66:突入
「随分と唐突に来てくれたものだね……!」
重厚な鎧と楯、そして長剣を手に、ケレーリア・デーメテールは戦場に立つ。
波のように押し寄せてきたのは、視界と大地を覆うほどに大量な《奈落の渦》の魔物の群れであった。
その姿が発見されたのは、約一時間前――そして現在に至るまで、ケレーリアはほぼ一人で前線を支えていたのだ。
「おばちゃーん、いいの?」
「ああ、いいんだよ。こんな中途半端なところで、貸して頂いた兵達を無駄に損耗させる訳にはいかんさね」
否、正確に言えば一人ではない。
影より湧き上がる小さな少女、ザクロもまたこの戦場に立っていた。
影の内側へと姿を隠し、決して捉えられぬ位置から攻撃を繰り出していくザクロと、並みの魔物の攻撃では素肌にすら傷一つ付かないケレーリア。
二人の攻撃と防御は、ただそれだけで戦場を支えるだけの力を有するものだったのだ。
無論、たった二人が前に立った所で、彼女を無視して拠点へと向かう魔物たちも出てくるだろう。
そんな敵に対処するため、ケレーリアは無数の岩の柱を発生させ、檻のように魔物達の行く手を阻んでいたのだ。
上位神霊ケレースの力を借りて作り上げられた石柱は、《重装兵》の突撃ですら崩れないほどに頑丈だ。
そして、魔物に対するために間隔を開けて作り上げた石柱であるため、人間がその間を潜り抜けることも不可能ではない。
「あたし一人が消耗するだけで、他の契約者達が敵を倒してくれる。一人で全滅させようって言うんじゃないんだ、楽な仕事さね」
とはいえ――と、ケレーリアは胸中で舌打ちする。
多くの経験を積んできたケレーリアとはいえ、その魔力は無限に存在する訳ではない。
魔力を練り上げて作った石柱とて、地平線まで続いている訳ではないのだ。
横に回りこまれてしまえば、簡単に突破されてしまう。
そして、それによって発生した被害も、既にいくつか存在していた。
遠くにちらりと見える火の手に歯を食いしばりながら、ケレーリアは楯を振るう。
その衝突だけで《兵士》が砕け飛ぶのを見ながら、彼女は力強く咆哮を発していた。
「ブッ潰れろォッ!!」
振り下ろした刃は、正面にいた魔物を叩き潰し――発せられた重力波が、その場を基点として放射状に広がり、10m近くの範囲に渡って魔物たちを押し潰す。
上位神霊ケレースは、護りに特化した上位神霊の一柱だ。
しかし護りしか出来ないという訳ではなく、いくつかの攻撃的な能力も有している。
その一つが、この重力攻撃なのだ。一瞬ではあるが数十倍の重力に晒された魔物達は、一瞬で圧壊し、地面に陥没する。
その攻撃力は、他の上位神霊に勝るとも劣らないものだ。
純粋に攻撃と防御の高い、バランスの取れた能力であると言えるだろう。
しかし、上位神霊の強大な力があるとはいえ、それがすぐさま戦場を左右する事はない。
(……そんな事が出来んのは、ジュピター様の加護ぐらいだ)
広範囲に対して凄まじい威力の雷を発生させる、上位神霊の長ジュピターの加護。
見渡す限り広がる魔物達は凄まじい量が存在しており、これら全てを殲滅するにはジュピターの加護は必要不可欠であった。
それを有する人間も、いる事はいるのだが――
「さぁ、砕け散りなさい!」
ちらりと見上げた先にいるのは、新たにジュピターの加護を得た聖女、レイクレア・キュロスだ。
戦場が傾き始めたが故に、ジュピターが条件を緩和させて契約を交わした上位神霊契約者。
その魔力も魂も、ジュピターと契約するに相応しいだけのポテンシャルは有しているのだ。
しかしながら、これまで契約が交わされていなかった事も頷ける、未熟な少女でもあった。
(神域言語も扱えないんじゃぁ、な)
重力波で魔物たちを押し潰しながら、ケレーリアは舌打ちする。
魔力を捧げる事で、上位神霊の強大な力を引き出させる神域言語の力。
しかし、未熟なレイクレアは、未だ神域言語を扱う事ができなかったのだ。
契約を交わしてからあまり時間が経っておらず、上位神霊との相互理解も浅い内では、当然と言えば当然だったが――
(数合わせだって自覚がないんだから、始末に負えないねぇ)
今回参戦した上位神霊契約者達の中では、明らかに未熟。
何年も研鑽を重ねてきた上位神霊契約者と比較するのは可哀想ではあるが、他の上位神霊契約者達は彼女に対してあまり期待してはいなかった。
しかしながら、当の本人の意識はそうではない。
上位神霊の長たるジュピターの加護を得た己は、他の上位神霊たちよりも上位の存在であると思い込んでいるのだ。
ケレーリアとしても一度鼻っ柱を折ってやった方がいいと考えてはいたが、そのような無駄な魔力を使う訳にはいかない。
戦場で力の差を見せ付けてやればいいとも考えていたが、生憎と他の上位神霊の力にはあまり興味を示していなかったのだ。
(となると……横っ面を張ってやれるのは、あの子だけって事か)
もしもそれが可能であるとすれば、同じジュピターの契約者以外にありえない。
当代最高の術者、『ケラウノス』の称号を与えられた少女以外には。
――そう、ケレーリアが考えた瞬間だった。
『駐屯地の人たち、聞こえる!? こちら、ミラ・ロズィーア=ケラウノスよ!』
強い魔力に乗せる事によって放たれた、広域の念話。
それによって運ばれてきた声は、紛れも無くミラのものであった。
かつてよりもより強力に、洗練された魔力の中、揺るぎない芯を保ったミラの声は戦場に響き渡る。
『今から、レームノスの援軍を伴ってそちらに向かう! こちらが到着したら、一気に下がりなさい!』
「っ……お早い到着じゃないか、お嬢! その戦力、信用していいんだろうね!?」
『ケレーリア? ええ……これは見せる必要があるしね。それに、私も魔力を練っている。到着したらすぐに終わらせるわ』
「くく、了解! 聞いたね、アンタたち! 後もうひとふんばりだ!」
小さく笑みを浮かべ、ケレーリアは周囲に告げる。
声を乗せてきたミラの魔力は、以前よりも更に洗練されていた。
その純度は、歴戦の勇士たるケレーリア自身にすら迫るほどにだ。
そんな彼女から放たれる広域殲滅の術が、果たしてどれほどの力となるのか――それが、楽しみで仕方なかったのだ。
「『ケラウノス』……どれほどの力なのか、見せて貰いましょうか」
そんなケレーリアの耳に、小さな声が届く。
戦場の音の中に紛れて消えてしまいそうなほどのそれは、レイクレアの呟きであった。
強化していなければ聞き取れなかったであろうその声に、ケレーリアは小さく微笑む。
目指す頂がどれほどのものか、理解する事が出来るだろう、と。
『そちらまで後三十秒程度! すぐさま退避して!』
「了解! ほらアンタたち、そこにいると邪魔だよ! さっさと下がりな!」
響くミラの声に、ケレーリアは笑みと共に声を上げる。
石柱を盾としながら遠距離攻撃を続けていた兵達は、若干の困惑を残しつつも後方へと下がり、魔物たちから距離を取っていく。
当然ながら攻め手は弱まり、石柱は魔物達の攻撃に晒される事となる。
しかしながら、ケレースの力が込められた堅牢なる柱たちは、魔物の体当たり程度で易々と壊れるような物体ではない。
逆に弾き返され、後続の魔物たちに押し潰されるような状況すらもあった。
しかしながら、高い防御力を誇る石柱とはいえ、絶対に破壊されない物体という訳ではない。
当然耐久度の限界は存在しており、あまり長時間攻撃を受け止め続ける事はできないと、使い手であるケレーリアは理解していた。
(さあ、あんまり長くは持たないよ……どうする、お嬢?)
ケレーリアもまた、魔物たちを一度大きく弾き飛ばした後、後方へと跳躍して柱から距離を置く。
ひしゃげて飛んだ魔物には目もくれず、他の魔物達はただ手を伸ばすように石柱へと体当たりしていく――その間に割り込む、無数の影があった。
「っ、これは!?」
走り抜けていく、数多くの魔力自動車。
国の中枢に近い場所にいるケレーリアも、噂程度にしか聞いていなかったレームノスの新技術。
銃座の付いた装甲車の群れは、ケレーリアの石柱に平行するように走りながら並んでいく。
そして――中央付近の車より現れた男が、声を魔力に乗せて周囲へと発していた。
『総員! 銃座、構え!』
その言葉と共に、銃座に掴まりながらしゃがみ込んでいた兵士達が、一斉に立ち上がって銃口を魔物達へと向ける。
ファルティオンの人間では殆ど見た事がないような、設置型の巨大な銃。
がちゃん、と同時に音が鳴り、銃座の準備が完了する。
一糸乱れぬその動きの中――中央に立つ軍服の男が、勢いよく腕を振り下ろした。
『撃てぇッ!!』
そして、その刹那――無数の轟音が、周囲を一瞬で支配していた。
巨大な銃より放たれる魔力弾は、石柱の間をすり抜けながら魔物たちに突き刺さり、その身を引き裂いていく。
弾丸の量は非常に多く、尚且つ強力なものだ。《重装兵》の強固な甲殻すら瞬く間に打ち砕き、その内側を蹂躙していく。
その光景を目にして、ケレーリアは戦慄を覚えていた。
(ただの武器で、並みの契約者以上の破壊力を叩き出す、だと……?)
これまでケレーリアが見てきた魔力銃は、確かに便利な代物ではあったものの、契約者に対して有効なダメージを与えられるような武器ではなかった。
しかしこの乗り物と銃座は、格の低い契約者程度ならばあっさりと屠れるほどの威力を叩き出している。
弾薬の消費こそ激しいが、その元となっているのは魔力である。溜めようと思えばいくらでも溜められるものだ。
高速で移動する乗り物に、契約者すら凌駕しかねない武器。それがどれほど驚異的なものであるか、ケレーリアは正しく理解していた。
(……やってくれるね、お嬢。まともに考えられる奴なら、誰だって気付ける)
――契約者が戦場で常に圧倒的優位にあった事実が、揺らぎつつある事に。
ミラはそれをファルティオンの者達に見せ付ける事で、この戦いにおける協力の有用性と今後の国の方針における意識の改革を促したのだ。
幸いこの場には、本来ならば各都市に散らばっている上位神霊契約者が数多く存在している。
強い発言権を持つ彼女達がこれを知らせれば、国全体が現状を理解する第一歩となるだろう。
だが、このまま彼らに全てを任せたのでは、ファルティオンとしても面目が立たない。
それを無視すれば、軍の内部に不満を生じさせる事になるだろう――ケレーリアがそんな懸念を抱いた瞬間、絶妙のタイミングで金髪の少女が姿を現した。
「お嬢……」
纏う魔力が、雷光となって弾ける。
車から現れ、衆目に身を晒すように石柱へと跳躍したミラ――それと、彼女を支えるように立つ少年。
彼女の持つ強大な魔力は、既に十分すぎるレベルで練り上げられていた。
「『Ερχόμενοι, της καταστροφής Θάντερ』」
ミラの口より紡がれるのは、ジュピターへと通じる神域言語。
契約している神霊が異なるため、ケレーリアにはその意味を理解する事は出来なかった。
しかし、その発音だけは、かつて耳にした事があった。
今と同じように、大地を埋め尽くすほどの魔物たちを相手にした時、ジュピターの契約者はこの言葉を口にしていたのだ。
「――『Σφυρί του Θεού』」
そして、雷が振り下ろされる。
響き渡る音は、連鎖的に続いていた魔力銃たちの射撃音すらも蹂躙していた。
目を焼くほどの閃光と、ケレーリアすら思わず身を竦ませるような乾いた轟音。
天より堕ちる雷の群れは、最早数える事すら叶わぬほどに広く速く強く――断続的に発する輝きは、魔物の群れへと向けて容赦なく打ち下ろされていた。
僅か数秒の、しかしそれ以上に長く感じる圧倒的な破壊が過ぎ去り――ミラは、レイピアを鞘へと納める。
広がる戦場には、最早一匹の魔物の姿すら残されてはいなかった。