50:双子宮
大きな音を立てて、石造りの扉が閉まる。
魔物たちに追われて駆け込んだ神殿の内部は、外と同じ程度の明るさによって薄暗く浮かび上がっていた。
立ち並ぶ柱と、バルコニーのような二階部分。
しかしその造りは、人間が作ったとするならば違和感しか感じられない形状となっていた。
「階段無いんですけど……あれって、どうやって上がるんでしょうか」
「そもそも、縮尺がおかしい気がするのだけど」
「魔物共が使うためってのもあるんだろうよ。詳しくは知らんがな」
軽く肩を竦め、カインは歩き出す。
警戒心はあったものの、いつまでも入り口で立ち止まっていたところで意味はない。
例えこれが罠だとしても、この状況では進むほかに道はないのだ。
異様に広い通路や巨大な柱などを視界に納め、その影全てに注意を飛ばしながら、カインはゆっくりと進んでいく。
黒い刃によって構成されたブーツは石造りの床をたたき、一定周期で足尾を反響させていた。
「……さて、どう進みます?」
「どう、と言われてもな」
隣を歩くアウルの声に、カインは軽く肩を竦める。
この建物は、色々と異常が多いのだ。まず、縮尺がおかしい。全ての物が、異常に大きいのだ。
かと思えば、時折人間と変わらないサイズの出入り口なども存在しており、アンバランスさが非常に目立つ。
そして次に、扉と呼べるものが存在していない。出入り口のような穴はあるのだが、ドアは存在していなかったのだ。
それに類するものは一番最初に入ってきた門のみであり、人間が使う事など露ほども考えられていない。
まず初めにカイン達が足を踏み入れたこの場は、広い空間となっている。
正面には机や祭壇――まるで正印教会の聖堂のようだと、カインは口に出さず胸中で呟いていた。
それを口にすれば、ミラやリーゼファラスの機嫌を損ねる事が分かりきっていたからだ。
「ふざけた内装ですね」
「ええ、本当に。度し難いわ」
――わざわざ口にせずともこの状態なのだから、下手に煽って刺激する必要も無い。
カインは無言のままに歩み、正面にある机の前まで歩み寄っていた。
瞬間――周囲に、光が灯った。
「ッ!?」
「篝火が……!」
机の左右、そして柱――あらゆる場所に篝火が灯る。
歓迎か、或いは挑発か。意志の介在を感じながらカインが視線を正面へと戻せば、その先にある机の上に変化が生じていた。
そこに、一体の石像が鎮座していたのだ。
ただの石像ではない。それはレームノスの兵士を模った物であり、その表情は恐怖と苦悶に歪んでいた。
その姿に、カインは目を細める。
「ッ!? ……何よこれ、趣味悪いわね」
「いつの間にこんな物が……」
ミラとウルカが不気味そうに言及する中、カインは一人、ゆっくりとその石像に近づいていた。
まるで逃げ出すような姿勢で固まったその姿を、上から下までじっくりと眺め――僅かに、口元を歪める。
「石像じゃないな、これは」
「え? 石像じゃないって……どう見たって、石で出来てるじゃないですか」
コンコンと軽くノックするように像を叩き、ウルカは首を傾げる。
しかし、カインは軽く首を横に振り、ウルカと同じように手を伸ばしながら否定の言葉を発した。
「これは、死体だ」
「え――」
刹那――石像が、黒く染まった。
ウルカが驚愕と共に息を飲み、とっさに手を離すのとほぼ同時。
カインが触れた瞬間に黒く染まった石像は、そのまま解けて無数の棒状の物体へと変化する。
それは黒い刃――カインの身より現れる漆黒の処刑刃と同じ、固められた“死”そのものであった。
解けた刃は空中へと伸び上がり、その場で一度停滞する。
そしてカイン以外の全員が驚愕に硬直する中、刃は一斉にカインの身へと降り注ぎ、その身体に突き刺さった。
「カインさんっ!?」
「慌てるなよ、小僧」
しかし、その刃の雨を受けながら、カインは平然と笑みを浮かべていた。
肩口へ、胴へ、顔面へと突き刺さる刃は、その勢いを殺さぬままカインの体へと潜り込み――その体の中へと消えてゆく。
そんな状態であっても、カインはまるで痛痒を覚えた様子もなく、まるで咀嚼するかのように黒い刃を取り込んでゆく。
そして、僅か数秒の間に黒い刃の群れはカインの体に飲み込まれ、石像は跡形もなく消え去っていた。
カインは己の中に消えた刃に満足そうな笑みを浮かべ、声を上げる。
「石化による心停止か……中々珍しい死因を貰えたものだな」
「ソレも貴方の能力、ですか?」
「まあ、そんな所だ。別に、やってることはいつもと変わらねぇよ。“死”を刃へと変えて己の中に保存しておく、俺の《永劫》の力だ」
笑みを浮かべ、カインは掌から刃を発生させる。
それはいつもと変わらぬ漆黒のファルクスだったが、カインはそれを逆手に持つと、自らの左掌に振り下ろしていた。
瞬間、カインの左手はその傷口から石へと変化し、彼の左腕を徐々に侵食し始める。
それを目にし、小さく頷いたカインは、再び発生させた別のファルクスで己の左腕を半ばから斬り落としていた。
そしてすぐさまその左腕を再生させると、地に落ちて砕け散った腕の中から先ほどの刃を回収する。
「ま、俺に掛かれば死んでるかどうかの判別なんて簡単って事だ」
「ソレが貴方の性質ですからね……しかし、石化能力ですか」
「お前と似てるな、リーゼファラス」
「不快ですので、そのような事は口にしないように」
魔物と自身の能力を比較され、リーゼファラスは不機嫌そうに視線を逸らす。
しかし、性質が近い事は事実でもあった。物質や生物を侵食し、変質させる能力。
リーゼファラスの能力を常日頃目にしているが故に、ソレが非常に厄介なものであると、一同は言葉にするまでもなく理解していた。
「……それが、《将軍》の能力?」
「それぞれが固有の能力を持つのは《将軍》の特徴ですからね。この間の《将軍》の杭も然り……今回は、石化という能力だったという事でしょう」
「厄介ね……どんな形で発動するのかは知らないけど、貴方と同じだったら触れられただけで私達は終わりよ」
「私と比較されるのは非常に不本意ですが、貴方たちが相対するのが危険である事は認識していますよ。それは私とカインが相手をすることとしましょう」
少なくとも、今石化をあっさりと打ち破ったカインならば何とかなるはずだ。
そう判断し、ミラはその言葉に小さく頷く。
決して対応できない敵ではないとそう意識し、彼女は周囲へと視線を向けていた。
この広い空間の出口となっている場所は二つ。今現在彼らが立っている場所から左右に一つずつだ。
それらを交互に目にし、ミラは呟く。
「さて、どちらに行くべきかしらね」
「決まっています」
「え? ちょっと、リーゼ?」
リーゼファラスはミラの思慮を他所に、一人悠々と正面の壁のほうへと向かっていった。
困惑した様子のミラの声には答えず、リーゼファラスは正面の壁の前へと立つ。
そして――彼女は、その拳を振りかぶった。
「ちょっ――」
「ふッ!」
鉄槌のごとき鋭い拳が、厚い壁へと向かって振り下ろされる。
空を裂く音すら聞こえぬほどに速いそれは、壁に触れた瞬間にそれを透き通った水晶へと変質させ、一撃の下に粉砕していた。
篝火の光を反射しながら雨のように降り注ぐ水晶の破片。
その中心で満足げに拳を解いたリーゼファラスは、ゆっくりと振り返って笑みを浮かべていた。
「さあ、進みましょう」
「……意地でも魔物どもの思惑には乗らないと」
半ば呆れを交えたミラの言葉には答えず、リーゼファラスは踵を返して穴の開いた壁を通っていく。
他の四人もその背中を追えば、穴の先は長い廊下が広がっていた。
通路の奥にはいくつかの魔物が蠢く気配を感じたが、リーゼファラスは我関せずと正面へ進み、再び壁へと拳を向ける。
「あの、いつもこんな調子なんですか?」
「はい、大体その通りです」
敵の思惑など知った事ではないと我が道を進むリーゼファラス。
ウルカとしても魔物の思惑に乗るような理由は無いし、決められた道順に罠が仕掛けられている事は簡単に想像できる。
しかしながら、ここまでの力技で何とかするといった発想は持ち合わせていなかったのだ。
とはいえ油断はせず、ウルカは周囲の警戒を続けながらリーゼファラスの後に続いていた。
建物の内部に入ってからは魔物の襲撃こそないが、あの石像を見せ付けられた時点で、警戒を解く事は出来なくなっている。
「……耳を澄ませてみろ、小僧」
「え?」
「いいから、やってみろ」
唐突にカインから投げかけられた言葉に、ウルカは困惑しつつも頷いていた。
周囲への警戒があるので目は閉じないながらも、息を潜めて周囲の音へと集中する。
静謐な建物内に響くのは、自分たちの靴が鳴らす足音のみ――否。
「これは……何かが、動いてる?」
「魔物が移動している音でしょうね。リーゼ様が突拍子もない事をやりだしたから、《将軍》の方も予定が狂ったのでしょう」
「道の途中で断続的に攻撃を仕掛けてこちらを消耗させるつもりだった訳かしら……まあ、こんな進み方していたら意味無いでしょうけど」
壁を砕いているリーゼファラスの背中へと視線を向け、ミラは小さく嘆息する。
助かっている事は事実であるため、文句を口にするような事はなかったが。
ミラは軽く肩を竦め、ともあれ、と口にしながら改めてウルカへと視線を向ける。
「移動しているという事は、こちらを迎撃する体勢を整えているという事でしょうね。壁を壊した所に集中的に攻撃してくるか……どう来るかは色々と想像出来るけど、襲われるまでに距離を稼げたと思えば損は無いわね」
「アウル、気配の察知はお前の方が上だろう。壁の向こうに感じたら警告しろよ?」
「はい、分かっておりますとも」
拳撃と蹴撃。その二つを以って道を阻むものを粉砕しているリーゼファラスは、己が傷つく事などまるで考慮に入れていない。
当然だ。ただの魔物風情が、人を超越した存在に傷など付けられるはずもない。
その唯一の可能性を持つ敵が《将軍》であり、突如としてその攻撃が飛んできたとしても対応しきれるだけの自信がリーゼファラスにはあった。
故に彼女は、何ら躊躇う事無く壁を打ち壊し、一直線に感じる敵の気配へと進んでいく。
と――
「――リーゼ様。次、集中砲火が来ます」
「分かりました。ミラ、私が防ぎますので《砲兵》がいたら優先的に潰して下さい」
「……まあ確かに、遠距離なら私の役目でしょうね」
リーゼファラスの言葉に対して肩を竦めて頷き、ミラは己が契約の力を発動する。
空気を弾けさせる雷電はそのレイピアへと集束し、青白い輝きで周囲を照らし始める。
それを確認して満足そうに頷くと、先ほどと変わらぬ様子のまま、その拳によって壁を打ち砕いていた。
――刹那。
「吹っ飛べぇッ!」
響き渡る号令と共に、無数の砲門が火を吹いた。
広がっているのは入り口と同じ、多くの柱が立ち並ぶ広い空間。
しかし不規則な柱の並びや、周囲の積もっている瓦礫から、無理矢理壁を壊して広い空間を作り上げ、迎撃の体勢を整えた事が分かる。
そういった知恵を働かせていた事にもわずかに驚きを交えながら、リーゼファラスは爪先で地面を叩いていた。
瞬間――発生した水晶の柱が地面から伸び、リーゼファラスたちを覆う壁となる。
「そこッ!」
飛来する《砲兵》の砲弾――二十ほどはあるであろうその攻撃は、まともに受ければミラの霊的装甲とて防ぎきれない威力となる。
しかしながら、ミラはその攻撃が自分たちに害成すなどとは、露ほども考えていなかった。
リーゼファラスが防ぐと口にしたのだ、ならばその通りになる。その確信をもって、ミラは雷を放っていたのだ。
短い時間では、全ての敵を巻き込むように攻撃する事は出来ない。その為、《砲兵》の位置だけは正確に把握し、雷の一撃を打ち下ろしていた。
甲高い炸裂音と共に発生した雷は、砲弾が柱に着弾すると同時に《砲兵》を打ち砕き――砲弾は、柱に触れた瞬間に水晶と化して砕け散っていた。
《砲兵》の排除に成功し、ミラは僅かに安堵の息を吐き出し――
「ああもう、何で死なないのよ、むかつくわね!」
――そこに、高いトーンの声が響き渡った。
声が発せられたのは上方、二階のバルコニー上になっている場所の付近だ。
そちらへと視線を向け、一同は目を見開く。
――そこに、二人のヒトガタが存在していたからだ。
「人間……じゃないわね」
「《将軍》……? でも、二体も……!?」
呆然とした声を零すのはミラとウルカ。
視線の先に立つ、浅葱色の髪をした二人の少女――《将軍》が、二体。
そんな絶望的な状況の中。
「……ははっ」
――カインはただ、楽しそうに笑みを浮かべていた。




