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聖女の唄う鎮魂歌  作者: Allen
4章:追憶のセレナーデ
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84:侵蝕の《渦》












「《奈落の渦》が外界を侵蝕する、ですか?」

「それって一体どういう事なのよ、リーゼファラス?」



 外壁をぐるりと回り、上層の内部へと足を踏み入れようとしながら、ウルカとミラはリーゼファラスにそう問いかける。

それなりの回数《奈落の渦》との戦いを経験している二人であったが、そういった現象には心当たりが無かったのだ。

そんな二人の疑問に対し、リーゼファラスは走りながらも息を乱さず返答する。



「滅多にある現象ではないので忘れ去っていたのですが……今回の事象は、それに当たると思います。簡単に言えば、《奈落の渦》があの穴の中から溢れ出してくるようなものです」

「穴って言うと、地面とか壁とかに開いてる《渦》の入り口の事よね? あれが溢れ出す?」

「ええ。そうですね、貴方が初めて潜った《渦》を思い出せば分かりやすいかもしれませんが……あの入り口を満たしていた黒い物体が外にあふれ出してくるようなイメージです」



 その言葉を聞き、ミラは僅かに顔を顰める。

おぞましい漆黒の物体が溢れ出てくるような光景など、想像すらもしたくなかったのだ。

根本的に、《渦》の存在は人間にとってそれだけ有害な存在なのである。


 そんなミラの様子に対し、リーゼファラスは気持ちは分かるとばかりに軽く息を吐き出し、ちらりと視線を外壁の方へと向けていた。

正確には、その上部分に見える黒い謎の物体だ。

正体こそ分からないものの、それがこの現象によるものであるという可能性を、リーゼファラスは無視できなかった。



「まず、《渦》の魔物共の基本的な目標は、生者を害し、その魂を喰らう事です。そこまでは知っていますね?」

「それはまあ、これまでの経験で分かってるわ。それで?」

「喰らわれた魂たちは、おおよそ《渦》の主となる魔物――《将軍ジェネラリス》になろうとする魔物に集約されます。これが、《渦》の持っている蟲毒の性質です」



 《渦》の魔物達は生者の魂を喰らい、それを《渦》の内部へと持ち帰り、そこで互いに共食いを始めるのだ。

そうする事で、分散していた数多くの魂たちは一匹の魔物に集約され、それがやがて《将軍ジェネラリス》と化すのである。

これまで生まれてきた多くの魔物達は、そうして成長してきたのである。



「問題はここからです。そうして成長した魔物は、やがて《渦》の核と直結する事になります。力の強い魔物――《将軍ジェネラリス》が存在する《渦》ほど大規模なものになるのは、これが原因です」

「成長した魔物と、《渦》の核の繋がり? ええと、それはつまり……」



 走りながらであるため思考にはあまり集中できていなかったが、ミラはその二つの言葉に引っかかるものを感じていた。

リーゼファラスの言葉からすれば、魔物が成長すればするほど、《渦》は大規模なものになるという事だ。

それはつまり、魔物の成長と同時に《渦》も成長すると言う事を示している。

そして、魔物が成長するための要素とは――



「……人の魂で、《奈落の渦》は成長する?」

「確証は得られませんが、その可能性は高いでしょう。核が直接魂を与えられて成長しているのか、それとも魔物の成長と直結して成長しているのかまでは分かりませんが……直接的にしろ間接的にしろ、魂が《渦》の成長に影響しているのは確かでしょうね」



 怒りと苛立ちを交えたような口調で、リーゼファラスはそう吐き捨てる。

どうにした所で、リーゼファラスからすれば唾棄すべき事柄だ。


 ともあれ、今は現状の把握の方が重要である。

リーゼファラスは軽く息を吐き出して気を取り直すと、改めてこの街の現状について説明を再開する。



「そして、《渦》が溢れ出すという事象について。実際の所、これが起こった例はごく僅かです。私も直接確認したという訳ではなく、少々離れた小国で起こった事態であるとジュピター様から伺いました」

「つまり、滅多に起こる事じゃないって訳ね。それで、一体何があったって?」

「その国では、かつての《渦》の発生とほぼ同時期に魔物による襲撃が起こり、対策も取れぬまま王都が戦場と化しました。予備知識なしにあれと戦う事がどういう事かは、言うまでもありませんね」



 現状、《奈落の渦》との戦線が拮抗しているのは、その対策がある程度取れるようになった為だ。

そうでなければ、ファルティオンのような個々が高い戦闘能力を持つ国でもない限り、早期に戦線を維持する事は難しい。

そしてその小国では、対策も何もないうちに本拠地とも言える王都が襲撃を受けた。

当然、指揮系統は崩壊、近隣にある都市や村も悉く滅び去る事となってしまったのだ。



「喰らわれた人間の総数でいえば、おそらくはファルティオンの大都市一個半といった所でしょう。それだけの数の魂が、《奈落の渦》に吸収されてしまった」



 その言葉を聞き、ミラはちらりとテッサリアの街へと向ける。

この街に住んでいた、多くの住人達。その全てが、襲撃してきた魔物によって殺戮された。

――果たして、その数とはどれほどのものだったのだろうか。



「そして、他国からの救援が辿り着いた時、その都市は漆黒に染まっていたそうです」

「黒く、染まった? それは、ええと……?」

「《渦》の内部に踏み込んだ時の事を思い返してください、ウルカ。あの時、中は全て黒で染まっていたでしょう。あれと同じように、外の世界が染められていたのですよ」



 あまり多くはない、《渦》の内部へと足を踏み入れた経験。

その時の光景を思い出し、ウルカは背筋が凍るのを感じていた。

あのおぞましい世界が、この外の世界へと広がってしまうのだとすれば――



「……それが、《渦》の狙いっていう事ですか?」

「確信を持って肯定する事は出来ませんが……もしそうだとするならば、許されざる事です」



 《女神》を、そして《女神》から賜ったというこの大地を信奉するリーゼファラスにとって、それは何よりも赦しがたい事だ。

それは即ち《女神》に対する敵対に他ならず、《渦》という穢れを赦さないリーゼファラスは、殺意を以って都市を包む黒を睨む。



「テッサリアの人間を飲み込んだこの《渦》が、この地上を穢すだけの力を蓄えたと言うのであれば――絶対に、許されざる事です」



 もう一度繰り返し、リーゼファラスは殺意を滾らせる。

その視線は、僅かにすらぶれる事無く、戦闘音の響く前方へと向けられていた。

先ほどから、戦いの気配は変わらず響き渡っており、今も雷光や流水の発生が続いている。

その力の強度は間違いなく上位神霊契約者のものであり、彼女達が戦わなければならない状況である事を示していた。

と――次の瞬間。



「っ、上から攻撃が来ます!」



 後ろを控えるように走っていたアウルの声が、周囲へと響き渡っていた。

対し、他のメンバーたちは、その言葉を疑う事無く瞬時に防御態勢へと移行する。

瞬間――周囲へと、黒い雨が降り注いだ。



「ッ、コイツは……!」



 自らを貫こうと迫ってきたそれらを斬り払い、カインは呻く。

それは、細い針のような刃の群れだったのだ。上空から降り注いだ無数の針が、地上の人間を貫こうとしていたのである。

幸い強度はそれほどでもなく、ファルクス一本でも十分に対応する事が出来たが、気付かなければ対処のしようがない。



「……いきなり来られたらやばいですね、これ」

「ええ……向こうの連中、無事かしら。狙ってきたのがアレじゃあ、逃げ場なんてないだろうし」



 炎で焼き尽くしたウルカと、レイピアで正確に迎撃したミラは、上空を見上げて苦々しい表情を浮かべる。

今の攻撃は、間違いなく街の上空にある謎の物体から放たれていたのだ。

相手が巨大であるため攻撃の発生が見切りづらく、更に攻撃の細かさゆえに接近にも気付けない可能性がある。

その上、相手への距離もあり、こちらからの攻撃も届きづらいのだ。

相手にとって圧倒的に有利なこの状況で、果たして聖女達がどの程度戦えているのか――



「……行くわよ」



 あまり時間はない。

そう判断したミラは、躊躇う事無く己が切り札を切っていた。

己が魂の力をジュピターへと捧げ、雷を全身に纏って走り出す。

その速さは既に雷そのものに等しく、建物の壁を足場としてジグザグに駆け抜けていった。



「アウル、先に!」

「了解です、リーゼ様!」



 そして、そんなミラの後を追ったのは、リーゼファラスの指示を受けたアウルであった。

他の面々が上空からの攻撃を迎撃しながら進まねばならない反面、この二人はそれらを完全に振り切りながら移動する事が可能だったのだ。

尤も、やろうと思えばリーゼファラスにも可能な行動ではあったが、彼女は現状の分析を行っている所であり、積極的に動くつもりはなかった。


 一方、先を進む二人は、早くもファルティオンの部隊の姿を確認していた。

無駄があるとは言え雷の速度で移動する己に、ほぼ遅れる事無くついてきているアウルへと若干呆れつつも、ミラは状況を確認する。



(……半壊って所か)



 それを大きな被害と見るべきか、それともまだその程度にしか落ちていなかったと言うべきか――若干悩みながら、ミラは集中して周囲を見渡す。

上空からの攻撃によって、負傷したものが何人か、運が悪かった者はその場で即死してしまっている。

一応、対空迎撃は行えていたのか、死傷した人間の数はそこまで多くはない。

特に上位神霊契約者達は、一人も欠ける事無く――尤も、ザクロだけは普段通り姿が見えなかったが――戦闘を継続していた。

しかし、彼女達も自由には動けない。負傷した者達の治療、保護を行わなければならず、現状では防御に徹するほか無かったからだ。



「ミラ様、また来ます!」

「了解、私が迎撃する!」



 力の消費を抑えるため、プラーナを遮断し、通常の魔力のみで契約の力を行使する。

放たれたのは、雷を無理矢理球状に固めたかのような眩い雷球。

ミラの掲げたレイピアの先端より放たれたそれは、聖女達の上空へと駆け抜けると同時、込められた雷を一気に解放していた。

放たれた雷光は、地上には一切落ちずに上空へ向けて駆け抜けて行く。

一つ一つが強烈な力を誇るミラの雷は、降り注いできた黒い棘を一瞬の内に焼き払う。

その結果に、以前よりも確実に向上している制御力に満足し、ミラは小さく笑みを浮かべていた。



「よし……ケレーリア!」

「言われなくても! 『Στιβαρή φρούριο』!」



 ミラの放った時間稼ぎ、それによって短いながらも猶予を得たケレーリアは、即座に己の魔力を練り上げ、その拳を地面に叩きつけていた。

瞬間、地面からせり上がってきた岩盤が、まるで花弁が閉じるかのように聖女達を覆い尽くし、上空の脅威から攻撃を遮断する。

まるでその隙間を縫おうとするかのように棘が放たれるが、それよりも一瞬速く、ケレーリアの堅牢なる防御は完成していた。

命中した棘は全て弾き返され、折れて消滅する。



「……とりあえずは、これでいいわね」

「はい。私が迎撃しますので、ミラ様は少々お休みください」

「今回はそうさせて貰うわ。結構、消耗しちゃったしね」



 速度を重視したため、魔力もプラーナも大盤振る舞いで使用した。

もう戦闘を行えなくなるほど消費したわけではないが、あまり派手な戦闘ができなくなってしまったのは事実である。

自らの仕事を考慮し、しばし回復に努める事が己のすべき事であると、ミラはそう考えていた。



「しかし、思ったより死者は少なかったですね」

「そうかしら? 一応頭上は注意していたのだろうし、奇襲を受けたとしてもギリギリ反応できる程度には注意していたのだと思うけど」



 先ほどざっと見ただけではあるが、死んでいる人間は片手で数えられる程度であった。

負傷者も多く、立て直しに苦労するような状況になってしまっていたが、こうやって保護できる状況となればどうにでもなる。

後は全員の治療を済ませ、しっかりと準備してから戦線に復帰するだけだ。



「さて、それじゃあ私達も中に入る?」

「いえ、この程度であれば私一人でも対処可能ですので、リーゼ様を待つように致しましょう」

「そう、貴方がいいならそれでいいわ」



 足場にしていた建物の屋根に腰を下ろし、ミラは大きく息を吐き出す。

憂いを帯びて見上げられた視線は、ただじっと、上空にある巨大な物体を映し続けていた。





















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