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聖女の唄う鎮魂歌  作者: Allen
2章:交わる道のクインテット
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16:招聘












「此度の働き、まことに見事であったぞ、ミラよ」

「勿体無きお言葉でございます、ジュピター様」



 正印教会の総本山、オリュークスの大神殿。

その頂点に座するのは教皇ではなく、最高位の神霊たるジュピターであった。

無論、教皇も存在しているのだが、彼女は政治的な運営や人間相手の仕事をする事が多い。

《奈落の渦》と相対するのは、あくまでも神霊であるジュピターだった。


 跪き、頭を垂れるミラは、己が主であり契約した存在であるその姿を思い浮かべる。

足首まで届こうかというほどの長い金色の髪。そして、爛々と輝く深紅の瞳。

姿こそ年の頃が十に届くかどうかというほどの少女の姿をしているが、その身に纏う力の規模は本物だった。

総体の計り知れない、圧倒的なまでの力。その一部を借り受けるだけで、ミラはあれだけの雷を放つ事ができるのだ。



(本当に、計り知れない……これで、分け身だなんて)



 今この場に存在しているジュピターは、決して本体ではない。

その力の一部を切り離す事で地上へと降り立った分身なのだ。

本来の姿はもっと大人なのであるというのが彼女の弁であるのだが、それを確かめられる者など存在しない。

遥か高みにある存在。それが、神霊なのだから。



「お主らの迅速な働きによって、被害を最小限に留める事が出来た。クレーテが持ち直したのもお主の存在があってこそじゃ。謙遜する事はあるまい」



 くつくつと、年寄りじみた口調でそう告げながらジュピターは笑う。

その隣に立つリーゼファラスは、相も変わらず瞳を閉じたまま仏頂面で直立していたが。


 己が主との対話。それはとても光栄な事であると、ミラは考えている。

けれど今回は、あまり高揚し切らない己がある事を感じ取っていた。

今回の戦いで目の当たりにしたもの。そして、そこで芽生えた価値観。

今まで信じ切っていたものが、いかに事実の一面であったかを思い知り、ミラは僅かに失意を覚えていたのだ。

そんな彼女の思いを、ジュピターはいとも容易く読み取り、笑みを浮かべる。



「のう、ミラよ。お主は此度、何を得た?」

「得たもの……ですか?」

「そうじゃ。お主には経験が足らんかった。儂はそう思ったからこそ、お主をこの任務に送り出したのじゃ。そして、お主は儂の望み通り、様々な者を目にして、そして己の立っていた場所を理解した。そうしてお主が得た答えは何なのか……儂はそれが気になって仕方ないんじゃよ。のう、ミラよ。お主は何を得て、何が変わったのじゃ?」



 ジュピターは、深く、深く、笑みを浮かべる。

幼くも老獪なその声音にミラは思わず息を飲んで――けれど、それでも己を失うような事はなかった。

誇り高い彼女に、揺らぐ意志などありはしない。

強く決意を固めて、ミラは一つの答えを口にしていた。



「――変わりません。私は、変わらない」

「ほう?」



 そんなミラの言葉に、ジュピターは楽しそうに口元を歪める。

それは決して期待していたような答えではなかったはずなのに。

それでも、ジュピターは楽しそうに笑う。

揺れる幼い声音に、それでも惑う事無く、ミラは真っ直ぐに宣言する。



「確かに、多くの事を知りました。下層の者達の意志、《奈落の渦》の事、《将軍ジェネラリス》の事、そして神霊契約とも異なる力を持つ者の事――確かにそれは、私にとって衝撃でありました」

「ならば、何が変わらぬとお主は言う? それだけの者を得て、お主は何を変わらずに抱き続けた?」

「私の、在り方を。力ある者として、力なき者に手を差し伸べる――それが私なのです。それだけは、決して違えない」



 気高く、誇り高いその在り方。それこそが、ミラ・ロズィーア=ケラウノスという少女であった。

下層の者だからと、弱者と決め付ける事は無くなった。

リーゼファラスやカインのように、自分を遥かに超える超常の力を持つ者たちを知った。

けれど、それでもミラは変わらない。何故なら自分には力があるから。その力を持つ者の義務を果たすのみ。

どこまでも愚直で、けれど美しいその在り方。それを目の当たりにして、ジュピターとリーゼファラスは小さく笑みを浮かべていた。



「成程のう……良い答えじゃ。流石は儂の契約者じゃよ、ミラよ」

「はい」



 主よりの言葉を、ミラは静かに噛み締める。

そして同時に、今までの己が抱いていた無知な自分を恥じていた。

故にこそ、ミラは知りたいと願うのだ。己の知らぬ、この世界の真実を。



「ジュピター様、質問する事をお許しください」

「ふむ、よかろう。申してみよ」

「此度、拝謁の資格を持つものを見つけたと、リーゼファラス、様が仰っておりました」



 普段どおり呼び捨てにしかけて、ミラは一瞬言葉を詰まらせる。

本人から許可されていた事とは言え、ジュピターのまでそれは拙いと判断したのだ。

しかし、当の主はくつくつと笑みを浮かべながら声を上げる。



「良い、呼び捨てでよかろう。リーゼファラスも、お主の事は娘を見るような目線で見ておるようじゃったしの」

「ジュピター様、あまり妙な事は仰らないでください」

「お主は固いのぅ。そんなんじゃから四十を過ぎても膜が破れておらんのじゃ」

「余計なお世話です」

「くかか! 何じゃ、従者に先を越されて焦っておるのか?」



 そんなこの場に似つかわしく無い会話に、リーゼファラスの纏う雰囲気が徐々に危険域へと達しかけていたが、ミラは思わず彼女の方へと視線を向けてしまっていた。

リーゼファラスの容姿は、十代後半程度の少女のもの。とてもではないが、四十歳を過ぎているようには見えない。

確かに、彼女はミラが契約を結ぶよりもずっと昔から教会に所属していたのだが――



(……それも、リーゼファラスの力だという事?)



 強大な戦闘能力だけではなく、不老の肉体も拝謁の資格を持つ者の力なのだろうかと、ミラは思わず胸中で自問する。

ともあれ、聞きたい事はそれなのだ。それならば、この場で問いかければ済む話である。

許可は既に得ているのだから、躊躇う理由など無い。



「ジュピター様。拝謁の資格とは、そして拝謁とは……一体何なのでしょう? 私は多くの事を知りました。そして……この戦いにおいて、資格を持つ者の力が必要である事も理解しました」



 《将軍ジェネラリス》との戦いを経て、ミラは己の力不足を思い知っていた。

無論、それに嘆くばかりでいるつもりなど、彼女には毛頭無い。

己を磨き、彼の者達に通じる力を手に入れる覚悟を決めている。

しかしそれとは別に、リーゼファラスの――資格を持つものの力が必要であると、ミラはそう考えていた。

故にその正体を知りたいと、己が主へと向けてそう告げる。

その言葉に――ジュピターは、しばし瞳を閉じて沈黙していた。

僅かな静寂が部屋の中に流れ、唐突にそれが破られる。瞳を開いたジュピターは、先ほどと同じ笑みを浮かべていた。



「よい。ならばミラよ。資格を持つ男――確かカインと言ったな。その男をここに連れて来るがよい」

「彼を、ですか?」

「どの道そやつには伝えるのじゃ。ならば、お主にはそこに同席する事を許そうぞ。おお、そういえばヴァルカンの契約者も力を目の当たりにしておったのじゃったな……よい、ではその者も共に連れて参れ」



 意外な言葉に、ミラは思わず目を見開く。

けれど、それは確かに望んでいた答えであった。ならば、それに異を唱える理由などありはしない。



「了解しました。早速、彼らの元へと向かいます」

「いやお主、気が急き過ぎじゃ。せめて明日の早い時間にしておかんか」



 そんな、呆れた視線に晒されつつも――ミラは、近付く真実に、意識を高揚させていたのだった。











 * * * * *











 中央都市である首都オリュークスの下層。

そこは、他の都市に比べれば、上層と下層の差が激しくない場所であった。

既に滅んだテッサリアなどは劣悪の一言であったが、このオリュークスではそこまでではない。

人々の表情も明るく、少なくとも、目に見えて日々の暮らしに絶望しているものたちは見当たらない。

とは言え、それは大神殿へと向かう大通りに近い場所ならばいえる事である。

立地としては高い丘のような場所になっている上層より下がれば下がるほど、そして大通りから外れれば外れるほど、治安は比例するように悪くなってゆくのだ。


 ミラ・ロズィーア=ケラウノスは、その家柄もあり、今までこの下層に降りて来た事は殆ど無かった。

馬車越しにその暮らしぶりを覗く事はあったし、教会の人間として足を踏み入れた事もある。

けれど、その奥まで足を踏み入れた事だけは一切無かったのだ。

彼女が知っているのは精々、大通りに暮らす人々の様子――言うなれば、“中層”とでも呼ぶべき領域のみだったのだ。

故にこそ――



「あのメイド……私を待たせるなんて、使用人の癖にいい度胸しているわね。本当に、主人に似てるわ」



 ミラは、落ち着かぬ様子で周囲を見回していたのだった。

下層の、大通りから少し外れた場所に位置する広場。

彼女はそこで、カインの住む家を知るアウルを待っていたのだ。



「大体、出発地点は神殿なのだから、そこから一緒に行けばいいだけでしょうに……何故こんな所で待ち合わせしなくちゃならないのかしら」



 いらいらした様子を隠せず、こつこつと爪先で地面を叩きながら、ミラはそんな悪態を吐く。

別段、この場所に脅威を感じているという訳ではない。

ミラの力は、それ程柔なものではないのだ。それはただ単に、規則に厳しい彼女らしい、時間に対するポリシーの問題であった。

それに、理由はもう一つ――



「ちょっと、そこの貴方たち」



 先ほどから募る苛立ちの理由の一つ。

それに対してついに我慢できなくなり、ミラは後ろへと振り返りながら声を上げていた。



「何をこそこそ私の事を見ているのかしら。いいたい事があるのなら言ったらどう?」



 視線の先にあったのは、建物の陰となっている路地。ミラが声をかけると共に、そこから三人の大柄な男が姿を現した。

ミラは、達人とまでは呼べないものの、それに準ずるレベルまで己を鍛え上げている。

素人の杜撰な身隠しなど、彼女にとっては何の意味も無いものだった。



「はぁ……それで、随分と荒っぽい気配だけど。何か用かしら?」

「はっ、随分と余裕そうじゃねぇか、お嬢ちゃんよ」

「こんな所に一人でいるなんて危ないんだぜ、なあ?」

「ああ、そうだなぁ。どうよ、俺たちが安全な場所まで連れてってやるぜ?」



 ぞろぞろと現れた男たちは、皆一様に下卑た表情を浮かべている。

ミラとしても、この辺りの治安がかなり悪い事は理解している。

高そうな服を纏い、装飾のなされたレイピアを提げた少女が一人――良からぬ事をたくらむ人間など、すぐに寄ってくる事であろう。



(はぁ、一番安い服を着てきたのだけれど……やっぱり、不釣合いだったかしら)



 嘆息を零し、ミラは額に指を当てる。

ロズィーアの家はかなりの名家だ。その家にあるものなど、隅から隅まで下層にとっての高級品に他ならない。

己の見通しの甘さにため息を零しながらも、ミラは毅然とした声音で告げる。



「結構よ。こちらには予定があるの。まあ、貴方たちの魂胆が分からないほど幼いつもりは無いから、余計な言葉は口にしなくてもいいわ――怪我をしない内に失せなさい」

「おい……中々面白い冗談じゃねぇか」

「怪我をしないうちに、かぁ……へっへっへ、立場が分かってるのかよ、なぁ?」



 再び、ミラは嘆息する。

流石に、『自分が誰か分からないのか』などと自意識過剰な事を口にするつもりは無かったが――少々、お粗末ではないかと思ったのだ。

見るからに上層の出身と分かる身なりをしたものが、一人でこんな場所にいる。

それがどういう意味を持っているのか、この男たちは分からないのか、と。



(面倒ね……)



 例えどのような人間であれ、ミラは己より弱い者を必要以上に痛めつけようという意志は持たない。

しかし、彼らが多少痛い目を見なければ引き下がらない事も分かっていた。

手加減はあまり得意ではないのだと胸中で嘆息して――ミラは、レイピアに手を掛ける。



「はっ、やろうってかァ!?」

「そんな古臭い玩具で何しようってんだ、おい! 今はこういう――」



 男のうちの一人が、懐から魔力銃を取り出す。

それを目にした瞬間、ミラは瞬時に刃を抜き放ってそれを打ち払っていた。

契約の力は使わないが、それでも十分すぎる速度と正確さを以って、男の手から魔力銃を弾き飛ばす。



「……古臭い玩具が、何だったかしら?」



 視線を細め、魔力と敵意を滾らせながら、ミラはそう口にする。

銃を抜き、狙いを定めて、放つ。素人がそんな手順を踏んでいる様など、ミラにはあまりにも遅く映る。

圧倒的な技量の差。玩具を手にして粋がっていたのがどちらか明確に示すそれに、男たちは言葉を失う。

それが分かる程度には彼らは愚鈍ではなく――しかし、そこで引き下がらぬ程度に、彼らは無鉄砲だった。



「ッ……舐めんじゃ、ねぇッ!!」



 先ほどとは別の男が銃を抜き、構えようとする。

ミラは即座に反応してレイピアを振るおうとして――感じた魔力の高ぶりに、目を見開いていた。その力に、覚えがあったのだ。

そして次の瞬間――男の腕が、唐突に炎を上げた。



「う、ああああああああッ!?」

「な、何だ!?」

「これは……」



 覚えのある魔力と、紅の炎。

それが何であるかを理解して、ミラは魔力の発せられた方向へと視線を向ける。

そこに、男の方へと掌を向けた赤毛の少年、ウルカの姿があった。

彼は、その幼さに似合わぬ鋭い視線を作りながら、男達の方へと向けて殺気の篭った声を上げる。



「僕が誰か知っているだろう、お前たち。それ以上燃やされたくなかったら、さっさとここから失せろ」

「ひっ、ヴァルカンの……!」

「に、逃げろッ!」



 そんな彼に恐れをなし、転げるように逃げ去ってゆく男たちの背中を見送り――ミラは、溜め息交じりに剣を仕舞っていた。

彼女に対し、ウルカは小さく肩を竦めて声を上げる。



「ここの住人は、舐められたら負けだって思ってますからね。追い払うつもりなら、徹底的に力の差を見せ付けた方がいいですよ」

「そう、勉強になったわ。成程、見せ付ければ良かった訳ね……ありがとう、ウルカ」



 名前を呼ばれ、ウルカは面食らったように目を見開く。

そんな少年の様子に、ミラは小さな笑みを浮かべていた。



「呼び方が気に入らないのであれば、他の呼び方を教えてもらえないかしら。私は、それしか貴方の名前を知らないもの」

「……別に、ウルカでいいですよ。それで、貴方は――」

「私の事はミラで結構よ、貴方の事は戦友だと思っているから……私はちょっとした用事があってここに来ただけ」



 立場としては、ミラはウルカにとって天上人もいいところだ。

遥か遠い存在、そうであるにもかかわらず、彼女はまるで対等な存在であるかのように接してくる。

そんな距離感が掴みづらく、調子を崩しながらもウルカは声を上げる。



「上層のお偉いさんが、こんな所に何の用ですか?」

「カイン……あの男の事よ。ジュピター様が、彼の事を呼んでいる」



 その言葉に、ウルカは僅かに警戒の念を滲ませる。

カインの力は異常だ。彼が目を付けられるであろう事は、ウルカも予想していた。

けれど、まさかそれが、神霊の頂点たるジュピターの目に留まるとまでは考えていなかったのだ。

ウルカは元々、上層というもの全てに不信感を抱いている。

そこに連れて行かれると聞いては、警戒せずにはいられなかったのだ。

そんな彼の様子に、ミラは苦笑する。



「害意は無いわ。それに、彼の事を制御できるとも思わない。彼はリーゼファラスと……あの『最強の聖女』と同じような存在よ。そしてジュピター様は、彼の力の事を知っていると仰っていた」



 ミラの告げた言葉に、ウルカは視線を細める。

カインの力――死する事無く戦い続ける死神。その詳細は、ウルカも気になっていたものだったから。

無理もないだろうと、そんな少年の内心を見透かして、ミラは小さく笑う。



「私は、その話を聞く権利を与えられた。そして貴方もよ、ウルカ」

「僕が……?」

「ええ。ジュピター様は貴方の事も呼んでいらしたわ。貴方の力は今後も必要になる。あのお方は、そう考えておいでなのよ」

「だから、僕にもその話を聞かせると?」

「そういう事でしょうね。どうかしら、ウルカ。貴方も彼の事を聞いてみない?」



 差し伸べられた手――ウルカはそれに、しばしの間逡巡する。

上層は、ウルカにとって避けるべきものだ。けれど、カインの話は耳にしなくてはならない。

そんな思いが、彼の内側に湧き上がっていた。

時間にして十秒ほど――覚悟を決めたウルカは、ゆっくりと顔を上げる。



「分かりました。ご一緒します」

「ええ、よろしくてよ」



 上品に笑うミラの表情。

下層の人間に対する蔑視が僅かにも見られないそれに、ウルカは複雑な表情を浮かべていた。





















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