116:神威の理
「《神威転身》、のぅ」
「はい、ジュピター様」
ケレーリアたちの到着を待つ、中央都市オリュークス。
散発的な襲撃こそあるものの、それほど大きな攻撃は発生していない中、ミラはウルカを連れてジュピターとの謁見に臨んでいた。
問いたいことはただ一つ、先日の戦いの中、教皇レウクティアが見せたあの力に関することだ。
《神威転身》と彼女が呼んでいたその力は、下層に蔓延っていた魔物の群れを、広範囲に渡って殲滅して見せていた。
ジュピターの力を借りることが出来るミラにも、近い攻撃は可能だろう。
だが、あれほど密集し、乱戦状態となっていた戦場に対して同じ攻撃が出来るかと問われれば、ミラは否定することしか出来ない。
そして驚くべきことは、一つ一つの攻撃に込められた威力が、ミラの全力にも匹敵するほどのものだったことである。
「大量の魔力とプラーナによって極限まで上位神霊の力を降ろし、本来の力に近い攻撃を放つ……私に見えたのは、そこまでです」
「正直、かなり無茶であることは分かっています。でも、強化された《将軍》と渡り合うためには、絶対に必要なんです!」
地下で遭遇した、メデューサと名乗る《将軍》。
その力は、リーゼファラスの防御こそ貫けなかったものの、今まで小揺るぎもし無かった彼女の防壁に対して圧力を感じさせていたのだ。
アルベールがいかなる方法を取ったのかは不明であるものの、何らかの強化がされていることに間違いはないだろう。
それを相手にしなければならない以上、今までのままでは駄目だと、間接的に《将軍》のことを知ったウルカも考えていたのだ。
その言葉を聞き、頬杖を付いていたジュピターは軽く溜め息を吐き出す。
「正直、その《将軍》はお主らが相手をする必要はないと思うのじゃがな。リーゼファラスたちのほうに因縁があるのじゃろう?」
「あの時、あの場所にいたということであるならば、私たちだって同じです。それに……あの二人に、余計な力を使わせるわけには行かないと判断しました」
「僕たちは、露払いにしかなりません。だからこそ、それを全力でやり遂げるだけの力が必要なんです」
時間はもうあまり無い。普段通りの修練を積んでいた所で、最早意味は無いだろう。
故に必要なのだ、絶大な力が。例え僅かであろうとも、カインたちに近づけるだけの力が。
そうでなければ、意味が無い――これまで、彼らと共に戦ってきた意味が無いのだ。
「ジュピター様、私には……私たちには、護らねばならないものがあります。けれど、私達は未熟、そして力不足……それを、彼らと行動する間に学びました」
ジュピターとの契約を交わし、最高位の聖女と呼ばれ、己には多くを護るだけの力があるのだと信じていた。
それは決して間違いではない。戦いを始めた当初であれ、ミラは街一つを救うだけの力を有していたのだから。
だが、それでは足りない。今この街を、この国を襲っている危機を排除するには、それではあまりにも不足すぎる。
旅の間に幾度も見た、真に力を持つ者たち。そして、そんな者たちですら、容易く命を奪われる現実。
自分達が強者であるなどとは驕れなくなり――それでも、膝を折ることはなく。
ミラとウルカは、ただ過酷な戦場を進み続け、そして護るべきものを見つけ出したのだ。
ミラは、この国に住まうあらゆる民を。ウルカは、己を守り育ててくれた家族を。
そして、自分達と共に駆け抜けてきた戦友を。
彼らを護るなどとは、とてもじゃないが口に出せないが――それでも、あの二人を万全の状態で送り出す程度は、やらねばならない。
「確かに、僕たちに出来ることは少ないです。その力を使えるようになったとして……それでも、勝てるかどうかは分かりません」
「けれど、私達が少しでも時間を稼げるのなら、あの二人はその分だけ力を使わずに先に進むことが出来ます。それが、勝負の分かれ目になるかもしれないのです」
「だから、お願いします!」
勢い良く頭を下げる二人に、ジュピターは小さく嘆息する。
確かに、現在のこの二人では、強化された《将軍》に勝利することは難しいだろう。
修練を積み、プラーナを十分操れるようになった二人は、通常の《将軍》とも渡り合えるだけの力を手に入れた。
若い固体であるならば、有利に戦いを進めることも不可能ではないだろう。
だが、それ以上は――アルベールによって強化された《将軍》が相手では、時間稼ぎが精々と言った所だ。
「言わずとも分かっておるじゃろうが……あの力には、相応のリスクが存在する。使えば、短時間ではあるが、確かにその《将軍》にも匹敵する力を得ることが出来るじゃろう」
《神威転身》とは紛れも無く、上位神霊の力を見に降ろすことに他ならない。
それは即ち、ほんの僅かな間であれ、カインたちにも近い力を発揮できるようになると言うことだ。
神霊契約者――それも、上位神霊契約者のみに可能性が与えられる、正しく奥義とも呼ぶべき力。
「じゃが、今のお主らでは、一度の発動が限界。継続時間もそれほど長くはなく、一度効果が切れればお主らも行動不能に陥るじゃろう」
発動の条件となるのは、大量の魔力とプラーナだ。
しかし、それだけの力を発揮するためには、当然これまでの術とは比べ物にならないだけの力が必要となる。
ミラもウルカも、魔力に関してはかなり習熟していると言っても過言ではないだろう。
だが、プラーナにはまだまだ改善の余地がある。ジュピターの目から見れば、《神威転身》を使うにはまだ未熟と言わざるを得ない。
使った後に行動不能になるような力など、意味はないのだから。
「分かっておるのか? 敵の本拠地で、行動不能となるのじゃぞ?」
「覚悟の上……なんてことは、口が裂けても言えません。私達には、護るべきものがある。ここで倒れるわけには行きません」
「でも、立ち上がらなければ、護れるものも護れない……余力を残し、敵を倒し、そして無事に帰還するつもりです」
――無謀である。それが、ジュピターとしての判断だ。
だが――例えそうであったとしても、二人の選択に価値があることには違いなかった。
二人の力によって、或いは二人の犠牲によって、カイン達がアルベールに辿り着くまで力を温存できるのならば、頂点に立つものとしてそれを選択しなければならない。
「……老人に、随分とまぁ酷なことを決めさせてくれるものじゃな、愚か者共」
「普段は若者ぶっているのに、こういう時だけそんなことを言うのはずるいですよ、ジュピター様」
「生意気を言いおる、小娘が」
苦笑し、ジュピターは立ち上がる。
驚いた様子の二人に対し、彼女はその手を広げ――両手の上に、二つの炎を発生させた。
銀色に輝く、揺らめく炎。小さな火種程度でしかないそれ。
しかし、そこに秘められた途方もないエネルギーを感じ取り、二人は思わず息を飲んでいた。
「これは鍵じゃ」
「鍵……? 一体、何の鍵だと仰るのですか?」
「《神威転身》とはお主の睨んだとおり、我等の力を直接その身に降ろし、操る力じゃ。それだけに負担も大きく、危険も多い。じゃが――それ以上に、我等の側にも問題がある」
揺れる炎をもてあそびながら、ジュピターはそう呟く。
輝く炎は、ジュピターの憂いを宿した顔を浮かび上がらせる。
見たこともないような、己が主神の姿。それに戸惑いを覚えながら、ミラは問いかける。
「問題、ですか?」
「うむ。我らの力は、あまりにも強大すぎるのじゃよ。リーゼファラスのように未だ完全に至っておらぬような未熟者や、カインのような成りたてならまだしも、我等はこの世界に存在するだけで世界に負担をかけてしまう」
それは、純粋に世界の容量の問題だ。
ジュピターたちは、《魔王》や《女神》、その従者達には到底及ばないものの、それでも高位の力を有する存在だ。
世界を滅ぼせるほどの力を持つ存在であり――それ故に、その力の総量は、あまりにも巨大すぎる。
「純粋な大きさの問題じゃ。我らの力は、この世界の中に無理矢理収めようとしてしまえば、それだけで世界は崩れてしまう。故に、我等の本体は神域に存在しておるのじゃよ」
「……しかし、《神威転身》はジュピター様たちの本来の力を、こちら側に呼び寄せるのですよね?」
「うむ。故に、この鍵が必要となる」
ジュピターが差し出す、銀に輝く炎。不思議と熱は感じないそれに、ミラとウルカは釣られるように手を伸ばす。
その瞬間――銀色の炎は、まるで吸い込まれるように二人の手の中へと消えていた。
思わず驚いて手を跳ねさせるが、既に銀色の炎の姿は何処にもなかった。
そんな二人の反応に苦笑を零しつつ、ジュピターは続ける。
「我等は、直接この世界に干渉することは出来ん。故に、契約がある。じゃが、契約を伝って渡すことが出来る力の量はごく僅か。言ってしまえば、契約は小窓じゃ。受け渡せる力の総量もたかが知れておる」
「……ならば、先ほどの鍵、そして《神威転身》とは――」
「然り。その小窓が付いておるのは、もっと大きな扉じゃ。それこそ、我らが通り抜けられるほどのな」
契約では、引き出せる力の総量に限りがある。
《神威転身》とは即ち、その制限を取り払うための方法なのだ。
その真実を知り、ミラとウルカは息を飲む。その力がどれほど危険なものなのか、その話だけでも理解することが出来たのだ。
世界を滅ぼすことすら出来るジュピターたちの力を召喚し、そのまま操ること――それがどれほど、世界に負担をかける行為であるのか。
制御を失えば、どれほどの破壊をもたらしてしまうのか。その実感が、胸の奥に重く突き刺さる。
けれど――
「分かり、ました。これで、あの力を使うことが出来るのですね?」
「これなら、いける……ありがとうございます、ジュピター様」
「……分かってはいたが、お主らは本当に馬鹿者じゃな。この話を聞いて尚、あれを使おうとするなど」
「自覚はしています。今の話を聞いて、怖気付きそうになったのも確かです。でも――」
「僕たちが、やらないといけない――僕たちが、やりたいんです。その為に、今のままではどうしても力不足でしたから」
危険であることは理解した。
しかし、同時にそれだけの力があることも理解したのだ。
鍵があれば、使い方は理解できている。今この瞬間でさえ、その力を発動することは出来るだろう。
制御に難があることは事実だが、不思議と不安はない。
「ありがとうございます、ジュピター様。必ずや、世界に降りかかる災厄を打ち払って見せます」
「僕たちに出来ることは、大したことではないけれど……あの人達を、必ず送り届けます」
「……やれやれ」
ジュピターは嘆息する。それは嘆きか、呆れか。
ミラには、この世界のあり方を見せるために。ウルカには、己の視野の狭さを理解させるために。
未来ある若者達を、この世界を担うに足りる人材にするため、ジュピターはこの二人をリーゼファラスと共に行かせたのだ。
結果、二人はジュピターが思う以上の成長を果たした。
戦う力も、護るべきものに対する意識も、彼らは既に一人前であると言っていいだろう。
けれど、このような形で二人を死地に向かわせることになるとは思っていなかったのだ。
(我等は結局、神ならぬ身……所詮は紛い物に過ぎんということか)
宙を見上げ、ジュピターは胸中で呟く。
絶大な力を有していようと、その力の限界は存在しているのだ。
世界を変えることを願い続け、無限の時を戦い続け、その最果てへと至った《魔王》達とは違う。
願いの強度が、世界に懸ける想いが、その理の深度が。故にこそ、ジュピターは未だ霧の中にいる思いを晴らすことは出来なかった。
因果も、未来も、過去すらも歪める彼らの領域には、遠く及ばない。
――今、ジュピターに出来ることは本当に限られているのだ。
(願わくば、未来ある若者達が、無事にここへと帰ってくることを)
人を超えた己が身を呪いながら、ジュピターはそっと、世界を見守る《魔王》と《女神》へ祈りを捧げていた。




