103:追撃
「ああもう、どうすりゃいいってのよ!」
激しく揺れる車内で気分の悪さを感じながら、ミラは思わず口汚く毒づいていた。
ジュピターの力を持つミラは、地上から地中の敵を攻撃する手段は持っていない。
ジュピターとの契約によって得られた力は強力無比であるが、その性質が雷そのものであるが故に、地面より下に対して物理的な破壊力を及ぼす事は難しいのだ。
無論、威力を高めればそれも不可能ではないのだが、広範囲に広がるような形で力を分散させた場合、それだけの威力を作り出す事は難しくなってしまう。
それに加えて、地中からの奇襲に対しては対応しづらいという問題もあった。
もしも地上で立っている状態であれば、攻撃を躱して相手を仕留める事も可能だろう。
相手の奇襲さえ捌いてしまえば、後続の魔物を潰す事も容易いはずだ。
しかし、走行中の車内からでは相手の攻撃を察知する事も難しく、例え気付けたとしても迎撃する事すら困難なのである。
上空を飛んでいるカインであれば、攻撃された後の迎撃は簡単だ。
今も、魔物達の追撃を受けぬよう、出てきた魔物達を片っ端から殲滅し、動きを止めさせている。
だが、それも根本的な解決にはならず、作業に追われるだけとなっているのが現状だった。
ウルカの場合も、状況はそれほど変わらない。
彼の火力であれば地面の下まで攻撃する事も難しくはないが、車内からそれだけの規模の攻撃を飛ばせば、確実に車体にまでダメージが及んでしまうだろう。
ウルカの放つ炎の威力は絶大ではあるが、その制御力はまだミラのそれに及んでいないのだ。
現状で不可能な事はミラも求めるつもりは無かったが――結果的に、ミラもウルカも手が出せない状況となっていた。
「ミラさん……!」
「分かってる。いざとなったら、リーゼを抱えて飛び出せるようにしておきなさい。ここで足を失うのは痛いけど、背に腹は変えられないわ」
「そう……ですね。分かってます」
リーゼファラスの隣に控えるようにしながら、ウルカは静かに頷く。
彼もまた、現状己に出来る事が少ないことを理解しているのだ。
下手に攻撃して車のバランスを崩させてしまえば、その隙に攻撃を受けてしまう可能性がある。
この状況で威力を絞って攻撃するぐらいならば、サポートに回った方がマシであると、ウルカ自身も考えていたのだ。
(……正直、これがいつまでも続くのであれば、こっちの車も長くは持たないわね)
非常に高度な乗り物ではあるが、燃料には魔力が必要であり、その供給には車を止める必要がある。
このまま必死に走り続け、もしも車体を動かすための魔力が尽きてしまえば――その時点で、終わりとなってしまうだろう。
以前にも経験がある自体であるが故に、既に防御と脱出の手筈は整えているのだが、出来ればそのような事態にならない方が良いだろう。
この場で足を失ってしまえば、オリュークスがどうなるか全く分からなくなってしまう。
憔悴した様子のドライバーを横目で眺め、ウルカは人知れず唇を噛んでいた。
(せめて、相手の出てくる位置さえ分かれば……何か、何か無いのか! 魔物の位置を把握する方法……!)
魔力を帯びている訳でもない魔物は、魔力探査では発見しづらい。
目視では手遅れだし、気配などという曖昧なものを直感で察知できるのはアウルだけだった。
(他に何か……そう、発想を転換するんだ。魔物が持っているもので、僕が感知できるものがあれば――)
だが、身一つで襲いかかってくる魔物達に、持ち物などあるはずが無い。
魔物達が持っているのは、あくまでもその命と身体だけなのだから。
持っている生命を感知する方法でも無い限りは――
「……身体?」
ぽつりと、ウルカは呟く。
そう、無尽蔵に《奈落の渦》の中から湧き出し、その数を増していく魔物達も、一応は生物に分類される。
尤も、その生物としての構造は、人間や他の生物とは明らかに違っているのだが、それでも生きている事に変わりはない。
ならば――
「……運転手さん、右に避けて!」
「っ、はい!」
急激なハンドル捌きに体を揺らされながらも、ウルカは感じ取った感覚を信じながら車の左側へと視線を向ける。
その直後――ウルカが睨んでいた方向から、黒い角が斜めに突き出てきていた。
そのまま走行していれば車体を貫いていたであろうそれを間一髪回避して、ウルカは己の感覚が正しかった事を確認する。
「ウルカ!? 今、どうやって……」
「熱です! あいつらも一応は生物ですから、体温を持ってます! 僕なら、それを感知できる!」
火と鍛冶の神霊であるヴァルカンは、同時に熱を操る力を有している。
鍛冶に欠かせぬ能力とのことではあったが、ウルカは今回それを応用したのだ。
例えどれほど硬い外殻に包まれていようと、魔物達の持つ温度は、地中のそれとは全く異なるものである。
故に、地中に異常な温度が存在するかどうかのみを見ておけば、魔物の存在を感知する事も不可能ではないのだ。
ただし、地中まで感知するにはそれなりに魔力を消費する必要があり、高い魔力を持つウルカにとっても安い出費ではなかったが、背に腹は変えられない。
魔力を放出して熱源を探しながら、ウルカは素早く指示を飛ばしていた。
「次、正面から来ます! そうしたら加速して! 真下から狙ってこようとしてます!」
「了解です!」
余裕を持って回避できるようになったためか、運転手の表情にも若干の余裕が戻る。
状況は未だ切迫してはいるものの、僅かながらに好転したのだ。
根本的な解決にはなっていないが、士気を上げるにはそれでも十分だったのである。
「やるわね……今回は、私の方が出来る事が無さそうね」
ぽつりと呟き、ミラは戦闘体勢を維持しながらも僅かに意識を沈静させる。
敵の殲滅をカインが行い、索敵をウルカが行っている以上、できる事は少ないのだ。
ならば魔力を節約し、車に対する供給の為にとっておく事も仕事の一つだと言える。
今回ウルカが使用している索敵方法は、魔力の消費が激しいのだ。
このまま戦闘が続けば、魔力供給の余裕はなくなってしまうだろう。
(でもこれで、向こうがどの程度こっちの事情に通じているかも分かるかしらね)
ミラは胸中で呟き、僅かに視線を細める。
現在魔物達に指示を出していると思われる存在は、ミラとウルカの能力を――その苦手とする部分を理解していた。
現状、ウルカに関しては完全に苦手とまでは言いがたい状況になっていたが、ミラにとっては相手のし辛い手合いのままだ。
そして、もしもこのままこの攻撃が延々と続けられれば、ミラたちは再び窮地に陥る事となる。
ウルカと、そして車に蓄えられた魔力の消費は、やがて無視できない領域まで踏み込む事となるだろう。
けれど現状、相手の攻撃に対して的確に対処できるようになった事は事実だ。
これを見て、魔物側がどのような対応に出るか――その反応によって、アルベールがどの程度ミラたちの事情を理解しているかが分かるだろう。
(まあ、どちらにしろ……リーゼが今動けない所までは、しっかりと把握されてるんでしょうけど)
寝転がるリーゼファラスへと視線を向け、ミラは気付かれぬ程度に小さく嘆息する。
この状況は、リーゼファラスならば力技で解決する事が可能なのだ。
地面ごと、魔物達を纏めて水晶化してしまえばいい。例え車が走行中であったとしても、その程度はリーゼファラスにとって造作もない事なのだから。
リーゼファラスの力を間近に見たあるベールならば、その程度は簡単に予測がつくだろう。
だが現状、それを行う事はできない。リーゼファラスの負ったダメージは、簡単に回復しきれるものではないのだから。
(こちらには情報が足りない……だから、少しでも引き出させて貰うわよ)
気分の悪さを押し殺し、怒りの篭った視線をコーカサスの方角へと向ける。
ミラにも、仲間を殺された事に対する怒りがあるのだ。
故に、明確な敵として――実体の知れぬ《奈落の渦》よりも、なお憎い敵として、アルベールの事を認識していた。
今のミラの中にあるのは、いかにして彼の化け物と戦うかと言う、その一点のみである。
故に、ミラは観察する。魔物達の動きを、それを操る者の癖を。
「絶対に……思い通りになんて、させない」
――ミラの言葉の中には、隠しがたい怒りが込められていた。
* * * * *
結局、魔物達の襲撃は、奇襲を察知できるようになってからしばらくした後に止んでいた。
同じ戦法が通用しなくなった事に気付いたのだろう。
実際の所は、あのまま続けていれば追い詰める事が出来ていたのだが、相手も流石にそこまでは想像できなかったのだろう。
或いは、単なる威力偵察か足止めであり、必要以上に戦う必要は無いと判断したのか――そこまでは、分からないが。
「ともあれ、魔物達が高い知能を持つ存在によって操られている事は確定のようですね……済みません、私が戦力にならないばかりに」
「い、いやいや! いいのよリーゼ、今回ばかりは仕方ないわ」
「それに、こんな事態でもなければ、殆どリーゼさん達だけで解決してしまいますから。たまには、僕達にも戦わせてください」
「貴方達は十分に働いていると思いますが……まあ、そういう事でしたら、今しばらくはお任せしましょう」
恐縮した様子のミラとウルカに対し、夕方頃になって目を覚ましたリーゼファラスは苦笑と共に首肯する。
起き上がれる程度には回復したのか、その表情はいつも通りだ。
しかし、ミラたちの提案を否定できない程度には、まだダメージが残っているのである。
そんな彼女の様子に、脇で見ていたカインは視線を細めて声を上げた。
「リーゼファラス。お前、後どれぐらいで完了しそうなんだ?」
「そうですね……集中して行って、一日以内には」
「そうか。なら、明日も今日と同じ、って所かね」
がりがりと頭を掻き、カインは嘆息を零す。
リーゼファラスの負ったダメージは、超越者にとっては看過し得ないものだ。
その上で、更に他者の能力を支配しようとしているのだから、無理が生じるのは当然である。
むしろ、それだけの早さで支配を完了させる事の方が、カインとしては驚愕すべき事態であった。
――だが、同時に事態が切迫している事もまた事実である。
「あまりしっかりとは確認していないが、恐らく現在位置はオリュークスまであと一日って所だろう。本来なら、今頃到着していてもおかしくは無かったんだが――」
「崖や川の迂回路を探したり、魔物との戦闘でルートを外れたりしてましたからね……結構、無駄に時間がかかっちゃってます」
「厄介ね。今後も妨害無しとは行かないでしょうし」
悩ましげに額へと指先を当て、ミラは嘆息交じりの言葉を零す。
出来るだけ早くオリュークスに到着したいのも事実であったが、状況的に車以外の選択肢は存在しない。
徒歩で進むには距離がありすぎるし、流石のカインも何人も抱えて飛ぶ事は難しいだろう。
もしもリーゼファラスの状態が万全であれば、カインと彼女で他の面々を抱えて移動する事も可能だったが、無いもの強請りをしても仕方がない。
「移動が速いのは助かるけど、脆いし戦い辛いのが困りものよね」
「……申し訳ありません」
「ああいやいや、貴方が悪い訳じゃないわよ。不可抗力なんだから、気にしないで」
視線を伏せる運転手に、ミラは苦笑交じりの表情で首を振る。
乗り物酔いの事もあり、ミラにとって自動車はあまり愉快ではない乗り物である事も事実だったが、それを理由に他人を責めるつもりは毛頭無かった。
ミラとてその移動速度や輸送性は認めているし、現状ではこれ以上ないほど有用な手段である事も事実だったからだ。
だがそれでも、現状維持せざるを得ない状況に、ミラはストレスを感じていたのだ。
「ともあれ、急ぐしかないわね。幸い、地中からの奇襲はウルカが防げるようになったし、それ以外の位置なら私も参戦できる」
「後考えるべきは遠距離からの砲撃だろうが、そっちは俺が最初から飛んでるようにしよう。そうすりゃ、迎撃も難しくは無い」
「……後は、私が回復し次第、他の面々を抱えて走ると」
「いや、それは最後の手段なんじゃ……順調に行けば、明日中には何とか到着するでしょうし」
頷くリーゼファラスに対し、ウルカが苦笑交じりにそう答える。
とは言え、そう簡単には行かないであろう事も、彼は予想していたが。
「ともあれ、さっさとオリュークスまで戻るとするぞ。少なくとも、放置しておいたら愉快じゃない状況になるのは間違いない」
「ま、それに関しては同感ね」
首肯し、ミラは視線を上げる。
空を覆い尽くす星空に、暗雲は一つとして存在しない。
だがそれでも、彼女の心は、晴れぬままに渦巻いていたのだった。