49:暗き神殿
アウルがその刃で《将軍》の成りかけの首を落とした所で、リーゼファラスはミラたちの力の放出を打ち切っていた。
間引きが十分だという事はできないが、当初の目的である黒い獅子を倒す事が出来たのだ。
これ以上ミラとウルカを消耗させるのは得策ではないと、リーゼファラスはそう判断していた。
「カイン、残り香に群がってきた敵を殲滅してください。アウル、貴方は下がって休みなさい。これ以上の消耗は避けるべきです」
「あいよ、了解だ」
「はい、分かりました」
魔力を載せて発せられた声に二人は頷き、まるで入れ替わるように移動を開始する。
カインは前へ、アウルは後ろへ。入れ替わる瞬間に僅かな笑みを交わして、カインは前線へと飛び込んでいった。
カインには、基本的に力の限界というものが見られない。
どれだけ傷ついても無限に再生し、体の至る所から発する刃で敵を屠っていくのだ。
(回帰の位階にしてはありえないような力の総量ですが……これも彼の特異性の一つ、という事でしょうか)
能力を――《欠片》を持つ者としても異常なカインの能力。
今の己ならばともかく、回帰しか使えなかった当時の己に、果たして同じ事が出来ただろうか――と、リーゼファラスは自問する。
アウルでは無理だ。彼女は力を使いこなしてはいるが、力の総量で言えばそれほど多いという訳ではない。
無論、それは低いという訳ではなく、アウルは力を節約しながら戦う術にも優れているため、継戦能力は非常に高い。
しかしながら、カインのように無尽蔵に力を使いながら戦える訳ではないのだ。
何らかの手段で回復しているのか、それとも非常に大量の力を保有しているという事なのか――
(どちらにしろ、恐るべき力ですね。仮に、彼が超越に至ったとして――)
――果たして自分は、その力を受け止める事が出来るのだろうか。
僅かな脅威と戦慄を感じ、リーゼファラスは己の胸中の言葉を途中で打ち切っていた。
目覚めたばかりで使いこなせていない力を相手に負ける事はない――それだけの自負が、リーゼファラスにはある。
超越者としての理を得てから30年近く、リーゼファラスは己の力を磨き続けてきたのだ。
天に座す上位神霊たちや《魔王》と《女神》の側近には遠く及ばないが、地上に在る超越者としては最高位にあるという自負を持っている。
けれど、カインの有する力の総量は、明らかに今のリーゼファラスに匹敵するほどのものなのだ。
(……もしも彼が、《女神》様の敵になるというのなら)
その身が人類にとっての希望となる可能性があったとしても、確実に滅ぼさねばならない。
リーゼファラスはその殺気を完全に押さえ込みつつ、視線を細めながらカインの姿を眺めていた。
と――そこに、気分を落ち着かせたミラの声が掛かった。
「ふぅ……成功みたいね、リーゼ」
「ええ。ここまで早く出てきてくれるとは思いませんでしたが……どうやら、本当に理性らしいものは無い魔物だったようですね」
「それも、こちらとしては好都合でしょう」
若干の疲労を滲ませながらも、ミラは軽く首を回す。
初めて行う魂の力の行使は、若干ながらミラとウルカに疲労を与えていたのだ。
とはいえ、動けなくなるようなほどのものではなかったが。
どこか達成感にも似た感覚にミラは口元を緩め――ふと、隣で黙っているウルカの様子に気がついた。
彼は、若干眉根を寄せながら、じっと黒い獅子の姿を見つめていたのだ。
「ウルカ、どうかしたのかしら?」
「あ、いえ……何でもないです」
「ふふ、アレをとられてしまって残念ですか?」
「う」
リーゼファラスの言葉に、ウルカは頬を引き攣らせる。
勝てるかどうか分からない、だが絶対に勝てないとまでは言わないような強敵。
そんな相手と戦うことで自分も成長できると考えていたために、黒い獅子がアウルによってあっさりと討ち取られた事を複雑に感じていたのだ。
そんなウルカの内心を察し、ミラは若干ながら呆れた表情を浮かべ、声を上げる。
「ウルカ、わざわざそんな危険な事をする必要はないでしょう?」
「ミラ、彼も男の子です。強くなりたいという願望は、どうしても強いものなのですよ」
「……時々そういう大人っぽさを出すから困惑するのよ。ウルカも、そんな冒険をする必要はないでしょう?」
「でも、アレぐらいの相手には勝てるようにならないと意味がないですから……」
言って、ウルカは正面の戦場へと視線を戻す。
黒い刃と銀の銃を持って暴れ回るカインは、暴虐の化身であると言わんばかりにその武威を振るっている。
弾丸と刃によって引き裂かれる魔物達は、あっという間にその足元へと溜まっていくのだ。
己の力不足を知るからこそ、ウルカはそんなカインに憧れる。
そんな少年の様子に、リーゼファラスは薄っすらと笑みを浮かべていた。
「余裕のある時でしたら、貴方達に相手をしてもらってもいいかとは思っていましたが……今回は我慢して下さい」
「はい、分かってます。無理はいいませんよ……今回だって、消耗や時間を考えればこうするのが一番でしたから。それに、収穫が無かった訳じゃないですし」
「そうですか」
若干楽しそうに、リーゼファラスは笑う。
リーゼファラスによってもたらされた新たな概念。魂の力は、契約の力を行使する上でも理解して置いて損のない概念だったのだ。
本来、上位神霊たちが力を行使するために使うエネルギー。
それを操る事が出来れば、契約によってもたらされる力を更に強化することが出来るのではないか――そう、ウルカは考えていたのだ。
言外にそれを察し、ミラは同じように戦場へと視線を向けながら沈黙する。
(感覚を掴めたとは言え、操るにはまだ訓練不足……けれど、確かにこの力なら、以前とは違った形で力を発展させられるかもしれない)
今はただ、上位神霊の力を借り受けて、それをそのまま放っているに過ぎない。
しかし、それをさらに変化させて、自分なりにアレンジした形で力を行使する事が出来るなら。
(何が変わるかは、まだ分からない。けど……力が必要なのは、紛れもない事実だもの)
リーゼファラスから告げられた、敵の持つ圧倒的なまでの力。
それを知ったからこそ、貪欲に力を求めなければならない。
それは、カインだけに限った話ではないのだ。
「……無茶だけはしないように、ね。分かったわね、ウルカ」
「は、はい。分かってます」
「よろしい。リーゼファラス、とりあえずアレを殲滅したら中に入るのでいいのよね?」
「ええ。それまでは休憩していて下さい。彼なら、適度に時間をかけて倒してくれるでしょう」
言外に、己なら瞬時に終わらせていると告げながら、リーゼファラスはそう声を上げる。
そんな彼女の言葉に軽く肩を竦めながら、ミラはぼんやりとカインの様子を眺め続けていた。
* * * * *
《奈落の渦》へと足を踏み入れ、まず最初に響いたのはかつん、という足音だった。
滝のような入り口を越えた先には、石畳が敷き詰められ舗装された道が続いていたのだ。
両脇には柱が立ち並び、まるでカイン達を招くかのように、奥へ奥へと道が続いている。
「……これはまた、随分と感じが違いますね」
「まあ、確かにそうだな」
若干驚いた様子のあるウルカの言葉に、カインも周囲を見渡しながら同意する。
これまでウルカが経験してきた《渦》は、どれも洞窟のような天然の空間に近い外観の場所ばかりだったのだ。
しかし、今回に限ってはそれが異なっている。まるで人が暮らしているかのごとく整備された道、そしてその奥に存在しているのは――
「……神殿のつもりでしょうか。生意気ですね」
「別に上位神霊意識してああいう形にしてるんじゃないとは思いますけどねぇ」
――薄闇の中に聳え立つ、石造りの神殿だった。
暗く全容が見えづらい《渦》の中では、重厚感と威圧感を発するその姿。
しかし建造物があるというその外観は、否が応でも知性あるものの存在を予感させられた。
強大な敵が目と鼻の先にいる――その実感に、ミラは思わず息を飲む。
しかし、それで意志を弱めてしまうほど、彼女は弱い人間ではなかった。
「行くわよ。何が待っているにせよ、倒すことに変わりはないのだから」
「くはは、了解」
ミラの言葉に頷き、カインは先行して歩き始めていた。
特に足音を隠す事無く石畳の上を進み、周囲へと油断なく意識を分散させる。
多くの敵を屠り間引きしたとはいえ、《渦》の中の魔物は全ていなくなった訳ではない。
決して、油断する訳には行かないのだ。
「天井が高い……あの時の《渦》と同じですね」
「この建物を作るための深さだったのか、地面を掘り返すための措置なのか……まあ、頭上にも注意しておけよ」
「はい、分かってます」
頷いたウルカの言葉に満足し、カインは正面の建物へと視線を向ける。
人の手で作られたとは考えづらい、巨大な建造物。
かと言って、魔物達がこれを作り上げたとも考えづらいだろう。
これは、《渦》が出来上がった瞬間に現れた存在なのだ。
(ここの主が一体何なのかは知らないが……既に、相手の腹の中と考えておいた方がいいかもしれんな)
ファルクスを握り締め、カインは胸中で呟く。
ここは既に相手の領域。逃げ場も少なく、隠れられる場所でもない。
敵に包囲された時以上の死地であり、決死の覚悟があってこそ進める場所。
唯一の退路は背後にある。だが――
「カインさん!」
「……やはり、そう来ましたか」
ウルカの警告の声と、舌打ち交じりのリーゼファラスの呟きが響く。
しかしその声は、巨大な質量が落下した音に紛れ、かき消されていた。
僅かばかり進んだカインたちの背後に、巨体を持つ《重装兵》が天井から落下してきたのだ。
退路を塞がれ、元より一箇所しかなかった逃げ場は失われた。そうなれば、後は進む事しか出来ない。
それを認識し、カインは笑みを浮かべていた。
「お前ら、走れ! 突っ切るぞ!」
「……思惑に乗るのは業腹ですが、それが最適ですね」
不満げな声を零しつつも、リーゼファラスを殿にしながら五人は走り出す。
先頭を走るのは、素早く敵を処理できるカインとアウルだ。
「あまり力を使わないよう言われたんじゃなかったのか?」
「回帰を使わなければ問題はありませんよ」
あまり多くはない正面を塞ぐ敵を処理しながら、二人は笑みを浮かべて言葉を交わす。
カインの銃が火を吹くたびに正面の魔物達はその身を弾けさせ、その弾丸を掻い潜るように駆け抜けたアウルが敵を斬り裂く。
横から入り込もうとした魔物達は、悉くウルカの炎とミラの雷に焼かれて四散していた。
けれど、敵の数は一向に減らない。まるで山のように積み重なった黒い魔物の群れは、最早数える事など不可能だった。
しかし――
「リーゼ、これってまさか……!」
「誘われているのでしょうね。後ろからは迫ってきていますが、あまり積極的な攻撃は受けていません」
迫る魔物達は、あまり数で押すような行動を見せていなかったのだ。
これだけの数となれば、流石にリーゼファラスが手を下さない限り対処しきれないだろう。
それは即ち、ミラやアウルからすれば絶体絶命の危機に追いやられるという事だ。
しかしながら、魔物達は背後からはせっつくように襲いかかってくるものの、横や正面からはあまり積極的に攻撃してきていない。
まるで、そちら側に行くのを封じるかのように、威嚇するだけとなっているのだ。
「まあ、それはそれでいいでしょう。私達を消耗させずに倒せると思い上がっているのならば、その鼻っ柱を正面から叩き折ってやるだけです」
「なるほど……なら、お誘いに乗るとしましょうか」
雷光を放って敵を散らし、開いた道へと飛び込んでいく。
やはり、神殿へと向かう道へは妨害が少なく、進む事に難は無い。
それが敵の親玉へと続く道なのか、はたまた陥れるための罠なのか。
その両方を考えながらも、しかしそれに乗るしかない状態だ。
どちらにしろ、ミラにとっては途方も無い危険に飛び込んでいく事に変わりはなかったが――
「――やってやるわよ」
――この仲間たちなら、どんな相手でも正面から打ち砕ける。
それを信じながら、ミラは神殿への道を真っ直ぐと駆け抜けていった。