33:レームノスからの迎え
レームノスからの迎えがやってきたのは、リーゼファラスが近場にある《奈落の渦》を破壊してから三日後の事であった。
パルティナからレームノスの領地まではそれなりの距離があり、途中に《渦》が開いている可能性もある以上、ある程度の時間がかかってしまうのは仕方のない事だ。
それを考慮すれば、ある程度は早かったかもしれない――というのが、ミラの言であった。
「で、出発はまだなのか?」
「リーゼ様もミラ様も、大人気の方々ですからねぇ。それなりに面倒な手続きもありますよ」
「って言うか、僕まで声をかけられるとは思ってませんでした……カインさん、これを見越して目立たないようにしてたんですか?」
「さてな」
軽く肩を竦め、カインは苦笑する。
有する不死の力を活用した戦い方をしなかったのは紛れもない事実だ。
あらゆる物を死滅させる大鎌、《刻限告げる処刑人》を使用していれば、あの数を一人で殲滅する事も可能であっただろう。
尤もあの大鎌は、意志や魂の弱い人間であれば目にしただけで即死してしまう。
そういった事情もあり使用していなかったのだが――目立ちたくなかったというのも事実ではあった。
「ま、お前も力を隠すって事を覚えておけよ」
「力を隠す、ですか?」
「正確に言えば切り札だ。お前も神域言語による契約の増強を行えるようだが、ああいうものをおいそれと使わないようにするって事だよ」
上位神霊契約者は数が少ないため、能力の秘匿性もかなり高い。
その最たるものは、ザクロのようなプロセルピナの契約者であるとも言えるだろう。
影から影へと渡り、気配もなく接近するあの力は、カインやミラも詳細を知らないものだった。
それは即ち、有利な手札を隠している事と同意でもある。
「あの理性のない魔物共が相手だって言うだけならいいんだが、お前も目立ち始めてきたからな。人間を相手にする事があるかもしれない……その可能性を考えておけ」
「人間を、相手に……」
「力が知れ渡っていれば対策される。だが、手札を隠していればそれに対処する事も出来る。まあ、必要な場面でまで出し渋るのは馬鹿のする事だがな」
尤も、それに関してはあまり人の事を言えないのだが。
カインは一度倒れない限り本気を出さない。自身の目標もあり、そう決めているのだ。
《刻限告げる処刑人》を使用しなかったのはそういった事情もある。
とはいえ、現在のカインは、自身を殺す事ができる宿敵としてリーゼファラスを見定めている。
彼女の存在があれば、カインもある程度力を使うタイミングを見極める事が出来るだろう。
「事実、このメイドも力を見せていないからな」
「え、そうなんですか?」
「正確に言えば、力の正体を見せていないと言う感じですね。一応、カイン様のように回帰を使った事はありますよ?」
「だろうな……まあ、別に聞き出そうとは思わんが」
アウルの力に関しては、カインも既に見当をつけている。
彼女は、刃が触れていない物体を斬り咲く事が出来るのだ。
接近しきる前に《重装兵》の角を斬り落としたり、離れた場所からカインの腕や足を切断していた。
その詳しい正体まではカインにも分からなかったが、遠距離攻撃をする事こそがアウルの能力の一端だと考えられる。
触れただけであらゆる物を切断する《分断》の能力。
それを遠距離に出来ると言うだけでも、かなり強力な力であった。
二人の言葉に対し、ウルカは感心したように頷く。
一応、ウルカもまだ奥の手と呼べるレベルの力は使用していない。
ミラと同じく、魔力を練り上げる必要があり、準備に時間がかかるのだ。
これまでの人生で一度しか使った事のないその力を思い返し、ウルカは声を上げる。
「分かりました、参考にさせて貰います」
「ああ。ま、俺たちを信用しているんだったら、俺たちの前では見せてもいいがな」
「あはは……まあ、機会があったらっていう事で」
苦笑交じりにそう告げて、ウルカは顔を上げる。
そんな彼の視界に、どこか疲れた様子のミラとリーゼファラスの姿が映っていた。
うんざりとした表情を隠さぬままに戻ってきた彼女たちは、肩を竦めてから声を上げる。
「全く……一度楽をすると縋りたがるのだから始末に終えないわね」
「下らない連中ですね、本当に。ジュピター様からの命令だと言う事が分からないのでしょうか」
「相手がレームノスだから、見下してるんじゃないかしら? どちらにしろ、馬鹿馬鹿しいにも程があるけど」
「お、お疲れ様です」
苛立った様子の二人に、驚きを隠せずにウルカはそう声をかける。
その言葉に苦笑したミラは、改めて仲間たちを見渡しながら声をかけた。
「お待たせしたわね。それじゃあ、レームノスからの迎えの所へ行きましょう」
「そうですね。これ以上あの下らない連中の視線を浴びていては、我慢できなくなってしまいそうです」
「リーゼ様、こらえてこらえて」
不機嫌を隠そうともしないリーゼファラスをアウルが宥めつつ、一行は迎えの待つ北側の上層門へと向かっていった。
送ろうと進言する面々はそれなりにいたが、リーゼファラスとミラの二人が全て頑なに断ってきたのだ。
どれかを選んでも角が立つ上に、リーゼファラスは根本的に契約者を嫌っている。
下手をすれば、水晶の馬車が出来上がっていた事だろう。
本来ならば止める立場が逆であるはずの所をアウルに宥められている辺り、彼女も相当腹に据えかねているようであった。
と――そこである気配を感じ取り、カインが顔を上げる。
その口元は、どこか楽しそうに歪んでいた。
「ああ、そういえば見送りはすると言っていたな」
「え、何を――きゃあ!?」
カインの言葉に首を傾げたミラが振り返り――瞬間、彼女は突然バランスを崩して転倒しかけていた。
ミラはとっさに左足を大きく前に出して倒れる事を防ぎ、奇妙な感覚のしている右足へと視線を下ろす。
そこに、黒いナイトキャップを被った少女の上半身が地面から生えていた。
「……貴方、いきなり何をしてくれているのかしら?」
「んおー……ミラちん、おひさー……」
「半分寝てるぐらいなら起きてこなくてもいいわよ、全く」
嘆息交じりにそう呟くと、ミラは地面から生えているザクロの襟首を掴み、持ち上げる。
右足にしがみついていた彼女は、そのまま子猫のようにぶら下げられてミラと目線を合わせていた。
尤も、その目線も半分以上は下りている状態であったが。
「で、何かしら? 見送りにでも来てくれたの?」
「うぃ……あと、今後の戦いでもよろしくー……」
「今後? ああ、テッサリアの事かしらね。ええ、了解したけど……その時にはきちんと目を覚ましていなさいよ」
少なくとも、この状態ではまともに戦闘など出来はしない。
そんなザクロの様子に苦笑すると、ミラは影の上でその手を離していた。
地面に落下したザクロはそのまま水に沈むように影の中へと下半身を沈め、若干上へと視線を向けてひらひらと手を振る。
「んじゃ、頑張ってねミラちん……気をつけてー」
「ええ、そちらもね。しばらくは平和だろうけど、気は抜かない事よ」
「うぃ……じゃ」
挨拶もそこそこに、ザクロは影の中へと沈んでゆく。
そんな彼女の姿に対し、ミラはどこか信頼の篭った苦笑を浮かべていた。
* * * * *
取り決めにあった合流地点。
その場所に辿り着いた一行は、皆それぞれの反応を示していた。
その中でも、特に大きい反応を示していたのは、この中で最も世間に対する知識の薄いウルカだ。
「えっと……何ですか、これ?」
「ほーほー、噂には聞いてたが、こりゃ初めて見たな」
目の前にある物体に対し、カインもまた興味深げに目を見開いている。
黒くスマートな印象を受ける前部と、座席が三列並んでいる後部。
車輪が四つある事からも、この物体が乗り物である事が伺えた。
しかし、魔力機関車のようにレールが敷かれている訳でもなく、ごく普通に地面の上に置かれている。
初めて目にするその物体に、リーゼファラスまでもがどこか興味深げに見つめている中、傍らに立つ男性がどこか誇らしげに声を上げた。
「ジュピター様から派遣された方々ですね、お待ちしておりました。私が今回皆様のご案内を勤めさせていただきます、クルタスと申します」
「え、ええ……私がミラ・ロズィーア=ケラウノスよ。代表はこっちの人だけれども、貴方がたとの交渉は私が行うわ」
「リーゼファラスです。一応、責任者と言う事になっています」
「貴方がたがかの有名な……ご高名は常々伺っております」
受け答えをしつつも乗り物の方へ意識を奪われているミラの姿に、クルタスはどこか得意げな表情を浮かべている。
リーゼファラスも普段と変わらぬ姿勢を保ちながらも、やはり興味を惹かれてはいるようであった。
事実、あまり対外的な交渉を行わない彼女が、自ら声を上げたのだから。
「ところで、この乗り物が、例の新たな発明というものですか?」
「おお、ご存知でしたか。流石は『最強の聖女』様、ご推察の通りです。これは、我が国が新たに発明した交通用魔力機械、自動魔力機関車《カドリガ》です!」
「カドリガ……?」
くるりと周囲を回りながら観察していたウルカが、その言葉に顔を上げる。
黒い光沢のあるボディに触れていた彼は、その名前に興味を惹かれたのだ。
ここ最近魔力機関車に触れる機会が増えていたため、彼はそういった機械類に関する言葉に敏感になっていた。
「自動魔力機関車って事は、魔力機関車の親戚みたいなものなんですよね?」
「大元は同じですが、中身はそれなりに違っていますよ。遠縁の親戚程度でしょうか」
「へぇ……レールがないのに走るんですか、これ」
「ええ、その通り。それこそがこのカドリガの素晴らしい点です! 通常の魔力機関車は決められたルートを通る事しかできませんが、このカドリガの操縦は自由自在! それでいて、スピードも引けを取らないという素晴らしさ!」
「成程、確かに有用ね」
コンコンと黒いボディを軽く叩き、内部を覗き込みながら、ミラは感心したように頷く。
技術に特化したレームノスだからこそ成しえた新技術。契約の力を重んじるファルティオンには無い、優れた技術力だ。
国の高い地位にいるからこそ、こういった新技術に関しては国益と言う方面で興味を惹かれてしまう。
だが、専門家でないミラには、到底内容を理解できるようなものではなかった。
「けれど、実用化には至っていない……製造のコストが掛かりすぎるのだったかしら?」
「ははは……仰る通りです。カドリガはまだ試験段階で、これもプロトタイプの一つでして。資金の糸目をつけずに製造しているものの内の一台なのですよ」
ファルティオンにおける魔力機関車と同様、まだ完全な実用化には至っていない。
製造コストを抑えるにも、まだまだ研究の時間が必要な技術であった。
とはいえ、それでもこういった魔力機関技術において、レームノスが世界のトップを走っているのは紛れもない事実であったが。
「しかし、最高速度では《奈落の渦》の魔物たちの進軍を追い越す事が出来るスピードも兼ね備えております。今後も、この技術開発は積極的に推し進めてゆく所存です」
「ええ、実に興味深い話を聞かせて貰ったわね。まあ、そのあたりの話は後でして貰うとして……こんな便利なものを使った割には、それなりに時間がかかったのね」
「ええ、お恥ずかしながら……実は、長距離走行のテストも兼ねていまして」
「……要人の出迎えついでにテストをするのもどうなのかしら?」
思わず半眼で睨むミラであったが――その言葉を否定したのは、他でもないリーゼファラスであった。
軽く肩を竦めると、彼女にしては珍しい呆れの表情を浮かべ、声を上げる。
「ジュピター様が許可されたのですよ。珍しいものに乗れるぞ、楽しみにしておけー、と仰っていました」
「はぁ……本当に、あの方は」
「ま、いいんじゃねぇのか? これはこれで、面白そうな体験だ」
「全く、それでいいわよ、もう」
ミラはもう一度嘆息し、改めてクルタスの方へと向き直る。
鎮座しているものの珍しさもそうだが、ミラとリーゼファラスがこの場にいるだけでもかなりの視線を集めているのだ。
これ以上この場にいては、周囲の人々に囲まれかねない。
「さて、それでは出発しましょうか。そちらも、それなりに切迫した状況なのでしょ?」
「ええ、今回はよろしくお願いいたします。それでは、参りましょう」
頷き、クルタスはカドリガの扉を開け、一行を中へと招き入れる。
後ろの席は三人まで並んで乗れる程度の広さはあったが、一番後ろにリーゼファラスとアウル、一つ手前にミラとウルカ、そして助手席にはカインが座ることとなった。
それぞれがしっかりと座席に着いた事を確認して、クルタスも運転席に乗り込み声を上げる。
「さあ、それでは出発しましょう。しばしの旅をお楽しみ下さい」
その言葉と共に、一度も国から出た事の無かった三人とその他の二人を乗せ、一行はレームノスへと向けて出発していったのだった。




