22:女教皇
カインが扉を潜り円卓の間から退出した時、その先の廊下には二人の人影が待ち構えていた。
そんな二人――仲間と呼ぶべき存在であるウルカとミラに対し、カインは小さく笑みを浮かべる。
「何だ、待っててくれたのか?」
「貴方を放置していたら何を仕出かすか分からないでしょう? ただでさえ見た目が不審者だというのに」
「大神殿でカインさんが一人で歩いてたら、間違いなく不審者として捕まりますよね」
「何だ何だ、俺はこれからも誰かの付き添いが無いとここには来れないのかよ」
肩を竦めて両腕を広げるカインに、ミラは嘆息しながら額に手を当てる。
ポーズと言うよりも、実際に頭痛を感じているような様子であった。
そんな体勢のまま恨めしげな視線を向け、彼女は声を上げる。
「だったら、服装を改めるなりなんなりしたらどうなの。貴方、髪はボサボサだし服はだらしないどころかボロボロだし、おまけにどう見ても武器を携帯しているし。通行証を与えられたとしても偽造だと勘違いされるわよ」
「酷い言い草だな。つーか仕方ないだろうが。髪を切ったって、頭吹き飛ばされて再生すれば結局こうなるんだ」
「それが元々なんですか、カインさん……」
指先で頭を叩きながらのたまうカインに、ウルカは半眼を向けてそう呟いていた。
一体どのような基準でその格好が選ばれているのかはカイン自身にすら分からなかったが、その辺りは意外と融通が利かない能力である。
その言葉を聞いていたミラからすれば、大方最初に死ななくなった時にその姿だったのだろう、という程度の認識でしかなかったが。
彼女の中では、既にカインはリーゼファラスと同類である。
リーゼファラスがあの外見で既に四十代であるように、カインの年齢もまた信用できた物ではないのだ。
「なら服装ぐらい何とかしなさい。せめてそのコートだけでも。何でそんなボロボロなものを着ているのよ」
「俺の服は俺の能力で作ったモンだぞ? 着てても破れちまうんなら再生する物の方がいいだろうが」
「……は?」
そんなカインの返答に、ミラは思わず硬直する。
能力で作られたもの――即ち、この服もまたあの黒い刃と同じなのだ。
掌を突き破って現れた漆黒のファルクス、或いは背中を切り裂いて伸びていた、骨のような漆黒の翼。
そして、見ただけで人を死に至らしめるような、あの死神の大鎌――
この服もまたそれらと同じであると、カインは口にする。
「当たり前だろうが。いくら何でも、服まで一緒に再生する訳が無いだろ? だったら、最初から俺の一部で服を作っちまえばいい訳だ」
「でも、リーゼファラスさんの服は砕けても再生してませんでしたっけ?」
「あん? 俺は見てねぇぞ?」
「ああ、カインさんがあの人に頭を砕かれた時だったので。自分で水晶化した腕を砕いてましたけど、その後で服ごと元に戻ってました」
「へぇ。それもあいつの能力なのかね」
がりがりと頭を掻き、カインは軽く肩を竦める。
と、そこまでして、カインは目の前のミラが俯いて沈黙している事に気がついた。
あまり見ない彼女の様子に、怪訝そうな表情を浮かべてカインは声を上げる。
「おい、どうかしたのか?」
「な、何でもないわよ!」
「……あの、ミラさん? 何か顔が赤いですけど」
「何でもないったら! 貴方がちゃんとした服を着てなくても私が知るもんですか!」
「おいおい、さっきと言ってる事が違うぞ、お前」
彼女の反応に対して眉根を寄せ――カインはふと、彼女の困惑の正体に思い当たった。
以前この服に関して他人に話した時、ある反応が返ってきた事があったのだ。
尤も、その時はこのような初々しい反応を返してくるような相手ではなかったが――
「くはは、何だお前、俺が全裸でいるようなものだとでも思ったのか?」
「な……っ!?」
「あー……」
――この少女ならば、この反応も納得できるだろう。
にやりとした笑みを浮かべつつカインが言い放った言葉に、ミラはその頬を羞恥だけではなく怒りも込めて紅潮させ、隣で聞いていたウルカは呆れた視線をカインへと向けていた。
死にたがりという性質もあるのだろうが、何故こんなにも人の神経を逆撫でしようとするのだろうか、と。
案の定、ミラは苛立ちを込めて半ば叫びと化した声を上げていた。
「誰が! そんな破廉恥な事を! 考えているですって!?」
「おいおい、過剰反応するなって。場を和ませようとしてるだけだろうが」
「ふ、ざ、け、る、な!」
肩を怒らせて踵を返すミラに、カインはくつくつと笑いを零す。
こういった反応は、下層では滅多に見られないものなのだ。
彼女が上層の、その中でもかなりの箱入りであったが故にこういった初々しい反応を見る事が出来ているのである。
「おいおい、俺を放っておくと困るんじゃなかったのか?」
「知らないわ! 勝手に勘違いされて勝手に捕まるなりしていなさい!」
取り付く島もない様子の彼女の背中を追いかけながら、カインは再び笑みを零す。
その隣を歩くウルカは、変わらず呆れた視線を向けながら嘆息する。
これから仲間として動く事になる相手に、一体何をしているのだろうか、と。
そんな視線を受けてなおも笑みを崩さぬまま、カインは声を上げる。
「――お前が俺を恐れるのは、“死”を恐れているからだ」
ぴたり、と――ミラの動きが、止まる。
それに合わせてカインも立ち止まりながら、変わらぬ笑みを浮かべつつ、声を上げる。
「当然と言えば当然だな。生き物の本能であるとも言える。お前たちは死を恐れ、生に執着するものだ」
ミラがカインに対して抱いているのは、生物にとって根本に根ざしている恐怖。
即ち、生存本能によるものなのだ。
カインの纏う“死”はあまりにも濃い。それこそ、多くの人間が死に絶えた戦場跡のように。
澱み、凍え、静止した空気。それは、ミラにとって馴染みのないものであったから。
「まあ、こんなものに慣れているのは、それこそ戦場を渡り歩いた傭兵か、下層の奥、塵溜めのような所で生きてる連中だけだ」
「……私は、それに劣ると?」
「そうは言わんさ。だがまあ――」
こつこつと、足音を立てながらカインは歩く。
大理石の床が反響させる音は、反響しながら響き渡る。
磨き抜かれた石に映し出される姿は、漆黒の靄のようで。
けれど、彼は相変わらず笑っていた。
「――仲間なんだ、よそよそしい態度ばかりって訳にもいかんだろう」
「……カイン、貴方」
驚きを交えた表情と共に、ミラは振り返る。
カインは、いつの間にかそんな彼女の横に並んでいた。
驚いて見上げる彼女の視線を尻目に、カインは小さく微笑む。
「ま、少しずつ慣れていこうぜ。そうすりゃ、お前も成長できるだろう?」
「貴方……」
「そういうこった」
くつくつと笑う彼は、相も変わらず皮肉気で。
自らの滅びを望む壊れた人間。アウルとはまた違った形の、人格破綻者。
あまりにも多くの“死”を喰らい過ぎたが為に、自らが死神と化してしまった人間。
けれど、普段の彼の姿は自分勝手ながらも人間らしく、だからこそウルカやミラは混乱してしまう。
果たしてどれが、彼の本当の姿なのか、と。
人のようで、化け物のようで、それでも彼は笑っていて。
彼が何を思いそこに立つのかは、二人にはまるで想像の出来ない事であった。
返答する言葉を失い、けれど彼を一人で行かせる訳にもいかず、ミラとウルカはその背中を追う。
仲間であるというその言葉、それは紛れもない事実なのだから。
二人は発する言葉を見出せないままに彼の背中を追い、外へと向かう道を歩いてゆく。
来る時にきた道を正確に辿り、大きな階段を下りて――
「――少しよろしいでしょうか、聖女ミラ」
「はい? ……っ、猊下!?」
「あん?」
ふとかけられた声に振り返ったミラは、そこにあった姿に目を剥いていた。
階段の上に立っていたのは、緋色の法衣を纏った一人の女性。
豪奢なそれに加えて、同じく赤みの掛かったヴェールに顔の上半分を隠した人物。
その姿に、ミラは咄嗟に跪いていた。そして、隣に立ったまま怪訝そうな表情を浮かべている二人の手を引き、無理矢理跪かせようとする。
「貴方たちもこうしなさい! どなたの前だと思っているの!」
「いや、知らんけどな。まあ、さっきの言葉を聞けば大体分かるが」
「って言うか、さっきはジュピター様の前で普通の態度だったような――」
「あの方は普通の態度じゃないとむしろ機嫌が悪くなるのよ……!」
「構いませんよ、聖女ミラ。ここは公の場ではないのです。それに彼らも、私に下げる頭など持っていないでしょう」
覗いている口元に小さな笑みを浮かべ、女性はそう口にする。
その姿に、カインは小さく目を細めていた。
人間における最大の魔力を持つ者。真紅を纏う者。いと高き輝きの主。正印教会総てを統べる者。上位神霊アポルローンの契約者。
彼女を呼ぶ言葉はいくつも存在している。
決して一般の前には姿を見せることのない、彼女の名は――
「女教皇、レウクティア・ネクタル・イリアンソス」
「あら、私の事ご存知でしたか、下層の戦士よ」
「直接目にするのは初めてだが、その姿を目にすれば想像はつく。緋色の聖女」
「あまり表舞台では働いていないのですけれどもね」
カインの遠慮のない物言いに、しかし彼女――レウクティアは特に気にする様子もなく口元を笑みに歪ませる。
尤も、彼女の付き人と思わしき後ろに控えている人物は、カインに対して嫌悪感も露な表情を浮かべていたが。
器の大きさの違いか、と苦笑して、カインは肩を竦めながら声を上げる。
「尤も――あんたが本物かどうかは知らんがな」
「あら……面白い方ですね。流石はジュピター様の認めた人物ですか」
果たして、目の前にいる教皇が影武者ではなく本物なのかどうか。
それは、実物を目にした事のないカインには分からぬ事だ。
目の前にいる人物が持っている魔力も、魂の強度も上位神霊と契約を結ぶには十分なもの。
しかし、それだけで本物であると断定できるほど、カインはこの人物を知っている訳ではなかった。
少なくとも言える事は――
(……曲者だな、コイツは)
人を見る視点の違うジュピターや、純粋に己の願望のみで動いているリーゼファラスとも違う。
人を知り、人の立場で、人を動かしながら、人を殺す。
この巨大な国家を運営する手腕を持つ、正印教会のトップ。
人間として警戒するならば、間違いなく彼女が最も危険であると、カインは本能的に感じていた。
「そ、それで、教皇猊下。私にどのようなご用件でしょうか」
「ああ、ごめんなさい。聖女ミラ、貴方はこれよりジュピター様の指揮下に入って行動するのでしたね」
「はい、そのように仰せつかっております」
初めこそ戸惑ったものの、ミラはすぐさま気を取り直してそう口にする。
そんな彼女の言葉に、レウクティアは小さく微笑みながら軽く左手を上げた。
それと同時に、控えていた使用人と思わしき人物が手に台を持って階段を下り、ミラたちの方へと接近する。
「それを、下層のお二方に。今後必要となるでしょう」
「これは……猊下、よろしいのですか?」
「構いません。彼らもまた、我らと共に戦ってくれる者なのですから」
そう言って差し出してきたのは、カインとウルカのための通行証であった。
ただの紙ではなくカードのようになっており、魔力によって文字が浮かび上がる正式なものだ。
ただの通行手形では信じて貰えない可能性を考えていたミラとしては渡りに船であったが、流石にこの都合の良さには疑問を覚えていた。
しかし彼女の考えなど読みきれる筈も無いと、ミラは軽く首を振る。
「ありがたく頂戴いたします」
「はい。あなた方の活躍を期待しておりますよ」
それだけ口にして小さく微笑むと、レウクティアは踵を返して通路の奥へと姿を消していった。
それを見送り、ミラの受け取ったカードをひょいと手にしながら、カインは小さく呟く。
「食えない女だな。成程、祭り上げられるだけはある」
「……期待はしていなかったけど、無礼を働くぐらいならせめて黙っていなさい、貴方は」
もう一枚のカードをウルカに手渡し、ミラはカインの方に半眼を向ける。
しかし、銀色のカードを手に持つ彼は、全くと言っていいほど気にした様子も無かったが。
それの銀色を目にして、ミラは小さく目を細める。
(恐らく、ジュピター様と教皇猊下の独断……枢機卿の方々には意見を求めていないのでしょうね。尤も、ジュピター様の指揮下は特権階級なのだから口出しも出来ないでしょうけれど)
何かが大きく動きつつある。
それを感じ取って、ミラはじっとカインの背中を見つめ続けていた。