表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女の唄う鎮魂歌  作者: Allen
最終章:聖女の唄うレクイエム
102/135

100:逃走












 ファルティオンの中心、中央都市オリュークス。

その頂点に座す上位神霊ジュピターは、正印教会教皇レウクティアとの定例会議を行っていた。

教会の運営そのものについては、ジュピターはレウクティアに任せている状態にある。

そもそも、ジュピターは人間の暮らしそのものにはそれほど興味を持っていないのだ。

国の運営そのものは教会に任せ、ジュピターは《奈落の渦》との戦いに関して助言を行う立場に徹していた。


 この日も、各地から送られてきた報告や、契約者の情報を受け取りつつ、一人と一柱は話し合いを続けていた。



「テッサリアの状況は分かりましたが……例のあの男、《渦》に奪われた状況は危険なのでは?」

「ふむ、それは否定できんな。儂としても、まさか首魁が直接現れるとは思わなんだ。リーゼファラスがすぐにでも動ける状況であったのは幸いだったか」

「……こうなると、ジュピター様が聖女ミラの状況を把握できぬ事が惜しまれますね」

「無茶を言うでない。いかな儂とて、あの《奈落の渦》共の領域まで知覚を飛ばす事は無理じゃよ。もう少し離れておれば良いのじゃがな」



 椅子の上に片膝を突く体勢のジュピターは、やれやれと首を振った後に卓上の焼き菓子を摘む。

その姿勢は非常にリラックスしており、苦々しい言葉の割に焦りのような感情は一切見られなかった。

それが、上に立つ者として焦りを見せぬようにしているからなのか、はたまた全く問題視していないのかについては、知に優れたレウクティアにも判断は出来なかったが。

見た目は幼い少女であるとは言え、ジュピターは神霊たちの頂点に座する最高位の上位神霊。

その知識も経験も、己などでは足元にも及ばぬのだと改めて理解したレウクティアは、軽く息を吐きながら紅茶で唇を濡らしていた。



「それで、ジュピター様? この状況、問題はないとお考えですか?」

「レウクティアよ。儂はの、理外の理を持つ者達を信頼しておる。特に、リーゼファラスと《安寧》の事はな」

「《安寧》? それは、まさか『安寧の聖女』ネル様の事ですか?」



 テッサリアの崩壊と共に命を落とした聖女。

多くの人間を癒し、救いを与えてきた『安寧の聖女』。彼女との直接的な面識はないものの、レウクティアもその名前程度は聞いた事があった。

あらゆる者に分け隔てなく、平等に救いを与える慈悲深き聖女。

そんな彼女がジュピターからの信頼を得られていたとしても、全く不思議ではない。

だが――レウクティアは、その上で疑問に首を傾げていた。



「あの方は、既に亡くなられている筈です、ジュピター様。何故今になって、ネル様の名前を?」

「まあ確かに、あ奴が死んでいる事は事実じゃ。テッサリアが滅びたあの日、ネルは無数の死と共に消えた。しかし……」



 そう声を上げ、ジュピターは口元を笑みに歪める。

不敵な、力ある者にある特有の気配を漂わせながら。

その視線は遥か先、コーカサスの方角を見据えるようにしながら。



「あ奴の意志は、魂は、あの日に終わった訳ではない。儂は、それを知っておる」

「それは、どういう事ですか?」

「あの男の中には、ネルの意志がまだ生きておる。そんな男を、《奈落の渦》が利用しようとした所で、果たして何処までいけるものか……寧ろ、気になるほどでもあるな」



 その言葉に、レウクティアはジュピターに気付かれぬ程度に溜息を零す。

自分自身には理解できぬ感覚であり、その上で若干博打の領域も存在するような話だったのだ。

ジュピターの言葉である以上、それは事実なのだとレウクティアは判断していたが、それでも己の目と耳で判断した訳ではない決定には不安が残る。

彼女はある種、現実主義とでも呼ぶべき性格をしていたのだ。

とは言え、不安の度合いも若干下がり、レウクティアは今後の事――テッサリアの運営へと意識を巡らせ、手元の書類へと視線を落としていた。

と――その時。二人しかいない部屋に、がたんと大きな音が響いた。

その音に驚き、レウクティアは顔を上げる。自身が音を立てていないならば、この部屋で残る人物はたった一柱。

レウクティアの想像に違わず、急に立ち上がって椅子を倒していたのは、他でもないジュピターであった。

彼女は目を見開き、遥か彼方、コーカサスの方角へと視線を向けている。



「……ジュピター様?」

「莫迦な」



 ジュピターは、目を見開いたままそう呟く。

心の底からの驚愕を、その内側に秘めて。

それを目撃したレウクティアは、何よりもジュピターが表情を変えた事に驚きを隠せずにいた。

いかなる時であろうとも平静で、超人然とした佇まいをしていた彼女が、ここまで感情を露にしているのだ。

一体どれほどの事態であればそのような事が起こるのか、レウクティアには想像する事すらも出来なかった。



「気配が、消えた? いや、これは……ッ!」



 バチバチと、ジュピターの纏う空気が帯電し始める。

ふわりと浮き上がる長い髪は、彼女の感情を映し出したかのように揺れ、紅の瞳が苦々しい感情を交えながら虚空を睨む。

そんなジュピターの姿に、レウクティアは思わず腰を浮かせていた。

肌を刺すような圧力の中、看過し得ない異常が発生した事を察していたのだ。



「ジュピター様、一体――」

「至急兵を集めよ。ここだけではない、全ての都市じゃ。儂は儂の契約者に神託を下す。テッサリアの兵共も即座に呼び戻し、防衛に当たらせねばならん!」

「な……しかし、それではテッサリアが!」

「確かに苦労して手に入れたものじゃが、現状失う事よりも主要な戦力がその場に集中してしまっている事の方が危険じゃ。魔物共が一気に溢れ出すぞ」

「一体、何が起こっているのですか……! まさか、リーゼファラス様たちに何か!?」



 ジュピターの言葉に息を飲み、レウクティアは完全に立ち上がる。

決して看過できる状況ではない。だが、一体何が起こればそのような事態になるのか、彼女には理解できなかった。

そんな彼女の言葉に、苦い表情のままジュピターは言い放つ。



「何者かが、《渦》の支配権を奪い取ったのじゃろう……この後先を考えぬ攻撃態勢、一体何を企んでおるのかは分からん。しかし、防ぎ切れればこちらが有利になる……急ぎ、手配をせよ」

「っ、了解いたしました。ジュピター様も、聖女ミラや聖女レイクレアへのご連絡、よろしくお願いします」

「うむ、心得ておる。行け、緋色の聖女よ」



 ジュピターの言葉に深く礼をし、レウクティアは会議室から退出する。

その背中を見送り、ジュピターは起こした椅子に腰掛けながら深く嘆息を零していた。



「これだけの力を消費し、捨て身の特攻をかけて……一体何を企んでおる。世界の均衡を欠く事になるぞ……」



 理解できぬ上に正体も見えてこない新たな敵。

その存在へと毒づきながら、ジュピターは神域にある本体へと意識を集中させていた。

テッサリアに配置されている部隊を呼び戻すには、レームノスの――ひいてはヴァルカンの協力が必要だ。

最早手段を選んでいる場合ではないと、ジュピターは同じ上位神霊たちに連絡を飛ばし始めていた。











 * * * * *











「ああもう、一体何なのよこの状況!」

「運転手さん、もっと急いで!」

「こ、これが限界です!」



 恐怖に引き攣った声を上げる運転手に、ウルカは舌打ちを零したい気分で後方を見つめていた。

自分達を追いかけてくるのは、視界を埋め尽くすほどの魔物の群れ。

もしもこれが普段と同じ状況であれば、リーゼファラスがたった一人で迎撃できてしまった事だろう。

だが、今は状況が違う。リーゼファラスは気を失い、アウルは――



「ッ……!」



 車内に横たえられた彼女の亡骸を視界に入らぬよう意識しながら、ウルカは唇を噛んで炎を飛ばす。

黒い波のような魔物の群れの中に、身を乗り出したウルカの攻撃は吸い込まれていき、巨大な爆発を巻き起こす。

だが、その想像を絶する威力の攻撃ですら、削り取る事が出来るのは敵のごく一部のみだ。

あまりにも大量すぎるが為に、有効なダメージを与えられないのである。

一方、ミラならばより広域にダメージを与える事が可能だが、激しく揺れる車内にいるために、精密な狙いが定められないのだ。

おまけに乗り物酔いも災いして、強大な魔力を練るだけの集中力を得られていない状況にある。



(幸い、この速度なら何とか追いつかれないみたいだけど……逆に、引き離すのも難しい。ミラさんが攻撃出来れば……或いは、リーゼさんが目を覚ましてくれれば)



 そこまで考えて、ウルカは思わず顔を顰めていた。

他力本願な――否、そうせざるを得ない己に対して。

状況を打開できない無力を、ウルカは嘆いていたのだ。

多くを学び、力を蓄え――それでも尚、届かない。目指すべき遥かな頂の一つは、失われてしまったというのに。

関わる事もできず、知覚する事も出来ず、彼女は倒れてしまったというのに。



(……なら、僕にできる事は、一体何なんだ!)



 苛立ちと共に炎を放ち――ウルカはふと、夕焼けの空に翻る黒い影を発見していた。

オレンジ色に染まる空、一点だけが黒い絵の具を落としたかのように黒く染まっている。

その影が携えるものは、大きく折れ曲がった一振りの刃。

漆黒の影は、その刃を振り上げて――眼下に存在する魔物達へと向けて、横一線に振り抜く。

刹那、迸った黒い衝撃が、大地と共に魔物達を蹂躙していた。



「っ、カインさん!?」



 明確にその姿を確認できた訳ではないものの、このような攻撃が放てる存在を他に思いつかず、ウルカは反射的にその名を口にする。

轟音にかき消されたはずのその言葉――しかし黒い影は、まるでその声に反応したかのように方向転換する。

やがてその姿は明確に捉えられる様になり、黒い刃によって形成された翼の骨格を背負うカインは車に並ぶような飛行へと移行していた。



「無事でしたか」

「まあ、な。適当に当てて逃げただけだし、向こうも積極的に追うつもりはなかったらしい。まあ、それはともかく……まずは、こいつらを何とかせんとな」

「さっきのじゃ駄目なんですか?」

「範囲が足りん。つー訳で、そっちの小娘を借りてくぞ」

「は? ちょっ、何を――って、きゃああああああああああッ!?」



 軽く宣言した上で車を回り込んだカインは、身を乗り題していたミラを捕まえ、その身体を持ち上げる。

咄嗟の事に悲鳴を上げるミラには取り合わず、カインはそのまま上空へと飛び上がっていた。

《死刃の骨翼》――リーゼファラスの持つ《戦姫の衣》と同じく、超越者となったカインが会得した能力だ。

単純な飛行能力ではあるが、機動力が増した事によるメリットはそれなりに大きい。



「乗り物酔いのミラさんよ。これなら落ち着いて狙えるんじゃないのか?」

「っ……まあ、お腹を押さえて飛ばれなかっただけマシだけど……もうちょっと運び方ってものがあるんじゃないの?」

「抱きかかえられるのがお望みか?」

「冗談。貴方に抱きかかえられるなんてごめん被るわ」



 左腕を掴まれ持ち上げられた体勢のミラは、腕に力を込めて体への負担を減らしながら、気分を落ち着けて眼下へと視線を下ろす。

振動から解放されたためそれなりに落ち着いたミラは、下界に広がる地獄を見て顔を顰めていた。



「……あの男が、これを操っているのよね」

「だな。目的は知らんが、少なくとも人間に対しての敵対的な意識がある事は事実だろう」

「分からない事だらけね……とは言え、これを黙って見過ごす理由もない」



 呟き、ミラはレイピアを抜き放つ。

瞬時に練り上げられる魔力は強大そのものであり、その上でプラーナまでも混ぜ合わされている。

それを捧げる事によって得られる力は、魔物の大群を屠って余りあるものだ。



「『Ερχόμενοι, της καταστροφής Θάντερ』」



 だが、とミラは思う。

例えこれを滅ぼしたとしても、魔物の総数には到底届かないであろう、と。

一体どれだけの魔物が、同時に人類に対して牙を剥いたのか。

現状では、それを考察する事すらもできない。

故に――



「『Σφυρί του Θεού』ッ!」



 この場を切り抜けるために、ミラはその力を全力で解き放っていた。





















評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ