57:蠢く影
「そっちは終わったのか、リーゼファラス」
「ええ。待っていてくれたのですか?」
「あのガキ共へのフォローは必要だろう。それが、お前の望みかジュピターの望みかは知らんがな」
「ふふふ……やはり、貴方にはお見通しですか」
全ての魔物を狩り尽くし、大鎌を分解して体内へと納めたカインは、近付いてきたリーゼファラスに対してにやりと口元を歪めていた。
ミラとウルカ――自分たちの仲間と呼べる二人。年若い上位神霊契約者であり、強い魂を持つ者。
その力は未だ未熟なれど、伸び代の長さに関してはカインも認めている二人組みであった。
そんな彼らの成長は、リーゼファラスにとっても望ましいものであったのだ。今後、ファルティオンを変えていく重要な存在として。
彼女が内心でつむぐ思惑を理解して、カインは小さく苦笑を零す。
ミラはともかく、ウルカにとっては激動の人生となるだろう、と。
「ま、国の運営など俺にとっては興味の無い話だ。あの国がどうなろうと、知った事じゃないからな」
「貴方にとってはその程度の認識でしょう。共感して欲しいとまでは言いませんよ。ただ、邪魔さえしなければそれで構いません」
「なら、勝手にしてくれ。手伝いもしないがな」
「さて……貴方が貴方らしくしていてくれれば、それだけで助けにはなると思いますけれどもね」
くすくすと、リーゼファラスは小さく笑みを零す。
元より人ならざる美貌を持つ彼女だ、怜悧な双眸を笑みに歪めれば、それだけで魅力的な女性へと早変わりする。
尤も、彼女の外見など、カインにとってはあまり興味の無い事柄ではあったが。
彼が興味を持っているのは、リーゼファラスの持つ強大な力だ。今回、その一部を垣間見る事が出来た訳だが――
(コイツの回帰は、制圧力に長けたタイプか? 普段の能力の延長だが、単純で純粋に強いと言える)
アウルの持つ回帰のように、何か特殊な作用を及ぼせるようになる訳ではない。
ただ純粋に、結晶化の力を強化する回帰。
その一瞥でありとあらゆるものを水晶へと変え、その水晶たちをある程度なら操る力すらも持つ。
――だが、本当にそれだけだろうか。
(魔力を散らした……アレは何だ? 結晶化と同じ力なのか?)
ステンノの放った術を、その視線の一瞥で散らしてしまったその力。
異質な力こそ感じなかったが、これまでの力の使い方とは一線を画するもの。
果たして、あの力は一体何なのか――
「ふふ、気になりますか?」
「……いずれ、戦うつもりの身としては、な」
未だ届かぬ、遥か遠き実力を持つ存在。
だがいずれは彼女と戦い、そして果てる事こそがカインの目的なのだ。
その中で無様な戦いなど出来るはずもない。リーゼファラスの力は、カインにとって何よりも強い興味の的であった。
「そのつもりだというのなら、教える訳がありませんよ」
「だろうな。ま、俺としてもその方が都合はいいさ」
“死”こそがカインの目的なのだから。
より強いリーゼファラスと戦えるというのならば、カインとしても否は無い。
自分がどこまで、この超越者相手にたたかう事が出来るのか――そして、どのような最期を迎える事が出来るのか。
それだけが、ただ楽しみであった。
「……さて、行きましょう」
「ん? ああ」
そんなカインの横顔を若干睨むように見つめていたリーゼファラスは、その表情を隠すように先行して歩き始めていた。
目指すのはこの《奈落の渦》を構成する核。それを潰さねば、魔物が延々と湧き出してくるシステムは止まらないのだ。
とはいえ、その動きを制御していた《将軍》達はすでに倒されているので、通常の魔物しか現れないだろうが。
周囲へと視線を向け、カインは寄り魔力の濃い場所を探す。
遠目に同じように探索をしているアウルの姿があったが、彼女はカイン達の方へと近寄ってくる気配はなかった。
その姿にカインが疑問符を浮かべるのと同時、リーゼファラスがポツリと声を上げる。
「カイン」
「ん? 何だよ?」
「貴方は、もしも私を倒したとしたら……続いてしまったとしたら、どうするつもりですか?」
「弱気な事を言ってる……という訳でも無さそうだな。あの神様たちの事がよっぽど気になるってか」
表情を見せないリーゼファラスに対し、カインは軽く肩を竦める。
神――《魔王》と《女神》。余計な形容など陳腐だと、そう言わんばかりの圧倒的な力。
かつてそれと相対した記憶を呼び起こし、カインは口元を笑みの形へと歪めていた。
「ああ、いいな。挑みたいね。あれ以上は知らない、あれに届く姿などまるで想像も出来ない。あの領域へと足を踏み入れる事が出来るなら、是非とも刃を交えてみたい所だ」
「……そうですか」
「あまり怒るなよ、性分だ。それに、あんな無茶苦茶な力の塊だぞ? どれだけ力を得た所で、あれに届くとは到底思えんさ」
僅かに怒気を滲ませるリーゼファラスの背中に、カインは軽く嘆息を零す。
リーゼファラスの力は、ある程度感じ取る事が出来る。
己が未だ、その足元どころか影に触れるのがやっとであるという事も。
しかし、《魔王》と《女神》は別格だ。彼らは力を行使した訳ではない、戦意を見せた訳でもない。
ただ座っていた――たったそれだけで、カインは意識を消し飛ばされそうなほどに圧倒されていたのだ。
「上限どころか下限すらも分からん。俺が何かしたところで、あの神様たちがどうにかなると思ってるのか?」
「《女神》様方は、貴方に合わせて極限まで力を絞っておられました。貴方はその下限ですら力を認識出来ない程度なのですよ? それなのに、よくそんな事が口に出来るものです」
「言ってるだろう、性分だよ」
元より、彼の神々に届くなどとはカインも考えてはいないのだ。
ただ、挑む事にのみ意味がある。そして、その意味のある戦いで果てる事こそが救いである。
カインの考えている事は、ただそれだけなのだ。
「俺だって……いや、この世にある全ては、あの神様たちに抱かれてる訳だろう。敵だろうが味方だろうが、生き物はあの腕の中でただ生きて死ぬ。そんな摂理のどこまでが神様の仕事なのかは知らんが、直接救いを求められたんならそれに応えるぐらいはしてくれるんじゃねぇのかよ?」
「……え?」
「あ? 何だよ、素っ頓狂な声上げやがって。俺が何かおかしな事を言ったか?」
「貴方はいつもおかしいですが……いえ、少し驚いただけです」
思わず振り返ってしまっていたリーゼファラスは、僅かな動揺を滲ませたまま視線を戻し、歩き続ける。
そんな彼女の様子に、言葉を放った当人であるカイン自身が怪訝そうな表情を浮かべていたが、それを追求するような事はなかった。
それは、リーゼファラスにとっては助かる事であっただろう。今の彼女には、応答する余裕など無かったのだから。
(敵だろうが、味方だろうが……? 私たちも、《奈落の渦》も、あの方々の愛から外れてはいない……?)
《女神》は総てを愛し、《魔王》はそんな女神を愛する。
愛したものは総て己が魂の一部であり、総てはその二つの螺旋の中へと取り込まれていく。
無限螺旋――それこそが、今この世界を包んでいる理なのだ。
慈悲深き理であり、それ故にリーゼファラスも胸を打たれて共感したのだ。
これこそが、真実の神であると。
(《女神》様は、慈悲深きお方だ……あらゆるものを赦しその腕に抱くのも、分からなくはない。けれど――)
《魔王》――銀の焔を纏いし破壊神。
《女神》の夫にして《女神》を守護する者。あらゆる神々の頂点に立つ絶対者。
誰よりも《女神》を愛し、その敵を苛烈なまでの力で討ち滅ぼす者。
そんな存在までもが、世界を侵す害悪に慈悲を与えているというのか。
(分からない……あの方は、一体どう考えているのか)
しかし、このような個人的な都合で拝謁を行う訳には行かないだろう。
元より、彼の神々は思考の基準が違いすぎているため、会話らしい会話は成立しないのだ。
彼らの前に立ったとしても、その言葉を理解できるかどうかは分からない。
小さく嘆息を零し、リーゼファラスはちらりと背後へ視線を向けていた。
そこにいるのは、変わらずつまらなそうに周囲を眺めているカインだ。
エウリュアレは期待外れであったのだろう、軽く欠伸をする彼には、既に戦意らしいものは存在しない。
(……一つの真理、なのかもしれませんね。人の理では辿り着けない、神々の意志)
それが、果たしてどのような意志の下に組み上げられたものなのか。
今のリーゼファラスには、それを理解する事は出来なかった。
何よりも《女神》を信奉するが故に、誰よりも《女神》の敵を認めないが故に――その存在など、思考の埒外にあったのだ。
故にこそ、リーゼファラスはカインを見つめる。己とはまた違う、壊れ果てた価値観を持つ男を。
(貴方なら、その真理に辿り着けるのですか、カイン?)
力を持つ者としての、興味の対象とは違う。
《女神》の敵になるかもしれないという、警戒心でもない。
リーゼファラスはその時初めて、純粋なる興味とも呼べる感情を、カインに対して抱いていたのだった。
* * * * *
――漆黒に染まった都。
深淵に沈むその都市の中心には、全体を黒く染め上げた城が周囲に威圧感を振りまきながら鎮座していた。
暗い夜の闇の中、漆黒の城は暗黒に紛れて尚強烈なる存在感を周囲へと示している。
それは何よりも、その城の中心に座す存在が、あまりにも強大なる力を誇っているが為であろう。
もしもこの場にリーゼファラスがいれば、そこに集う力の禍々しさに、思わず顔を顰めていたはずだ。
そこには――膨大なほどの負の力が、まるで台風のように渦を巻いていたのだから。
天を暗雲に覆う力の渦の真下、頬杖を突きながら玉座に座す一人の男は、感じた気配にゆっくりと顔を上げる。
「……敗れたか」
感じ取ったのは、己が眷属たる《将軍》の消失。
そしてその魔物達が、己が目論見の内の一つを果たせずに粉砕されたという事実であった。
ステンノ、エウリュアレ、キュマイラ――最後の獣はともかく、邪眼の姉妹は非常に強力な力を持った《将軍》であった。
一国を攻め落とせるだけの戦力を集中して、なおも滅ぼすどころか本気を出させる事すら出来なかった宿敵。
その事実に対し――男は、その口元に笑みを浮かべていた。
「流石は神楯か……あれだけの力を相手にしても超越を使いすらしないとは」
口をついて出る言葉は、宿敵に対する怨嗟ではなく、純粋なる賞賛。
かつて争い、そして相討ちとなった相手――『最強の聖女』リーゼファラス。
彼女の力の一端を理解するために多くの手ごまを用意する事になったのだが、その全てを覆されてしまった。
何よりもその敗北の事実に、男はただ楽しそうに笑みを浮かべる。
「まさか、貴様が群れるとは思わなかったが……こうも覆されたのであれば、馬鹿にも出来んか」
かつて己と相打った相手が、か弱き人間を供として連れている――その事を知り、興味を持っての行動であったが、それを簡単に覆されてしまった。
リーゼファラスに全力を発揮させる事は出来ず、手駒を一方的に失う事になったのだ。
損害の規模としては、非常に大きいといっても過言ではないだろう。
けれど、男はそれでも笑っていたのだ。宿敵の成長を、賞賛するかのごとく。
「人間ごときと侮り過ぎたか……貴様の連れている人間だ、ただの弱者などである筈も無かったか」
男は笑う。宿敵の元に、力が集っている事実に対して。
そして同時に、産声を上げようとしている黒き死神に対して。
「だが、目的は果たせた」
男は笑う。宿敵と並び立つ、黒衣の死神の姿を認識しながら。
黒き大鎌を携え、二体の《将軍》を打ち破った殺戮者。
“死”を纏う死神――それこそが、男が興味を抱いている存在だったのだから。
「神楯、そして雷霆よ。その死神は、確かに貴様らにとっての希望であろう」
だが、果たしてそれだけで終わるなどと思っているのか――男は、嗤う。
彼の死神を御したなどと思い込んでいる、神霊たちに対して。
「だが、生への希望を失い、破滅への渇望を抱いた死神。その本質を、貴様らは知らん」
神霊たちは彼の者を見出した気でいるのだ。
この男が、当の昔に目を付けていた存在に対して。
「彼の都市を飲み込み、滅ぼした死神……その願いは果たして、どちらに傾くか――」
男は、嗤う。
一人玉座に座するまま――星天の王は、戦の日をただひたすらに待ち続けていた。




