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聖女の唄う鎮魂歌  作者: Allen
2章:交わる道のクインテット
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24:黒衣の死神










 下層の町並みを黒衣の男が歩く。

とてもではないが清潔とは言えない町並み。

猥雑であり、穢れて、悲劇が溢れていて――それでも尚、人々が生きている場所。


 大通りから離れれば離れるほど、表側の世界では生きていけない人間ばかりが残る。

かつて犯罪を犯した者、表には出せないような商品を扱っている者、身売りをする者。

全てが底辺で、その汚泥の底で泥を積み上げて楼閣を作り上げた者が、この場所において生き残れる。



(奪われたくなければ奪え、殺されたくなければ殺せ。弱い者から淘汰される、甘さを見せた者から食い潰される)



 それが、下層の中でも底辺と呼べるような場所にある暗黙のルール。

カインがかつて生まれて生き抜いてきたテッサリアは、その言葉を体現しているかのような場所であった。

ウルカの知らない、地獄以上の――或いは以下の地獄。

そこを生き抜く事が出来たのは偏に――



「ッ……」



 頭の奥に響く鈍痛に、カインは眉根を寄せる。

最近感じるようになった頭痛。それが一体何であるのか、未だカインには見当も付いていなかった。



(過去の事を考えると、どうにもな……テッサリアで何かあったか?)



 カインがかつて崩壊したあの都市にいたのは、およそ三十年ほど前。

《奈落の渦》によって崩壊しようとしていたまさにその時に、カインはその場にいたのだ。

その時には既に現在の力は発現し、結果として生き延びる事が出来たのだが――



(死に過ぎたせいか、或いはその後で戦い過ぎたせいか……この記憶が重要になる、って訳か。あの女も面倒な事を言ってくれる)



 幼い姿をした最高神の姿を思い浮かべ、カインは小さく苦笑する。

彼女の意図としては、カインの力を利用して《奈落の渦》を潰し、更にカインを育て上げる事を狙っているのだろう。

けれどカインの意図は、それとはまた少々違った方面へと向いている。

力を付ける事はカインの目的の一つである事に変わりは無い。

しかし最終的な目標は、その力でリーゼファラスと戦う事なのだから。



「過去の記憶……俺が何を願っているのか」



 己の死を、納得する事の出来る終焉を。

ただそれだけを望んでいたからこそ、カインは戦場を渡り歩いていた。

けれど、彼の魔王と女神は、それを肯定すると同時に否定したのだ。

確かにカインが死を望んでいる事も肯定していた。けれど、同時に死を拒絶しているとも口にしていたのだ。



「他者の死を喰らい、その願いを果たしている……」



 他者の死を喰らうという言葉、それ自体はカインにも心当たりがある。

カインの力は、“死”を黒い刃と化して己の内側に取り込むと言うもの。

死したものを刃と化して内側に取り込む事も可能なのだ。



(あの言葉が事実だとするならば、俺は誰かの死を喰らって、そいつの願いを元に行動しているって事か?)



 がりがりと頭を掻き、カインは嘆息する。

戦闘に関する事ならばまだしも、こういった事に関して考えるのはあまり得意ではないのだ。

テッサリアの人間は多くが死に、そしてその死をカインは喰らった。

狂乱する中で己が何を思ったのか、今となっては何も思い出す事は出来ない。



(ただ……少しだけ、何かが引っかかっている)



 僅かに聞こえる声。軋む音の中に響いたもの。

頭痛を感じながらもそれを思い起こそうとして、けれどもその全容を掴む事は出来ず。

鈍い痛みを抱えながらも、カインはゆっくりとその視線を上げた。

視線の先にあるのは、カインが拠点として利用している一軒の家屋。

ガンスミスたるシーフェと共に暮らす場所だ。



(そういえば、最近やたらと絡んでくるようになったな)



 今までとは異なっている同居人の様子に首を傾げながらも、カインは家の扉を開ける。

その、瞬間――



「死ねッ、駄メイド!」

「あはは、今日も激しいですねシーフェ様」



 二人の女性の声と共に飛んできた弾丸によって、カインの顔面は避ける間もなく撃ち抜かれていた。

シーフェによって改造された魔力銃は、一撃でも十分な破壊力を持っている。

カインの頭は問答無用で砕け散り、内側から漏れ出した黒い靄を散らす。



『……あ』



 ぴたりと、罵声が止む。

発生した奇妙な沈黙の中で、弾丸を受けた衝撃に仰け反っていたカインの身体は、ゆっくりと元の体勢を立て直す。

その靄でできた顔の中に浮かんでいるのは、紅月の瞳と三日月の如き歪んだ笑みだ。



「よう、お前ら。入ってくるなり人を殺してくれるとはなかなかいい度胸してるな」

「な、な……わ、私は狙った訳じゃないわよ!」

「私が攻撃した訳じゃありませんよー」

「同罪に決まってるだろうがこのバカ共が」



 やれやれと嘆息しながら、カインは頭部を再構成してゆく。

黒い靄でできた顔を漆黒の刃が覆い尽くし、それはすぐさま普通の肌の質感を取り戻す。

人間の顔面を取り戻したカインは、軽く首を回して調子を確かめると、二人に対してにやりとした笑みを浮かべる。



「お前ら次に抱くときは覚悟しておけよ」

「う……っ」

「あ、あはは……カイン様ねちっこいですからねぇ」



 あからさまに動揺するシーフェや珍しく表情を引き攣らせるアウルに溜飲を下げつつ、カインは嘆息交じりに近くにあった椅子へと腰を下ろした。

足を組み、リラックスした体勢を作る彼に、客に対する気遣いと言ったものは存在しない。

そんな体勢のまま、カインは気にした様子も無いアウルへと向けて声を上げた。



「で、何か用か? ジュピターやリーゼファラスから呼び出しでもあったのか?」

「いえ、別にそういう訳ではありません。私が個人的に会いに来ただけですよ、カイン様」

「あんた、主人をほったらかしてんじゃないわよ……」

「あんまり調子に乗ってると頭を握り潰されそうだな、お前」

「あははは……洒落になってないのが怖い所です」



 割と洒落の通じない性格をしているリーゼファラスが相手なのだ。

ある程度の部分までは認められていると言っても、この場所に入り浸る事を許可されている訳ではないだろう。

それだけ、アウルの願望を満たせる人間が稀有である事の証でもあるのだが。



「それに最近、リーゼ様はジュピター様にからかわれてますからねぇ……ちょっと突っつくと爆発しそうなところが怖いです」

「なら刺激するような事してんじゃないわよ。ったく、ここに来るなって言ってるでしょうが」

「ここじゃなきゃカイン様に会えないじゃないですか」

「あーもーこの変態は……」



 作業台の上で頭を抱えるシーフェは、恨めしそうな視線をアウルとカインに向ける。

しかし通じない事は理解しているため、彼女は再び嘆息を零していた。

女としてこの状況を受け入れ辛いとは言え、カインはそういった心の機微を理解できないのだ。

彼は非常に変わった人間であるし、シーフェもそういった事を期待していた訳ではない。

カインはシーフェが知る中でも最も壊れた人間であり、彼の想いを理解できると言う事は即ち狂人であるという事だ。



(私じゃ、カインの全てを理解する事なんて出来ない)



 本人すら自分自身の事を把握し切れていないのだ。当然と言えば当然だろう。

けれど、と――シーフェは、胸中で呟く。

それでも、カインから離れる事はできないのだと、彼女はそう感じていた。

例え彼が、何も望んでいなかったとしても。



(女々しいなぁ、我ながら)



 カインは女などに興味は持たない。求められれば抱くし、どのような相手であれ拒絶するような事はない。

けれど、それは同時に、誰もが特別な存在などではないと言う事だ。

全て平等に価値があるのか、或いは無価値なのか。壊れきったカインと言う男の思考など、誰にも理解する事はできない。

――シーフェは、小さく嘆息する。



「で、用が無いんだったら帰りなさいよ。つーか、来るなら私がいない時にしなさいっての」

「え? シーフェ様がいらっしゃらない時ならいいんですか?」

「はぁ……どうせ、来るなって言っても無駄なんでしょ、あんたは」



 きょとんとした表情を浮かべるアウルに、ひらひらと手を振りながらシーフェは答える。

カインが“死”にこだわっている事はシーフェも知っている。

そして、“死”と言う事象を神聖視していると言う事も。

カインの女性に対する在り方とは、つまりそういった事なのだろう。

“死”とは全てにおいて平等な事象であるが故に、誰か一人を特別視するような事は無い。

全ての者へと平等に、そして無慈悲に終焉を振りまく死神。それが、カインという男だ。



「私も、あんたも……一緒よ、変わらない。そこの馬鹿にとっちゃ、何もかもね」

「おい、酷ぇ言い草だな」

「事実でしょ、事実」



 じろりと半眼を向け、シーフェは嘆息する。

カインにとっては当たり前すぎて意識していない事なのだから、言った所で無駄ではあるのだが。

シーフェの言葉を受け、アウルは若干ながらに目を細める。

常に浮かべられている無邪気な笑みが消えた彼女の表情は、それだけで少々不気味に感じられるものであった。

それに若干気圧されながらも、シーフェは目を逸らさず彼女の表情をじっと睨む。



「……やはり、そうですか」



 シーフェの視線を受けて――アウルは、そう呟きながら相好を崩す。

その笑みの中に、感情を読み取る事は難しいだろう。

彼女もまた、特殊な思考を持った人間なのだから。



「分かりました。カイン様に絡むのは、シーフェ様のいらっしゃらない時にします」

「そうしなさい。私も、分かっていたって納得しづらい事なんだから」

「……何の話だ?」

「女同士の話よ」

「男の方には、ちょっと分かりづらいかもですねぇ」



 首を傾げるカインに、シーフェとアウルは僅かに視線を合わせて苦笑する。

先ほどまでいがみ合っていた筈なのに突然仲の良さそうな様子を見せる二人に、カインは困惑して眉根を寄せていた。

そういった連帯感もまた、カインにとっては理解から程遠い場所にあるものだったのだ。

置いてけぼりにされている彼の様子に二人は小さく笑い、そしてアウルは改めて声を上げる。



「分かりました。それでは、私は今日はこれで」

「帰るの?」

「はい。あ、一応カイン様の様子を見ておく事は、リーゼ様から命じられた事ではあるんですよ? なので、今日はお仕事を果たしました」

「つまり、いつもは仕事を果たしても居座ってた訳か……」



 シーフェの向ける半眼の視線を、アウルはにっこりとした笑みで受け流す。

結局の所、そこまで仲良くなりきれないのが事実なのだ。

そんな二人の様子を訝しげに眺めているカインの視線を尻目に、アウルは鮮やかな姿勢で一礼する。



「それでは、今日はこの辺りで。またよろしくお願いします、カイン様」

「私がいる時に来るんじゃないわよー」

「お前、大体ここに篭ってなかったか?」



 ひらひらと手を振るシーフェに、カインは半眼を向ける。

ガンスミスである彼女は、基本的にこの家の中で作業をしている。

外に出るのは、精々材料を買い集めに行くとき程度だ。

この地区において女性の一人歩きは非常に危険であるが、彼女についてはそれ程心配は必要ない。

カイン自身が周囲で恐れられているのもあるし、彼女自身非常に強力な魔力銃を常に携帯しているのだ。

知っている人間ならば、基本的に近寄ろうなどとは思わない。



「うふふ。ではまた」



 アウルに至っては、襲ってきた人間が生き残れる可能性は皆無だ。

シーフェの挑発も笑みと共に受け流し、彼女は踵を返す。

その背中を視界の片隅で捕らえながら、カインは小さく嘆息を零していた。

と――そんな彼の前に、陶器のカップが一つ差し出される。



「シーフェ?」

「ん」



 珈琲の入ったそれを受け取りながら、カインは彼女へと視線を向ける。

己の記憶と同じように、彼女との付き合いの長さもあまり詳しくは覚えていない。

舌の慣れた珈琲の味と香りを感じ取りながら、カインはシーフェへと視線を向ける。

一体、どれだけの付き合いだったか――



「私はさ、カイン」

「あん?」

「私はずっと、あんたのものだよ。忘れんな」

「……ああ」



 薄っすらと残る出会いの記憶。

上層から追放されてこの地まで流れ着き、そして下層の洗礼を受けようとしていた彼女。

そんな彼女を救い、手を差し伸べたのは、間違いなくカインであった。

立場としては、奴隷と言う言葉が最も近いだろう。

あまり吹聴するようなものではないが、彼女自身がそれを受け入れているため、立場は変化していない。


 ――シーフェは、苦笑する。そんな、薄い繋がりに縋る己に。



「臆病だよ、私はさ」



 誰にも聞こえないようにそう呟いて、シーフェは目を閉じた。





















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