46:獣の正体
「……で、それが報告だと?」
「ああ。全くもって不完全燃焼だ。ったく、つまらねぇ」
黒い獣との遭遇の後、逃走を許してしまったカインとウルカは、そのまま《奈落の渦》の核を破壊してカルシュオへと帰還していた。
その間、強敵を取り逃がしてしまったカインは絶えず不満を零しており、腹に据えかねている事を存分にアピールしていた。
が、本当に苛立ちを隠せずにいたのは、その報告を聞いたミラの方であった。
「貴方ね……偶然《渦》を発見して、そこに入ってしかも《将軍》と思われる個体と交戦してきた!? 前から思っていたけど、本当に馬鹿でしょう、馬鹿じゃないの!?」
「んだよ、別に変な所はねぇだろうが」
「それは最初だけでしょうが! 何故二人だけでそこに行こうと考えるの!? しかもどうして危険極まりない個体と戦おうと考えるの!? おかしいでしょうどう考えても!」
「ミラ、彼に常識を問う方が間違っていると思いますが」
「貴方もその非常識側だけどね、リーゼ……いいかしら、カイン。別にね、何しようが死なない貴方がどこに特攻しようが今更何も言わないわよ。ただね、そういった馬鹿な行動をする時は、周りに注意しなさいと言っているのよ!」
実に面倒臭そうな表情を浮かべるカインに、ミラは眦を釣り上げる。
カインはたった一人で《将軍》を屠れるだけの力があるのだ。
例え小型の《奈落の渦》に足を踏み入れたところで、たった一人で制圧する事も不可能ではないだろう。
だが、それと同じ事が出来る人間はそう多くはない。
「貴方やリーゼの無茶な行動に付き合える人間は多くない。今回だって、ウルカじゃなく通常の兵であれば確実に死んでいたでしょう」
「……要するに、弱い人間を巻き込むなって事だろう? 分かってるよ、そんな事」
「その弱い人間の中に僕が含まれていなかった事は良かったですけど……ほんとに分かってます、カインさん?」
疑わしげに視線を向けるウルカであったが、カインは軽く肩を竦める程度に返していた。
その反応に眉根を寄せたミラは、その視線を一度ウルカの方へと向ける。
「貴方もよ、ウルカ。自分の力量は把握しているでしょう。いくら貴方が強くても、《渦》はたった二人で対応できるものではないはずよ」
「う……ごめんなさい、言葉に乗せられてしまって。でも、無駄だったとは思っていません」
その言葉に、ミラは目を見開いてウルカの表情をじっと見つめる。
対し、ウルカはただ真っ直ぐと、一部の揺らぎもない視線でミラの事を見つめ返していた。
数秒の間、二人の視線は交錯し――そして、ミラは深々と嘆息を零す。
「全く……貴方に毒されたんじゃないかしら、カイン」
「人聞きの悪い事を言うなよ、姫さん。成長したって言ってやれ。こいつもこいつなりに、戦い方を見出したみたいだぜ?」
「ウルカの努力も知っているし、殻を破るには何かしらのきっかけが必要な事も分かってるわよ。けれど、もう少し穏便な方法にしなさいと言っているのよ……分かったかしら?」
「へいへい」
「……心配掛けてごめんなさい、ミラさん」
ミラは、頭ごなしにウルカの事を否定してはいない。
彼の努力と成長を認めているし、その向上心は好ましいものであると捉えている。
けれど、そこにカインの干渉が入れば、その努力が途端に危険な行為へと早変わりしてしまうのだ。
フォローできる範囲ならまだしも、手の届かない場所でそんな事に首を突っ込まれてはたまらないと、ミラはそう考えていたのだ。
そんな彼女の想いを全て把握した訳ではないが、ウルカは僅かながらに彼女の気遣いを察し、頭を下げる。
(本当に変わってるな、この人)
本心から謝罪する胸中で、ウルカは小さくそう呟いていた。
確かに今回の行為は危険だったが、ウルカは確かに成長する事が出来た。
自分の中で、戦いというものの形を一つ確立する事が出来たのだ。
それを否定された事は、ウルカにとっても反骨心を刺激される事であった。が――
(僕の全部を、認めてくれている)
ミラは、ウルカたちの行為を『無駄だから』と咎めている訳ではないのだ。
危険だから、あくまでもウルカたちが軽率な行為をしたから、それを咎めている。
それは、下層の人間だからと否定され続けてきたウルカにとって、とても新鮮な行為だったのだ。
だからこそ、向きになって反論しようという思いは浮かばなかった。
ウルカは小さく息を吐き出し――そして、改めて声を上げる。
「ところで……あの《将軍》は、一体何だったんでしょうか?」
「何だった、とは?」
「弱すぎると、そう思ったんです。この前の《将軍》……クリュサオルも、成り立てで強い存在ではなかったって言いましたよね。今回戦ったあいつは、それよりももっと弱かったと思うんです」
黄金の剣を持つ者、クリュサオル。
かの《将軍》は、強大な力を持っていたものの、《将軍》としては弱い部類に入る存在であった。
しかし、今回戦ったあの黒い獣は、それよりも更に弱い。
特殊な攻撃方法を行ってくる事はなく、膂力もウルカが拮抗する事が出来るレベル。そして防御力も、僅かながらダメージを与えられるレベルであった。
これを《将軍》と呼ぶならば、弱すぎるのではないか――それが、ウルカの考えだったのだ。
そんな彼の言葉に、リーゼファラスは小さく笑みを浮かべながら声を上げる。
「いい所に目を付けましたね。恐らく、それは《将軍》の前の段階の魔物でしょう」
「前の段階?」
「《将軍》は、多くの魂を喰らった魔物が進化した存在です。その進化の手前、即ちかなり多くの魂を喰らい、大幅に強化された魔物でしょう」
リーゼファラスの言葉に、ミラは小さく頷く。
《奈落の渦》には必ずある蟲毒の壷。喰らった魂を一つの魔物に集めるためのその機構は、魔物が進化するための仕組みなのだ。
その果てが《将軍》――強大なる力を持つ、最強の魔物。
そしてそこに至るまでに多くの魂を喰らった存在は、その姿を徐々に変貌させていくのだ。
「《将軍》の姿は、進化前の魔物の姿に影響される事が大きいのです。あれらの多くが人型をしているのは、《指揮官》から進化する場合が多いためですが……貴方たちが見たそれは、もしかしたら《兵士》からの進化なのかもしれませんね」
「え……《兵士》が、《将軍》に?」
「急激に大量の魂を喰らえば、そういった事が起こる可能性もあります。人為的でなければありえませんがね」
人為的――その言葉に、アウル以外の三人が目を見開く。
高い知能を持ち、弱い魔物を成長させようとするような存在がいるとすれば、それは《将軍》以外にありえないのだ。
それも、自分自身の力を強化する事にそれほど興味を持たないような、力ある存在だけなのである。
「つまり、あの獣野郎はこの辺り一帯のボスではなく、あくまでもボスに飼われてるペットって事か」
「恐らくではありますが、その認識で間違いではないでしょう」
「……リーゼ、一つ教えて頂戴。その理論だと、まさか件の《将軍》の成りかけとやらが複数いるかもしれない可能性があるって事?」
問いかけるミラの声音は、僅かながらに震えのようなものが混じっていた。
以前戦った《将軍》には、一体が相手でも歯が立たなかった。
それが今回確実に存在しており、更に配下にも強力な魔物がいる。
それに加えてその魔物が数多く存在しているとなれば、到底勝ちの目など見えてこない。
そんなミラの懸念に対し、リーゼファラスは軽く肩を竦めて首を横に振っていた。
「絶対に無い、とまでは言いませんが……まずありえないでしょう。それだけの強化には、相当量の魂が必要となります。この都市一つ丸ごと喰らい尽くして、ようやく《将軍》が一体生まれるか生まれないか、と言ったところでしょうからね」
「……正直、何とも言いがたい表現ではあるけど、とりあえず安心したわ」
完全に安心できる事態ではないものの、何とか戦う事は可能だろう。
そう判断して、ミラは小さく息を吐き出す。
だが、そんなミラに対し、リーゼファラスは若干躊躇った後に声を上げた。
「……しかし、成りかけである事を忘れてはならないでしょう。いつ、何の拍子にそれが《将軍》へと成長するのかも分からないのですから」
「もしかして、そうしたら一気に強くなるとか……?」
「隔絶した差とまでは言いませんが、数段強くなる事は確かです。成長する前に潰す事は急務でしょう」
あまり余裕がある訳ではない――その事実を認識して、ミラは沈黙する。
しかしその沈黙は、現状に気圧されたが故のものではなく、打開策を見出そうとするための思考時間であった。
口元に手を当て、視線を伏せるミラの頭の中では、いくつもの考えが舞い踊っているのだ。
「……《将軍》がいると思われる《渦》の場所は、既に見当が付いているわ。今日こちらの状況を聞いている中で、既に報告されている」
「内部を確かめた訳ではありませんが、規模からしてここ以外の《渦》に《将軍》ほど強力な存在は入らないだろう、という感じですね」
これまで沈黙していたアウルが、普段と変わらぬ調子でそう口にする。
その言葉に頷き、カインはミラに対して問いかけた。
「それで、どうするんだ? 相手の位置は分かっている。敵は一刻も早く排除すべき状況。放っておけば、それだけ辺境都市を喰らって強大化していく」
「意地の悪い言い方をしないで欲しいわね、カイン。こっちだって、放置できない状況なのは分かってるし、かと言って戦力を用意しづらいのも分かってるわよ」
通常、《奈落の渦》を潰す際には、魔物が攻勢を仕掛けてきた後に反撃するような形で少数精鋭を送り込むのがセオリーだ。
そうしなければ、《渦》の中には大量の魔物が存在しており、とてもではないが進める状況ではなくなってしまう。
しかしながら、今魔物の攻勢を受けてしまえば、成りかけが《将軍》へと成長してしまうかもしれないのだ。
「理想としては、攻勢を待って、そこに出てきた成りかけを仕留めた後に《渦》を潰しに向かう、という形ね」
「希望的観測過ぎますね」
「言われなくても分かってるわよ……もしもその成りかけがこれまでの戦いに出ているとするならば、あまりにも目撃情報が少なすぎる。恐らく、蟲毒の壷で大事に育てられているって所なんでしょうね」
リーゼファラスの言葉に、ミラは小さく嘆息する。
そのように都合のいい展開を望む事はできないだろう。そして、そのような状況を座して待つ事は悪手でしかないのだ。
「小型の《渦》ならこの国の兵器である爆弾で丸ごと消し飛ばせるかもしれないけれど、大型の《渦》では奥まで威力を届かせる事が出来ない。こちらの戦力を借りるにしても、大量の敵を相手に出来るとは思えない……」
「おいおい、もう分かってんだろ? やれる事は一つだけだ」
「……はぁ。そうね、現実逃避していても仕方ないわ」
嘆息し、ミラは顔を上げる。
打てる手は少ない。状況は悪いが、それでも手を打たずにいれば更に悪化してしまうだけだ。
ならば、できる事をする他に、進むべき道はない。
「……相手の動きを待たず、少数精鋭で《渦》を潰す。危険は多いけど、やるしかないわ」
「だ、大丈夫なんですか? 僕たちだけでそれだけの敵を相手に出来るかなんて――」
「いいえ。最初から最後まで相手のステージで戦う必要はないわ。今回厄介なのはたった一つ、成りかけの《将軍》がいる事よ。なら、それさえ何とかできれば問題なく戦える」
「ほう、ならどうするつもりだ?」
「リーゼ。確か、貴方はいつも強い魂がどうとか言っていたわよね。それって、連中にとっても価値のあるものなのかしら」
「ええ、それはその通りですが……ミラ、貴方はまさか――」
どこか呆れたような表情を浮かべるリーゼファラスに、ミラは小さく笑みを浮かべる。
最早震えはどこにもなく、雷霆の煌きを持つ少女は、普段と変わらぬ輝きを取り戻して声を上げた。
「相手の鼻先に、美味しい餌をぶら下げてあげるのよ。我慢できなくなるまで、ね」




