23:炎熱の剣士
「はああああああッ!」
「よっと」
繰り出される二本の木剣を、カインはテンポ良くいなし、弾き返す。
まだ若干荒さの残るそれは、しかし振るうごとに少しずつ鋭く洗練されていっている。
ウルカの振るう剣――彼は幼いが故に、それだけの応用力と適応力を備えているのだ。
二刀の連動は未だ完璧とは言い難いが、それでも少しずつ少しずつ、その隙は失われていっている。
けれど――
「行くぞ」
「く……ッ!」
剣を弾かれた事で僅かに体勢が崩れたウルカへと、カインは無造作に刃を振り下ろす。
普段の剣ではなく、ただの木剣。故に殺気など篭りようもないが、彼の刃は十二分に鋭いものであった。
カインの肉体は、既に変容している。それが力によるものなのか、はたまた度重なる死によるのもなのかは不明であるが。
肉体の限界というものを超えて身体能力が行使され、そしてその肉体は崩壊と同時に再生を繰り返している。
更にその身は、死神の刃の集合体と化しているのだ。その意思一つで、人間の枠など容易に突破する事が出来る。
「っ、うぁっ!?」
カインの振り下ろした剣をウルカは二刀を用いて何とか受け止める。
炎を発するヴァルカンの剣を顕現させていないとは言え、身体能力の強化は発動しているのだ。
たとえからだが成長し切っていないウルカであっても、カインの攻撃を正面から受け止める事は可能だった。
しかし、カインもそんな事は承知の上である。受け止められると同時に身体を捻って放たれた蹴りが、ウルカの脇腹を捉えて弾き飛ばす。
「さ、すが……!」
意図して霊的装甲を切っているため、力の行使がないカインの攻撃でもしっかりと命中する。
それによって地面を転がったウルカは、しかし地面に手を着いて体を跳ね上げるようにしながら体勢を立て直していた。
けれど、顔を上げたウルカの元へ、カインは瞬時に肉薄していた。
放たれるのは掬い上げるような一閃。顔面を狙ってきているそれに、ウルカは戦慄しつつも反応していた。
油断などしていない。カインとの打ち合いは、既に幾度も行っているのだから。
「まだ、まだっ!」
「ほう?」
後退しても躱し切れない。体勢の問題で受け止める事も不可能。故にウルカは、横から己の刃を叩きつけてカインの攻撃の軌道をずらしていた。
顔を掠めるように通り過ぎて行く木剣に息を飲みながらも、ウルカはその場から跳躍して後退していた。
無理をすれば一撃を入れる事が出来たかもしれないが、体勢的に有効打とはなり得なかっただろう。
そしてもしも対処されてしまえば、ウルカには後がなくなる。
時にはそういう無茶も必要であろうが、今現在ウルカの目的は出来るだけ長くカインと手合わせをする事だ。
それならば、あえて無茶をする理由もない。
「行きます」
仕切り直し――それでも十分であると判断して、ウルカは摺り足で距離を詰める。
構えを崩さぬよう、隙を見せぬように意識しながらゆっくりと。
対するカインは、無造作に剣をぶら下げた、隙だらけの体勢であった。
場合によっては、舐められているのか、馬鹿にされているのかと憤慨するところでもある。
けれど、カインはそういった類ではなかった。
「ふッ!」
強く鋭い呼気と共に、ウルカは地を踏み砕くほどに強く地を蹴って刃を振るう。
左の牽制と、それと連動して放たれる袈裟斬りの右。
しかしカインは、一歩後退するのみで牽制の一閃を紙一重で躱し、更に右の剣を持ち上げた木剣で受け止めていた。
その動きに一切のよどみはなく、さらに強大な力によって振り下ろされた一撃に対して小揺るぎもしない。
けれど、ウルカはそれに油断するような事はしなかった。
「はあッ!」
続けて放たれるのは左の剣による突き。
強化されたウルカの力によって放たれるそれは、例え木剣であろうと、家の壁程度なら容易く貫けるだけの威力がある。
それを遠慮なく放つ事が出来るのは、相手がカインであるが故であろう。
彼自身の肉体が不死身である事もそうだが、それ以上にカインの技量はウルカのそれを遥かに上回っている。
例え本気で放ったとしても、急所に命中する事はありえない。それだけの信頼が彼にはあった。
カインはウルカの放った突きに対し、足を軸に体を回転させるようにしながらその切っ先を躱してゆく。
カインはコートの中に木剣を巻き込むようにしながら回避し、更に剣を跳ね上げてウルカの右の剣を弾くと、そのまま横殴りに刃を振るって彼の顔面を狙っていた。
しかし、ウルカもそれに反応している。
身体を深く沈み込ませ、横殴りの攻撃を紙一重で回避していたのだ。
鋭い一閃が髪の毛を数本攫ってゆくのを感じながら、ウルカは右の刃を構える。
「そこだ!」
「よく見えるようになったじゃねぇか」
下から掬い上げるような一閃。
それに対し、カインは若干ながら後方へと跳躍していた。
振り切った体勢では攻撃を受け止めきれないと判断したのだ。
初めて彼を後退させた――その事実に達成感を感じながらも、ウルカは再び体勢を立て直す。
合いも変わらず攻撃は掠りもしていないし、カインの表情から余裕の色は消えていない。
けれど、それでも確かに前進しているのだと、ウルカはそう感じていた。
「さて、それじゃあ今度はこっちから行くかね――」
けれど、激しい攻防にもカインは全くと言っていいほど感慨を抱かない。
地を蹴ると共に凄まじい速さで移動したカインは、上段よりその剣を振り下ろす。
まともに受ければ動きを止められてしまう事は理解しているため、ウルカもその一撃を半身になって回避していた。
けれどカインの剣はすぐさま反転し、ウルカの動きを追うように横の薙ぎ払いへと変化する。
先ほどの鋭い一撃がただの牽制であった事に気付き、ウルカは思わず表情を歪めつつもその攻撃を受け止めていた。
「ッ、ぅ」
木剣が叩き折られそうな衝撃と共に仰け反りかけるが、ウルカは何とかそれを耐える。
カインの攻撃が持つ性質は、一辺倒な攻撃姿勢だ。
そもそも先ほどのように、受けに回るという事自体が珍しいのである。
(不死身の身体を生かした、防御を考えない突撃姿勢……無茶苦茶だけど、厄介極まりないな)
どんな攻撃を受けてもすぐさま再生する。
武器を弾き飛ばしたとしても、体内から刃を生成して戦い続ける。
挙句の果てに、あの強大なる力を持つ大鎌である。
ウルカは既に、カインに勝利する事は不可能であると認識していた。
そもそも、彼を殺す手段すらないのだと、そう考えていたのだ。
一刀で受け止め、ウルカはもう片方で攻撃を繰り出そうとするが、カインは即座に残る左手を伸ばし、ウルカの胸倉を掴んでいた。
そのまま、彼はウルカの身体をぐいと引き寄せる。
それに対してウルカは反射的に踏ん張ろうとして――
「うわ……ッ!?」
――そのタイミングを見極めたかのように、カインはその手を離していた。
自らの体を引く力に押され、ウルカの身体は後ろへと仰け反ってしまう。
そしてそんな彼の身体へと、カインの蹴りが叩き込まれた。
「ぐっ」
「おら、これで終わりだ」
二つの力に押されて背中から転倒したウルカに、カインの持つ木剣の切っ先が向けられる。
その切っ先を見つめ、ウルカは小さく嘆息を零していた。
この状況では、最早出来る事など何もない。
「……参りました」
「おう」
ウルカの言葉を受け、カインは切っ先を離す。
そして彼はぐるりと首を回すと、小さく息を吐き出してから周囲を見回していた。
小さな空き地、建物の間から上層にある大神殿を臨む事の出来る、下層の一角。
カインが普段住んでいる場所よりもいくらか大通りに近い、比較的治安のいい場所であった。
一度は訓練をつける事を断っていたカインであったが、今は事情が変化している。
ウルカは、同じチームとして戦う事になっているのだ。
それならば、この少年の力が高まる事はカインにとってもメリットがある事となるのである。
「はぁ……今日はいい所まで行けたと思ったんですけど」
「まあ、多少は良くなってたんじゃねぇのか? 教えるってのはどうにも苦手だが、それなりに俺の動きについてこれるようになっただろ」
「と言っても、まだまだ手加減されてますけどね」
カインの攻撃は、ひたすらに鋭いのだ。
どんな動きをすればどこに隙が出来るのか、それを正確に把握しているのだとも言える。
攻撃されたくない場所へと的確に飛んでくる攻撃に、初めの内はウルカも全くと言っていいほど太刀打ちできていなかった。
ある程度続けている内に反応する事は出来るようになっていたが、それでもカインの型にはまらない動きは、ウルカにとっては苦手なものであった。
剣を使いながらも、手が出るし足が出る。純粋な剣の勝負ならばウルカもある程度戦う事が出来るが、何でもありとなると太刀打ちできないのが現状であった。
「実戦の中で鍛えられた力、か……」
「あ? 何か言ったか?」
「いえ、僕もまだまだ経験不足だなって思っただけです」
訝しげに眉根を寄せる課員に、ウルカは苦笑と共にそう返す。
戦闘技術に関しても、心構えに関しても、自分はまだまだ足りていないのだと。
そんな少年の言葉に、カインは軽く肩を竦めていた。
「当然だ。俺もリーゼファラスも、見た目通りの年齢って訳じゃねぇんだからな。俺達と比べる事自体がまず間違ってるんだよ」
「……ええと、アウルさんはどうなんでしょう?」
「あの女は生まれながらにして生粋の殺人鬼だ。それこそ、比較対象とするには適さねぇだろう」
一応ながら見た目通りの年齢であるアウルは、そうでありながらもカインやリーゼファラスを超える技量を誇っている。
あれは天性のものであるとしか言えない事に、カインは小さく苦笑を零していた。
接近戦では全力を出さねばならない相手。敵対する事こそないが、相手にするとなればどこまでも厄介な人物であった。
彼女の本性をあまり深く知らないウルカにしてみれば、実感の無い事実ではあったが。
「あの人、変わってるし強いとは思ってましたが……」
「まともな人間に扱える力じゃないのか、或いはこの力を持っているからまともじゃないのか。ま、どっちでもいい話だがな」
自分の事を口にしている意識があるのか、まるで他人事のように口にしながら、カインはぼんやりと立ち尽くす。
そんな彼の姿を眺めていたウルカに、ふと背後から声が掛かった。
「ウルカ、いらっしゃい」
「あ、うん!」
その言葉を発したのは、空き地の隅にある柵の柱に腰を下ろしていた一人の女性であった。
肩甲骨まである柔らかい茶髪を揺らす彼女。名をエリューナという彼女は、他でもないウルカの母親であった。
自らの母に呼ばれて駆け寄ったウルカは、肩を捕まれて身体を反転させられると、後ろから転んで砂塗れになった背中を手で叩かれる。
「ほら、しっかりしなさい。もうすぐ時間なのでしょう? あんまり埃塗れの格好でいないの」
「ちょ、ちょっと、お母さん」
「あらあら、恥ずかしがっちゃって」
視線を気にしながら目を右往左往させるウルカの様子に、カインは小さく苦笑する。
そしてエリューナへと視線を移し――
「っ……」
僅かに感じた頭痛に、カインは眉根を寄せていた。
以前にも感じたことのある、そんな感覚。擦り切れて失われた過去の記憶が、まるで古傷のごとく疼くような。
けれど、カインはそれを認識できない。
少なくとも、母と呼べるような存在がいた記憶など、欠片として残っていないカインには。
(……物心ついた時には、あの地獄に捨てられていたと思ったんだがな)
あの最悪の街で命を落とさずにいられたのは、偏に《永劫》の力があった為であろう。
特殊な力を持たずに、幼い子供が生き残る事など不可能な場所だったのだ。
しかし、だとしたら今何が引っかかったと言うのか。
それを思考して――
「カインさん」
「ん……?」
――そのエリューナに声をかけられて、カインは意識をそちらへと戻していた。
たおやかな笑みを浮かべる女性は、柔らかな声音と共にカインへと声をかける。
「この子に付き合ってくださって、ありがとうございます。よろしければ、また相手をしてあげて下さい」
「ちょっ、お母さん……!」
「……まあ、仮にも同じ任務に当たれと言われた仲間だからな。それは構わんさ」
「ありがとうございます」
下層にはあまり似合わぬ、柔らかな表情。
その物腰から見ても、カインにはエリューナが下層で生まれ育ったとは到底考えられなかった。
(礼儀作法がしっかりし過ぎている……上層の出身者か? 契約出来ずに勘当されて下層に追いやられたって所か)
あまり珍しい話という訳でもない。
カインは小さく嘆息しながらも、この下層で生きるには優しすぎる笑みを浮かべる彼女に、小さく肩を竦める。
疼く脳裏の記憶を、あまり深くは考えないようにしながら。
「さて……今日はこれぐらいでいいか、坊主」
「あ、はい。ありがとうございました」
「構わん。ジュピターから依頼が来るまでは暇な事に変わりは無いからな」
あの話し合いから数日、今の所ジュピターからの連絡が来るような事は無かった。
最高クラスの戦力を固めた部隊であり、ジュピターの私兵であるという立場上、あまり軽々と動かせるような仕事は少ないのだろう。
来るとしたら大きな厄介事であると想像できる。
そんな事を考えながら、カインはひらひらと手を振りつつ踵を返していた。
「じゃあ、またな坊主。用があったら呼びに来い」
「あ、はい!」
元気のいいその言葉に苦笑しながらも、カインは親子の元から去って行ったのであった。




