108:黒き銃口
響き渡った銃声に、魔物を斬り伏せていたウルカは顔を上げる。
それがただの銃声であったならば、ウルカは別段反応する事は無かっただろう。
今この都市の中において、銃声の聞こえない場所などあるはずもないのだから。
ウルカが銃声に気を取られたのは、その音が酷く聞き覚えのあるものであったためだ。
ウルカは銃声の違いなど詳しく理解しているわけではないが、普段から聞きなれている音については即座に判断できるよう記憶に焼き付けているのである。
今回の場合は――
「カインさんの、銃? いや、でも……単発だった上に、カインさんはまだ――」
呟き、ウルカは視線を上げる。
オリュークスの上空、人間では到達できない遥か高き場所に、黒き骨格の翼を羽ばたかせて飛び回る漆黒の影が一人。
似たような銃声を発する銃を持つ彼は今上空にいるのだが、今聞こえてきた銃は間違いなく地上から響いてきていた。
即ち、今の銃声を発した人物は、カイン以外の、カインと似た銃を扱う人間であるということになる。
そんな人物の心当たりは、ウルカには一人しかいなかった。
「……まさか、シーフェさん?」
カイン専属のガンスミス、ひたすらに強力で危険な銃を作成し続ける人物。
その想像が正しいと言わんばかりに、空中にいるカインが銃声の方へと向けて方向を転換する。
そんなカインの姿をしばし見上げていたウルカは、直後彼を追うようにして地面を蹴っていた
シーフェはウルカの探したい人物ではないが、空を飛べるカインがその場に向かっている以上、数少ない接触のチャンスとなるだろう。
上空を飛びまわることが出来るカインならば、何かしらの手がかりも手に入るのではないか――そう考えたウルカは、カインとの接触を目的に銃声の方向へと走り出す。
途中、接触した魔物達を炎の刃で切り伏せながら、ウルカはもう一つ感じた違和感について視線を細めていた。
(ただの銃声なら、別に気にしなかった。だけど、あれは――)
上空を飛ぶカインを見上げ、ウルカは視線を細める。
先ほどの銃声が響き渡った瞬間、慣れ親しんだ戦慄がウルカの背筋を走っていたのだ。
それは間違いなく、カインの操る“死”の刃の気配。
触れれば存在を蝕まれてしまうのではないかと思うほどの、冷たい終焉の感覚。
カインの持つ大鎌に比べれば、ごく小さな揺らぎのようなものでしかなかったが――
(確かに、カインさんの気配だった。でも、カインさんは確かに上空にいたし、今までは銃撃と一緒にあの攻撃をしたことなんて無かったはず)
カインの持っていた銃は、普通の人間には使いこなせないような仕様になってはいたものの、構造自体はあくまでも普通の魔力銃と変わらなかった。
それ故に、彼がどれだけ銃を乱射しようとも、それと共に“死”の気配を感じるようなことはなかったのだ。
だが、今回は違う。間違いなく、銃声と共に“死”の気配を感じ取ることが出来たのだ。
(一体何だ、何が起こってる? 敵の行動といい、分からないことだらけだ)
後手に回っている感覚が、ウルカの思考を焦らせる。
オリュークスでも、世界全体でも、今は全てアルベールが主導権を握っている状態にあるのだ。
故に、ウルカは苛立ちと共に視線を細める。
例え気に入らない場所であったとしても、己の生まれ育った場所を蹂躙した敵に対して、激しい怒りを覚えながら。
「絶対に……好きにさせるものか!」
炎を纏い、街を駆ける。
その視線の先にある黒い骨格の翼は、その高度を落として地面へと降り立とうとしている所であった。
* * * * *
砲撃と紛うような、禍々しい銃声。
その音は、どこか断末魔の悲鳴にも似た恐怖や嫌悪を湧きあがらせる。
それも当然だろう。何故なら、その銃を構成する全ての部品は、カインの身より取り出された“死”そのものなのだから。
生ある者にとって、終焉を想起させるその銃より放たれる弾丸は、強力なる“死”の属性が染み付いている。
あのリーゼファラスすら、体内に“死”の黒刃を取り込めば、大幅に衰弱する事を避けられなかったのだ。
その対象が人間やただの魔物であった場合、耐えられる道理などありはしない。
「な、っ……!」
弾丸の餌食となった《兵士》が、体内から黒い刃に甲殻を食い破られ、奇怪なオブジェと化してゆく。
その様を目を逸らす事もできずに見つめながら、ロムルスはエリューナを抱きしめたまま、圧倒されるような根源的な恐怖に必死に耐えていた。
普通の生物にとって、“死”とは本能的に忌避する概念だ。
生物には生存本能があり、習性として染み付いたその本能は、反射的に“死”という概念を避けるようになる。
故にこそ、カインの力は、生物にとって最悪の切り札であると言えるのだ。
「あーあ、全く、らしくないわぁ……」
ふと、声が響く。
酷く脱力し、心底不本意だと言わんばかりの声音で、女の声が路地へと響き渡る。
完全に絶命した《兵士》からなおも目を離すことが出来なかったロムルスは、その声によって我に返っていた。
そして、同時に理解する。自分たちは、この声の主によって助けられたのだと。
一体どのような攻撃であったのかは、彼らにはさっぱり理解出来なかったが、それでも命を救われたことは紛れもない事実だ。
筋は通さねばと、礼を言うためにロムルスは周囲を見回す。
そんな彼の視界に入ってきたのは、蒼白な顔で壁にもたれかかる、幾度か見た覚えのある女性の姿であった。
「貴方は……確か、カインさんのところの――」
「シーフェ、よ……あんたは、あの子供の親よね」
シーフェとロムルスたちは、あまり何度も顔を合わせたことがあるわけではない。
銃の作成ばかりを行っていたために、シーフェはあまり外に出ていなかったのだ。
彼らが顔を合わせた機会はたった一度――ロムルスたちが、カインの元に挨拶に来た際だけだった。
それでも、滅多に来客のないカインの家を尋ねてきた人物であったため、シーフェの記憶に残っていたのだ。
彼らがウルカの両親であることに気付いていたとはいえ、自分らしくもない行いに、シーフェは思わず苦笑する。
他人などどうでも良いと思っていた。研究肌の人間であるシーフェにとって、価値のあることは己の研究だけだったから。
それが揺らいだのは、カインに拾われて以来の生活があったからこそなのだ。
感化されたのだろう。他人の――カインの生き方に。彼の抱く、その考え方に。
故にこそ、死にたくないと足掻く人間を放置することは出来なかった。
彼らはまだ死すべき時ではないと、そう思ったから。
「あたしと違って、ね」
「シーフェさん? いや、今はそれどころじゃない、早く逃げましょう! この場にいては、いつ魔物が襲ってくるか!」
「そんなの、何処だって変わらないでしょう。今はもう、この都市の何処にも逃げ場なんてないでしょうし……」
二重の外壁に覆われた都市。その入り口は、外側から攻め入ろうとする魔物の群れによって塞がれている。
かと言って、穴を掘って内部に侵入されている以上、篭城を選択する事すらできない。
逃げ場など、存在しないのだ。だからこそ、下手に逃げ回ることに意味などない。
「息を潜めていたほうがまだマシ。それに……あたしはもう、逃げる意味なんてないから」
「え……一体、何を」
「さっきの銃声を聞きつけて、カインがもうじきここに来るわ。そして、さっきの銃は……」
「――俺以外の人間が使えば死に至る、だろう」
刹那、声が響いた。三人の頭上から、どこか呆れと諦観の混じる声音で。
その声の主が誰であるかなど、考えるまでもない。シーフェは嬉しそうに頬を緩ませ、彼の名を呼んでいた。
「遅いわよ、カイン」
「こちとら、コーカサスから戻ってきたんだぞ? 無茶を言うなってんだよ」
姿を現したのは他でもない、黒い刃の翼によって宙に浮かぶカインであった。
彼はゆっくりと地面に降り立つと、その異形の翼を隠そうともしないまま、シーフェへと視線を向ける。
対し、ロムルスたちは、そんなカインの姿に驚愕を隠せずにいた。
「か、カインさん? その姿は一体……いや、今はそれよりも!」
「あの、先ほどシーフェさんが使われた黒い魔力銃……貴方が仰ったことは、本当なのですか?」
ロムルスと、エリューナの言葉。
ちらりとウルカの両親の姿を確認したカインは、嘆息交じりに首肯を返していた。
カインの創り上げた“死”の刃によって構成される魔力銃。
それは即ち、カインの大鎌たる《刻限告げる処刑人》と同じく、“死”の集合体に他ならない。
触れただけであらゆる存在を死滅させる大鎌と比べればまだ密度は薄いものの、刃一本と比べればその密度は圧倒的に高い。
そんな者に触れれば――あまつさえ使ってしまえばどうなるか、そんなことは考えるまでもなく明白だった。
カインの目には、黒い魔力銃から湧き上がる“死”によって、シーフェの体が蝕まれている様子が見えている。
それが既に手遅れであることも、カインには理解出来てしまっていたのだ。
「……お前は、その終わり方を選んだんだな、シーフェ」
「ええ……その通り。これが、あたしにとって最高の“死”よ、カイン」
満足気に笑い、シーフェはそう告げる。
その表情の中には、一切の曇りは存在しなかった。
かつて、テッサリアの傍らで見た男の亡骸と同じように――そして、腕の中で果てたアウルと同じように。
その終わり方に納得し、満足している表情だった。
二人の様子から決して冗談などではないことを理解し、エリューナは声を上げようとする。
だが、そんな彼女をロムルスが押しとどめていた。彼女を止めることができないならば、今この場を邪魔してはならないと。
「聞かせてくれ、シーフェ。お前にとって、これが最良なのか?」
「さあ、最良なんて分からないわよ。でも、あたしはこれが最善だったって信じてる」
ふらりと、シーフェの体が揺れる。
瞬時に近付いたカインは彼女の体をすぐさま支え、満足そうな彼女の笑みを覗き込むようにして見つめていた。
「あたしは、本当の意味であんたの力になれなかったから。あたしの作る兵器なんて、あんたからすればただの玩具だったから」
うわ言のように、シーフェは呟く。
カインはそれを、沈黙を保ったまま聞いていた。
否定は出来ないだろう。圧倒的な力を持つカインの能力の前では、どれほど強力な魔力銃でも牽制程度の武器でしかなかった。
だからこそ、シーフェは求めたのだ。己自身の価値を、生者を映さぬカインの瞳に、自分の姿を映り込ませるための方法を。
「だから、約束した……あたしの命を、あんたにあげる。あたしの“死”を、あんたに捧げる。それが……あたしが、永遠にあんたのものであるための、唯一の方法だから」
「シーフェ、お前は……」
「何も、言わないで。あたしはようやく、本当の意味で、あんたのものになることが出来るんだから」
――“死”そのものに価値を見出したカイン。
――“死”の果てに価値を見出したシーフェ。
その言葉の中に、カインは理解を得ていたのだ。
己の“死”に最高の価値を見出していた彼女は、本当の意味でかつてカインが求めていたものを得ることが出来たのだと。
故に、カインはそれを否定しない。否定などするはずがない。
ただ、この至高の終焉を目に焼き付けようと、じっとシーフェの姿を見つめるだけだ。
「ねぇ、カイン……あたしのこと、ちゃんと、使いなさいよ」
ゆっくりと、ただゆっくりと、シーフェの体に“死”が満ちて行く。
己を蝕む黒い銃を、大切そうに抱えながら。
彼女の身体は、黒い靄に包まれ、“死”の銃へと同化してゆく。
それは正しく、一振りのナイフと化したアウルの亡骸と同じであった。
「忘れたりしたら、承知しないから、ね――――」
小さく、そんな言葉だけを残して――死神に己を捧げた女は、一丁の銃の内へと姿を消していた。