02:二人の聖女
「リーゼ様、リーゼ様」
「何ですか、アウル?」
魔力を噴き出す鉄の塊の横を、二人の少女が並んで歩く。
一人は金髪のやや小柄な少女。そしてもう一人は、銀髪のメイド服を纏った少女。
アウルと呼ばれたメイドは、自分より若干前を歩く少女に日傘を差しながら、返された問いに対して声を上げた。
「随分楽しそうですけど、どうかなさったんですか? 普段なら《渦》に対する嫌悪感バリバリでオーガのような表情をしているのに」
「……私はそんな分かりやすく表情に出していた事はなかったと思いますけどね」
「だっていつもそれっぽいオーラが痛い痛い脇腹を捻じ切ろうとしないで下さい」
自由極まりない己が使用人の発言に、金髪の少女――リーゼファラスは、半眼を向けながらその脇腹を思い切りつねる。
それこそ、肉も削げよと言わんばかりの力の篭りように、すまし顔のアウルも堪らず悲鳴を上げていた。
それでも日傘を揺らさない辺りは、流石と言うほか無いのであろうが。
何だかんだで余裕がありそうなメイドの様子に、リーゼファラスは深々と嘆息を零しつつ、その脇腹を離した。
アウルはその脇腹を摩りながら、若干涙目でリーゼファラスへと抗議の視線を向ける。
「うう……酷いですよリーゼ様。私の柔肌が抉れたらどうするんですか」
「いっそ抉れてしまえばいいと思います。その胸とか」
「大きいのは私の所為ではありません。むしろ個人的には邪魔いえ何でもありません気にしないで下さい」
先ほどの言葉を実行しようとするかのように手刀を構えるリーゼファラス。
その姿に対して流石に焦りを感じたのか、アウルは無理矢理話を戻そうと声を上げた。
余談ではあるが、リーゼファラスの胸は非常に平坦である。
「それで、機嫌が良さそうだったから気になったんですが、何かありましたか?」
「たった今、貴方の所為で機嫌が悪くなったのですが……まあ、いいでしょう。単に、良さそうな人材を見つけたと言うだけですよ」
「と言うと……私のような、ですか?」
「自惚れているようであまり聞こえはよくありませんね。まあ、その通りですけれど」
肩を竦め、リーゼファラスは肯定する。
彼女が思い起こしていたのは、先ほど魔力機関車の中で見かけた一人の男の姿だった。
身なりがいいとは言えず、典型的な『下層に住む人間』の雰囲気を漂わせていた男。
けれど、その瞳の奥に見え隠れしていた狂気に、リーゼファラスは興味を惹かれていたのだ。
「あっちにいた人ですか。必要な処置だとは思いますけど、上層と下層で車両を分けるのってあんまりいい気分はしませんねー」
「まあ、下層出身の貴方ならば、そういう感想なのも仕方ないかもしれませんね」
上層と下層――ファルティオンにおける国の形の歪さを象徴する区分けであると、リーゼファラスは胸中で吐き捨てる。
神霊を崇めるこの国において、神霊と契約する事が出来なかった人間の扱いは劣悪の一言であった。
家族に契約者がいるのであればまだマシではあるが、力を得る事が出来なければやがて下層へ――スラムと呼んでも差し支えないような掃き溜めへと追いやられる事となる。
そうして出来上がったのは、上層にいる人間の選民思想と、下層にいる人間の劣等感と反抗意識。
その負の連鎖を、リーゼファラスは下らないと考えていた。
「合わせていても無駄な諍いを起こすだけならば、分けておく方が合理的です。どちらが突っかかるにせよ、単に騒がしいだけですから」
「そういう理由で分けようと思うのはリーゼ様ぐらいですよ。上層の人間は『汚らわしい下層の人間なんかと一緒にいられるか』って考えてるでしょうし、下層の人間は『高慢ちきな上層の人間なんかと一緒にいられるか』って感じでしょうね。私は下層派です」
「一応私も上層の人間なんですけどね、アウル」
「リーゼ様は私達の事を見下していないじゃないですか。いえ、むしろ――」
その先の言葉は口を噤み、アウルは楽しそうに笑みを零す。
そんな彼女の様子に対し、リーゼファラスは小さな嘆息と共に肩を竦めていた。
どうにした所で、そのような価値観など、彼女にとっては何の意味も無いものなのだ。
「それで、あの方はどうなんですか?」
「流石に、一目見ただけでその性質を理解できるような存在ではありませんよ。ですので、この戦場で彼を観察させて貰いましょう」
「それはそれは、中々楽しみですね」
二人はプラットフォームから先に進み、クレーテの街へと向かってゆく。
堅牢な大都市であるが、大規模な《奈落の渦》に狙われている以上、この場は既に戦場であるといっても過言ではない。
にもかかわらず、この二人はにこやかな表情で会話を続けていた。
やってきた下層の人間は、皆明日も知れぬ我が身に悲観するか、この刹那を楽しもうと祝杯を上げるかのどちらかだと言うのに。
自信過剰な気のある上層の人間すら、僅かながらに悲壮感が漂っているのだ。
力が無く武器に頼るしかない下層の人間が気楽に構える事など、強いを通り越して異常だった。
あの黒衣の男は、そういう類なのだ。
(配給されるはずの装備すら持っていなかった……という事は、それらを必要としないだけの力を持っていると言う事でしょう)
黒衣の男は、配給される筈の大型魔力銃や、ボディアーマーの類を持っていなかった。
それは即ち、その身一つで戦うだけの力と自負があることを示している。
それを成すのが果たしてどのような力なのか、リーゼファラスには興味があったのだ。
一体どれだけの力があれば、この状況で平然としていられるのか、と。
上層の人間たちの精神状態が幾分良いのは、主に二つの理由がある。
否、二つではなく二人と言うべきか。この場には、正印教会において最高の力を持つ二人が揃っているのだ。
即ち、『最強の聖女』と『ケラウノス』。
正印教会の本拠地である中央都市オリュークス、そこに存在する最大の戦力。
それは即ち、正印教会の持つ少数精鋭における『全力』であった。
そしてこれは同時に、正印教会すら追い詰められつつある事を示している。
(クレーテが落とされれば、更なる劣勢に立たされる。あまり余裕が無いのは事実ですね)
既に大都市を三つ落とされている。国力を削り取られ、更に難民の問題もあって治安は悪化する一方だ。
これが戦争であるならば、勝ちさえすればある程度の戦争賠償を受け取る事が出来るだろうが、今回の敵は正体不明の《奈落の渦》。
国としても悩ましい事態であろう。尤も、リーゼファラスにとってはあまり興味の無い事柄であったが。
と――ぼんやりと歩く二人の背中に、力強い声がかかった。
「リーゼファラス、何処に行くつもりなのかしら?」
聞き覚えのあるその声に、二人は振り返る。
そこには、動きやすい服装をしながらも豪奢な存在感の消えぬ、一人の女性が立っていた。
彼女はサイドポニーにしたプラチナブロンドの髪を揺らしながら、視線に苛立ちを込めてリーゼファラスを睨みつける。
そんな視線に対して、リーゼファラスは小さく嘆息を零しながら声を上げた。
「私は集合場所なんて聞いていませんでしたので」
「それは貴方が下層の車両にいたからでしょう、『最強の聖女』さん?」
「彼らも戦うのですからあちらにも伝達するのは当然なのではないですか、『ケラウノス』?」
挑発的な言葉に対し、リーゼファラスは同じ調子で返すが、それは相手の視線を更に険しくするだけに終わった。
尤も、最初から場を和ませるような冗談にはなっていなかった訳だが。
軽く肩を竦め、リーゼファラスは改めて目の前の女性へと視線を向ける。
「まあ、伝達に関してはいいでしょう。どうせ誰も行きたがらなかっただけでしょうから。それで、私に何か用ですか?」
「『何か』じゃないわ。貴方は今回の戦いの旗印、戦士たちの希望の一角なのを理解しているのかしら? 貴方が勝手にフラフラ出歩いていたら、彼女たちが安心出来ないでしょう」
「ふむ」
リーゼファラスが正直に胸中を吐露すれば――『至極、どうでもいい』という言葉が出てくるだろう。
そんなものは、彼女にとって何ら価値の無いものだから。
けれど、それによってこの戦いの効率が落ちるのであれば、リーゼファラスにとっても若干都合が悪い。
それならば、と、リーゼファラスは素直に首肯して見せた。
「分かりました、貴方の指示に従いましょう。元より今回の指揮官は貴方でしたが、無駄な時間を使うのは私としても本位ではありません」
「……言いたい事は多々あるけど、まあ良いでしょう。今は《渦》の排除が最優先だもの」
あまり納得はしていない様子ながらも、『ケラウノス』の少女は嘆息と共に肩を竦め、踵を返した。
ミラ・ロズィーア=ケラウノス。正印教会に属する家系の中でも歴史の深いロズィーア家の次期当主。
代々優秀な聖女を輩出してきたこの家は、ついに念願たる『ケラウノス』の称号を持つ者を生み出したのだ。
若くして優秀な実力を持つ彼女は、それ相応の自負と高いプライドを持っていた。
(――可愛いですね)
そんな彼女の背中を見つめ、リーゼファラスは胸中でそう呟く。
尤も、あまり本気で考えた事ではなかったが。彼女としては、子供がじゃれついてきた程度の感覚だったのだ。
『ケラウノス』の称号に慢心するどころか満足せず、さらに高みを目指して己を磨く高潔な魂。
高いプライドも、己の努力に裏打ちされた自信なのだ。
神霊の力にかまけて己を磨く事を忘れた人間の多い正印教会には、非常に珍しい人種である。
(やはり上位神霊との契約者は違いますね。他の汚らわしい契約者共とは比べものにならない輝きを持っている)
本心からそんな事を考えながら、リーゼファラスはアウルを連れ立ってミラの後に続く。
『最強の聖女』リーゼファラス――彼女は正印教会の中枢に近い場所に立つような存在でありながら、契約者という存在そのものを嫌っていた。
その中で唯一の例外となるのが、上位神霊との契約者だった。
例えば、正印教会の本拠地に座する神霊ジュピター。あるいは、火と鍛冶の上位神霊ヴァルカン。
そんな存在と契約を結んだごく僅かな存在だけが、彼女の認める契約者だった。
尤も、ライバル視しているリーゼファラスにそんな事を聞かされれば、ミラは盛大に顔を顰める事になるだろうが。
「さて、どうするつもりですか、ロズィーア?」
「現地の戦力と合流するつもりよ。けど、こちらの戦力を自由にさせておくのも問題でしょう?」
「まあ、そうですね。しかし、素直に従いますかね?」
「下らない事をごねるようでしたら黙らせるわ。時間を無駄にしている暇は無いのだもの」
そう言いつつミラが向かう先――そこでは、列車から降りた人間が一箇所に集められていた。
いや、正確に言うならば、二つのグループに分かれていたのだが。
その様子を確認し、リーゼファラスは小さく嘆息する。
どこまでも、上層と下層の人間は相容れないのだ。
「――静まりなさいっ!」
瞬間、力強い声が響き渡る。
その声量と込められた気迫により、言い争っていた二つのグループはとたんに沈黙していた。
ミラは軽く息を吐くと、その二つのグループをゆっくりと睥睨する。
最強の神霊たるジュピターと契約し得る彼女の魔力は膨大だ。ただの視線だけだったとしても、人の身体を縛り付けるには十分すぎる。
とは言え、今回の戦力の中には強い魔力を持つものも存在し、それらを縛り付けるには至らなかったが――
「ケラウノス様、この者達が我等に――」
「静まれと言ったのが聞こえなかったかしら、メーリュ」
直接その言葉を浴びせかけられれば、沈黙する他無かった。
例え力を持っていたとしても、ミラのそれは桁が違うのだ。口を挟む事など出来はしない。
そして全体が沈黙した事を確認すると、ミラは一度溜め息を吐き出してから声を上げた。
「今回は責任の追求をするつもりは無いわ。どちらが挑発したにしろ、それに乗ってしまった時点で同罪。無理に謝罪をさせようとしたところで余計な感情を抱くだけなのだから、この場はこれで終わりにしましょう」
どちらに肩入れする事もないミラの言葉に、リーゼファラスは若干の驚きを覚えていた。
彼女には、下層に対する蔑視のようなものが一切存在していなかったのだ。
それだけでも、上層の人間にしてはかなり珍しい性質だ。
一方的に悪者にされる事を予想してミラの事を睨みつけていた下層の戦士たちも、彼女の言葉を聞き驚いた表情を浮かべている。
が、そんな事は気にも留めず、ミラは淡々と続けた。
「今後の事を簡単に説明するわ。まず、私たちは現地の戦力と合流して、溢れた《渦》の魔物に対処する事となる。尤も、ここに残っている戦力は私達のような精鋭ではないから、同じ戦場に立たせても付いては来れないでしょう」
随分な言い草ではあるが、実際のところ、現地の有用な戦力はここまで都市を防衛するのに疲弊しきってしまっている。
それ故、現地に残っていて動く事が出来るのは最低限の戦力のみだ。
ならば彼らを有用な戦力の治療に回し、ミラ達が戦いに回った方がダメージが少なく済むだろう。
ただしそんな彼女の言葉は、下層の人間まで含めて『精鋭』と評した事の衝撃によって半分も耳に入っていなかったようであったが。
「そうして《渦》の魔物に対処し、体勢を整えた後、私達は《渦》の封滅に向かう事になる。この時、核の破壊に向かうのは更なる少数精鋭になるわ。それ以外の戦力は、私達が核の破壊に向かっている間の都市防衛に残って貰う。何か質問は?」
ミラがきびきびと発した言葉に、質問が戻ってくる事は無かった。
と言うより、衝撃を受けすぎた結果、疑問を抱く余裕すらなかったと言うべきだろう。
上層、下層含め、どちらもミラの言動に対して驚きを隠せずにいる。
そんな中でも変わらぬ様子で笑みを浮かべているのは――例の、黒衣の男だけだった。
彼の姿を一瞥し、ミラは僅かに訝しげな表情を浮かべたが、すぐさまそれを消し去って振り返った。
「私達が滞在する施設に関しては連絡が行っているわね。リーゼファラス、貴方の使用人に案内を任せてもいいかしら?」
「ええ、問題はありません。いい人選でしょうね、この子は下層の出身ですから」
下層の人間に対して意味の無い差別をする事も無く、また上層の人間に手を出して主の名に傷をつけるような真似もしない。
そういう意味で、アウルは両者の間を取り持つのに適した人材であると言えた。
本人も、リーゼファラスの命である以上、それを拒否するような理由も無い。
「ではリーゼファラス、貴方は私と一緒に来て貰うわ。ここの代表と話をつけなくては」
「正直その辺りは貴方に任せているのですけどね」
「いいから来なさい。不本意だけど、貴方の名はそれだけ力のあるものなのよ」
呆れた表情のミラに、リーゼファラスは嘆息を零す。
例え何であろうと、リーゼファラスの目的はあくまでも《奈落の渦》を潰す事だ。
あまり権力者と言う人間を好かない彼女であったが、それも仕方ないと判断した。
(さて――)
ちらりと、リーゼファラスは視線を動かす。
黒衣の男――カインは、そんな彼女の視線に気付いたかのように、小さな笑みを浮かべていた。