022
「朝っぱらから元気ですね、先輩」
朝からシャワーを浴びているシキに対してヒオリが言う。他人と生活するというのは、どうも気まずいものだった。喉の通りはあまりよくなかったが、せっかくミヤコが作ってくれたものなので、シキは朝食を残さずに食べた。
「先輩、そろそろアレの時期ですが、何か対策はしていますか」
暦は七月。まず期末考査があるが、こちらは中関考査が実技に偏るのとは違い、ペーパーテストが主軸となる。こちらはシキに関係のないことだった。中関考査の時期に行われた実践授業が、必ず八月には行われるのだ。夏休みの特別授業と言ってもいい。「あれって何ですか?」と聞いてきたアリーに軽く説明をした。
去年の夏は、学園側が用意した敵から逃げ切ることが課題だった。戦うことより逃げることが主目的だったのだ。
「おそらくですが、今度の特別授業も先輩にとってかなり不利になる条件が出てくると思います」
それはそうだよな、とシキは納得してしまった。明らかにシキを学園から排除しようという動きがある。何もしていないのに悲しいことだ。
シキはアイスココアを一口飲んだ。氷まで口内に入ってきたので噛み砕く。
「先輩、今のままだと本当にいつ死んでもおかしくないんですよ」
「ボディガードの心配をしてくれるなんて、とても優しいね」
「弾除けがいなくなったら困りますからね」
実践授業は通っている年数関係なく、いくつかのグループに割り振られる。この時点で何かしら細工されそうだった。
「おそらくですけど、先輩はとても有望な被検体になりえるので、即死の類は仕掛けてこないと思うんですよ」
ただの一般人なのに、モルモット扱いされるのはごめんだった。
「かと言って、立場上学園が直接手を出すわけにはいかないと思います。結局対人戦になるのかなと。先輩以外、皆敵という感じで」
「この前の実践授業みたいに?」
「そうです。大変だったみたいですねー」
実践授業は配信すらない。参加していなければ、内容を知り得ないのだが……ヒオリはどこからか詳細な情報を拾ってきているらしい。
「妖精さんに頼るのなら、ちゃんと魔力の制御ができるようにならないといけませんね」
正論だったので、シキは黙った。
「八月って言っても具体的に何日にやるものなんですか?」
アリーが食堂の壁に飾られているカレンダーを見て言った。去年は中旬くらいだった気がする。
「基本、八月中にやるということは決まってるんだけど、結構ギリギリにお知らせがくるからなぁ」
「そうですよね。奨学生なら」
ヒオリが目の前でスマホを摘んで見せる。金とはこの世の正義らしい。
「特待生には特別授業のスケジュールが通達されています」
テーブルの上に、シキが見やすい向きでスマホが置かれた。慣れ親しんだPDFファイルだ。しかし、中身は普段シキが見ることができない情報で溢れている。シキが知れる情報と言えば、授業の日付と集合場所・時間くらいでる。
今、目の前に置かれている情報には、おそらく特待生を除く参加者が一覧で掲げられている。その中に或土式の名前もあった。日付は八月八日からとあった。
「君は……ヒオリも同じなのか?」
「はい、そうです。家がたくさんこの学園に寄付してくれたおかげですね」
使えるものは家でも使うらしい。
「しかし、分からないな。今までの話だと私が参加する授業は危険が伴うわけだが?」
ヒオリはわざとらしく考えるフリをした。それから思いついたように笑顔で口を開く。
「一点集中で先輩が狙われるなら、私は安全地帯にいれば問題ないですよね!」
魔術師らしいなと思った。
ひとまずヒオリのことは置いておこう。シキもカレンダーに目をやる。特別授業まで残り一ヶ月というところだった。随分と猶予はある。
もう一度スマホ画面を見ようとしたところで、ヒオリにスマホを引っ込められてしまった。何のつもりだ?
「契約したら特待生として得られる情報を見せてくれるんじゃなかったのか?」
「そりゃあ見せますけどー。でも、やはり頼み方ってあると思うんですよね」
性格の悪い女だなと言いそうになってやめる。下手に意地を張ってもシキに有益なことなどない。別に足を舐めろと言われているわけではないのだから、ここは素直になろうと思った。
「お願いします。見せてください」
少しだけ頭も下げた。ヒオリはその様子を見て冷め声を出した。
「もう少し粘ってくれないとつまりませんね。まぁいいでしょう。今のデータと、参戦者の個人データをお渡しすればよろしいですか」
どことなく気まずさがシキを支配する。間違った行動をしていないはずなのに、相手の反応はシキがしでかしたかのようなものだった。殺す相手に手心は加えないシキであったが、さすがに衣食住を共にする相手の機嫌は気になる。
気を使ったのか、誰も発言しない食堂にて、空になったティーカップにおかわりの紅茶を注いでくれた。シキはとりあえずティーカップに口をつけた。熱かった……。
「はい、送りましたよ」
単純作業をし終えたヒオリがスマホを手放す。一秒待たずしてシキのスマホが鳴った。普段使うことのないメッセージアプリに一件の通知がきている。もちろんヒオリからだ。一つのフォルダが送られてきていて、中には文書ファイルと画像ファイルが詰め込まれている。
「ありがとう」
シキが礼を言うと、ヒオリは席を立った。
「それでは私は用事がありますので」
いつも通りの明るい声だった。ヒオリは食堂を出て行ったが、ミヤコは動かなかった。
「あの、行かなくていいんですか?」
「わたくしには片付けがありますので」
「あ、すみません」
邪魔なのはシキたちの方だった。
シキはアリーを連れて自室に戻った。いつもなら筋トレに向かう時間であったが、今日ばかりはルーティンを無視してもよかろう。
シキがベッドの縁に腰を掛けると、アリーはベッドに乗ってシキの首に腕を回してきた。気にしないまま、スマホを開く。
まずは概要が書かれている先程のPDFを見ることにした。参加するメンバーの一覧に目を通す。ヒオリの名前がないのは特待生だからだろう。人数は書かれているだけで七十八名。おそらく全部で八十人と見た。
「たくさんいますね」
「本当にね」
シキの苦手とする舞台が整えられているようだった。集団戦は孤立しているシキにとって最も不得手なものだ。意図的だろう。
次にたくさんの画像ファイルを一枚目から開いていく。開かれたそれは生徒の個人情報。七十七名分も見るのかと思うと嫌気がさした。アリーに限っては三人目のデータを開いた時点で、シキの肩に顔をすりすりとしていた。
「はぁ……先に筋トレに行こうか」
やはりいつもの習慣は守るべきだと考えを変える。スマホは一度閉じた。するとすりすり擦られていた顔がシキの頬に移った。本当に犬みたい。
「ほら、出かけるから離れて」
「今日も腹筋、背筋、頑張りましょうね!」
ちょっと行きたくなくなってきた。すでに今朝頑張ったしなぁとか考える。口にはしない。
支度を整え部屋を出ると、ちょうどミヤコに出くわした。そういえば、特別授業の参戦者一覧にミヤコという名前はなかった気がする。会釈をして立ち去ろうとする彼女を、シキは呼び止めた。
「ミヤコさん」
「はい、何でしょうか」
「ミヤコさんは一般生ですか?」
「はい」
淡々とした受け答えだった。
「ヒオリはあなたを同じグループに指定しなかったんです?」
ヒオリよりも武術に優れているとなれば、シキよりもボディガードとしては優秀なはず。ヒオリからの信頼のほどは分からないが、食事を用意させるくらいの仲ではある。
「わたくしには他にやるべきことがありますので」
「あなたはヒオリの付き人なんですよね?」
「その通りでございます」
メイドと紹介されていた彼女は、学園の制服の上に紺色のエプロンをしているだけで、アニメみたいにメイド服を着ているわけではない。なんならスカートですらない。シキと同じスラックスをはいている。
一緒に住んでいるもののシキはほとんど会話したことがなかった。なんならアリーの方が会話をしている。
「他に何かご用はございますか?」
用があるかないかであればない。しかし、ヒオリを抜いた状況でミヤコと話せる機会なんてあまりない。シキはあまり長けているとは言えないコミュニケーション能力を駆使した。
「ミヤコさんの髪って地毛なんですか」
「いいえ、違います」
ですよねーとシキは納得した。この世界に桃色の髪を持って生まれてくる人間なんていない。
「へぇ、わざわざ染めているんです? そんな派手な髪色、目立ちません?」
アリーの指摘通り、桃色はコスプレ会場でない限り目立つだろう。
「ヒオリ様が、この瞳にはこの色が似合うだろうということで選んでくださいました」
赤い瞳の色はカラーコンタクトレンズとかで作り出しているものではないらしい。
「アルビノ?」
何かの小説で知った単語を口にする。ミヤコは首を横に振った。
「シキ様は」
「様づけはよしてよ」
「……ではシキさんは魔術師について大した知識もお持ちでないのですよね」
「一般家庭の出なもので……」
ミヤコがわずかだが眉をひそめた。
「魔術師というのは優秀な子孫を残そうと画策するものです。シキさんもお分かりかとお思いですが、魔術師のほとんどはろくでなしでございます。実の子であろうと非人道的な手を加えるものです。結果、アルビノと変わらないような外見となりました」
あまり触れない方がいい話題だったか。
「他にも聞きたいことがあれば、わたくしの答えられる範囲でお答えします」
ゲームのチュートリアルみたいな展開になった。しかし、シキに魔術師の知り合いなどあとはヒオリしかいないもので、聞けることは聞いてしまおう。
「ミヤコさんとヒオリってどんな馴れ初めが?」
最初に聞くことでもない気がしたが、一番気になっていたところを聞いてみた。
「家に捨てられたわたくしをヒオリ様が拾ってくださったのです。詳細は申し上げられません」
「……京久野家ってどんな家なの?」
続いて謎の多いヒオリに関することを尋ねてみる。
「京久野家は、魔術師からすれば知らない者はいないという名家になります。表向きは資産家ですね。この学園にも多額の寄付を行っておりますので、ある程度ヒオリ様の我儘は通じます。シキさんと比べると微々たるものになってしまいますが、中央値からくらべれば京久野家の魔術師が保有する魔力はかなり多いですね」
シキはアリーに「そうなの?」と聞いた。アリーは「はい。この学園でシキの次に多いです」と大事なことを今さら答える。
「やっぱり私っていらないんじゃ……」
「鈍いお方ですね。魔力量の多さというのは、それほどに重要なことなのです」
ミヤコは懐から懐中時計を取り出す。
「わたくしはそろそろこの辺りで失礼いたします」
本当に時間が迫っていたのかは怪しいが、そう言われてはシキも引き止めるわけにはいかない。残念ながらミヤコに聞きたいことは全て聞けなかった。
「アリー、私が持つ魔力量ってそんなにすごいの?」
「たぶん。例を見ないといいますか、人間程度の存在で〈妖精〉を長期間に渡り召喚し続けるというのは聞いたことがありませんね」
「アリーが特別ってわけじゃないの?」
「わたしはどちらかと言うと大食いな方です」
知ってた。
でも、彼女を召喚したのが自分でよかったなとシキは心底思う。シキ以外の人間に召喚されていたら、きっと彼女の命は朽ちていたのだから。




