霊契約者と言うべきなのか、彼女達は隙を見せる事も無く戦闘を継続していた。
(まあ、直接何かされる訳でもないだろうから、その分だけ気が楽ではあるけど。別に、日常茶飯事だし)
上層の人間から蔑むような視線を向けられるのは、下層の人間にとってはよくある事だ。
それに関しては、例えどのような状況であろうと大して気にはならない。
プレッシャーの度合いでいえば、カインの本気の方が遥かに恐ろしいと断言できる。
(……僕も随分と染まったな)
軽く苦笑し、ウルカは刃を交差させる。
その刃と刃の触れる点には小さな炎の塊が出現していた。
ほんの小さな火球であるが、込められた魔力は強大の一言。その炎を、ウルカは刃を擦り合わせながら振り抜くと共に射出していた。
二つの刃に押し出されるように火球は放たれ――強烈な爆圧となって、顕現する。
小さな火球を基点として巻き起こった爆炎は、建物を乗り越え姿を現そうとしていた《重装兵》を巻き込み、焼き尽くす。
直接刃で斬っても問題は無かったのだが、あの巨体が近くに落ちていると、それだけで視界が遮られてしまうのだ。
ただでさえ視界が悪い現状、これ以上視線や射線を遮る存在を近づけたくなかったのである。
そのついでに建物も吹き飛ばし、見通しのよくなった視界に満足して、ウルカは再び刃を構える。
と、そんな彼へと向かって、感心したように頷いたミラが声をかけた。
「ウルカ。こっちもお願いできないかしら?」
「あ、はい。分かり――」
「必要ない、ロズィーア。それはこちらが引き受ける」
ウルカの言葉を遮り声を上げたのは、他でもないネレーア・クレヌコスであった。
彼女はいつも通り不機嫌そうな表情のまま、足元より湧き出る澄んだ水を纏い、その槍の切っ先をミラの前方へと向ける。
瞬間――大洪水と見紛う巨大な奔流が、その槍より顕現していた。
放たれる水の流れは綺麗にミラを割け、その先の通りへと流れ込んでゆく。
しかし、荒れ狂いながらも建物を傷つけるような事は無く、綺麗に建物の間を縫い、その間に潜んでいた魔物達を駆逐してゆく。
ただの水流のよう見えるが、それは強大な魔力を含むエノシガイオスの力である。
一度飲み込まれてしまえば、どのような魔物であれ逃れる術など無く、そのまま水中で引き裂かれる運命が待っているのだ。
余計な物を傷つけないその技量は見事と言うほか無く、ウルカは僅かに感嘆の吐息を零していた。
「仮にも上層の街だ、不用意な破壊は許さん」
「《奈落の渦》に侵蝕されている以上、あまり再利用できたものじゃないと思うけど……ま、礼を言うわ、クレヌコス」
「ふん……」
苦笑しつつ返したミラの言葉に、ネレーアは苛立ち混じりに視線を逸らす。
間接的とは言え、ミラがウルカの行動を擁護した事が気に入らなかったのだ。
そんな彼女の様子に若干頬を引き攣らせながら、ウルカは目の前の戦場へと戻っていた。
(しかし、妙に散発的だな……《指揮官》がいるはずなのに、動きに統一感がない)
魔物を操る力を持つ魔物、《指揮官》。
その存在の有る無しでは、魔物の被害に大きな差が生まれると言われている。
街の外壁に突き刺さった足からは、確かに《指揮官》も出現していたはずなのだ。
しかし、そうであるにもかかわらず、襲いかかる魔物は統率されている様子も無く、ただ本能のままに向かってくるばかりである。
『考える』という行動を学んでいたウルカは、隙を生まぬようにしながらもその点について疑問を抱いていた。
(これが向こうの狙いだとしたら、一体何だ? こちらの油断を生もうとしている? こちらが楽に迎撃できる程度の戦力を差し向けて、一体何をやろうとしてるんだ?)
相手をただの獣と侮る事はしないが、だからといって相手が人間になる訳でもない。
人であるが故の定石も通じず、相手の行動を読む事は困難を極める。
そもそも、生物としての条件が根本的に異なっているのだ。
眉根を寄せて、ウルカは刃の炎で魔物達を斬り払い――その瞬間、ユノーの鋭い声が周囲へと響き渡った。
「ケレーリア殿、防御を!」
「合点承知ィ!」
そしてその言葉に疑問を抱くことも無く、ケレーリアは地面に拳を叩きつける。
それと同時、周囲にいた契約者達を包み込むように、岩壁が花の蕾のようにせり上がっていた。
非常に強固な防御力を誇るケレーリアの防壁は、魔物達と彼女らの間を遮断する。
突如として視界を塞がれ、聖女たちは一瞬戸惑いの声を上げて――そこに巨大な衝撃が叩きつけられていた。
「ッ、砲撃!? 《砲兵》!?」
その攻撃の正体に気付き、ウルカは驚愕の声を上げる。
今の攻撃は間違いなく、爆裂する砲弾を飛ばす魔物たる《砲兵》によるものであった。
遠距離攻撃を行える《砲兵》の存在は非常に厄介であり、戦場でも真っ先に潰すべき対象であると認識されている。
特に、《指揮官》によって制御されている際の一斉射撃はかなりの脅威であり、一度放たれてしまえば正面から防ぐのは非常に難しいと言われていた。
「成程、散発的に襲撃させて私達をこの場に釘付けにし、そこに戦闘音に紛れさせる形で《砲兵》の砲撃を叩き込んできた訳ね。魔物の癖に、随分と搦め手で来るじゃない」
「こんな事をしてくるなんて……」
まさか本当に《将軍》がいるのでは――という言葉は口に出さぬよう唇を噛みながら、ウルカは思わず眉根を寄せる。
数で優位を取っているはずなのに、魔物達は本能のまま攻撃してくるでもなければ、単純に数で押し潰そうとして来る訳でもない。
まるでこちらの裏を掻くかのように、虎視眈々と狙っていたのだ。
しかしそんな状況の中であっても、ユノーの作戦指揮の声には一切の澱みが存在しなかった。
「恐らく、今の砲撃でこちらの足並みが崩れた所に奇襲を仕掛けるつもりだったのだろう。周囲を探せば、魔物共が潜んでいるはずだ」
「それならおチビ、アンタの出番だよ!」
「あいあいさ~」
ひらひらと、ケレーリアの影から生えた手が揺れる。
そしてその手が影の中に沈み込み、ザクロが完全に姿を消せば、周囲は一時の静寂に包まれていた。
そして、次の瞬間――防壁を隔てた周囲から、無数の魔物達の悲鳴が響き渡っていた。
プロセルピナの契約者であるザクロにとって、物陰に隠れた相手など、日に晒されている相手よりも容易に探す事ができる。
そして影の中は、彼女にとっては武器に溢れた空間であると言えた。
魔物達の潜む陰が、その足元に広がる影が、全てが武器となり、刃となって魔物達を斬り刻む。
あまり得意とは言えない昼間の戦場であったとしても、ザクロにとってこの程度は物の数ではなかったのだ。
「いい読みだね、ユノー?」
「いえ、貴方も分かっていたからこそ、僅かな躊躇いも無く指示に従ってくれたのだろう。貴方こそ、流石と言う他ないさ」
「あっはっは、年寄りを褒めたって何も出やしないよ」
くつくつと笑い、ケレーリアは周囲の防壁を解除する。
頑丈な防壁ではあるが、いつまでも周囲の視線を遮っている訳にもいかない。
この戦闘の目的はあくまでもリーゼファラスたちの援護であり、防壁の中に縮こまっているだけならば誰にでも可能なのだ。
そんな弱腰な姿勢を、誇り高い聖女達が認めるはずも無かった。
ケレーリアの防壁が解除されれば、すっかりと様変わりした周囲の光景が目に入る。
《砲兵》の砲撃によって、周囲の建物ごと根こそぎ破壊されていたのだ。
これだけの破壊力を受けても尚、小揺るぎする事すらなかったケレーリアの防御力に舌を巻きつつも、ウルカは僅かに視線を細める。
周囲の見通しが良くなったからこそ、現在の状況がより正確に分かってしまったのだ。
「最初から分かっていましたけど……包囲されてますね」
「そうね。射線が通るようになったのはいいけど、やっぱりかなりの数だわ」
出入り口方面まで含め、完全に包囲されてしまっている。
もしもこれがテッサリアが滅んだ日の再現であるとするならば、この街の住人は逃げ場のない絶望的な状況に放り込まれていた事になるのだろう。
生き残りがたった一人である事も、納得できる光景であった。
「予定通り、都合のいい展開だと言っても、やっぱりきつい物はきついですね」
「そうね。せめてアウルが戻ってきてくれればそれなりに楽になるとは思うのだけど」
「やっぱり、もうちょっと掛かりますか」
小さく嘆息し、ウルカは剣を構え直す。
リーゼファラスたちが戦いやすいよう視線を集める事が目的であるとはいえ、無尽蔵に沸き続ける魔物達の相手は精神的にも負担が大きい。
魔物達の姿が判りやすく見えるようになってしまったのも、それに拍車を掛けていた。
出来る事ならば見渡す限り吹き飛ばしたい所ではあるが、《将軍》の存在を考えれば魔力の節約はどうしても必要であり、ウルカやミラにも手が出せない状況だったのだ。
とにかく、今は戦い続けるしかない。そう結論付けて、近づいてくる魔物へと刃を向けようとしたその時――不意に、声を上げた少女がいた。
「……わたくしが、やります」
「おん?」
「わたくしも、ジュピター様の契約者。あの程度の群れなど、わたくしが消し飛ばしてご覧に入れますわ!」
進み出たのは、これまで目立った活躍はしないものの、多くの魔物をその雷で消し飛ばしていたレイクレア。
ミラと比べて荒削りながらも、確かに魔物を倒していたはずの彼女は、その視線をミラの方へと向けながら声を上げていた。
そんな彼女の視線を受け止め、ミラは目を見開いた後、僅かに笑みを浮かべる。
――どこか、楽しそうにも見える笑みを。




