35:地中からの襲撃
地面の中から現れる、《奈落の渦》の魔物たち。
それらを前に気を取り直したミラは、練り上げた魔力を己が主へと捧げていた。
「契約行使、《ジュピター》」
強力な雷電の力をその身に宿し、雷霆の輝きを引き抜いた刃に宿らせる。
乗り物酔いのおかげで万全とは言いがたい状態であったが、それでも刃を鈍らせるほど『ケラウノス』は弱くない。
煌く雷光が奔り――ミラは、その場から大きく跳躍していた。
そしてそれとほぼ同時、彼女が立っていた場所が大きく盛り上がり、黒い顎が姿を現す。
「地中だと察知しづらいわね……」
小さく毒づきながら、ミラは刃を振り下ろす。
それと同時に放たれた雷が、穴から顔を出していた《兵士》の頭部に直撃し、その身を粉砕していた。
普段、ミラは電磁波によって周囲の変化を察知している。
しかしながら、地中に存在する敵の位置までは、彼女でも感知することが難しかったのだ。
「とはいえ――」
着地し、ミラはちらりと横へ視線を向ける。
そこには、地面から顔を出した瞬間に首を刈られている魔物の姿や、振り下ろされた足によって地面ごと結晶化して粉砕する魔物の姿があった。
彼女たちは、契約の力など使わずとも、まるで未来でも予知しているかのように敵の攻撃を察知して、正確にカウンターを叩き込んでいる。
それがいかなる力によるものなのか、ミラには分からなかった。
(……リーゼの事だもの、『気配』とか『殺気』とか、そういう答えが返ってくるのでしょうね)
アウルに至っては『勘』と答えかねない。
彼女たちはそれでも、全く間違える事無く正確に敵を破壊し続けていたが。
その実力差に眉根を寄せつつも、ミラは再び刃を振るう。
降り注ぐ雷は、迫り来る《兵士》たちを余す事無く打ち砕く。
けれど、ミラはそれに満足してはいなかった。
(駄目ね、まだまだだわ。この程度では、いつまでもリーゼには及ばない)
ミラが力不足という事は決してない。
平均的な契約者では、《兵士》数体を相手にするのが限界なのだ。
千を越える群れを相手に立ち向かう事ができるのは、それだけでも十分過ぎる力なのである。
しかし、ミラはそれでも満足しない。遥か高みを、圧倒的なまでの力を持つ存在を知っているからだ。
それは、隣で戦う二人の能力者であり、そして――
「おお、出てきましたね、あの《重装兵》」
地面が揺れ、車を貫いていた黒い杭が揺れ動く。
そしてそれと共に現れたのは、漆黒の巨体を持つ《重装兵》だ。
その姿を見て、アウルは少しだけ嬉しそうに笑い、鈍い光を放つ刃を向ける。
敵の角には相変わらず炎上するカドリガが突き刺さっており、普通であれば味方が殺された事に怒りを覚えるような場面であっただろう。
だが、あの中に残っていた男は、その程度でどうにかなるような存在ではない。
そして事実、リーゼファラスたちにとって身に覚えのありすぎる殺気は、あの車の中に変わらずに存在し続けていた。
――刹那、黒い刃が吹き上がった。
「ッ……!」
それを目の当たりにして、ミラは思わず息を飲む。
既に慣れ始めた部分もある、背筋を這い上がってくるような恐怖の感覚。
黒い刃より放たれる不吉な“死”の感覚に、しかしミラは目を逸らすような事はしなかった。
この刃の主は、恐れられる事を何とも思っていない。
人間ならば当然だと、生物ならば当然だと――“死”とはそういうものだと、笑っていた。
故にこそ、ミラは目を逸らさない。
「な……何だ、あれは!?」
黒い刃を知らないクルタスが、その様子に叫び声を上げる。
だが、そうやって声を発する事が出来るのも今だけだろう。
すぐに支配されるのだ、死の恐怖に。
そして、それを乗り越えるために、ミラは真っ直ぐにその姿を見据える。
黒い刃が捩れ、集束し、そこから現れる漆黒の死神の姿へと。
「ははははははッ! 景気良くブッ刺しやがって、抜くのに時間掛かっちまったじゃねぇか!」
現れた彼の身体に、傷と呼べるものは一切無い。
当然だ。ただの魔物程度に、この漆黒の死神を殺す手段など存在しない。
黒い刃を身に纏い、彼は《重装兵》の長い角の上へと着地する。
燃え上がる車の炎に、光沢ある黒髪をオレンジ色へと染めながら。
火の粉の舞い上がる中に立つその姿は、まるで戦禍の痕を進む魔人のよう。
「景気のいい死因をありがとよ! テメェは用済みだ、もう死ね」
その右手には黒い刃を抜き放ち、カインは強く跳躍する。
鈍重な《重装兵》とて、その圧倒的な気配を放つ死神を無視する事など叶わない。
即座に角を振るい、カインを振り落として踏み潰そうとするが、既に遅い。
ほつれたコートから伸びる黒い刃が周囲の角に突き刺さり、カインの体を空中で支えている。
既に、死神から逃れる術など存在しないのだ。
「はっはァッ!」
刃に押されるようにしながら突進し、気合とも哄笑とも取れる声を上げながら、カインはその手のファルクスを《重装兵》の眉間へと突き刺す。
その堅固な甲殻をものともせず、黒い刃は漆黒の身体を突き破り――そして、内側で黒い刃を爆発的に発散させた。
かつて杭の騎士を内側から食い破った時のように、黒い刃は《重装兵》を内側から蹂躙し、絶命させる。
ただの一撃ですら生命力を大きく減衰させる一撃なのだ、それだけの攻撃を受けて、生き残れるはずが無い。
カインは突き刺した刃から手を離して振り返り――周囲に湧き出してきた魔物たちを睥睨して、にたりと凶悪な笑みを浮かべた。
「はっ、塵屑共の分際で、小賢しい作戦に出てきたじゃねぇか。これを率いてるのは何処のどいつだよ?」
「私達が呼ばれたのはそういう理由なのではありませんか?」
「興味深い話だけど、今は手を動かして貰いたいわね」
雷を放って敵を倒しつつ、ミラは頭上のカインへとそう声をかける。
今はただでさえ、一人が護衛と言う形で戦闘に参加しづらい状態になっているのだ。
余裕が無いとは言わないが、無意味にお喋りしている事を認めるつもりはミラも無かった。
そしてそんな彼女の言葉に対し、カインは楽しそうな笑みを共に声を上げる。
「了解だよ、大将。そんじゃ、さっさと終わらせて、この国の奴に話を聞かせて貰うとしようかね」
ウルカに抱えられたクルタスへと視線を向け、やはりどこか楽しげな様子のまま、カインは跳躍して地面に降りる。
既に魔物の数はそう多くは無い状態だ。地面の下からの増援も無く、残る魔物を殲滅するだけで戦闘は終了する。
たったそれだけのことに時間をかける必要もないと、カインは銃を引き抜いて近くの魔物へと撃ち放った。
連続する轟音と共に、《兵士》が紙くずのように引き千切られ――その様子に、クルタスは再び驚愕の表情を浮かべる。
「な……あんな小型の銃でこれほどの威力を……!?」
直前までカインの刃を目の当たりにした事による死の恐怖に怯えていたというのに、銃を見た途端好奇心を爆発させている。
そんな様子に小さく笑みを浮かべながら、次なる標的へと銃口を向ける。
放たれた弾丸は目標となった魔物を貫き、打ち砕いて吹き飛ばす。
そんな魔物の巨体は勢いよく吹き飛ばされ、その先にいた人影によって粉みじんに打ち砕かれた。
「一応、周りに気をつけて戦って頂きたいですね。私たちならまだしも、一般人なら死にますよ?」
「くはは、そりゃ失敬」
結晶化し打ち砕いた死骸、その散らばる水晶の破片の中、リーゼファラスは向かってくる魔物の姿を睥睨する。
輝く二色の瞳は、神秘に満ちた彼女の姿をよりいっそう際立たせていた。
触れ得ざる者――教会の中では時折そう形容される彼女の姿は、それに相応しいだけの張り詰めた印象を受けるだろう。
そして、それを理解する事ができない魔物は、彼女の一撃によって容易く打ち砕かれるのだ。
「多少変わった動きをしますが、回帰を使うまでもありませんね」
軽い踏み込み。しかし、意識の空隙を突くかのようなその動きは、魔物の迎撃を許す事無く懐へと飛び込む事を可能にする。
そして放たれるのは拳による鋭い突きだ。理想的なフォームで放たれるそれは、本来ならば女の細腕で放たれても魔物を傷つける事など叶わないだろう。
しかし、今それを放つのは『最強の聖女』リーゼファラスだ。
その一撃は岩をも容易く砕き、敵はその指先に触れただけでも水晶と化して絶命する。
つまるところ――彼女の拳が届く位置まで接近してしまった時点で、その死は確定されていたのだ。
「――汚らわしい」
拳が触れた部分から、彼女の定義する不浄は消え去る。
あらゆる穢れは彼女が美しいと判断する水晶へと姿を変え、その強大なる膂力によって打ち砕かれるのだ。
僅かに滲み出る憎悪も、誰かに察知される前に消し去る。
作業のように、機械のように、リーゼファラスはあらゆる穢れを打ち砕いてゆく。
対し――戦の中で感情を滾らせているのが、彼女の従者たるアウルであった。
「ふふふっ」
射程の短いダガーという武器を使い、リーゼファラスに次いで死に近い位置で戦いながら、しかし彼女はどこまでも楽しげだった。
欲求を満たせるためではない。元より、人間以外のものを斬り裂いた所で彼女の願望が満たされる訳ではないのだ。
しかしそれでも、彼女は笑う。彼女にとっては、リーゼファラスの役に立つ事も望みの一つであったから。
地獄から自分を引き上げてくれた主を、アウルは心底から敬愛しているのだ。
故にこそ、彼女の刃はあらゆる敵を斬断する。
「人型なら、もうちょっと盛り上がりますけれど」
アウルの身のこなしは、主であるリーゼファラスすらも超えている。
彼女のあらゆる本能は、戦う事に特化されているのだ。
故に、もしも同じ条件で試合を行えば、アウルはリーゼファラスにすらも勝利する事ができるだろう。
彼女は、まさしく天才だった。
振り下ろされる鎌のような前足に、アウルは両の刃を瞬時に振り抜く。
空を裂く音すら聞こえぬ鋭さの銀閃は、《兵士》の前足を切断し、そのバランスを大きく崩れさせた。
そのまま彼女は跳躍すると、強く身体を捻り、上下逆の体勢のまま敵の頭部へと刃を突き立てた。
そして跳躍の勢いのまま、刃は敵の背中を一直線に斬り裂いてゆく。
力で護られていない物体など、アウルの《分断》の前では鋼鉄も土塊も変わらない。
突きたてられた刃はまるでクリームを裂くかのごとく、《兵士》の身体を真っ二つに分断していた。
「……本当に、無茶苦茶だわ」
突き刺したレイピアが雷を放ち、魔物の身体を内側から焼き尽くす。
相手が動かなくなった事を確認して、ミラは小さく嘆息を吐き出していた。
彼女も多くの訓練を積んできた自負があるが、あの三人には遠く及ばない自覚があったのだ。
最後の魔物を倒した事を確認して刃を収めながら、ミラは己に足りないものを考え続けていた。
「まさか、あの数の魔物をたった数人で……」
「それが仕事ですからね。ウルカ、彼の護衛お疲れ様でした」
「あ、いえ。あんまり戦闘に参加できなくてごめんなさい」
「問題はありませんよ。彼には聞きたい事が少々ありましたので、護衛だけでも十分役に立ちました」
聞きたい事が無かったら見捨てていたのかもしれないのか、と胸中で嘆息しながらも、ミラは思考を切り替える。
あまり一箇所に留まり続ける訳にも行かず、しかし浮かんだ考えが事実であれば非常に面倒な事態である事をミラは理解していたのだ。
故に、口を挟む事はない。今は何よりも、知らなければならない事がある。
「行きの時には、このように襲われる事は無かったのですね?」
「え、ええ。殆ど魔物も襲ってきませんでしたし、地下から来る事もありませんでした」
「レームノスに現れる魔物は、皆こうして地下から襲撃してくるのでしょうか?」
「稀にそういう個体もあるようですが、ここまで大量なのは初めてです」
「……成程」
クルタスの言葉に頷いて、リーゼファラスはちらりとカインの方へ視線を向ける。
彼女と目を合わせたカインは、軽く肩を竦めながら口元を歪めて声を上げた。
「答えは出てるんだろう、確定でいいんじゃねぇのか?」
「……そうですね」
その言葉に軽く息を吐き出し、リーゼファラスは周囲をぐるりと見回す。
仲間たちの視線を一身に受けて――リーゼファラスは、硬い声のままに言葉を発した。
「《渦》の魔物が統率された形で特殊な行動を取っています。このパターンが発生するのは、おおよそ決まっています」
「……それは、一体?」
――その、言葉を。
「――《将軍》。それも、この間倒した『成り立て』とは違う、強力な個体です」