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聖女の唄う鎮魂歌  作者: Allen
1章:始まりのエチュード
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01:少年と黒き男











 ――ギチギチと、軋む音が響く。

無数の虫が蠢いているかのように。

鋼と鋼が擦り合わされているかのように。



『――――で』



 軋む、軋む、音の奥。

暗く黒く、蠢き続けるその奥底から、僅かな声が響き渡る。

聞き取る事は叶わない、容易く掻き消されるであろう小さな声。

しかしながら、その声は不思議とその澱んだ空間の中に小さな音を響かせていた。



『――な――で』



 軋む、軋む、刃の音。

それは噛み合わされた無数の牙のように、岩盤を削り喰らいつくす削岩機のように。

軋み、歪み、絡み合っている無数の気配。

あらゆる物を飲み込んで磨り潰そうとするかのような気配の中――声は、再び響き渡る。



『――なないで、――』



 波濤の如く押し寄せる苦痛、海中の如くうねる漆黒。

無限に、永劫に積み重なっているとすら感じられるその“死”の中で――



『――死なないで、カイン』



 ――唯一輝く聖域のような純白が、永劫の死の中で弾けた。











 * * * * *











 不規則に揺れる世界の中で、男はゆっくりと目を覚ます。

それと共にまず目に入ったのは、目の前の座席に座っている赤毛の少年の姿だった。

その姿をしばしぼんやりと眺め――ようやく、男は意識を覚醒させる。

そしてそれと同時に、赤毛の少年も男の動きに気がついた。



「目が覚めましたか?」

「ん……ああ」



 欠伸を噛み殺しつつ頷き、男は自分の左側にある窓へと視線を向けた。

その向こう側にある風景は、凄まじい速さで前方から後方へと流れてゆく。

今までに体感した事のないスピード、今までに見た事のない景色。

それらは男に興味を抱かせる程度には真新しいものであり、そしてその興味を失せさせるほどには長時間続いていた。



「魔力機関車……でしたっけ?」

「ああ?」

「この乗り物ですよ。確か、魔力銃の技術を応用しているとか」



 少年の言葉を耳にし、男は身じろぎをしないままに己の懐へと意識を向ける。

そこにある重み――少々大きな塊となっているそれは、少年が口にした武器と同じものであった。

どの道、その大きさは外から見れば明白である為、あまり隠す意味も無いのだが。

その事を自覚し、男は小さく嘆息する。



「まだ実験的なものらしいがな。こういう緊急時にしか使えない程度には」

「知ってますよ。まだ北都パルティナと南都クレーテにしか通じていないし、車両はそれぞれ一本ずつ。それだって、《奈落》の侵攻を防ぐための高速輸送手段でしかないですし」



 そう口にする少年の言葉の中には、どこか苛立ちのようなものが混じっていた。

それを感じ取り視線を僅かながらに横へ向けて少年の様子を観察しながら、男は小さく溜息を吐く。



(もう30年前、か――)



 その日――世界は唐突に、滅びの危機に晒された。

東都コーカサスにて突如として起こった大地震、そしてその直後に起こった大崩落。

それと共に発生した漆黒の大穴――闇が渦巻くその場所を、人は《奈落の渦》と呼んだ。

《渦》は無限に漆黒の魔物を吐き出し続け、コーカサスは瞬く間に壊滅。そしてこの三十年の間に、北東と南東の都市であるテッサリア、ティーヴァもまた《奈落の渦》より溢れた魔物によって壊滅させられてしまっていた。

そして今日、《奈落の渦》は最初の規模ほど無いものの、小さなものは世界中の至る所に開き、各所に大きな被害を出している。

今彼らが向かっているクレーテでも、それは同様であった。



「……けど、これから戦いだって言うのに、良く落ち着いて寝ていられますね?」

「椅子がいいからな。ここまで上等なモンは、下層では高い娼館にでも行かねぇと見つからねぇんだよ」

「しょ、しょうっ!?」

「はっ、初心なガキだな。とは言え、お前もそう緊張はしてねぇみたいだが」



 これから戦場に赴こうというのに、少年の様子は至極落ち着いたものだ。

最初から負け戦とは言わないが少なくとも全員が生きて帰れる可能性はほぼ皆無である。

――何故なら今輸送されているこの部隊は、クレーテに生じた《渦》を消滅させる為の決死隊なのだから。

とてもではないが、普通に考えれば年若い少年が紛れ込んでいるような場所ではない。

ならばこの少年は何者か――若干の興味を惹かれ、男は少年に問いかけた。



「おい、ガキ。テメェの名は何だ?」

「人に尋ねる時はまず自分から。それが下層の流儀ですよね?」

「かはは! いいね、よく分かってるじゃねぇか、度胸も据わってる」



 そこまで来て、男はようやく正面へと佇まいを直す。

目の前にいるのは少年ながら、スラムのような下層で生き抜く術を知っている存在だ。

舐められてはならない、弱い人間は淘汰される。

それを理解して、強く在ろうとするその精神は、男にとっても好ましいものであった。



「俺の名はカインだ。簡単に言えば傭兵みたいなもんだな」

「殺し屋の間違いじゃないんですか? っと、僕はウルカと言います」



 少年――ウルカはカインの姿を見つめて胡散臭げな表情を浮かべつつも、その言葉に頷き返す。

とはいえ、その疑問も尤もなものであっただろう。それほどに、カインの姿は怪しげだ。

袖口や裾がボロボロになっている黒いロングコート、その中に紛れているのは腰の辺りまで無造作に伸ばされた漆黒の長髪。

あまり手入れはされていない髪の奥では、黒曜石の如く輝く瞳が皮肉気に歪んでいた。

全身を漆黒に染め上げたその姿は、傍目から見ていれば殺し屋そのものである。が――



「昼間からこんな恰好してる殺し屋はただのバカだろうよ」

「ああ、それは確かに……無駄に目立ちますし」



 あまり治安がいいとは呼べないような地域であっても、カインの姿は無駄に眼を引く物だ。

目立ってはならない殺し屋が、そんな恰好をしているのは愚の骨頂だ。

自覚があるなら直せばいいのに、などと呟いているウルカを見つめ、カインは僅かに眼を細める。

ウルカ――その名には、聞き覚えがあったのだ。



「成程、お前があのウルカか」

「知っていたんですか?」

「まあな。お前さんは結構有名だろう」



 下層出身、男性の上位神霊契約者、特に後者は珍しいと言うのに、前者が組み合わさるとなれば最早ほぼ存在しないに等しいだろう。

そんな存在が、このウルカと言う少年なのだ。

上位神霊、火と鍛冶の神ヴァルカン。上位神霊の中では、その力は可もなく不可もなくといった所。

何故ならその力は、使い手の技量に強く依存する事になるからだ。

そんな情報を思い起こしながら、カインはちらりとウルカの身体に視線を向ける。

若く、それ相応にしなやかな肉体。必要以上の筋肉はつけず、成長の阻害をしないように計画されたトレーニング方針が見て伺える。



「成程、どうやら噂以上らしいな」

「どんな噂を聞いてるかは知りませんけど……褒め言葉として受け取っておきます」



 小さく笑うウルカの姿に、カインは肩をすくめて視線を横へと向ける。

円形には既に、目的地である南都クレーテが見えていた。

カインはそこでの戦いに思いを馳せ――ふとそこに、ウルカの声がかかった。



「……『最強の聖女』」

「あん?」

「知ってますか、カインさん。その、最強の聖女の話」

「ああ、まあな。来てるんだろう、そいつが」



 今回の作戦は、クレーテ近辺に開いた《渦》を潰す事。

クレーテに開いた《渦》は、コーカサスの物ほどではないにしろ、それに順ずるほどの規模を持っている。

それだけに大量の魔物の存在が予想され、正印教会は最強の戦力を投入したのだろう。

最強の聖女――その名は、国内のみならず外国にまで轟いていた。



「はっきり言います。僕は、上層の人間が嫌いです」

「ふむ、それで?」

「別に、無理に手柄を立てようとか、連中の鼻を明かしてやろうとか、そんな事を考えてる訳じゃありません。そんな事をすれば、死ぬのは僕らの仲間・・です」



 ウルカの言う仲間とは、恐らく下層の人間を指しているのだろう。

この少年は、どうやら相当仲間意識が強いようだ――そう考えて、カインは胸中で苦笑する。

彼は下層の人間の生き汚さを知っている。その上で、彼らの事を仲間だと思っているのだろう。

その感情を抱くに至った経緯には、カインはさほど興味は無い。



「だから、僕が感情に任せて暴走しそうになったら、僕を止めてくれませんか?」

「へぇ? 決闘するとでも言い出すかと思ったぜ」

「考えなかったわけじゃないですけど、これから向かう場所は戦場ですからね。僕が勝手な事をして、人が死ぬのは嫌なんです」



 だから止めてほしい、と――ウルカは、そう口にする。

大人びた少年とは言え、これから多感な時期に突入するという年頃だ。

己の感情を制御しきれなくなる部分があるのは、ある意味当然であるとも言えた。

故に、その感情に支配されぬように見ていて欲しいと、ウルカはそう口にする。



「くはは! いいねぇ、お前は中々面白いガキだ。何でそんな事を俺に頼む?」

「見ていれば分かります。少なくとも技量の上だけならば、貴方は僕より強いと思うから」

「上位神霊契約者ともあろう者が、中々言うじゃねぇか。お前、でかい戦場は初めてか?」

「恥ずかしながら」



 胸中で納得し、カインは小さく苦笑を零す。

いくつ物戦場を渡り歩いてきた彼であるが、このような手合いは初めてだった。

基本的に、初めて戦場に立たされた人間は、酷く興奮するか酷く怯えるかの二択だ。

しかしこの少年はどちらにも当てはまらず――それゆえに、カインは若干興味を惹かれていた。



「ま、いいだろう。多少は見ておいてやるさ。そこまで上層嫌いを公言したんだ、多少は問題を起こしてくれる事を期待してるぜ?」

「いや、止めて欲しいんですけどね……」

「止めるのが必要な場面ならな」



 くつくつと笑うカインに、ウルカは諦めたように嘆息を零す。

列車は徐々に減速を始め、その戦場に到着しようとしている事が感じ取れた。

窓の外には、酷く抉れた大地と、その合間に転がる《兵士ミーレス》の死骸などが転がっていた。

その凄惨な戦場の跡に対し、カインは全くと言っていいほど感慨を抱かない。

例えそこに、処理しきれない人間の死体が転がっていたとしても。



「っ……」



 列車の音にかき消されるような、小さい息を飲む音。

それがいかなる意味を持っているのか把握し、カインは口元を歪めていた。

そう、興味があったのだ。戦場を知らぬこの少年が、悲惨になるであろう戦いに身を置いて、果たしてどうなって行くのかが。

上位神霊と契約できる人間は、強い意志と魔力を持っている。

そう簡単に折れるような人間は、上位神霊の意志に触れる事すら叶わない。

ならば、この強い魂を持つ少年は、一体どのような答えを出すのか。


 ――戦場に蔓延る“死”を肌で感じ取り、この少年はどんな道を歩むのか。



(ああ、楽しみだな)



 カインは嗤う。生と死の狭間を、何よりも愛する男は。

それが混在する戦場を、幾度も生き抜いてきた戦士は。

新たな戦場での出会いに、歓喜の笑みを零していた。



「期待出来そうだな」



 列車は街の中へと入り、ようやくその動きを止めようとしている。

随分と短くなった旅の行程に飽き飽きしていたカインは、それが止まらぬ内から立ち上がり――そして、一人の少女の姿を発見した。



「――――ッ!」



 感じた衝撃に、カインは息を飲む。

そこにいたのは、同じように列車を降りる準備をしていた二人の女だ。

一人は長い銀髪を緩く三つ編みにした女性。メイドの服装を纏い、荷物の出し入れを行っている。

その姿を見れば、彼女がもう一人の少女の使用人である事は、容易に想像が出来た。


 ――そして、もう一人。



(こいつ、は……!)



 金色の髪、薄手で緩く広がるような服装。

しかし動き辛さはあまり感じられないそれは、若干小柄な少女にはよく似合うものだ。

確かに高貴な身に見える。それが何故、下層の人間が固められた車両にいたのかは定かではないが。

そんな少女の視線が、カインの方へと向けられた。

銀と蒼の双眸が、ほんの一瞬だけ見開かれ、そして柔らかい微笑を湛える。

しかし、その奥に隠された強大な力の圧迫感を、カインは余す事無く感じ取っていた。

知らず、その口元が笑みに歪む。



「――――――」



 少女はカインに向かって何事かを口にすると、メイドを伴ってこの車両を後にしていた。

その背中を見送り、そして口元に手を当てる。

感じていたのは――



「カインさん? どうかしたんですか?」

「……いや、なんでもない。降りるとしようぜ」

「あ、はい」



 歪んだ口元を隠すように、カインは顔を背けながらゆっくりと動き出す。

その視線は、変わらず車両の出口へ向けられたまま。



「……本当に、面白くなりそうだ」



 決死の戦に臨むとは思えぬその表情で、カインはそんな言葉を口にしていた。





















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