21:拝謁を終えて
来た時と同じ道を辿り、円卓の間へ。
その場で待っていた三人は扉が開いた事に気付き一斉に視線を向け、そして一様に首を傾げていた。
戻ってきた三人の様子が、普段とは全く異なっていたからだ。
「ふぅ……肩が凝っていかんの。しっかり力抑えていてくださったようじゃが……」
「ジュピター様、あれこそが女神様と魔王様でしょう。我々に課して頂いている試練と考えれば、どうと言う事はない筈です」
「お主の女神狂いは相変わらずじゃのう、リーゼファラスよ」
やれやれと溜息を吐きながら席へと腰を下ろすジュピターと、その隣に立つリーゼファラス。
彼女たちの姿をちらりと一瞥したカインは、口元に小さな笑みを浮かべて元いた正面の席へと戻っていった。
口数が少なく、何かを考えているようなカイン。どこか陶酔した表情で、頬を赤らめているリーゼファラス。そして、疲れた表情で肩を回しているジュピター。
拝謁の場で一体何があったのか、ミラ達がそれを気にしてしまうのも無理からぬ事であっただろう。
「疲れた事は疲れたが……まあ仕方あるまい。あれでも、我等に合わせて力を抑えてくださったのじゃろうからな」
「……俺は指一本動かせなかったんだがな」
「それはそこな侍女も同じじゃったよ。当然と言えば当然じゃ、精々のところ回帰しか操れん身で何を言うておる。ああやって笑い声を上げられただけ、儂としては驚いておるのじゃがな」
肩を竦め、ジュピターはそう口にする。
神霊契約と違い、強い魂を持つ者が強い力を持っているとも限らない。
力を持ち、更に強い魂を持っているものは非常に貴重なのだ。
彼の魔王と女神の眼前と言う場所は、普通の人間が立てばそれだけで魂すら残さず芥子粒になって消滅するような所だ。
それを、未だ完全に育ちきっているとは言いがたい力の状態で、ああも強い意識を保っていられたのは、ジュピターとしても驚くべき事だったのだ。
そしてミラたちにとって見れば、カインが指一本動かせなかったと言う事実それ自体が驚愕するべき事であった。
カインが力を使い、あの死神の姿を顕現させたとき、動けなくなったのは自分たちの方であったからだ。
またアウルも同じ力を持つ者であったが、かつて拝謁を受けたとき、彼女は二柱の圧力に耐え切れず気を失ってしまっていたのだ。
あの重圧の中で、例え動けなかったとしても意識を保てていたと言う事に、彼女は驚きを感じていた。
「まあ、よい。それでお主、あの方々の言葉は覚えておろうな」
「ああ。つってもあの迂遠な言い回しの細部まで覚えてるわけじゃねぇぞ? 大まかなところについては、理解は出来ていないが実感できている」
「ふむ、まあそれでもよいじゃろう。特に問題はあるまい」
カインの返答に対し、ジュピターは頷く。
元より、あの言葉の全てを記憶できているとは考えていなかった。
「で、だ。天空神さんよ。実際に目の当たりにした俺はそれなりに理解できたが、こいつらへの説明はどうするんだ?」
「そうじゃな……ここまで連れてきたのじゃし、多少は説明する。とは言え、もう大半の部分は話したのじゃがな」
言って、ジュピターはその視線をミラとウルカへと向ける。
拝謁の資格を持たぬ者――正確に言えば、拝謁に耐えられるだけの魂を持っていない者。
上位神霊との契約者はそれ相応に強い魂を持っているが、それでも足りない。
かの力、神々より零れ落ちた欠片によって補強されていなければ、魔王と女神の姿を目にする事すら叶わない。
そも、力を持たない以上、彼らの前に立った所で意味は無いのだが。
「ミラ、そしてヴァルカンの契約者よ。先ほども話した通り、拝謁とは儂らの上に立つ存在と面会する事じゃ。その領域は、儂らの本体が座す場所よりも遥か上。そしてお主らではそれに耐える事はできんからこそ、拝謁は選ばれた者にしか叶わん。それは理解できたな?」
「……は、はい」
「正直、想像も出来ないですけど……とりあえず、言葉の上では」
「それでも良い。元より、あの方々を言語化する事など不可能じゃ。あまりにも強大すぎる。それこそ、『魔王』と『女神』以外の形容など不可能じゃろうよ」
肩を竦めるジュピターに、ミラとウルカは曖昧に頷く。
二人にしてみれば、ジュピターですら遥か雲の上の存在なのだ。
実際に目にしてもいないのに、そんな存在を理解しろと言う方が無理な話である。
「さて、では話を元に戻すとしよう。儂らの持つ力の事じゃ」
欠片と――そう呼ばれていた、彼女たちの力。
神より零れ落ちた力の破片。上位神霊が持つ、力の証。
それは、即ち――
「人を、上位神霊へと至らしめる力、か」
「然り。儂らも元は人間じゃよ。とは言え、遥か昔の話じゃがな」
正印教会の崇める最高神が、かつて人間であった。
その言葉は、ミラとしては何とも言いがたい言葉であった。
本人からその話を聞かされたとして、果たしてどれだけの信者がそれを信じる事が出来るだろうか。
そしてミラは同時に疑問を抱く。
「ジュピター様、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「ふむ、申してみよ」
「ジュピター様は、上位神霊はかつて人間であったと仰いました。ならば、その他の神霊とは一体――」
神霊の数は多い。上位神霊以外にも、多くの神霊が存在している。
しかし、その頂点に立つ者たちが人間であったとするならば、その配下である神霊たちは一体なんだと言うのか。
そんなミラの疑問に対し、ジュピターは軽く肩を竦める。
「モノは様々じゃが……主に精霊種、或いは力ある魔物か。稀に過去の英雄の霊であったりもするがの。とにかく、比較的人間に対して友好的な種か、或いは契約を用いて魔力を得ようとしている者共じゃよ」
それは決して神に名を連ねるようなものではないと、ジュピターは当然の如くそう口にする。
それに対し、ミラはこれ以上ないほどの衝撃を覚えていた。
自分たちが崇めていたものが、魔物に近しい存在であったと言う事に。
そして、それと同時に理解していた。リーゼファラスが何故、契約者という人種を好いていないのか。
「真なる神というものも知らず、それどころか小ざかしく魔力を喰らう有象無象共ですね」
「あの方々を知っておれと言うのが無茶な話じゃよ。そも、精霊種は《霊王》閣下の配下でもある。あまり悪し様に言うべきではない」
「失礼しました」
ジュピターの言葉に、リーゼファラスは頭を下げる。
しかし、その謝罪が本心からのものでない事は容易に想像できた。
その様子を片目で見据えながら、カインは発生した疑問を口にする。
「その《霊王》ってのは?」
「魔王様と女神様の側近じゃよ。まあ、あの方はこちらの世界に興味などは抱いておらぬからな、会う事はないじゃろう。ともあれ、儂らの存在と言うものは理解できたな?」
ジュピターの言葉に、カインは頷く。そして複雑そうな表情ながら、ミラやウルカもそれに続いた。
力を持つ者と、その行き着く先。何故カインが神霊契約とは異なる力を持つのか、その力があれほどに強大な理由は何なのか。
少なくとも、それに対する解答を得る事は出来たのだ。
一応の知りたかった事柄については答えを知る事が出来、複雑ながらもミラは納得する。
しかしカインにとっては、話はここからが本番であった。
「では、ここからはお主の力の話じゃ、カインよ」
「確か、思いによって力は形を変えるんだったか?」
「然り。そしてお主の場合、魔王様と女神様は少々変わった事を仰っておったな」
カインは軽く目を細め、あの時の言葉を思い返す。
死を願う者、死を拒む者、死を想う者――理解は及ばなかった。
相応しい死に場所を求めるが故に歩き続けているはずなのに、死を拒むとはどういった意味なのか。
死を拒む理由など、カインには存在しないはずなのに。
「儂はお主の詳しい来歴は知らぬし、その中でどのような思いを抱いてきたのかも知らぬ。じゃが、お主の力の形は少々奇妙じゃ。もしもお主が死を望んでいるのであれば、『死なない能力』などに目覚めるはずが無いのじゃよ」
その言葉に、カインは沈黙する。
力に関する知識はジュピターの方が遥かに上であり、そして彼の魔王と女神が嘘を吐く理由も存在しない。
不透明な己自身の事に対し、カインは眉根を寄せる。
「だが、俺が死に場所を求めているのは事実だぞ」
「儂もそれは疑っておらんよ。事実、女神様もそれを口にしておった。お主が破滅願望を抱いているのは確かじゃ」
ジュピターも女神の言葉を一切疑う事無く、頷きながらそう口にする。
ならば、その矛盾は一体どういった仕組みであると言うのか。
その真実は、それを見抜いた二柱にしか分からない事であろう。少なくとも、今は。
「二つの異なる、それも矛盾した願いを掲げる事が出来るのか。儂にもそれは分からんし、お主の中身がどうなっているのかも知らん。何か、心当たりは無いのか?」
「さてな……正直、昔の事は記憶が曖昧なんだよ」
殺し、殺される世界を長く歩き続け、擦り切れてしまったかつての記憶。
その中に真実があると言うのであれば、それは現在のカインには知りえぬ事だ。
「悠長にしているつもりもないが……過去の記憶か、面倒だな」
「記憶を取り戻す方法と言うものは、何か思いつかないのですか?」
「方法ねぇ。まあ、テッサリアの生まれである事ぐらいは覚えてるからな、あそこに行けば何かあるかもな」
「テッサリアって……既に滅んでる都市じゃないですか」
リーゼファラスの発した言葉に、肩を竦めながらカインは答える。
その返答に対して眉根を寄せながら発されたウルカの言葉に、彼は小さく苦笑を零していた。
北東の都市、テッサリア。そこはかつて、東都コーカサスより押し寄せた魔物により壊滅してしまった場所だ。
現在は魔物の密度が増した事により大規模な《奈落の渦》が開き、完全なる魔都と化してしまっている。
その言葉に、ジュピターは口元に手を当てて思案する。
「ふむ……どちらにしろ、いずれ滅ぼさねばならん《渦》じゃったしの。ちょうど良いと言えばちょうど良いか」
「何だと?」
「お主らの話じゃよ。この場にいる五人……儂の私兵として働かぬか?」
発せられたその言葉によってジュピターに集まったのは、いくつか種類のある視線であった。
驚愕、困惑、興味――様々あれど、言葉を求めているものに変わりはない。
それら全てを受け止めて、天空の神霊は小さく笑みを浮かべる。
「元々はリーゼファラスのみに任せておった仕事じゃがの。しかし、お主を育てると言う意味でも、次の教会を担う世代を育てると言う意味でも、有用な事じゃと思うてな」
「成程、俺はアンタの仕事を請けて強くなり、あんたは利を得ると」
「利は全員にある。悪い話ではないじゃろう」
ジュピターの私兵、即ち教皇の指揮下からも外れた『最強の聖女』と同じ立場。
それに就く事は、この場にいる全員にとって利のある話であった。
カインの力を得るという目的も、リーゼファラスやアウルの《奈落の渦》を潰すという目的も、ミラやウルカの成長して力を周囲に示すという目的も、全てが達せられる。
「しかしジュピター様、私やリーゼファラスがそう同時にオリュークスを離れる訳には……」
「分かっておるよ。その為に、儂も契約者を増やすつもりじゃ。流石に、選り好みをしていられる状態ではなくなってきているようじゃしな」
「ジュピター様、かと言ってつまらぬ人間を選ぶ事は――」
「分かっておる。儂もある程度目を付けていた者はおるのじゃ、そう心配するでない」
リーゼファラスの言葉に、ジュピターは肩を竦めてそう答える。
ジュピターの名と力はそれだけ大きいものであり、あまり易々とその契約を結ぶ訳には行かないのだ。
現在でも、ジュピターと契約を交わしている人間は、全世界でも両手で数えられる程度しか存在しない。
それを無理に増やしてでもこの五人を運用する価値があると、ジュピターはそう言っているのだ。
「『ケラウノス』の称号がお主から動く事はないじゃろう。儂の知る限り、お主は最高の資質を持っておる。それよりも儂は、お主たち五人を優先したい。良いかの?」
「ふぅ……ま、俺はいいぜ。目的には合致している」
「ジュピター様がそう仰るのであれば……」
「確かに、僕にとっても都合のいい話です。受けさせて貰います」
リーゼファラスは元の立場から変わらず、彼ら三人の事は気に入っているため特に口を出す事はない。
アウルに至っては、リーゼファラスの決定に逆らう気など毛頭なかった。
そうして全員の了承を得て、ジュピターはにやりと笑う。
「良い、実に良いぞ。報酬は弾もう。お主らは儂の『特別』じゃ」
「ああ、金がきっちり払ってくれよ。俺も傭兵だからな」
「くはは! 期待するが良いぞ」
大笑する幼女の姿に肩を竦め、しかしカインは小さく笑みを浮かべる。
現在の彼の興味は、全てリーゼファラスに集約されているのだ。
彼女に近付く手段があるのならば、どのような状況にでも飛び込んでゆくだろう。
元より、命など惜しくないのだから。
「では、此度は解散にするとしよう。用があれば使いを出す。出歩く事は構わんが、あまり長期で外には行かぬように頼むぞ」
パンパンと手を叩き、ジュピターは解散を促す。
深く礼をして去ってゆくウルカやそれに付き添うミラと共に部屋を出ようとして――カインはふと思い出し、振り返って声を上げた。
「一つ聞き忘れていた」
「ふむ、何じゃ?」
カインが思い起こすのは先ほど彼女が口にしていた言葉。
意味を知らず、だがどこかで聞いた覚えのあるそれ。
それがどうしても、胸の内に引っかかっていたのだ。
「回帰ってのは、一体何だ?」
「ん? 何じゃお主、自分で使っていて自覚がなかったのか。やはり変わっておるのう」
対するジュピターは、どこか怪訝そうに眉根を寄せてそう答える。
事実、彼女は驚いていたのだ。本来、それを使いこなしている者は、自然とその名を知る筈であったから。
「己の願いを力に反映させ、自らの価値観を貫く事を決めた者に現れる力。力を原型の出力まで回帰させて操る位階。お主は既にそれを使っておったじゃろう。例の大鎌然り、そしてその不死の身も然り、じゃ」
無限に再生し続けるその身と、黒い刃が絡み合って出来た歪な大鎌。
それが回帰と呼ばれる力であると、ジュピターはそう口にする。
カイン自身に実感はなかったが、言われれば確かにしっくり来る言葉であると、そう感じていた。
納得したカインは礼もそこそこに踵を返そうとして――その背中に、声が届く。
「そして、その上の位階」
「――――!」
ぴたりと、カインの足が止まる。
そこへとかけられるジュピターの声音は、やはりどこか笑っている様で。
「己が願いで力を歪め、自らの理を創り上げた者。超越者。その位階を、超越と呼ぶ」
「超越……」
「お主がもしもリーゼファラスと戦いたいと願うならば、そこに辿り着く事じゃな。期待しておるぞ、若人よ」
そんな彼女の激励とも呼べる言葉に――カインは、不敵な笑みを浮かべていたのだった。