18:神殿へ向かい
「ま、話は一応あの女から聞いてはいたぜ」
カインの一言により家の中に招き入れられ、適当に席を用意したところで、彼はそう話を切り出していた。
お茶の一つでもないのか、とつい思ってしまうのは、ミラがこれまで受けてきた待遇の良さゆえであったが――
(まあ、彼女には相当嫌われているようだし、無理かしらね。出てきたとしても思惑がありそうだし。けど、それにしても――)
一応ながら席を用意してくれたカインに、ミラは若干ながら驚きの感情を覚えていた。
彼女にとってのカインの印象は、非常識で傲慢で、傍若無人な死神だったのだから。
こうして落ち着いて話をする機会を得られるとは、露ほども思っていなかった。
そんな考えを頭の片隅に追いやりつつ、ミラは声を上げる。
「貴方は、『拝謁』が何なのかを知っているの?」
「いや、そっちに関してはさっぱりだな。俺が聞いたのは、俺の力に関する事だけだ」
「……あの、黒い刃の」
「ああ」
頷き、カインは手を掲げた。
そしてその瞬間、彼の掌を突き破って、一振りのファルクスが姿を現す。
その異様な光景に思わず出かかった悲鳴を何とか飲み込んで、ミラはその刃をじっくりと眺めた。
漆黒の、一つの金属を削りだして出来たかのような剣。それからは、そこまで強くはないものの、あの大鎌と同じ気配を感じ取る事ができる。
“死”の塊であったあの大鎌。ならば、この刃もその一部であるという事なのか。
あの時の異様な光景と恐怖を思い起こしかけて――ミラは、ウルカの上げた声に我に返っていた。
「えっと、その力の事は……」
「ああ。そこのメイドから多少は聞いた。詳しい事までは知らんがな……それに関しちゃ、招聘を受ければ多少は分かるんだろう?」
「はい、その通りですカイン様」
戦の後の夜、あの時は分からないと言っていたそれについてウルカが尋ねれば、カインは肩を竦めて横目にアウルを示す。
名を呼ばれたメイドは、どこか嬉しそうに頷きながら微笑んでいた。
そんな彼女の態度に小さく笑いを零し、カインはひらひらと刃を振りながら声を上げる。
「魔力とも、契約とも異なる第三の力。完全に先天的な力であり、使い手の精神に深く根ざしている」
「……知る限りの使い手は、貴方とリーゼファラスと、そこのメイドだったかしら」
「ああ、その通りだ。いかに精神への影響をきたしているか、分かり易いだろう?」
くつくつと、カインは笑う。
使い手の三人は、他者とは異なった異様な価値観を抱いている。
力があるが故なのか、或いは、それがあるからこそ力を操る事ができるのか。
それは、カインにもアウルにも分からない。
唯一つ、実感を持って言える事は――
「この力は、俺達自身の在り方に影響されているようにも思える」
「在り方、とは?」
「願い、と言い換えてもいいかもしれんがな。俺は、俺に相応しい“死”を見つけるために、この力によって何度でも生き返っている。アウルは、己が願望を満たすために斬り裂く力は何よりも都合がいい。リーゼファラスは――まあ、あいつの事は流石に知らんが」
カインのその言葉を、ミラは視線を細めながら反芻させていた。
願いに影響される力。だとするならば、リーゼファラスの力とは一体何なのか。
そもそも、彼女の願いとは一体何なのか――そんな事を考えていたために、気付かなかった。
アウルが、目を細めて小さく呟いていた言葉を。
「――気付いていらっしゃらないんですね。ご自分の、矛盾に」
結果としてその声は誰にも届かず、気付かないままに話は続いた。
「まあとにかく……この力を持ってる事がその『拝謁』とやらの資格であるとするならば、だ」
「最初から才能を持っていなければ受ける事は出来ない、という事ね」
「お前らに取っちゃ、気の毒な話かもしれんがな」
「そう、ね……けれど、それならば諦めもつくというものでしょう。中途半端に希望がある方が困りものだわ」
「そういうもんかね」
肩を竦めるミラの姿に、カインは頬杖を付きながらそう告げる。
どの道、その『拝謁』云々に関しては、あまり興味などは持っていなかったのだ。
現状、カインの興味は全てリーゼファラスへと――正確に言うならば彼女の力へと向けられており、その全力を引きずり出す方法を模索しているような状態だ。
そのために己が力を理解する必要があると、彼はそう考えていた。
「ま、何だっていいが……お前らは、そのお迎えって事だろう。『拝謁』が何かは知らないが、あの女の力に近づけるのであれば、何だってしてやるぜ?」
「はぁ……貴方は分かりやすいのだか分かりづらいのだか、どっちかにして欲しいわね」
カインの言葉に、ミラは小さく嘆息を零す。
ともあれ、それが目的だったのだ。それならば、彼の言葉は渡りに船であるとも言える。
未だにこの死神に対する恐怖心を完全に拭う事は出来ていないが――それでも、ミラは彼の瞳を真っ直ぐと見つめて、声を上げる。
「カイン、貴方を我が正印教会の大神殿に招待するわ。我が主、神霊ジュピター様の声を聞き、『拝謁』を受けなさい」
「了解したよ、お姫様」
笑う、笑う、不吉な男。
その身に“死”を纏う戦闘狂の死神は、口元に笑みを浮かべながら立ち上がった。
あの時、敵を射抜いていた紅月の瞳は隠れ、光を通さぬ黒曜石のごとき瞳が、隣で成り行きを見守っていたシーフェへと向けられた。
「つー訳で、行ってくるぜ、シーフェ」
「はぁ……いいけど、そのまま上に居着くとか言わないわよね、アンタ」
「お前にはまだ作って貰わなけりゃならないものがあるんだ。それなのにお前を放り出してちゃ本末転倒だろうがよ」
「そういう意味じゃないっての……はぁ、もういいわ。行って来なさいよ」
「ああ」
カインの言葉に、シーフェは深々と嘆息を零す。
そんな二人を見比べながら、ミラは思わず内心で首を傾げていた。
近しい男性がいなかったためにそういった感情とは無縁ではあったが、ミラにもシーフェの思いは多少察する事が出来る。
直接口に出しこそしないものの、カインという男から男性としての魅力を感じるかと聞かれれば否なのだ。
外見も内面も異常の一言であるこの男に対して、彼女はどこに魅力を感じているのだろうか――そんな疑問が、ミラの中に浮かぶ。
何処からか漆黒のコートを取り出したカインは、それを纏いつつ出入り口の方へと向かう。
案内すらも必要ないと言わんばかりのその態度に、ミラとウルカは一瞬唖然とする。
だがそれを全く気にもせず、シーフェは彼の背中へと声をかけていた。
「カイン」
「あ? どうかしたか?」
その言葉に振り返ったカインへと向けて、銀色の塊が飛ぶ。
顔面へと向かっていったそれは、銀色の魔力銃だ。
片手でそれを受け止めたカインはしげしげとそれを眺めると、視線でシーフェへと問いかける。
対する彼女は、嘆息と共に肩を竦めて声を上げた。
「改良型よ。前の奴は渡してくれる?」
「ああ、了解だ。また頼むぞ」
懐から取り出した銀の銃をシーフェへと投げ返し、カインは後ろ手にひらひらを振って表へと出てゆく。
そのやり取りを眺めた後、ミラたちもまたその背を追ってこの家を後にしたのだった。
* * * * *
「貴方、私の案内無しで大神殿に入れると思っていたの?」
「まあ、何とかなっただろう。あの女の事だ、俺が接近すれば気配ぐらいには気付いただろうしな」
下層の大通り。上層へと向かう広い道を歩みながら、カインはミラの小言を適当に聞き流していた。
そんな彼の態度に、ミラは思わず嘆息を零す。
あの恐ろしい死神とは言え、ここまで何度も言葉を交わしていれば多少は慣れる。
抵抗感もようやく薄れてきていたミラは、隣に並ぶウルカと共にカインとの会話を続けていた。
ちなみに、アウルは一応ミラの後ろに控えている。
「ところで、一つ聞きたかったのだけど――シーフェ、だったわよね。彼女は何者なの?」
「何者、と言われてもな。俺専属のガンスミスだが?」
「ガンスミスなのは分かっているわ。私が聞いているのは、なぜあれほどの腕を持つ者が、下層の奥地に住んでいるのかという事よ」
魔力銃を扱うガンスミスには、それだけ深い知識と、魔力に対する理解がなくてはならない。
つまり彼女は契約者である可能性が高いのだ。
更に、カインの扱う魔力銃は、上層の製作しているものと比べても破格というレベルの威力を発揮する。
それ程の技術者が何故、あんな治安の悪い場所でひっそりと暮らしているのか――それが、ミラには理解できなかったのだ。
その言葉に、ウルカも同調するように頷いて声を上げる。
「それは僕も疑問でした」
「何だ、話をしなかったのか?」
「いや、あの人って結構気難しいですし……アウルさんみたいに敵視されてる訳じゃないですけど、中々話しづらいですよ」
「そうか? あの女、結構お喋りだと思うがな」
そりゃああんたの前だからだ、という言葉を、ウルカとミラは何とか飲み込む。
鈍感とか言う以前の問題であると思えたが、特に口に出すような真似はしなかった。
彼女の思いに関して触れるのは不毛だと、二人の意見は奇しくも一致していたのだ。
ともあれ、今は彼女の素性だ。
「それで、何故彼女は貴方の元に?」
「と言ってもなぁ。俺は単に、上層から追放されたあの女を拾っただけだぞ?」
「追放……!?」
その言葉に、ウルカの視線が怒りに歪む。
背後で発生した怒気に僅かな反応を示しながらも、カインはちらりとミラの事を盗み見る程度に抑えていた。
彼女は――何か思い当たる事があったのか、口元に手を当てて考え込んでいる。
ミラはまだ若いが、教会の中枢に近い場所に存在している。
ならば話程度は聞いた事があるかもしれないと、説明を彼女に押し付けるためにカインは沈黙を保っていた。
そして、ミラが顔を上げる。
「……そうか、思い出したわ。あの危険な技術を作り上げたがために追放された天才技師……それが彼女だったのね」
「ご名答。ま、上層に所属していない理由は分かっただろう?」
「ええ……そう、あんな場所にいるなんて。あ、でも追いかけるような真似はしないから安心していいわ」
「そうかい」
差して気にした様子もなく、カインは軽く肩を竦める。
しかし、それで納得しなかったのはウルカだ。
追放という言葉が何かしらの琴線に触れたのか、少年はミラに対して食って掛かる。
「どういう事ですか、追放って……危険な技術って、一体何を?」
「ええ。私も話に聞いた程度だけれどね、若い天才技師に関する事件について。彼女は……使い手から強制的に魔力を吸収する魔力銃を開発したのよ」
その言葉に、ウルカは疑問符を浮かべる。それの何が悪いと言うのだろうか、と。
そんな彼の視線に対し、ミラは小さく息を吐いてちらりとカインの背中を盗み見ていた。
彼の魔力銃――それがかの天才技師の作であると言うのならば、あの異常な威力も納得できるというものなのだから。
「いいかしら。魔力銃というのは、あくまでも魔力が少なく契約できない人間が用いるための武器よ。だと言うのに、無理矢理魔力を喰らって威力を高める銃なんて使ったら、どうなるかしら?」
「あ……魔力を吸い尽くされただけではなく、生命力まで喰らい尽くされて……」
「そう、待っているのは死よ。しかし、彼女はそれでも銃の威力を求め続けた。結果として、この私ですら十数秒で魔力を枯渇させられるような兵器を作り上げていたのよ」
その威力は、魔力銃としては明らかに破格のものであった。
しかしそれは、非契約者が使えば一瞬で死に至るような、そんな破綻した武装となっていたのだ。
故にこそ、彼女は――シーフェは上層より追放された。
そんな彼女が、今はカインに魔力銃を作り上げている。
「彼女にとって、貴方は実験動物という面もあるのかしら、カイン?」
「そうかもしれんな。何せ、俺はあいつの銃をいくら撃っても死なない訳だ」
撃てば一瞬で魔力を枯渇させられる魔力銃。
それを遠慮なく撃ち放てるような存在など、彼を置いて他にいないだろう。
真正の不死者、《将軍》の攻撃を浴びても一瞬たりとも怯まない死神。
使えば死に至る武器であろうと、彼にとって恐るるに足りないものなのだ。
「……まあ、深くは踏み込まないわ。どの道、彼女は既に私達の手を離れている。貴方が面倒を見ていると言うのなら、それでも構わないわ」
「そりゃ助かるね」
真意こそ掴めないものの、放置しておいても害は無い。
そう判断して、ミラは軽く息を吐く。
いつしか、道は土から整備された石畳へと変わっていた。
「さて……余計なおしゃべりはここまでにしておきましょうか」
見上げた先にあるのは、白亜の尖塔。
聳え立つそれは、オリュークスが誇る大神殿――
「ようこそ、正印教会へ」
カインの横をするりと抜けたミラは、その場にいた全員に対してそう告げていたのだった。




