122:死線を踏み越え
「ジュピター様、猊下、ご報告です」
「うむ」
もたらされる報告を、ジュピターは円卓の椅子に腰掛けながら頬杖を突きつつ頷いていた。
カインたちがオリュークスを出発し、まだそれほど経っていない時間帯。
けれど、魔物たちはそれをすぐさま察知し、行動を開始していたのだ。
「地下に現れた魔物たちは、聖女ケレーリアの指揮の下、迎撃が続けられております。幸い、聖女リーゼファラスの作り上げた柱は破壊されてはいないようです」
「それに関しては問題なかろう、木っ端の魔物どもに破壊できる代物ではない筈じゃ。それよりも――」
「問題は、新たな穴を掘られること、ですね。聖女ケレーリアと聖女ザクロがいれば、ある程度は察知できるでしょうが……」
「全ての範囲を網羅することは難しく、さらに地上戦力は必然的に削られることになる……相手も馬鹿ではあるまい、迫って来ているのであろう?」
「……はい。未だ正確な数は分かりませんが、大地を埋め尽くさんとするほどの魔物が、オリュークスに向かってきています」
苦い表情で頷く聖女の言葉に、ジュピターは小さく嘆息を零していた。
予測できていた状況ではある。敵の本拠地を素早く落とすため、カインたちが転移を利用した移動をするであろうこと――それはつまり、道すがら存在する魔物たちを殲滅することはできないと言うことだ。
無論、カインたちの選択が間違っていたわけではない。
現在の状況から、できる限り早くアルベールを倒さなければならないのは明白なのだ。
最大の戦力を最高の形でぶつけるには、転移で突撃するのが最も有効だったのだから。
「予想したとおり、地下との二面作戦という訳か」
「幸い、今のところ東からのみ迫ってきているようですが……分かれて包囲するように動かれたら、厄介ですね」
「うむ……こうなるとミラを使いたくなるが、無いものねだりをしても仕方あるまい。お主ならどうする、レウクティア」
ちらりと見上げるジュピターの視線。
それを受け、教皇レウクティアは小さく頷き視線を細めていた。
現状、上位神霊契約者は可能な限りオリュークスに集まってきている。
だがそれでも、最大戦力たるリーゼファラスたちがいない以上、積極的な攻勢に出ることは不可能だ。
アレだけの数の魔物に囲まれて、それでも生還できるような存在は、レウクティアも二人しか思いつかないのだから。
「防衛戦……いえ、篭城戦でしょうね。リーゼファラスたちが役目を果たすまで防ぎ続けること……それが、最善かと」
「ふむ。敵の正確な数が分からぬ現状、それ以上の選択は取りようがないか」
「仮に敵の数に限りがあったとしても、上位神霊契約者を息切れさせる戦い方はできません。そうすれば、押し切られるのは我々ですから」
「しかし、それだけの数となれば、街の全方位から攻めることも不可能ではあるまい。対処し切れるのか?」
「そのために重ねてきた準備ですから。各部隊に伝令、外壁防衛設備の稼動準備を。我らはこれより防衛戦の準備に入ります」
「は、はい!」
レウクティアから声をかけられ、緊張した面持ちで敬礼した伝令は、そのまま深く一礼すると部屋を後にしていた。
部屋を出ると共に慌しく駆けてゆく気配を見送り、教皇は小さく嘆息する。
状況は、少なくとも良いとは言えない。どれだけの時間を耐える必要があるのか、その先が見えないのだから。
けれど、やらねばならないだろう。
例えどれほど困難な戦いであろうとも、最前線へと飛び込んで行った彼らの帰る場所は、何があろうとも護らねばならないのだから。
「ジュピター様……今回は私も、前線に出ることとします」
「止めはせぬが……良いのか? お主は、万が一が許されぬ立場であろう?」
「ええ。ですが、出し惜しみをして護るべきものも護れないのでは意味がありません。それに、あまり力を使いすぎるつもりはありませんよ」
僅かに笑みを浮かべ、レウクティアは頷く。
前線に出ると宣言したとはいえ、自らの仕事を理解していない訳ではないのだ。
彼女は、現在このオリュークスに存在する契約者たちの中で、最大の力を有していると言っても過言ではない。
強大な魔力、プラーナを操る才能、そして《神威転身》すら操って見せるその技術。
一度力を振るえば、多くの魔物を屠れることはまず間違いない。
けれど、ただの魔物を倒すためにその力を使うわけには行かないのだ。
「私の仕事は戦っている聖女たちの鼓舞と、《将軍》が現れた時に戦うこと。それ以外で、徒に力を消費するつもりはありません」
「ふむ……まあ、そうじゃのう。下手に力を使いすぎぬ方が良いのは事実じゃろうて」
レウクティアの言葉に、ジュピターは鷹揚に頷く。
超越者たちからすればそれ程ではない《将軍》の戦力も、上位神霊契約者だけでは抑えることは難しい。
少なくとも、幾度も《将軍》との戦いを経験しているミラやウルカのような存在でなければ、戦いを任せることなどで気はしない。
現在都市に存在する上位神霊契約者たちも、十分に歴戦と言ってもいい者たちであったが――《将軍》に匹敵する戦力は、レウクティア以外に存在しないだろう。
「さて、どれだけ時間を稼げばよいのか」
「リーゼファラスたちに期待しましょう。私たちはただ、彼女たちの勝利を祈るのみです」
虚空を仰ぎ、レウクティアは呟く。
祈りを込めたその言葉は、この場にはない者達を想い、虚空へと溶ける。
そして――戦いの時は、程なくして訪れたのだった。
* * * * *
広げた掌が、勢い良く振り下ろされる。
それと共に空中に描かれたのは、指先の軌跡をなぞるように刻まれた黒い爪痕。
そしてその爪痕は、瞬時に強力無比な刃となってカインたちに殺到していた。
時間も空間も切り裂き駆けるその攻撃は、人間ならば躱し切れるはずもない一撃だ。
あらゆるもの断ち割り、侵食し、瞬時の内に無価値な塵へと変えてしまうだろう。
けれど、それに対応できぬ者など、今この場には立っていない。
「舐めるなッ!」
「砕け散りなさいッ!」
距離を殺して駆けるカインと、あらゆる攻撃を拒絶し、打ち砕くリーゼファラス。
確かにアルベールの力は二人よりも強大であるが、突出した一点において二人は決して劣ってなどいなかった。
カインはその攻撃力、リーゼファラスはその防御力。
一つの性質に特化した二人であるからこそ、アルベールの力に対抗することができていたのだ。
「はあああああッ!」
骨格の翼で駆けるカインは、距離を殺して肉薄した瞬間、その大鎌で首を落とさんと刃を振るう。
けれど、それを素直に受けるようなアルベールではない。
発生した漆黒の障壁が、カインの大鎌による一撃を難なく受け止めていた。
口元を歪め、虚無の纏わりついたその手を叩き付けようとアルベールは拳を握り――その刹那、断末魔の如き銃声が、三つの空間に響き渡っていた。
幾度も幾度も、響き渡る銃声。そしてそれと共に、大鎌はゆっくりと障壁を食い破ってゆく。
その仕組みを目の当たりにし、アルベールは楽しげに笑みを浮かべていた。
「はははっ、器用じゃないか、カイン!」
「感心したなら、そのまま喰らえ!」
カインは大鎌の背に銃口を発生させ、幾度も炸裂させることにより推進力を得ていたのだ。
シーフェによってもたらされた銃もカインの“死”の形の一つであり、それ故にどこからでも発生させることが可能だ。
その銃撃の威力は非常に高いが、大鎌の直撃すらものともしないアルベールの防御相手では、ダメージを与えることは難しいだろう。
故に、カインはその銃撃を、大鎌の威力を底上げする形で利用していたのだ。
「ぶち抜けッ!」
「おっと! あははは、流石だよカイン!」
黒い障壁を貫き、カインの大鎌がアルベールへと迫る。
けれど、防御が貫かれる寸前に、アルベールは後方へと跳躍して攻撃を回避していた。
アルベールは、防御の維持に力を割いてはいないのだ。瞬間的な防御力は高いが、それ以降は放置してその場から離れられるだけの余裕を持っているのである。
攻撃力の高いカインの攻撃すら一時的に受け止められるその防御力は、カインたちにとって厄介極まりない代物であった。
――けれど、破れない訳でもなければ、その後に隙が無い訳でもない。
「ふッ――!」
鋭い呼気と共に、黄昏の黄金が、二つの黒に支配された空間を駆け抜ける。
距離を殺して移動できるカインと違い、そのスピードは純粋な超越者の身体能力によるものだ。
光を纏い駆けるリーゼファラスは、アルベールの力による影響をすべて打ち消しながら、その拳を握り締める。
望むものを受け入れ、望まぬものを排除する《魔王》にも似た性質は、彼女の超越も有しているのだ。
その力は、例えアルベールの持つ強大な虚無の力を相手にしてでさえ、一切の影響を打ち消して行動することが可能だった。
さらに、その影響は彼女だけに収まらない。他者を求める性質を持つリーゼファラスは、己の理解者であると認識しているカインにもその性質を付与することが可能だったのだ。
今、カインが何の遠慮も無くアルベールと打ち合うことが出来ているのは、紛れも無くリーゼファラスの力があってこそであった。
不浄を祓う黄昏の光は、踏み込むごとに黒き虚無を吹き散らし、アルベールへと向けて肉薄する。
彼女の打ち込む一撃は容赦なくアルベールへと迫り――掲げたその腕に、受け止められていた。
常時展開されている力の影響は一切受けないが、その主による直接攻撃ともなれば話は別だ。
リーゼファラスは防御に長けているが、攻撃に関してはそれほど高い能力は有していない。
そのため、直接防御させることに成功したとしても、アルベールには然したるダメージを与えることはできなかった。
水晶の侵食すら押さえ込み、アルベールは楽しそうに嗤う。
「きみも凄いね、僕の力が全然届かない! はははっ、本当にこうしてよかった、生きているって思えるよ!」
「ふざけたことを――」
「――抜かしてんじゃねぇぞクソガキがぁ!」
リーゼファラスの攻撃と、それによる侵食を防ぐためにアルベールが動きを止めた僅かな刹那。
それを決して見逃すことなく、カインは空間を跳躍して背後へと回り、その男へと向けて大鎌を叩きつけていた。
銃撃によって加速した一撃は、容赦なくアルベールの首筋へと叩きつけられ、その細身な首を刈り取る――そしてその瞬間、カインとリーゼファラスは大きくその場から跳躍し、己の力を展開していた。
「魔弾よ!」
「“死”よ、喰らい尽くせ!」
リーゼファラスの放つのは、無数に構成された水晶の魔弾。
一発一発に強大な威力の込められた、水晶の欠片による驟雨。
その一欠けであろうとも、《将軍》を滅ぼして余りあるであろう破壊力を有している。
そんな弾丸が、幾万通り重なり、首を失ったあるベールへとめがけて撃ち出されていたのだ。
だが、攻撃はそれだけに収まらない。
上空より放たれるものがリーゼファラスの弾丸であれば、地上から襲い掛かるものはカインの刃であった。
地面より現れ、無数に折り重なる漆黒の刃は、さながら獣の顎のごとく大口を開き、アルベールの体へと喰らいつく。
“死”の刃によって飲み込まれ、無数の水晶に撃ち抜かれたアルベールは――
「――容赦が無いなぁ。けど、それでこそだね」
――水晶と刃の破片が散る空間の中心で、何事も無かったかのように直立していた。
ダメージを受けた様子は一切無く、前と変わらぬ薄い笑みのまま、アルベールは視線を上げる。
その周囲に、漆黒の腕を浮かべて。
「ッ……!」
その腕がかすんだ瞬間、カインとリーゼファラスは瞬時にその場から離脱していた。
そしてそれとほぼ同時、アルベールの放った漆黒の腕は、二人がいた場所を叩き潰し、打ち砕いていた。
己の攻撃が一切通用していなかったその事実に、カインは思わず舌打ちする。
(クソッ、確かに攻撃は命中していた、奴の首を落とした瞬間も確認していた……その上で、あれだけの“死”を叩き込んだはずだ。なのに――)
攻撃が、全て無効化されている。
そんな攻撃では通用しないと、宣言するかのように。
(いや、奴が俺たちを敵として定めたならば、必ず通じるはずだ。まだ足りていない、ただそれだけの話だ――)
カインは笑う。勝ち目の見えぬ相手に対して、獰猛に。
その身に刻まれた理をただ深化させ――更なる戦場へと、足を踏み入れていった。