19:力の真実
「貴方は、少しは、自重、しなさい!」
「つってもなぁ……勝手に突っかかってきたのはあの連中だろうよ」
「ああなる事を予測していたくせに何を言っているのかしらね、本当に!」
苛立ちと共に文句を吐き出し、ミラは深々と嘆息する。
オリュークスの上層、その頂点に聳え立つ白亜の大神殿。
それこそが正印教会の本拠地であり、上位神霊ジュピターが降臨して今も尚存在している場所であった。
ただ上層に入ってくるだけならば、下層の人間にも可能だ。
警備が厳しいため治安も良く、後ろ暗い人間ならばわざわざ入ってこようとは思わないのだから。
しかし、大神殿ともなれば警備のレベルは格段に上がってしまうのだ。
「確かに、ただ近付いてきただけでいきなり武器を抜いた門番連中にも非はあるけど、いくらなんでも彼女たちを責めるのは酷というものじゃないかしら?」
「いや、ええと……済みませんカインさん。流石に否定できません」
「おいおい、お前は味方だと思ってたんだがな、小僧」
くつくつと笑いながら、カインはそう口にする。
その冗談めかした口調からも、彼が最初から分かっていてそうしたと言う事実が伺えるだろう。
カインが大神殿の門に近付いたとき、そこを護っていた二人の兵士は、武器を抜いて彼に誰何の声を発していたのだ。
いくら何でも近付いただけで武器を向けられるいわれは無い、と言うのがカインの弁であったが――生憎と、それも無理からぬ事であろう。
何故なら――
「この領域は下層の人間の立ち入りを禁止していると言うのもそうだけど……」
「……カインさん、見た目があまりにも不審者じゃないですか。怪しまれるのも無理はないですってば」
「ひでぇ言い草だなぁ」
袖口や裾の部分がボロボロになった黒いコート。
手入れのされていない黒髪は長く、乱れ方によっては顔が半分近く隠れるほどだ。
おまけに見るからに武器を携帯していると言う事が分かる出で立ちである。警戒されない方がおかしいだろう。
むしろ、いきなり斬りかかられなかっただけ幸運であったとも言える。主に、武器を向けた側がであるが。
その後、こうして大神殿の中をミラに連れられて歩いている間にも、擦れ違う者に時折ぎょっとした視線を向けられているのだ。
ミラの苦労が偲ばれる、と言ったところであろう。
カインに視線が集中するために、下層の出で立ちでありながらあまり目立たないウルカは、小さく嘆息を零していた。
「……それにしても、神殿って言うから教会のような場所をイメージしていたんですけど」
「ええ、実際に大聖堂も存在しているわ。けれど、ここはどちらかと言えば政を司る場所なのよ」
ウルカが発した疑問の声に、ミラは周囲を見渡しながらそう口にする。
彼女は現在、あまり人と擦れ違わないようにする事を心がけているところであった。
誰かと会えば、その度にカインの事を聞かれて説明しなくてはならなくなるのだ。
とりあえず、現在の長い廊下に人の姿は無い。その為、気付かれぬように安堵してからミラは声を上げた。
「聖地としての扱いもされているけれど、この国は大きいから。政治を行うための部分は、それなりに多く取られているのよ」
「僕には、縁の遠い話ですね」
「貴方ほどの実力があれば、時間さえ掛ければ関われるようになれてしまうかもしれないけれどね」
肩を竦めるウルカに、ミラは僅かに苦笑の混じった声を上げる。
契約主義であるこの国は、同時に実力主義であるとも言えるのだ。
上位神霊との契約者は非常に貴重であり、もしもウルカにその気さえあれば、のし上がる事も不可能ではない。
無論の事、彼が望むのなら、であるが。
(いえ……下手をすれば、彼が望まなくてもそうなる可能性はあるけれど)
しかしながら、ミラはそれをさせようとは思わなかった。
彼女は、ウルカの思いを聞いたのだ。深い理由までは聞かなかったが、彼は確かに上層を嫌っていた。
何か、恨みを持つような出来事があったのだと、ミラはそう推測している。
けれど彼は、決して復讐しようとは考えていなかったのだ。
見返してやりたい、認めさせたい、そう思ってはいたものの、復讐という事までは決して考えていない。
他者を傷つけるあり方を善しとせず、けれど自分自身の意志を強く持った人間。
そんな少年だからこそ、ミラは応援したいと思ったのだ。
(彼の力を狙って近付くものがいれば排除する。認めさせたいと言うならば、下層の人間でなくては意味が無いのだからね)
あくまでも下層の人間として手柄を上げる。それが、ウルカの望みだ。
だとするならば、彼の力を上層の一部として使う訳には行かないだろう。
あくまで、下層の人間として協力する形でなくてはならないのだ。
――そこまで考えて、ミラははたと気づいた。
(……どうして私、彼にここまで協力しようと考えているのかしら?)
力強く、誇り高い。他人の力を必要とはせず、けれど他人という存在を無視もしない。
人の中に在り、人の上に立つ者。ミラ・ロズィーア=ケラウノスとはそう言った存在だ。
特定の他者にそこまで入れ込んだことなど、ただの一度としてなかったというのに。
(……あの戦いは、やはり私に影響を及ぼしているのかしら)
様々な価値観を破壊された先日の戦い。
リーゼファラスの力や、今傍にいる黒衣の死神の力。そういったものを共に目の当たりにした仲間だからこそ、特別に感じているのだろうか。
或いは、昔の自分を見ているような気分なのか――様々な思いが、ミラの脳裏を駆け巡る。
けれど、あまり長く考え込んでいる時間はないようであった。
「ミラ様、そろそろ――」
「ええ、そうね」
目的の場所が近付いてきている。
その事を把握して、ミラは小さく息を吐き出して頭の中を切り替えてから、一度振り返ってカインたちへと声をかけた。
「そろそろ、ジュピター様がお待ちしている部屋に着くわ。無礼を働くななんて言っても無駄だとは思うけど、少なくとも妙な真似だけはしないで頂戴」
「ああ。こっちも用事があってきてるんだしな。追い出されるような真似はしねぇよ」
「……僕はこの人ほどの余裕はありません」
「まあ、それもそうよね……よし、いいわ。行きましょう」
この教会全てに狙われるようになったとして――果たして、カインを仕留める事が出来るだろうか。
一瞬だけそんな事を考えて、ミラは胸中でため息を零す。
この男を倒せるものなど、主であるジュピターの他にはリーゼファラスしか思い浮かばなかったのだ。
ともあれ、妙な事をしないというのであればそれを信じようと考え、ミラは顔を上げる。
再び正面を向いた視線の先――そこにあるのは、重厚な扉だ。
「付いて来なさい」
そこは、入ることを許された者にしかあける事の叶わない、神霊ジュピターの住まう場所へと続く扉。
その数は即ち、枢機卿以上の地位を持つ者の数とほぼ変わらない。
例外となるのはその契約者であるミラと、傍に立つ事を許された『最強の聖女』のみ。
その扉の前に立ち――ミラは、声を張り上げる。
「ジュピター様、『拝謁』の資格を持つ者と神霊ヴァルカンの契約者を連れて来ました」
『うむ、入るが良い』
その言葉と共に、扉は独りでに開いていた。
否、この扉は、部屋の主にしか開ける事は叶わないのだ。
彼女の許可なしに部屋に入り込めるものは存在せず、故にこそ彼女は何者にも触れえぬ存在としてあり続ける。
扉の奥にあったのは、それなりの広さを持つ豪奢な部屋であった。
私室はこの部屋の隣であり、この場はあくまでも彼女が他者と会話をするためのもの。
故に、余計なものなど存在しない。あるのはただ、巨大な円卓のみ。
――十二の席の最奥で、金色の髪を揺らして深紅の瞳が笑みに歪む――
「良くぞ参った、資格を持つ者よ。儂の名はジュピター……全ての神霊を統べる者じゃ」
「……ガキの姿だとは聞いてたが、随分と雰囲気がある事だな」
「くかか! 威勢のいい小童じゃ、見所がありそうじゃのう、リーゼファラス?」
「はい、ジュピター様」
圧倒的な力の本流。それは、あまりにも巨大すぎて、ミラやウルカには感じ取る事すらできないものであった。
そう、それどころかアウルにさえも。けれど、カインは確かにそれを感じ取る。
己とは明らかに違う力の質、そして桁。膨大なそれを辛うじて感じ取り、カインは思わず息を飲んでいた。
その力は、以前感じ取ったリーゼファラスのそれすらも凌駕する、凄まじいまでの力――
「成程、確かに足を踏み入れかけておるようじゃな」
「な、に……?」
「座るが良い。立ち話もなんじゃ。お主は聞きに来たのじゃろう。お主に宿る、力の事を。円卓も形ばかりのものじゃ、気にせずとも良いぞ」
不敵な笑みを消さぬまま、ジュピターはそう口にする。
その言葉に、思わず気圧されていた事を自覚しながらも、カインは目の前にあった席に腰を下ろした。
場所は、ジュピターの真正面。その巨大な力を前にあえて逃げるような真似はせず、カインは真っ直ぐと深紅の瞳を見つめ返す。
そんな彼の視線に、ジュピターは満足げな笑みを浮かべた。
「さて、小童。儂がお主を呼びつけた理由、理解しておろうな?」
「『拝謁』、とやらだったか? まあ正直、そちらには対して興味ないがな。俺が気にしているのは力の事だ」
「うむ、その通りじゃな。しかし、それはどちらも切っても切れぬ関係にあるのじゃよ。故に、真に力を理解したいのであれば、拝謁を受ける他ないぞ?」
「ああ、別に構わねぇさ。拒む理由も無い」
肩を竦め、カインはそう口にする。
未知の事象に対する警戒心は確かに存在していたが、元より“死”と言うものが遥かに遠い身だ。
自身に対して及ぶかもしれない危険をあえて躱そうとも思わない、それがカインという男であった。
そんな彼を一瞥し、そしてその脇に座ったミラやウルカに視線を向け、ジュピターは軽く微笑む。
「とは言え、お主らも多少気になっておるようじゃしな。お主らは拝謁を受けられぬのじゃし、多少は説明しておくとしよう」
「よろしいのですか、ジュピター様?」
「よいのじゃ、ミラよ。せめて拝謁の正体程度は、教えておかねば納得出来んじゃろう?」
くつくつと笑い、ジュピターはそんな言葉を口にする。
そしてそれを否定する事も出来ず、ミラは沈黙を返していた。
ウルカもまた、気にならないと言えば嘘になるだろう。
この少年もまた、カインの持つ力を目の当たりにしていたのだから。
ジュピターは一度周囲を見渡し、そして改めて声を上げる。
「まず、小童。お主の持つものと同種の力を持つ者、それがこの場に何人おるか分かるか?」
「俺を含め、四人」
「然様。儂、リーゼファラス、そこな侍女、そしてお主じゃ」
順に視線を向けながら発せられた言葉に、カインは小さく頷いた。
それに関しては理解しているのだ。最近までそんな存在と出会うことがなかったからこそ、その違いは際立っていた。
感じる、魔力以外の力。リーゼファラスやジュピターのそれは、あまりにも強大であるが故に分かりづらかったが。
「儂の持つ《雷霆》、侍女の持つ《分断》……そして、リーゼファラスの持つ《拒絶》。そしてお主の物は、お主自身が知っておる筈じゃ。お主ほどの力があれば、自ずと理解出来る筈じゃからの」
「俺の力は……」
ジュピターの言葉を受け、カインの脳裏に蘇るのは一つの声。
“死”を纏め上げた大鎌を顕現させる時、僅かに響く懐かしさを覚える声。
それは、確かに――
「……《永劫》」
「成程、道理で強い力を持つ訳じゃ。リーゼファラスに手傷を負わせたと聞いて気になっておったが……確かに、不可能ではないじゃろうな」
納得した表情で、ジュピターは笑う。
しかし、その言葉はミラやウルカには理解できないものであった。
当然と言えば当然だろう。それは、力を持つ者にしか知りえぬ感覚であったからだ。
故に、ジュピターは改めて声を上げる。
「さて、儂は力を持っておると言った。この貴重な力を、神霊の主たるこのジュピターが。お主らは、これを偶然じゃと思うか?」
指先に小さな雷を発生させたその姿に、思わず目を見開いたのはミラであった。
今彼女の主は、その雷の力を例の力であると口にした。
そしてその力は――確かに、契約によって受け渡される力であったのだ。
魔力を捧げる事によって貸し与えられる力。その正体が拝謁の資格たる力であるというならば。
「……神霊そのものが持つ力、なのですか?」
「聡いのう、ミラよ。しかし、少し違う。これは上位神霊のみが持つ力じゃ。正確に言えば――その力を持っていたからこそ、儂らは上位神霊と呼ばれる存在にまで至った」
ジュピターの言葉に、ミラは今度こそ絶句していた。
その力を持つが故に上位神霊に至ったと言うのであれば――
「そう、即ちお主は上位神霊の卵という訳じゃ。お主も、リーゼファラスも、その侍女も……儂らの領域へと辿り着く可能性を持った選ばれし者。故に、それこそが拝謁の資格なのじゃよ」
沈黙が降りる。
とてもではないが理解しがたい言葉であり、そして同時に納得できてしまう言葉でもあったからだ。
それだけの力があれば、あんな事も可能なのではないか、と。
「欠片と、儂らはそう呼んでおる。神より零れ落ちた力の破片。持つ者をいずれ人間以上の存在に昇華させるかも知れぬ強大な力」
「それが、俺の力って訳か」
「お主の力の詳細までは儂も知らん。この力は、持つ者の思いによって大きく性質を変化させる。お主がどのような思いで力を変化させたか、儂には分からんからな」
「おい、それじゃあ――」
「まあ待て、小童。その為の拝謁なのじゃよ、分かるか?」
理解できないのであれば意味が無いと、そう口にしようとしたカインの言葉を遮って、ジュピターはそう告げる。
その言葉に口を閉ざしながら、カインは一つの事を考えていた。
この国で――下手をすればこの世界の頂点に立つ存在であるジュピター。
しかし『拝謁』とは、彼女と面会する事ではなかった。
――ならば、一体何と。
「さて、良い時間じゃ。付いて来るがよい、小童」
「……どこへ、行くつもりだ?」
「決まっておる――」
席を立ったジュピターは、薄く笑う。
その表情は、余裕のあった今までとは違い、どこか強張っているようにも感じられるもので――
「上位神霊、そう呼ばれる超越の理を宿す者……それら全ての王であり、真に神と呼べる我らが主」
――発せられた台詞に、誰もが言葉を失っていた。
「――白銀の魔王と黄金の女神、螺旋を描く神威の王の許へ、じゃ」