25:殺人鬼侍女
一人の少女が、雑多な町並みを鼻歌交じりに歩く。
仕立ての良いメイド服はほつれ一つ無く、下層の中でも特に貧しく治安の悪いこの場所では、あまりにも不釣合いなものであった。
年若い少女が一人で歩く、それだけでもありえないと言えるような場所なのだ。
尤も、夜になれば春売りの女が立つようになるのだが。
「ふふ……んー、今日は人が来ませんね」
けれど、そんな中でもありながら、彼女は平穏に歩み続けていた。
高級な服を着た女が一人だけでいるなど、格好の餌となるしかないはずなのに。
周囲の人間は、まるで彼女の様子を伺うように遠巻きに眺めている。
(……ふむ、ちょっとやり過ぎましたかね?)
アウル――『最強の聖女』リーゼファラスの侍女。
彼女はかつて、こういった下層の中でも底辺と呼べるような場所で生まれ育った人間だ。
故にこそ、このような場所で今のような格好をしていればどうなるかなど、教えられるまでも無く熟知している。
それでもわざとそんな格好をして出歩いているのは、偏に彼女の欲求があってこそだ。
(ここに来始めた頃は良く襲ってきてくれたんですけどねぇ……まあ、あんまり綺麗な断面の人はいませんでしたけど)
人体の断面に対して性的な興奮を覚える精神病質。
あらゆる人間を切り刻み、欲求を満たす、生粋の殺人鬼と呼べる存在。
彼女は殺すことが目的なのではなく、欲求を満たした結果人間が死んでいるに過ぎないのだ。
故にこそ、アウルには相手を殺すという意識そのものがない。ただ断面を見た、それだけなのだ。
その特殊な願望と、あらゆる物を切断する能力。それらが合わさった結果生まれた、最悪の殺人鬼。
それが、アウルという少女だ。
(リーゼ様みたいに透き通っていたり、カイン様みたいに綺麗な漆黒だったり……そういう方はいないんですかね。私はああはなりませんし、その辺の人を斬っても赤と白と黄色と……)
ごく穏やかでにこやかな表情のままこの上なく物騒な事を考えつつ、アウルは下層を歩く。
彼女は、無意味な解体をリーゼファラスによって禁じられているため、自分から積極的に人を襲うような事は無い。
例え欲求が大きかったとしても、アウルは心底リーゼファラスの事を尊敬しているのだ。
時折からかいこそすれ、リーゼファラスが命じた事を違えるような事は決してない。
(最近リーゼ様も付き合ってくださいませんし……カイン様が来たからでしょうか? 少し腕を斬り落とすぐらいなのに……たまにはリーゼ様の透き通った断面も見たいんですが)
考えながら、彼女はわざと細い路地裏の道へ。
アウルは、積極的に人を襲うことを禁じられている。
具体的に言えば、戦闘時以外で人を襲う事、自衛以外で攻撃を行う事などだ。
自分から人を襲い、解体するような事があれば、アウルは歯止めが利かなくなる。
リーゼファラスに拾われる以前には、下層の一角を死体の山へと変えた事すらあったのだ。彼女の判断も、当然の結果と言えるだろう。
けれど、リーゼファラスは同時に、アウルのガス抜きについても考えていた。
つまり――アウルから襲わなければ良いのだ。
(ただ、リーゼ様もカイン様も、斬り落としたらすぐに生えてきてしまうんですよね……いえ、あれは再生ですか。どちらにしても、もう少しじっくり見ていたいんですけれども――)
「おい、そこの女――」
自衛する分には、アウルが咎められる事はない。
故に、彼女は一人で下層を歩くのだ。獲物が寄って来るのを待つ、食虫植物のように。
肩を掴もうとして来た手に反応し、アウルは背後へと振り返る。
伸ばされてきたその右腕を、切断しながら。
「あの、何か御用ですか?」
「ぎっ、ぅあああああああああッ!?」
半ばから斬り落とされた腕を掴み、手を伸ばしてきた男が絶叫する。
その男の周囲には二人の男。彼らは一瞬何が起こったのかわからず、呆けたような表情で腕を切断された男の事を見つめている。
そんな中、噴出した血をしっかりと回避したアウルは、地面に落ちた腕を拾い上げながら首を傾げる。
「何か御用があったんじゃないんですか?」
「ぅあっ、ああ……腕、俺の腕が……ッ!」
「何か仰って下さらないと分からないですよ?」
「ッ……テメェ、何をッ!」
切断された腕の断面を見ながら、アウルは満足げな笑みを浮かべながら声を上げる。
しかしその表情は、相手の事を挑発しているようにしか見えなかっただろう。
彼女としては、腕の断面を見る事が出来て喜んでいただけなのだが。
「くっ、この女ぁッ!」
「ん……ふふっ。やはり、そちらの方でしたか」
アウルの様子とその凶行に、男の一人が魔力銃を抜いて彼女へと向ける。
その銃口を見つめ――アウルは、心底嬉しそうに微笑んでいた。
そして、彼女の姿がぶれる。
「な――」
「武器を向けて下さって、ありがとうございます」
アウルの動きは、カインすら驚嘆させるほどのものだ。
そんな動きが、ただの人間に捉えられる筈もない。
男たちは一瞬でアウルの姿を見失い――次の瞬間、走った激痛に叫び声を上げていた。
「ぎゃあああああああああああああああああああああッ!?」
「ぐ、ぎぃ……ッ、足がッ! 俺の足がッ!?」
銃を抜いた男はその手首ごと銃を落とされ、呆けていた男は太腿から下を切断される。
アウルの手に握られているのは、いつもと同じ肉厚のナイフだ。
鋭さよりも頑丈さを優先したような大型のナイフであり、彼女は二本のそれを自在に操ってあらゆる物を解体する。
「ふ、ふふっ」
アウルの有する力を、ジュピターは《分断》と呼んでいた。
あらゆる物を切断し、分断する能力。カインの生み出した黒い刃や、ウルカが呼び出したヴァルカンの剣など、特殊な力で保護されている物質を斬り裂く事は出来ないものの、そういった力を宿していなければいかなる物質をも容易く斬り裂く。
刃が触れた者を、その部分から分断する――それが、アウルの持つ能力の基本的な効果だ。
「ふふっ、あはははははっ!」
飛び散る血と、響き渡る悲鳴。
それらが奏でる音の中で、アウルはひたすらに動き回って刃を振るう。
腕を、足を、少しずつ斬り落とすように。
彼女が路地に入らなければ襲われなかったのは、これが大きな理由だ。
自ら襲われに行って、襲われたなら残虐に殺す。度々そんな事をしていた為に、アウルは危険であるという認識が広まっていたのだ。
「――――――!」
アウルの口から零れる狂気は、歓喜の響きとなって空気を揺らす。
銀色の風と化した彼女は、人では捉え切れぬ速さのまま動き回り、三人の男の体が地面に落ちる前に両手両足を切断して――最後に、その首を斬り落としていた。
血の海と化す路地の中、一人だけ返り血一つ浴びず美しい姿のまま、アウルは己の身体を抱きしめる。
「あぁ……いいです」
上気した頬と潤んだ瞳。その発情した表情は、これ以上なく男を惹き付けるものであっただろう。
しかし、それに惹かれて寄って来れば、この地面に広がる惨状と同じ末路を辿る事になる。
まるで誘蛾灯の如く――この殺人鬼に、人は寄せ付けられるのだ。
ここが上層であれば、アウルとてただでは済まないだろう。
或いは、下層でも大通りに近ければ、大胆な行動など出来るはずもない。
けれど、ここならば。
「やっぱりいいですね、下層は。この退廃した空気がたまりません」
一頻り血の海を堪能したアウルは、満足げな表情で踵を返す。
無法地帯と化している下層の底辺。かつてアウルが暮らしていた場所と変わらぬ環境。
彼女にとってみれば、上層の方が遥かに異質な場所であった。
どれほど容姿を整えても、仕立ての良い服を着ていても――彼女の本質は、一切変わらない。
最悪にして狂気の殺人鬼。
(でもやっぱり、リーゼ様やカイン様には及ばないんですよね……一度知ってしまうと、という感じでしょうか)
尾を引く興奮を収めながらも、アウルは胸中でそう呟く。
ごく稀に見せてくれる、リーゼファラスの透き通った断面。
彼女の本質たる、水晶の力によって変異した肉体。超越者である彼女が、ただの物理的な力によって滅ぶ事は無い。
故にこそ、リーゼファラスはアウルの為に体を張ってくれるのだ。
これもまた、アウルがリーゼファラスのことを尊敬する理由の一因である。
一方、カインもアウルにとっては大きな存在と化していた。
嗜好こそ狂っているが、彼女も一人の少女なのだ。男性に対する興味と言うものが無い訳ではない。
しかしながらその嗜好のおかげで、彼女に耐え切れる男性と言うものも存在しなかったのだ。
切断が性的嗜好に結びつく以上、求愛行動の中に無意識にそれらの行動が存在してしまうのだ。
故にこそ、カインという男は、アウルにとってとても貴重な存在であった。
「……まぁ、あんまりやりすぎるとリーゼ様に怒られてしまいますしね」
肩を竦め、アウルはそう口にする。
カインという男は彼女にとって稀有な存在であったが、それでもリーゼファラスに止められればそれに従うのだ。
アウルにも、リーゼファラスの考えは読みきれない。
彼女がどの程度カインという男に入れ込んでいるのか。それに関しては、アウルにも掴みきれていない。
(男性としてみているという訳ではないと思うんですけど……やっぱり、分からないですね)
時折、様子を見に行けと告げられる。
肉体関係を結んだ事に関しても、特に気にした様子は無かった。
けれど、過度な干渉はし過ぎないようにと言明されている。
アウルとしては、どの程度が過度であるのかの判断が分かりづらかったが――
「精神的な部分まで入り込むのは駄目、と言う事ですかね」
欠片――リーゼファラスのような資格を持つ人間の力は、精神的な部分に大きく左右される。
特に他者への想いという物は、非常に強い感情となって力に影響を及ぼすのだ。
アウル自身は自分の欲求に通ずる部分が大きいためあまり変化は無いが。
(私が入れ込みすぎて、或いはカイン様が入れ込みすぎて、恋愛関係にならないように……という事ですかね。精々肉体関係までに留めておけと)
カインの持つ力は、それに精通したジュピターにとっても非常に特異なものであった。
それがどのような背景によって成り立っているか分からない以上、下手に能力を刺激してはならない――と言ったところなのだろう。
そう納得して、アウルは小さく頷く。そして、小さく苦笑を零していた。
(元々、そこまで入れ込むつもりはありませんでしたし……一緒に住んでいる方にすらあれなのですから、カイン様は女性に興味なんて無いんでしょう)
流石に性欲が無いとまでは言わないようであったが。
彼は、特に女性に対してどうこう思っているといった様子は無かった。
そんな彼ならば、自分さえ気をつけていればそんな事にはならないだろう――そう考えて、アウルは小さく頷く。
女としては、少々考える部分が無い訳ではなかったが。
(しかし、あんまり入れ込み過ぎるなとは……リーゼ様、まるで嫉妬した乙女のようですね)
そこまでぼんやりと考え、アウルは頭を振って考えを追い出した。
もしも目の前でそんな事を口にすれば、それこそぞっとしない事になってしまうだろう。
超越者として成長を留めてしまったのは自分なのだから、身長や胸の大きさで怒るのは止めて頂きたい、と言うのがアウルの考えであったが。
「まあ、ともあれ――」
しばらくは様子見だ。そう胸中で呟いて、アウルは口元に笑みを浮かべる。
彼らと共に行動していれば、いずれ何か面白い事がある。
そんな確信が、アウルの中に確かに存在していた。
「――頑張るとしましょうか」
軽く背筋を伸ばしながら見上げた前方。
大通りまで出たアウルの目には、主の住まう大神殿の姿が映し出されていた。