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聖女の唄う鎮魂歌  作者: Allen
4章:追憶のセレナーデ
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77:追憶・死する救い












 『――死ぬ事なんて人それぞれだろ。何か意味のある死に方だったって事だろうよ。目的を果たすなり、女を守るなり……それこそ、この男にでも聞いてみなきゃ分からん!』

 『――ふん、決まってるだろう。この糞みたいな仕事から、糞みたいな街から、糞みたいな世界から解放されるんだ。そう考えれば、死ぬ事だってそう悪いって訳じゃねぇ。死ねば、この塵溜めから救われるんだよ』



 死に触れ、死を感じ、死を知ろうとし続けて、カインが辿り着いた二つの言葉。

死とは、ただ無意味なものではないのだと、カインはついに確信を得ていたのだ。


 己の住まうこの場所が、まともに生きられる場所ではない事を、カインは自覚していた。

死からかけ離れた存在であるカインだからこそ、大した苦労も無く生き続ける事ができるのだ。

普通の人間ならば、その日の食い扶持にすら命をかけなければならないだろう。

安定した暮らしをしているのは、周囲の人間から搾取する人間と、その周囲に付き従う一部の人間だけだ。

次の一秒、次の一瞬に命を失ってしまったとしても、何ら不思議ではない――ここは、そんな世界だ。

尤も、それがおかしい事であるという認識は、この地しか知らないカインには存在しなかったが。



「死は、意味あるもの……少なくとも、この地獄から救われる」



 ぽつぽつと呟きながら、カインは薄暗い道を歩く。

光源は立ち並ぶ家々の中に灯るランプの明かり程度であり、それも全ての家に存在している訳ではない。

しかし、そんな暗がりの中でさえ、カインの目にはいくつかの死体が見て取れていた。

死体運びの二束三文な給金のために殺人を犯す人間がいるような場所なのだ、人の活動時間を過ぎた今の時間帯ならば、いくつか死体が転がっていても不思議ではない。

カインはそんな死体の傍にしゃがみ込み、じっと死に顔を見つめる。



「……望まぬ、死か」



 無造作に伸ばされた髪の奥、瞳が反射する光は、まるで幽鬼のごとく揺らめいて。

転がっている若い女性の死体は、目を見開き嘆くように天を見上げていた。

体の前面に傷は無いが、広がる血だまりの位置から、後頭部を殴られたのだと分かる。

仰向けに転がっていたのは、殴られた後も僅かに意識があったからか、或いは下敷きにした荷物でも漁られたのか。

どちらにしろ、望む形での終わりではなかっただろう。

まだ、綺麗な死に方が出来ただけ幸せであったと考えるべきか。



「だが、そのおかげでこれ以上苦しんで生きる事はなくなった」



 生きていたかっただろう。成し遂げたい目的があっただろう。或いは何もなかったとしても、死にたくはなかっただろう。

だが、それでも理不尽な死は訪れるのだ。そして一度死してしまえば、そこで全ては終わってしまう。

それ以上の先など、ありはしない――故にこそ、この女は救われたのだ。

最早これ以上、生きる事のしがらみに囚われる事はなくなった。

理不尽な暴力に怯えながら暮らす必要はない。その日の食い扶持に頭を悩ませる必要も無い。

――生の苦悩から、解放されたのだ。



「例えどんな死であろうとも――それは、救いになる」



 呟き、カインは女の顔へと手を触れる。

開かれたままの瞼と口を閉ざし、その最期を認識する。

それは、死に対する畏敬であると言えるだろう。



「死は、平等だ――」



 その言葉を呟いた、その瞬間――触れた指の先から、冷たい何かがカインの中へと流れ込んできた。

凍えるようなその感覚に、カインは目を見開いて手を離す。



「っ!? 今のは……」



 凍えるような何か。死体の冷たさではない、もっと刺す様に冷え切ったもの。

しかし、得体の知れないそれに対し、カインはおぞましさを感じるような事はなかった。

それどころか、不思議と満たされる感覚を覚え、カインは再び死体へと向けて手を伸ばす。

以前、死体を運んだときには感じなかった“何か”。

何故死体に触れた事でそれを感じたのかは分からないが、カインは不思議とそれに惹きつけられていた。

そして――



「っ……これ、は」



 入り込んでくる“何か”。冷たく凍えるような、鈍く重い“何か”。

全身に走る戦慄は、恐怖ゆえか、或いは感動によるものなのか。

意識せず速くなる呼吸の中、カインはその“何か”を理解していた。



「これは……これ、が……これが、“死”か」



 黒く冷たい鋼のように、硬く強靭な概念。

必死に理解しようとしていたそれが、形となって流れ込んできていたのだ。

故に、カインは確信した――確信してしまったのだ。



「そう、だ。正しかったんだ。正しかったから、“死”は受け入れてくれた」



 “死”は、全てに対して平等に訪れる救いであると、その考え方こそが絶対的に正しいものであると確信してしまった。

救いである“死”を求める性質の根本は、こうして発生したのだ。


 実際の所――この現象は、カインの認識が変化したために起こったに過ぎない。

永劫アイオン》はカインの能力であり性質である。

一つの形を留め続けるという力を持つ《永劫アイオン》にとって、終焉と停止の概念である“死”は親和性の高いものであったのだ。

カインが“死”を受け入れられるようになったために、カインの魂が持つ《永劫アイオン》の力もまた、その性質を変化させた。

カインが変わる事はない。その命を保ち続ける性質が変化する事はない。ただ――



「俺の中に、“死”が……」



 ――己の中に“死”を保ち続ける力。

それこそが、カインと《永劫アイオン》が獲得した新たな力であった。

流れ込んだ“死”は、カインの中へ、その魂の内側へと取り込まれて圧し留められる。

そして“死”を取り出された女の死体からは、その死因となる頭部の傷が完全に消え去っていた。



「……生き返る、訳ではない。魂はもう、ここにはない」



 “死”を取り出した結果、死の要因が取り除かれただけなのだ。

それは決して、過去に遡り現在を書き換えるような力ではない。

失われた魂は戻らず、死滅した体の各器官が活動を再開する訳ではない。

ただ、傷一つない死体が出来上がるだけだ。



「そう、それでいい」



 死ぬ事で救われたのだ。ならば、これ以上苦しみの中に放り込む意味は無い。

カインは僅かに笑み、ゆっくりと立ち上がる。

死は救い――この地獄しか知らぬカインにとって、死のもたらす安寧は何よりも大きな救いに見えた。

ただそれだけが、自身にとっての救いに思えたのだ。

だが――



「なら……俺は、どうすれば死ねる?」



 カインは自問する。己が力の一端に触れたが故に、理解してしまっていたのだ。

例えどのような傷であれ、己が死ぬ事などありえないと。

事実、これまでもそうだったのだ。例え死ぬほどの傷を受けたとしても、次の日には何事も無かったかのように回復してしまう。

ただの傷では己を殺す事は出来ないと――カインは、力を自覚したが故に理解してしまっていた。



「俺に……救いは、無いのか」



 視界が閉ざされて行くような感覚を覚えながら、カインは小さく呻く。

どのような存在にでも必ず訪れるはずの“死”が、自分にはもたらされない。

いずれ来るであろう救いすら求める事が出来ないなら、どうやって生きればいいというのか。

元より、生きる事に対する希望など抱いていた訳ではないが――これまで生きてきた中で、初めて価値あるものを知ったカインにとって、それはあまりにも残酷な真実であった。

“死”という終わりすら求める事が出来ないならば、一体どうやって生きればいいというのか。

破綻し始めた思考の中、カインの目に入ってきたのは、目の前に転がる女の死体だった。


 ――カインが、その手で“死”を取り出した死体。



「俺の中に、“死”が流れ込んで……そう、か」



 己の中に“死”が入ってきたのだ。

限りなく“死”から遠いはずの体の中に、“死”という名の概念が。

ならば――取り込んだ“死”で己を満たしたならば、終焉を迎える事ができるのではないか。

カインは、そう考えていた。



「……もっと、“死”を。多くの、“死”を」



 立ち上がり、カインはぐるりと周囲を睥睨する。

このテッサリアの下層において、死体には事欠かない。

数分も歩き回れば、死体の一体や二体発見する事が出来るだろう。

それ故に、カインは――恐らく、生まれて初めて――嬉しそうに笑みを浮かべていた。

皮肉な事に、それこそが、カインにとって初めての生きる目的であったのだ。











 * * * * *











 その日以来、カインは死体を見つけてはその“死”を奪い取るようになっていた。

餓死、失血死、中毒死、病死――テッサリアの下層といえど、死因は様々だ。

そしてその死体たちは、必ず死体処理場へと持ち込まれる事となる。

とはいえ、持ち込まれた死体はすぐさま焼却処分されてしまうため、カインが触れられるようなタイミングはない。

その為、カインは街を回って死体を捜すようになっていた。



「お前は……刺し殺された、か。だが、これ以上苦しむ事はない……」



 刺殺された死体から“死”を抽出し、哀れみの声をかけてから、カインは立ち上がる。

本来、他者に対する思いやりなど皆無であったはずのカインだが、今現在こうして感じている感情は、それに順ずるものであると言っても過言ではなかった。

死してこの世から解放された事への祝福と、己が得られぬものを得た事に対する羨望。

カインは“死”というものを通して初めて、他人の存在を身近に認識する事が出来たのだ。

己が得られぬ“死”を容易く得られる彼らに対し、人並みの感心を得て――それと同時に、己が目標を見出す。

それは即ち、こうして得た“死”によって己が満たされる事で、自分自身も“死”に辿り着く事ができるかもしれないという固定観念だった。



「まだ、足りない……」



 冷たい刃のような感覚が、己の内側に沈殿していくのを感じる。

けれど、未だ満たされぬそれに対して歯がゆさを覚えながら、カインは必死に死体を探し続けていた。

カインにとって、“死”とは初めて感じ取る事が出来た救いの概念。

あらゆる事象に対する関心の薄いカインではあったが、救いを求めるという点においては、普通の人間と変わらなかったのだ。


 尤も――そうして“死”に至る事が『意味のある死』であるかどうかという思考は、完全に抜け落ちたままであったが。



「もっと、“死”を……」



 幽鬼のようにふらふらと死体を探し回るその姿は、さながら亡者のようであった。

普通の街であれば人々から石を投げられたかもしれないが、生憎とこのテッサリアは、自分が生き抜く事だけで精一杯な人間の集まった街である。

不気味な子供がいたとしても、いちいち気にかけるほどの余裕がある者は滅多にいないのだ。

他人に手を差し伸べれば、あっという間に食い物にされてしまうのだから。


 ――故に、カインはその光景が信じられなかった。



「――ほら、暴れないで。大丈夫、もう大丈夫だから」



 いつもと変わらぬ、テッサリアの街角。

怪我をした人間など探せばすぐに見つかり、放っておけば死ぬような傷を負った人間も週に一度は見かける場所。

そこに、一人の少女の姿があった。

茶色の獣革と思われるマントを纏った、白い髪の少女。

姿の全容こそ分からないが、彼女が何をしているのかはすぐに察する事が出来ただろう。

彼女は、地に伏した怪我人に、術による治療を施していたのだ。



「よし、これでいいわ。一応壁際に寄せとくけど、後は自分で大丈夫? ……ええ、分かったわ。それじゃあ、お大事にね」



 治療を終え、一命を取り留めた男を壁に寄りかからせた彼女は、そのまま対価を求める事もなく颯爽と去っていく。

その背中を呆然と見送ったカインの脳裏には、ただ一つの疑問のみが存在していた。



「……何故、死なせてやらないんだ、あの女は」



 再び得た一つの疑問――それを胸にしながら、カインはただ、去っていく白髪の少女の姿を目に焼き付けていたのだった。





















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