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聖女の唄う鎮魂歌  作者: Allen
4章:追憶のセレナーデ
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83:魔の都












 北東の都市、テッサリア。

《奈落の渦》が発生した大崩落の日以来、二番目に攻め落とされた大都市。

広い出入り口が正面の正門以外に存在しないという都市の設計上、それを落されてしまった事で棺桶と化してしまった場所。

そんな都市に、この三十年間で初めて、軍勢と呼べる規模の勢力が足を踏み入れていた。



「……こりゃまた」

「酷い光景、ですね……」



 外側から無理矢理に打ち破られたと思われる、拉げて潰れた正門。

それを踏み越えて上層内部へとはいってみれば、そこには予想だにしない光景が広がっていた。

その様を一言で表すならば、『侵食された都市』という言葉が最も適切であろう。

上層の建造物は石造りである事が多く、特に白亜の建材を使用する事が好まれる。

それなりに高価な建材であるものの、下層から搾取する事によって上層の景気を向上させていたテッサリアでは、多くの建物に使用されているものであった。

しかし、磨かれればくすみない白に輝く建物の壁も、まるで罅が走ったかのような黒い紋様に覆われ、その輝きを失っている。


 周囲の様子を観察しつつ、ケレーリアは口元に手を当てつつ目を細めていた。

この地に辿り着くまで、散発的に魔物の襲撃はあった。

しかし、それらは全て駐屯地を襲撃された時のような大規模なものはなく、上位神霊契約者が出ずともあっさり撃退できる程度のものだけだったのだ。 

そしてこのテッサリアに辿り着いてからも、下層を歩いている間、襲撃は一切存在しなかった。

《奈落の渦》によって侵食された村落など、魔物たちの巣窟となっている筈なのに。



「おチビ、いるかい?」

「うぃー」



 疑念を胸に、ケレーリアは近くの影へと向けて声をかける。

瞬間、そちらとは別の方向にある建物の影から、プロセルピナの契約者たるザクロが顔を出した。

わざわざ違う方向に回り込んだザクロへと小さく嘆息をこぼしてから、ケレーリアは彼女に対して問いかける。



「どうだい、敵の気配は?」

「んー……微妙」

「また、はっきりしない返答だねぇ」



 ザクロの言葉に対し、ケレーリアは眉根を寄せていた。

あらゆる影を統べるザクロの能力範囲は非常に広い。影さえあれば、遠く離れた場所からでも干渉可能なのだ。

もし周囲に蠢くものがあれば、ザクロはあっという間にその存在を感知する事が出来るだろう。

だというのに、彼女の返答は芳しい反応ではないのだ。一体どういう事なのか、とケレーリアは疑問の態度を露わにする。

対し、いつも通りだるそうな様子で瞼を半分閉じているザクロは、この状況でもさして変わらぬ態度のまま、ゆったりとした調子で声を上げた。



「んー……動くものは、いる。けど、止まっているものも、いる。なんか、すごく変……入った時から思ってたけど、この都市は何かおかしい」

「ふむ。あんたが饒舌になるほどだ、それだけの異常があるって事なんだろうけど……さすがに、現状ではさっぱりか。もうちょっと、具体的にどんな異常があるのか分からないのかい?」

「……うまく、言語化して表現できない。無理やり言うなら――都市が、死んでる」

「まあ、こりゃ確かに死んでるって表現するのが正しいだろうけどね」



 周囲を見渡し、ケレーリアはそう返す。

静寂に包まれた都市。耳が痛いほどの静けさは、僅かな息使いですら周囲に響き渡ってしまうほど。

冷たい静寂、破局の日から切り取られ、そのまま保存されてきたかのような、違和感に包まれた場所。

そのあまりの不気味さに、ケレーリアは表情を顰めて二の腕を擦っていた。



「んじゃあおチビよ。あれがなんだか分かるか?」

「……んにゃ、さっぱり」



 そして、最も大きな懸念事項――それは、この都市の外壁に蓋をするかのように覆いかぶさる、上空の巨大な物体の存在だった。

八本の枝のようなものでその巨体は支えられており、都市のどこにいてもその姿が見えようになってしまっている。

動き出す気配こそないものの、感じる圧迫感は半端なものではない。

しかしながら、存在している場所はかなりの高度があり、地上からでは逆光となってしまうためその姿の詳細までは分からない。

沈黙を保っている事も含めて、この上なく不気味な存在であった。



「……ま、気にしてても仕方ないか。おチビ、あんたは引き続き周囲の警戒を頼むよ。隠れる場所が多いこの都市の内部じゃ、あんたの力が頼りだ」

「任されたー」

「よし。じゃあ、とりあえずの指針としては――」



 ケレーリアは、上空も含めぐるりと視線を巡らせる。

どこにこの都市を侵食する《渦》の入口があるのかは、未だに分かっていない。

ならば、まずはそれを探る事が急務となるだろう。



「これより、都市の中心へと向かう! そこから《渦》への入口を捜索、この都市の奪還を開始する!」



 都市の中心へと足を踏み入れれば、ザクロはより広い範囲をその能力によって探索することが可能になる。

そうすれば、《渦》への入口を発見する事も可能だろう。

尤も、できれば斥候などを放ち、できる限りの安全を確保してから臨みたい所ではあるのだが――



(斥候なんぞ、出した傍から帰ってこなくなる可能性が高いし、ね……上のあれが監視装置だとしたら、どこにいようと丸見えだし)



 とはいえ、敵が行動し始める気配が感じられない以上、その考えもあまり信頼のおけるものではなかったが。

ここでも、《奈落の渦》の魔物たちが持つ性質が、状況の厄介さを増しているのだ。

もしも彼らが独自の文化を持つ異民族のような存在であれば、その情報を収集する方法はいくらでもあった。

また、獣のような存在であったとしても、その縄張りの外から観察する事はできたはずなのだ。

しかし、《渦》の魔物はそのどれにも当てはまらない。

ただひたすら、人類に対して敵対的な行動を取り、目につく限りすべての生き物を殺戮する破壊者。

その情報を集める事など、難しいを通り越して不可能に近い事柄であった。

故にこのような場では、何があっても対応できるような態勢が望ましいのだ。



「基本陣形は手筈通りに。ただし、周囲を上位神霊契約者が固めるようにしろ。あたしが前、そしてユノーが後ろだ」

「理由を問うてもいいか、ケレーリア殿」

「単純。あたしは待ち構えてた方が戦力を発揮できるし、お前さんは戦場指揮に優れた神霊マールスの契約者だ。被害を少なくするなら、これが最も効率的だろう」

「うむ、確かに。だが一つ言わせて貰えば、我々がすべきなのは防御のみだ。敵を倒すのは味方に任せ、上位神霊契約者は力を温存すべきだろう」

「……ふむ、そうだね。その案で行こう。良し、アンタたち、今言った通りにしな!」



 ユノーの提言に同意し、ケレーリアは味方全体へと指示を行き届かせる。

上位神霊マールスの契約者は、ジュピターやヴァルカンとの契約者のように特殊な力を操る事はできない。

マールスが己の契約者に与えるのは、純粋に高い身体能力だ。

接近戦における戦闘能力のみを見れば、ユノー自身の剣の腕も含め、カインにも匹敵する技量を誇っているだろう。

しかし、マールスの契約者の真髄は、そんな単純なものではない。

――彼女達に与えられるのは、戦を司る上位神霊の持つ、戦いの知識とも呼ぶべきものなのだ。


 知識を与える上位神霊は、マールスに限った存在ではない。

アルテアの契約している上位神霊ディアーナも、契約者に対して薬学の知識を与える。

契約者のいない上位神霊とされるメーティスも、これと同じく知識を授ける能力を持っている。

ともあれ、マールスが契約者に対して与える知識は、そのまま戦闘の経験値にも直結するものとなるのだ。

ケレーリアは老練なる騎士であり、非常に多くの経験を有している。

けれど、不確定要素下における今の戦場においては、マールスの知識を持つユノーの判断力の方が信頼できると、ケレーリア本人が判断したのだ。



「ではケレーリア殿、前を頼む。それから、そこのお前達。後方からの奇襲を警戒してくれ。神霊プロセルピナの契約者が周囲を警戒しているとは言え、しすぎて損をする事はないからな」

「お嬢たち、アンタたちは横からの襲撃を警戒しときな! それから、アルテアは中心。アンタの治癒技能は生命線の一つだ。アンタはなるたけ安全な所にいるように」

「少々心苦しいですが……了解しました」

「よし。じゃあ、出発だ」



 若手が多いとはいえ、この場にいるのは選りすぐりの精鋭だ。

実戦経験も豊富なメンバーを選抜しているため、指示の通りは非常に良い。

その事にも満足しながら、ケレーリアは部隊の先頭に立って歩き始めていた。

見上げる先は、都市の中心部――全ての大都市にある、大神殿。



(とりあえずの急務は、《渦》の核を破壊する事。そうしなければ、例え魔物共を倒していったとしても、次々湧き出てしまうだけだ。外にいる魔物共の処理なんぞ、後からでも別に問題はない)



 夜まで待てば、ザクロ一人でも多くの魔物達を殲滅する事が出来るだろう。

しかし、元を断たない限り、《渦》の魔物達は無尽蔵に湧き続けてしまう。

例え危険に飛び込むような真似であったとしても、《渦》そのものの破壊は急務なのだ。



(欲を言えば、リーゼファラスたちと合流してから動きたい所だけど、あいつらがどこにいるかは流石に分からないみたいだしねぇ)



 ちらりと視線を影へと向けて、ケレーリアは嘆息する。

この街を侵蝕する大規模な《渦》を破壊するためには、リーゼファラスの力を借りる事が最も確実なのだ。

望ましい配置としては、リーゼファラスたちが《渦》の核を潰し、それ以外の面々が都市を支配している魔物達を殲滅する事。

上位神霊契約者の力を熟知しているが故に、ケレーリアはそう判断していたのだ。



「ねぇねぇ」

「おん? ああ、おチビか。どうした、何かあったのか?」

「んー……全体的に何か変なのは、変わらない。けど、奥に進めば進むほど、侵蝕されてるみたいに見える」

「侵蝕……?」



 足元の影から現れたザクロの言葉に、ケレーリアは一度地面や壁などへと視線を向ける。

黒い紋様が、皹のように走っている白亜の壁。

不規則に走っているそれらの痕は、確かに大神殿へ近付けば近付くほど、その数を増しているように思えた。

おぞましい気配を感じるその文様たちに対し、ケレーリアは不快そうな表情で呟いていた。



「確かに、侵蝕と言えばその通りだ……しかし、コイツは何だい? 《渦》の入り口を見た時のような感覚がするけど」

「詳しい事は分からない……けど、ケレーリアが言う事は確かにそうだって思う。魔物達の気配に近い」

「ま、どう見ても経年劣化じゃない、《渦》関連である事は間違いないだろうけど……何なんだかね、こりゃ」



 術で石の槍を作り出し、軽く突いてみるも、返って来るのは石の壁と変わらぬ感触だけだ。

特に反応がある訳でもなければ、硬さに変化も見られない。

――だが、そこから感じる不吉な気配だけは、どうしても拭う事はできなかった。



「《渦》の入り口か、内部か……あれと似たような感覚だ。けど、何でそんな物が地上にある?」

「さっぱり。これまでも何度かテッサリアへの偵察部隊は編成されたけど、一人も帰ってこなかったし」

「それも解せないね。ここまで敵の姿が無いのなら、そいつらは一体どうやってやられたんだ」

「んー……やっぱり、偵察してくる?」

「やめときな。アンタは切り札の一角なんだ、下手に切りたくない」



 ザクロの持つプロセルピナとの契約は、その特異性も相まって非常に有用である。

そんな彼女であるからこそ、下手に使う訳には行かないのだ。

彼女一人でしか動けないが故に、不測の事態が起こった際、フォローできる人間がいなくなってしまうのである。

故に、今出来る事は、こうして慎重に進む事だけだった。

だが――



「…………」



 徐々に変貌してくる光景と、意識に警鐘を鳴らしてくる感覚に、ケレーリアは自然と沈黙していた。

他の面々はまだ変わった様子はない――現状、これを感じ取っているのは多くの経験則を持つケレーリアだけだろう。

何かがおかしいと、彼女はそう感じていた。


 ――進むごとに侵蝕された部分の増えていく壁や地面。

 ――そこから感じる危険な感覚。

 ――現れる気配のない魔物達。

 ――遥か頭上にある巨大な謎の物体。


 ――そして、見つかる気配のない《渦》の入り口。



「……侵蝕?」



 ぽつり、と。ケレーリアは、小さく呟く。

この壁や地面は、侵蝕されているように感じられる。

そう、侵蝕だ。


 ならば――何によって侵蝕されている?



「――――ッ!!」



 瞬間、ケレーリアは足を止めて、遥か上空にある物体を振り仰いでいた。

動く気配のない、謎の物体。不気味ながらも、対処のしようがない為に放置していたそれ。

その巨体から伸びている足の一本は、何処かの地面に突き刺さっているように見える。

もしも、あれが《奈落の渦》から現れたものだとしたら――一体どうして、それほど巨大なものを吐き出した入り口を見つけられないと言うのか。

――答えは、一つしかない。



「溢れ出したと、言うのか……ッ!?」



 瞬間――天を覆う巨体が、僅かに鳴動した。





















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