58:戦の気配
ステンノとエウリュアレ、二体の《将軍》を元とする戦いが終わって一ヶ月。
リーゼファラスたちは、未だにレームノスに滞在し続けていた。
事の発端は、《奈落の渦》の破壊を完了し、カルシュオへと帰還した後であった。
ヴァルカンへ戦いの報告を行った所、彼を通してジュピターの言葉を伝えられたのだ。
曰く――
「『ファルティオンとレームノスの間に約定は成された。こちらも戦の準備を始めるので、しばらくはそちらで仕事をするがいい。やる事はヴァルカンが指示するじゃろう』……だとよ。いやぁ、悪いなー、お前らー」
「便利な駒が手に入ったって思っているでしょう、ヴァルカン」
「おう、キリキリ働けよ。やって貰いたい事があるんでな」
――との事であった。
《渦》と《将軍》を討った事に関する感謝などはまるでなかったが、上位神霊に対して人間の機微などを期待する事自体が間違っている。
その辺りの認識はほぼ全員が有していたため、ヴァルカンの言葉に対しては胸中で嘆息する程度にとどめていた。
どちらにしろ、貸しを作った事は確かなのだ。その認識は、レームノスの上層部にもしっかりと浸透している事は確認している。
三体の《将軍》を相手に完勝する圧倒的な武力――それを軽視出来るほど愚かな人間は、存在しなかったのだ。
神霊の力を重視しない、実力主義なレームノスだからこその認識であったとも言えるだろう。
現在、ファルティオンは北の大都市であるパルティナに戦力を集結させつつある。
各都市の防衛には最低限の戦力を残し、出来る限りの上位神霊契約者を集結させているのだ。
またレームノスでも、各種魔力機関兵装の量産、戦力の集結を進めている。
兵装の量からも精鋭部隊にならざるを得ないが、その分有している戦力は非常に強力だ。
正面から戦えば、上位神霊契約者をも圧倒するだけの戦力があるだろう。
とはいえ、リーゼファラスや今現在のミラと戦えばどうなるかは、語るまでもない事であったが。
「……それで、貴方の従者からの連絡は?」
ウルカと共に一通りの訓練を終えたミラが、監督していたリーゼファラスに対してそう問いかける。
ウルカとミラは、この一ヶ月の間、リーゼファラスから教わった魂の力について習熟を行っていたのだ。
プラーナとも呼ばれるその力は、契約の力を著しく上昇させる効果があるのだ。
しかしながら、魂を削るその力は、使いすぎれば魔力以上に己の命を削る事となる。
その為、リーゼファラスが二人の訓練を監督する事で、その危険を防いでいたのだ。
「ええ、定期的に届いていますよ。現在、各都市を回って《操縦士》を破壊しています」
そして現在この場にいない二人――カインとアウルは、このレームノスの各都市を回り、国の上層に食い込もうとしている《操縦士》たちを滅ぼして回っていた。
今回の作戦は、国どころか世界の今後を左右するような重要なものなのだ。
決して敵側に詳細を知られる訳にはいかないため、カインたちの出番となったのだ。
スパイのような活動が可能なのは《操縦士》のみであり、それらを効率的に狩る事ができるのはカインとアウルだけだ。
アウルが生け捕った《操縦士》によって、取り憑かれた人間を見分ける技術の開発は進んでいるが、未だ完成しているとは言いがたい状況だ。
それ故に、彼らが自らの手で敵を討つ事になったのだが――
「正直、あいつらを二人きりにさせるのは非常に不安なのだけど」
「心配せずとも、《操縦士》を相手にしている以上はアウルも適度に欲求の発散が出来ますからね。その辺りの路地裏で人を解体する事はないでしょう」
「……あんまり安心できない台詞ですよね、それ」
リーゼファラスの言葉に、ウルカは軽く口元を引き攣らせる。
それは即ち、敵が見つからなければ、そういった方法で欲求を発散しなければならなくなるという事なのだから。
仮にも、これから戦場を供にしようとする国が相手なのだ、そういった活動を容認する訳には行かない。
リーゼファラスもそれを理解しているため、アウルにしっかりと言い含めていたのだ。
「まあともあれ……順調なようではありますよ。潜んでいる《操縦士》はそれなりに狩れています。魔力パターンを覚えたアウルから逃げられる筈もありません」
「ま、こっちにとっては都合がいい事だから、それはそれでいいのだけどね」
水筒から汲んだ水を飲み干して一息つき、ミラは軽く肩を竦める。
そして手に持った水筒をウルカへと渡しつつ、南――自国の方へと視線を向けながら声を上げた。
「これは必要となる戦い。けれど、国内の不満は出るでしょうね」
「戦である以上、どうした所でそういった意見は現れますよ。特に、現状の追い込まれている状況ではね」
圧倒的不利を隠したままの拮抗状態――それが、ファルティオンの現状であると言えるだろう。
《渦》の魔物の脅威は日常的に存在しており、大都市に住むものたちとて、日々その不安に駆られている。
そんな中で、かつて陥落した都市を奪還するために戦力を集めるなどと言われても、そうそう納得できるものではないだろう。
どうした所で、人は目先の安全に気を取られてしまう。戦いの先に得るものが明確ではないのなら、それは余計にだ。
故にこそ、ジュピターは一つの情報を開示した。
――《渦》の魔物の王たる存在が、始まりの《渦》、コーカサスに存在していると。
「明確な敵がいれば、人は団結する……ミラ、貴方の言った言葉は事実でもあります。ある種、賭けではありますが」
「圧倒的に不利な状況であると言う事実を認識させる前に人を団結させ、貴方とカインの力で敵の王を滅ぼす……成功すれば確かに大きいけれど、失敗したらとんでもない事になるわね」
魔物たちの王は、未だコーカサスを根城としている。
そしてその存在さえ倒す事が出来れば、人類は勝利する事が出来るのだ。
テッサリアの奪還はその為の布石であり、テッサリアを要塞とする事でコーカサスを攻める事こそが目的である――目先の安全か、将来の平和か。
少なくとも、葛藤を生ませる事は確実な、大きな情報であると言えるだろう。
「どちらにしろ、カインの記憶と力を呼び覚ますためには、テッサリアに足を踏み入れねばならない事は確かです。そしてコーカサスを攻めるために、近いテッサリアかティーヴァを落とす必要がある事も。勝負をする価値はありますよ」
「ええ、そうね。けど……激しい戦いに、なるでしょうね」
闇に堕ちた都市。それそのものが巨大な《奈落の渦》と化した三つの都市。
未だかつて、そこに足を踏み入れて戻って来た者はいない。
どれだけの力が集中しているのかすら分からない、魔の都だ。
そこに足を踏み入れるとなれば、例えどれだけの戦力を準備していたとしても、不安は絶えない事となる。
さりとて、戦いから逃げる事もまた許されない。
(力有る者……いえ、多くを知る者として。逃げる訳には、行かないわ)
世界の真実を、あらゆるものを凌駕する存在を、ミラは既に知っている。
故に、己を強者であるとは思えなくなっていたが、それでも『ケラウノス』の称号を持つ者として、例え不利な戦いであろうと逃げる訳には行かなかったのだ。
その鍵を握るのがカインであるという点に関しては、少々不安を感じずにはいられなかったが。
「どうにしろ、私達は集った部隊の護衛として、ともにパルティナへと戻る事になります。その時になるまでは、動く事も出来ませんね」
「分かってるわよ。それまでに、この力をマスターして見せるわ……そうでしょう、ウルカ?」
「はい、ミラさん。でも、結構慣れてきたと思いますよ?」
「そうして油断し始めた辺りが一番危ないとは思いますが……まあ、危険域まで力を使わない限りは大丈夫でしょう」
軽く嘆息しつつ、リーゼファラスはそう口にする。
魔力と違い、消費しすぎれば魂にダメージを受けてしまうのがプラーナなのだ。
そして、傷ついた魂は決して癒える事はない。それが可能だとすれば、あらゆる魂魄を統べる《魔王》の側近、《霊王》の権能だけだ。
無視できる範囲のダメージならばまだしも、取り返しのつかないほどのダメージを受けてしまえば、肉体も魂も崩壊してしまう事だろう。
その危険性については、リーゼファラスも散々と言うほどに説いてきていた。
どれほど言い聞かせても、足りないといわんばかりに。とは言え――
「貴方たちをそこまでの窮地に陥らせるつもりもないですし、ね」
「随分と過保護な事を言ってくれるわね、リーゼ」
「私からすれば、貴方たちはまだまだ子供ですよ。年齢的にも」
くすくすと、リーゼファラスは小さく笑う。
事実、彼女からすれば子供の面倒を見ているような感覚なのだ。
実年齢はミラの母親と同年代程度であるため、それほど間違いという訳でもない。
そんな言葉を口にしたリーゼファラスに対し、ミラは若干複雑そうな視線を向け――ふと、そんな相手の背後へと視線を向けていた。
自分達の方へと、レームノスの兵士の一人が向かってきていたのだ。
「失礼します! リーゼファラス様に伝書が届いております!」
「と、噂をすれば影ですかね。受け取りましょう」
「はい、確かに。正式な報告書に関してはこちらの方で受け取っておりますので、後ほどお伝えします。それでは!」
「ええ、お疲れ様でした」
伝令の兵は一礼すると、そのまま元来た道を戻って去っていく。
その背中をちらりと眺め、リーゼファラスは手の中にある手紙へと視線を下ろしていた。
定期的に送られてくる、アウルからの報告書。いつもあまり益体も無い内容が綴られているそれに苦笑しながら、リーゼファラスは封を切って手紙を取り出していた。
「アウルからの手紙かしら?」
「ええ。まあいつも通り、好き勝手やった事の報告でしょうが――おや?」
普段どおり、カインと何をやった、どんな相手を解体した、何が綺麗だった――そんな報告が並ぶ中、一つ書かれていた言葉に、リーゼファラスは目を奪われる。
そこには、ただ一言――
『――私たちと同じ資格を持つ存在、見つけたかもしれません』
――そう、書き記されていた。
* * * * *
「ジュピター様?」
「む……なんじゃ、レウクティアよ」
ファルティオンの首都、オリュークス。
その中心に建つ巨大な神殿の一角で、二人の人影が円卓についていた。
雷霆の如く輝く黄金の髪と、紅の瞳を持つ少女――上位神霊の長、ジュピター。
紅炎を纏い輝きを統べる、緋色の瞳を輝かす女性――正印教会教皇、レウクティア・ネクタル・イリアンソス。
教会のトップと呼んでも過言ではない二人は、神殿の一角でその言葉を交わしていたのだ。
「良いのですね、彼の死神を目覚めさせても」
「うむ、危険は承知しておるとも。しかし、あの力は必要じゃ」
議題は一つ――テッサリアを奪還する事のリスクについて。
久方ぶりとなる大きな戦には、いくつかの問題が発生している。
まず、敵がこれまでに無いほど強大であるという事。挑めば、決して少ない犠牲で済ませる事は出来ないだろう。
そして二つ目は、各都市の防御を薄くしなければならないという事。
もしもカウンターで攻撃を受けてしまえば、都市の一つや二つ、あっという間に落とされかねない。
また、噴出する不満を抑える方策も必要だ。とはいえ、こちらはレウクティアの得意とする部分であり、あまり問題視はしていない。
それよりも、最も大きい問題は――
「『彼女』は、決して弱くはなかった。そうであるからこそ、テッサリアの下層に紛れ込ませていたのです。そんな『彼女』が、逃げる事すら出来ずに終わるなど、考えられなかったのですが……」
「あの聖女らしい聖女がのぅ。正直な話、逃げるという方策を選ぶ人間には思えんかったが?」
「『生き延びれば、今救えない人間の百倍を救う事が出来る』……何よりも生きる事に真摯であった『彼女』が、そう簡単に死を選ぶと?」
「ふむ……」
その言葉に、ジュピターは目を細める。
テッサリアは――あまりにも、あっさりと崩壊しすぎたのだ。
上層に存在していた上位神霊契約者、そして下層に紛れ込ませていた『彼女』。
例え押し切れないほどの魔物の群れであったとしても、避難の時間を稼ぐ事は出来たはずだ。
しかし、結果は全滅。ただの一人すら逃げ出す事も叶わず、テッサリアは闇の底に沈んだ。
――総ての真実を、その中に置き去りにして。
「確かに、儂ですらあの街の状況は把握できておらん。しかし、唯一の生き残りと思われるからといって、警戒しすぎではないかの?」
「『彼女』達の末路を知る意味でも、死神の記憶を取り戻すことには賛成です。しかし――不安があるのですよ」
一体どのようにして、テッサリアは滅んだのか。
実力ある者達が存在していて尚、カイン以外の生き残りが存在しないのか。
「少なくとも、私が知る中では、彼以外の生き残りはおりません……無論、彼の能力ならば、生きて帰る事ができたとしても不思議ではありませんが――」
薄く開かれたレウクティアの瞳には、僅かな疑念の色が揺れる。
謎に包まれた、漆黒の死神――不確定要素の塊であるとも言える、その存在。
それを、危険な作戦に投入する事の危険性。それを無視する事は、賢き教皇にとって抵抗感のある行為だったのだ。
しかし、全能たる雷の女王は首を振る。
「あれは確かに我らの領域に足を届かせる器であり、布石もしっかりと打ってある。案ずるな、人の子よ。上手くすれば――神の楯たるあの小娘も、一つ歩を進めるじゃろう」
ジュピターは、そう告げて笑う。
ハイリスクハイリターンを好みとしているこの主神が、果たしてどのような手を打っているのか――若干憂鬱な気分になりながらも、レウクティアはその嘆息を噛み殺していたのだった。




