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002

「誰?」


 シキの口から初めて出た言葉はこれだった。呼んだ相手にそんなことを投げかけるのはとても失礼だが……。


「アレクサンドラです。肩苦しいのでアリーと呼んでください!」


 元気な少女だった。外見年齢ではシキとそう違いはないだろう。


「誰?」


 再びシキはアリーに疑問を投げる。それはシキが思っていた人物とは違ったからだ。


 混乱のあまり左手の痛みもなくなっていた。ナイフを抜き取り側面をよく見る。偽物(にせもの)、ではないはずだ。


「あなたのお名前はなんですか?」

「えっと、アルト、シキ」

「どっちがお名前ですか?」

「シキ」

「そう、よろしく! シキ」


 アリーがシキに手を差し伸ばした瞬間、すごい音がして教室のドアが吹っ飛んできた。そして響き渡る低い咆哮(ほうこう)。シキという獲物をそろそろ食べたいというところか。


「あれは敵ですか?」


 脳天気な声のせいでシキの反応が遅れる。慌てて「そうだ」と返した。


 思っていた(かた)ではなかったが、妖精の召喚に成功したことに違いはない。妖精であれば魔法が使える。あの化け物にも対応できるはずだ。


「いっちょかましてやりますか!」


 シキを立ち上がらせることを後回しにしたアリーは、化け物の方に体を向け、それから突っ込んでくるアイツに向かって――回し蹴りをかました。


「は?」


 物理攻撃は通用しなかったはずの化け物は、勢いよく教室の後ろの壁に突っ込んでいく。そうして動かなくなり、やがて消滅した。


「え、今ので終わり、ですか?」

「は?」


 二度目である。状況がいまいち飲み込めないシキは、立ち上がるのも左手の止血も忘れていた。


「ま! とりあえず倒したからオーケーですよねっ! ご褒美ください」


 いきなり迫ってくるアリーをシキは右手で押さえつけた。


「まだ、終わってない」


 シキは制服のネクタイを解き、左手の傷口を縛るようにして巻きつけた。


「さっきの化け物を生み出した術者がいる。そいつを殺さないと終わらない」

「殺していいものなんですか?」

「ここではいいんだよ」


 本当はよくないだろう。日本という国において、いや世界的に見ても人間の国で殺人はご法度(はっと)だ。魔術師にはそういった感性はないらしい。


「君」

「アリーですよ」

「アリー、探知(たんち)はできる?」


 シキは廊下に出て階段へと向かう。その後ろをとことことアリーがついて回る。


「探知って何を探せばいいんですか?」

「私以外の魔術師の魔力だよ。私はそういった繊細(せんさい)さを求められる仕事は向かないんだ」

「私も苦手ですね!」


 笑顔で言われても困る。アリーは「それに」と言って続ける。


「シキの魔力が膨大(ぼうだい)過ぎて周りのことなんて分かりません。……あなた、本当に人間ですか」

隅々(すみずみ)まで検査されたけど魔力量以外は普通の人間だったよ」



 いつもの刀を魔術で作成して右手に収める。


「それ、かっこいいですね!」

「これ? お気に入りなんだ」


 壊す度に新しくなっているが、お気に入りと言っていいものか。


 階段を上る。上る。上った。ついた先は四階だ。あれほどの化け物を召喚したのだ。学生の見習いには過ぎたものだったろう。術者は間違いなくヘタっている。少なくともシキと鬼ごっこをする元気は残っていないはずだ。


 シキは相手のことをよく知らない。名前は名乗られた気がしたけど、忘れた。今年で三年目の男子生徒ということしか覚えていない。


「こちらにいらっしゃるのですか?」

「しーっ、静かにして」


 耳を()ませる。足音は聞こえない。移動はしていないはずだ。もう魔力が尽きてくたばっている可能性もある。


 四階には普段使用する教室はない。音楽室に生徒会室……あとは何があったか、シキは思い出せなかった。頭が少しぼーっとするのは左手の血が止まっていないからだろうか。


 音楽室は施錠(せじょう)されていた。次は音楽準備室と書いてある。当然施錠されていた。


「……」


 先程のシキがしたように、逃げ隠れするならば中から鍵を閉めるはずだ。スルーするのは得策(とくさつ)ではないと彼女は判断した。


「アリー、ここのドア開けられる?」

「もちろん、任せてください! こうゆうのは得意ですから」


 もちろんシキが期待したのは、鍵開けの魔法だった。


「えいっ」


 アリーは両手を引き戸に当てると、押した。正確には押し倒した。完全なるドアの破壊。学園の規則でドアを壊してはならないとは明記されていないけれど、あとあとうるさく言われそうなことをされてしまった。


「誰もいないように見えますね」

「じゃあ次、隣の部屋やってくれる?」


 もう何枚壊しても一緒だ。アリーができないのであれば、シキが刀で斬るしかないのだ。


 アリーはノリノリで音楽室の扉を開けてくれた。そこが正解だったらしい。脂汗(あぶらあせ)をかいた青年が尻もちをついて、ティンパニの前にいる。


 この学園は十五歳から入学が許される。名目上(めいもくじょう)、上限はない。入ってから五年以内に卒業すればよい。彼はきっとシキよりも何歳か歳上だった。戦いが(つね)の学園において、体格とは魔術の才能の次に重要視される。中学を出た段階ではまだ成長途中の男子も多かろう。だから、体が育ってから入学を選ぶというスタンスもスタンダードのようだった。


 まぁ、いきなり何も知らずこんなところに放り込まれたシキにとってはどうでもいい話であるが。


「この……〈狂戦士〉(バーサーカー)が!」


 シキには不名誉(ふめいよ)なあだ名がある。魔術師のくせに暴力に訴えているから仕方ないが、シキは気に入っていない。


「ケンカを売ってきたのはそっちだろ」


 先輩に対する敬意などシキが持っているはずがない。タメ口で答えた上に、戦意を喪失(そんしつ)している相手に刃先を向ける。ちょうど心臓の位置にくるように。


「待ってくれ、負けを認める! ここは穏便(おんびん)に済まさないか? とっくにお前は卒業条件を満たしているんだろう!」


 決闘(けっとう)においてお互いが納得すれば戦いを終えることができる。負けた方にはペナルティがあるらしいが、シキは負けたことがないから詳細は知らない。


「五人、以上だろ? 以上なら何人でもいいんだよ」


 シキの刀が躊躇(ためら)いもなく青年の心臓を突き刺した。刃先から伝わってくる肉の感触が、シキはとても不快だった。

 魔術で作った刀なので、すぐに魔力の形に戻した。


「はー、あっという間に終わっちゃいましたね」


 そう言えばいたんだった、とシキは後ろを振り向く。


「アリー、ありがとう。もう戻って大丈夫だよ」

「? 戻るって……どこへ?」

「いやいや、妖精の世界に」

「戻りませんよ」

「は? 何で?」


 基本、召喚とは一次的なものだ。用が済んだら元いた場所に戻るのが普通だ。つまり、何言ってんだコイツ状態である。


「わたし、戻り方分からないので!」

「そんなやついんの……」


 シキはどん引いていた。魔術初心者であるが、現状が異常であるのは明白だった。


「待って……戻れないってことは……」


 視界が(かす)む。普段魔力をたくさん使うことなんてないから、反動がきたようだ。


 意識が、遠のく。

 アリーの呼ぶ声が聞こえた。


――ところで君は、誰なんだ?


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