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019

 特待生全員がそうしているわけではないらしいが、ヒオリの場合は材料だけ学園からもらってミヤコが食事を作っているらしい。アリーの分も作らせるのはとても申し訳ない気持ちになった。


「とても美味しいです!」


 アリーは満足そうだった。シキが一口も食べていないのに、すでに三人前は食べていた。


「先輩は召し上がらないんですか? 日本人の朝ご飯は()(じゃけ)に限る、とか?」

「初対面で毒入りの紅茶を出しておいてよく言うよ」

「今はもう我々はパートナーですよ? 毒を入れるなんてとんでもない。それとも……」


 ヒオリはウインナーを一口だけ(かじ)り、残りを正面に座るシキに向けた。


「私が食べたあとのものを召し上がりますか?」

「分かった。食べる」


 シキは自身の皿の上に乗っているウインナーを口にした。


「つれないですね」


 ひとまず明らかに毒というものは入っていなさそうだった。無味無臭・遅効性の毒だったら知らないが。


 皮はパリッと焼けていて、中はジューシー。朝食にしては豪華すぎるくらいの出来だった。


「おかわりもございますので」


 ミヤコが言う。シキは隣に座るアリーの食べっぷりを見た。おかわりとかいう次元ではない。

 シキは一人分だけ食した。これでもいつもより多いくらいだった。


「あれ、ミヤコさんは食べないの?」


 ミヤコはずっと部屋の隅に立ち、たまにアリーのおかわりを用意したり、ヒオリの紅茶を淹れ直したりしていた。


「お気遣いありがとうございます。わたくしは暇を見ていただきますので」


 ヒオリが必要以上に距離を詰めてくるのと相反(あいはん)して、ミヤコは徹底的に距離を取るつもりらしい。


 シキは優雅にティーカップを傾けているヒオリに向き直る。


「君のボディガードをするって話だけど、四六時中(しろくじちゅう)君の周囲にいろってこと?」

「いいえ。私が近くにいる時だけ守っていただければ結構です。適当について回りますから、先輩たちは普段通り過ごしてください」


 随分とこちらファーストな話だ。疑わしさが増していく。


「そんな警戒しないでください。そこらへんを歩いている生徒の方が害悪だと思いますけど」


 ヒオリが窓の外へ目を向ける。いつの間にかミヤコがいなくなっていた。


「いいじゃないですか。金髪の美女と銀髪の美女を両腕に抱えて、両手に(はな)どころの話じゃないと思いますが……。……もしかして髪の長い女の子がお好みで? 私も髪伸ばしましょうか?」


 お喋りな小娘だ。

 シキは返事をせずに席を立つ。のんびり紅茶を啜っている妖精の肩を叩く。「出かけるよ」と短く声をかける。


「どちらへ?」


 行き先を聞いてきたのはアリーではなく、ヒオリだった。


「どこでもいいだろ」


 アリーの腕を引いて与えられた部屋に戻る。途中、廊下でミヤコに出会った。何食わぬ顔で会釈(えしゃく)をされる。気味が悪い。


 準備をしてから向かったのはジム。いつもの日課、筋トレをこなす。正直な話、昨日の出来事のおかげで――正確には日付を(また)いでからもいろいろあったので、休んでいたかった。それでも出かけたのは、ルーティンを崩したくなかったのと、単にあの屋敷で休むのが嫌だったからだ。


「はい、残り五十回頑張ってください」


 機器に引っ掛けているシキの足は、アリーによって掴まれているので外せない。


「待って……、……本当に辛い……」


 腹筋がプルプルと痙攣(けいれん)しているのを感じる。これ以上なんて無理だとシキは弱音を吐く。


「筋トレをし過ぎたくらいで死にやしませんよ。ファイト、ファイト」


 胸ぐらを掴まれ、無理矢理上体を引っ張られる。


「自分のペースでやるから……!」


 腹筋が終われば背筋のトレーニングが待っている。シキ自身、自分に甘いところはあったかもしれないが、限度というものがある。全てのトレーニングが終わる頃には、立つこともできなかった。そこまで綺麗ではないだろう床の上に寝転がり、乱れた息を整えるので精一杯だ。


「シキ、早くご飯に行きましょうよ」


 人の体調などお構いなしに、アリーはシキの体を揺らす。


「ちゃんとご飯は行くから……あと五分待って」

「わたし、時計を持ち合わせていないので」

「三百秒数えて待ってて」


 アリーは本当に「いーち、にー……」と数え始めた。シキは少し目をつぶる。


 目を閉じてもグワングワンと体が揺れるのを感じた。息をすることに神経を集中させる。目を開けた頃には二百八十を数えたところだった。


「…………」


 何でこんな辛いことをしているのだろうと我に返る。頑張ってももらえるものなどない。頑張らなければ死ぬだけ。世知辛(せちがら)い。


「二百きゅーじゅうきゅー、三百!」


 アリーが倒れ込んできた。当然ながら重みはある。平均よりはずっと軽そうだが、今のシキには重い。


「五分待ちました! お昼ご飯です!」

「シャワー浴びてからね……」


 シキはアリーごと上体を起こす。汗まみれだからくっついてほしくなかった。



  ◆  ◆  ◆



 お昼ご飯は食堂のカレーライスにした。シキにとって体調が悪い時に喉を通りやすいものの一つがカレーだった。ただし、辛いものはあまり得意でないので、本格派のものは受け付けない。


 カレーライスを食べるにあたって、福神漬(ふくじんづけ)はどのタイミングで食べきるのがベストなんだろうと考えていると、向かいの席に制服を着た少女が座った。


「見事な食べっぷりですね」


 ヒオリはシキの隣に座るアリーを見て言う。


「食券機はあっちだよ」


 何も注文していないヒオリに、シキは雑な案内をした。


「お昼はすでにいただきました。お腹いっぱいです。先輩はカレーにしたんですね。今夜はカレーにするなとミヤコに伝えておきます」

「で、何の用?」


 シキは一口だけ残っていた福神漬(ふくじんづけ)を口に放り込む。続いてじゃがいもを食した。シキはじゃがいも入りのカレーライスの方が好きだ。


「用は特に。私の方が暇になったので、先輩たちについていこうと思ったんです」


 わざとらしい笑顔が向けられる。顔がいいからムカつく。

 一年目らしくない振る舞いに、シキは翻弄(ほんろう)されている。


「午後はどちらにお出かけで?」

「…………」


 ヒオリと話しているとどうにも調子が狂うので、シキはカレーを食べることに集中した。どうせ、この娘はシキのルーティンを把握しているに違いない。わざわざ聞いてくることに意味なんてない。


「妖精さんは甘いものお好きですか?」


 シキが無視を決め込んだからか、ヒオリはコロッケを頬張るアリーに話しかけた。


「甘いもの、チョコとアイスなら食べたことがあります! 好きです!」


 あまりお菓子の類を与えていなかった。シキが甘いものの摂取(せっしゅ)(ひか)えていたためである。ダイエットではない。健全な体づくりのためだ。


「ケーキは食べたことありますか?」

「いいえ」

「甘くてとても美味しいんですよ。良かったら一緒に食べませんか?」

「食べます!」


 乗り気なアリーの左頬をつまむ。


「私に稽古(けいこ)をつけてくれるんじゃなかったの?」

「稽古よりも美味しいものの方が好きです」


 もしかしなくてもアリーって簡単にシキのことを裏切るのではないか、と(うたぐ)る。


「妖精さんも素直ですねぇ。ケーキはお夕飯のあとにでも食べましょう。私も稽古とやらに同行してよろしいですか」


 アリーが横で「わーい」と無邪気に喜んでいる。天気はいいのに頭痛がした。



  ◆  ◆  ◆



 ケーキというご褒美が約束されているからか、アリーはノっていた。アリーは明快で無邪気なやつだが、少しサディスト的な気がある。それは彼女のテンションと比例していて、こうも乗り気だと顕著(けんちょ)になってくる。


「痛い痛い痛い!!!」


 どこかで見たことのある関節技(かんせつわざ)だった。左腕をアリーに取られ、強烈(きょうれつ)な痛みがシキを支配していた。


「ほら、頑張って逃げないとダメですよ」


 こんなにも綺麗にきまっていて逃げられるわけがなかった。空いている右手でアリーの足を叩く。ギブアップの意思を表意(ひょうい)しているつもりだが、聞く耳を持ってくれない。


「待って待って、本当に待って!」


 後輩に見られていようと関係がなかった。痛いものは痛い。思わずシキの瞳に涙が浮かぶ。


 近くでカシャッと音がした。スマホのシャッター音だ。すぐ側にはスマホを構えたヒオリが立っていた。


 ヒオリはスマホの写真を優雅に寝転んでいるアリーに見せる。そこでやっと左腕は解放された。


「はぁ……はぁ……」


 涙を拭う余裕はなかった。シキはひたすらに左腕を(さす)る。


「シキは泣き虫さんですね」


 ご満悦(まんえつ)そうな顔で言わないでほしい。


 アリーとは今日五回目の手合わせだったのだが、おそらくシキに進展がなかったためお仕置きをされたのだと思う。


「先輩、私とも一つ手合わせしませんか?」

「はぁ?」


 威勢よく返すことはできなかった。とても心もとない返事だ。


「パートナーなんですから、お互いのレベルは知っておいた方がいいでしょう。……でも、さすがに妖精さんと渡り合う実力は持ち合わせていないので先輩と。どうです?」


 断る理由はなかった。あるとしたら左腕をもう少し安静にさせたいくらい。シキは後輩の提案を受託した。


 一応人間同士なので、武器と魔術の使用は不可。命に関わる技も禁止。あとは自由にというルールだった。終了事由はどちらかが負けを認めたら。


 開始の合図もなく、シキはひとまず距離を取ってヒオリの様子を伺う。武器も魔術も使えないとなると接近戦になる。シキは武道の心得(こころえ)などないので、アリーが披露(ひろう)したような関節技は使えない。負けを認めさせるには急所を狙うしかない。


 ヒオリは動く気配もない。なんなら余裕そうに後ろ手を組んでいる。シキは失礼なやつだと思った。


「先輩からどうぞ。先攻を(ゆず)ってあげます」


 これでも魔術の心得がないのに、地獄を一年以上生き延びているシキである。プライドなるものが傷ついたのを感じる。


 そんなに言うなら一撃で決めようと思った。手刀を作り、無防備な細首を狙う。

 しかし、避けられた。


 そして、右腕をワイシャツの上から掴まれる。腕を引いて振り払うかと思案(しあん)した瞬間だった。


「えっ」


 体が宙に浮いた。


「あだぁっ!?」


 そして受け身を取れないまま、体を床に打ち付けた。全身が(しび)れるような感覚を覚える。


「ええ、嘘ですよね。受け身くらい取ってくださいよ」


 驚いた様子のヒオリが覗き込んでくる。アリーに負けず劣らず可愛らしいお顔だった。


「……言っておきますけど、魔術を抜きにすれば私よりミヤコの方が強いですからね」


 格付けが決まったらしい。


 シキは自らがここまで生き残っているのが、とても幸運なことだと思った。


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