121:もう一つの戦場
「ッ……!?」
「この気配は!」
コーカサスの街中、大神殿へと続く道の途中。
広いその道を使ってメデューサとの戦闘を続けていたミラとウルカは、唐突に発生した気配に思わず目を見開いていた。
それは間違いなく、あの強大なる超越者たちの力。
カインとリーゼファラスの激突でかつて一度だけ目撃した、あの圧倒的なまでの力の奔流。
それが、先にある大神殿から放たれていたのだ。
メデューサからは注意を離さぬようにしながら、ミラは視線を細めて声を上げる。
「始まったみたいね……しかも、いきなり全力か」
「ですね。小細工なんてしてる場合じゃないってことですか……」
「まあ、相手がこれなら納得だけど、やっぱりかなり厳しい相手ね」
かつて感じた二人の力を、さらに倍するような圧倒的な気配。
けれど、それを前にしているにもかかわらず、カインたちの力もまるで燃え上がるように肥大化している。
不利ではある。だが、戦いの行方がどうなるか分からないと思える程度には、拮抗した戦いたっだ。
まずはそのことに安堵しながら、ミラはじっと今相対している敵を――メデューサを睨み据える。
気もそぞろで、この場から離脱することばかりを考えているような《将軍》。
本気にさせることを恐れ、ミラたちもあまり積極的に戦っていたわけではないが、それでも圧倒的に格上の相手であることは理解できていた。
足止めに集中していたからこそまともに戦うことが出来た相手であり、自分たちに集中されてしまえば拮抗は崩れる。
そして――
「……もう、いい」
――カインたちへの追撃を諦めるとすればこのタイミングである可能性が高いと、ミラは踏んでいたのだ。
カインたちの超越の気配に反応し、動きを止めたメデューサは、小さな嘆息と共にそう声をあげていた。
あれほどカインたちの方へ向かおうとしていたにもかかわらず、今はそのような動きをする気配も無い。
どこか諦観じみた呟きと共に――彼女は、ミラたちの方へと向き直っていた。
メデューサの力は高い。アルベールの力を与えられた彼女は、他の《将軍》と比べても圧倒的な戦闘能力を有している。
恐らくは、レームノスで相対したステンノ、エウリュアレの姉妹――メデューサの姉であった二体の《将軍》よりも高い力を発揮することが出来るだろう。
だがそれでも、その力は超越者たちに遠く及ばない。ましてや、あの絶対的な超越の空間の中では、彼女とて手も足も出ないことだろう。
メデューサは、アルベールに近い位置に立っていた存在だ。その力を理解している可能性は十分にある。
それ故に、ミラとウルカは警戒していたのだ。メデューサが、カインたちを諦める可能性を。
――そして、それは現実のものとなった。
「あいつらは、死ぬ。アルベールに勝てるものなんて、存在しない……だから、もういい。あいつらは、もう死んだ」
気配は十分に感じ取れる。二人は健在だ。だが、メデューサは二人の未来は決まったとそう告げる。
まるで恨み言のように――否、真実それは恨み言なのだろう。
メデューサは、その殺意の矛先を、ミラたちの方へと向けていた。
「だから……代わりに、お前たちを殺してやる」
「……来るわ。ここからが本番よ、ウルカ」
「はい、分かってます」
矛先を変えた以上、逃げてもいいのかもしれない。
けれど、メデューサがカインたちの戦いに横槍を入れる可能性は否定できないのだ。
故に、二人は引くわけにはいかない。未だ、足止めの仕事が残っているのだ。
メデューサの攻撃が、カインたちにダメージを与えられるとは到底思えない。
だが、それによって発生するほんの僅かな隙が、彼らにとって致命的なダメージを与えかねないのだ。
ゆらりと、メデューサはミラたちの方へ向き直る。
彼女の意識が大神殿の方へと向けられることはない。
少なくとも、ミラたちがこの場からいなくならない限り、彼女の意識が外されることはないだろう。
二人は覚悟を決め、意識を集中し――メデューサの目が、見開かれた。
「――死ね」
迸る赤黒い輝き。彼女の持つ力の中で、最も警戒せねばならないもの。
それを理解していたからこそ、二人は瞬時にその攻撃に対して反応していた。
ミラたちを石像へ変えようと放たれたメデューサの魔眼が放つ輝きは、二人が左右へと散開したちょうど中央を駆け抜ける。
後ろにあった建物や、虎視眈々と狙っていた魔物たちを石造へと変えたメデューサの魔眼。
しかし、二人にはかすりもしない。あらかじめ来ると分かっている攻撃であれば、たとえ凄まじい速さを誇るものであったとしても、反応は難しくないのだ。
「ミラさん!」
「ええ、分かってる!」
遠距離攻撃を主に担当するのはミラだ。
ウルカも遠距離攻撃が出来ないわけではないが、速度や正確性ではミラに軍配が上がる。
さらに、ウルカの攻撃は範囲が広すぎるのだ。
多数で群がってくる魔物たち相手ならば問題はないが、小柄な人型の《将軍》相手には返って邪魔になってしまう。
下手に爆発を起こして相手の姿を見失ってしまえば、致命的な攻撃を受けかねないのだ。
逆に、接近戦闘ではウルカが担当する。
純粋な接近戦闘能力では、ウルカのほうが上なのだ。
精密な攻撃の技量ならばミラのほうが上だろうが、頑強極まりない《将軍》の防御を貫くにはウルカの攻撃力が必要になる。
炎を纏う魔剣の破壊力は、たとえメデューサが相手であろうとダメージを与えることが出来るだろう。
(接近するまでが、難しすぎるんだけどさ……!)
胸中で舌打ちしながら、ウルカは駆ける。
そこから若干距離を開けるようにして、ミラが強大なる雷を操り始めていた。
強大なる魔力とプラーナの気配を背中で感じ取りながら、ウルカは迂回するようにメデューサへと接近する。
正面から挑むにはあまりにも危険すぎる相手だ。視線に捉えられている状態が、既に危険なのだから。
故に、ウルカは炎を輝かせ、眩しい光へと変えながら駆け抜けていた。
「邪魔だぁっ!」
炎の眩しさに目を細めながら、メデューサはその腕に魔力を纏わせて薙ぎ払う。
それと共に発生した衝撃は、ウルカを消し飛ばそうとする意思の込められた破壊の一撃だ。
石化の力こそ薄いものの、まともに受ければ確実に吹き飛ばされてしまうだろう。
それを理解し、ウルカは剣の炎をさらに強大なものへと変化させていた。
猛々しく燃え盛る炎――ウルカはそれを、後方へと向けて噴射していた。
己の炎を推進力に、薙ぎ払われた力が地面に到達するよりも速く、ウルカはそれを潜り抜ける。
「はああああああああっ!」
まるで弾丸のように低空を飛翔したウルカは、炎を纏うその剣でメデューサの体を薙ぐ。
硬い抵抗と、僅かな拮抗の後にそれを貫く感覚。
しかし、予想以上に硬い装甲は、ウルカの攻撃の威力の殆どを軽減してしまっていた。
結果、防御を貫いたウルカの攻撃は、メデューサの体を僅かに傷つける程度にとどまる。
それは、走行によって攻撃が僅かに減速した瞬間、彼女が反射的に回避していたからこそだが――
(あの一瞬で、回避行動に移った……! 体の性能はやっぱり圧倒的か!)
既に高い技量を有しているウルカでも、攻撃を放った直後のタイミングでは僅かに反応するのが限界だっただろう。
しかし、メデューサはたいした技量を持っていないにもかかわらず、あと一瞬速ければ完璧に回避できていたであろうタイミングで反応していた。
純粋なスペックの差を感じ取り、ウルカはさらに気を引き締める。
一瞬でも油断すれば、即座に致命打を浴びてしまうだろう、と。
けれど――
「ウルカッ!」
その声が聞こえた瞬間、ウルカは己の得意な距離のこだわることなく、飛び込んだ時と同じようにメデューサの傍から離脱していた。
そして、まるでそんなウルカと入れ替わるように、輝く閃光がメデューサへと向けて振り下ろされる。
ミラの放つ雷――プラーナを僅かに用い、広範囲に広がるであろう術を一点に収束した破壊の一撃。
ウルカの攻撃を回避し、体勢の崩れているメデューサには躱し切れるはずも無い。
太い柱のようにも思える雷撃は、回避の隙も与えずメデューサを飲み込んでいた。
危うく巻き込まれかけて宙返りしながら着地したウルカは、その強大な破壊力を目の前にして、しかし一切の油断無く構えていた。
決まったと思った瞬間に敗北したことなど、カインとの訓練の中では数え切れないほどに経験してきたのだ。
術の持続時間はそれほど長くない、しかし永遠にも感じられるような時間の中。
――けれど、その術が終わる前に、雷の柱は弾けて消えていた。
「あああああああああああああああああああッ!!」
光を引き裂いて現れたのは、怒りに魔力をたぎらせるメデューサだ。
その身には僅かな火傷のような跡があるものの、まるで行動に支障をきたしているようには思えない。
彼女から湧き上がる魔力が、そのまま防壁のようになり、ミラの雷を阻んでいたのだ。
完全に防げていた訳ではないとしても、今の一撃はほとんど必殺と言っていい威力のものだ。
通常の魔物は言うに及ばず、下手をすれば《将軍》すら屠れる可能性のある一撃。
しかし、そのクリーンヒットですら、メデューサには大したダメージを与えることはできなかった。
「骨が折れるわね、これは……」
切り札を切るタイミングを考える。
二人の有する最大の手札は、いうまでも無く《神威転身》だ。
その力ならば、メデューサに有効なダメージを与えられるだけの自信がある。
だが、一度使えば、二人は発動後に動けなくなってしまうだろう。
この敵地のど真ん中では、致命的と言わざるを得ない状態となってしまう。
故に、使えるのはどちらか一人。そして発動が終わったら、もう一人が抱えて脱出しなくてはならない。
そこが、二人が生き残るための最後の一線だった。
「妥協は無し、必ず生きて帰る……だから、貴方達も」
小さく呟き、ミラは意識をさらに集中させる。
今は、他のことは考えない。ただ、目の前にいる相手を打倒するのみ。
荒ぶる己の敵へと向け、ミラは再び、猛々しい雷を放っていた。
* * * * *
一度人の理を超えてしまえば、その存在は二度と人の枠に戻ることはない。
それは即ち、人の枠そのものを破壊してしまう行為だからだ。
殻を破り、己の内側にある世界で現実世界を侵食する行為。
故に、内側から破られた殻が戻ることはない。破壊されたものが元に戻ることはありえないし、何より彼らはそんな己自身を絶対的に肯定しているのだ。
たとえそれがどのような形であれ、彼らは己自身を否定することなどありえない。
どれほど恐ろしい世界が顕現したとしても、それは変わらず己を肯定する。
そう――
「……そいつが、テェメの世界か、アルベール」
「そう、これこそが僕だ。理解できたかい、カイン?」
超越によって展開された空間。
カインのそれが紅月の昇る墓標の丘であり、リーゼファラスのそれが水晶の木々が並ぶ黄昏の森であるように。
現出した世界は、その使い手の願いが形を成したものであるともいえる。
そして、アルベールの場合――
「何も、無い……?」
「そう、これが僕だよ。これこそが僕だ」
彼を中心に広がっていた空間は、ただ何も無い、漆黒に染まった虚無の領域。
カインとリーゼファラスは、それを目の当たりにして即座に理解していた。
あの虚無こそが彼そのものであり、あれに飲み込まれたあらゆる存在は塵も残さずに消滅してしまうだろうと。
『無価値』――それこそが彼について回る呪いであり、そして終焉を求めるが故に彼の世界には何も無い。
あの虚無こそが、彼の願う世界の果てなのだ。
全てが等しく無価値になり、そしてそれを成すのが己自身であると言い張るように――
「……上等だ」
「ええ、全くです」
吐き捨て、二人は笑みを浮かべる。
例え何であったとしても、やるべきことは変わらない。
目の前にいるこの男を、徹底的に打倒するだけなのだから。
「来いよ、世界の敵。テメェの求める終わりをくれてやるぜ」
「ふ、ははは……ああ、一世一代の遊びだ。愉しもうよ、僕の敵」
二人は不敵に笑い――そして、三つの世界が激突した。




