015
その「ありがとう」をずっと伝えたかったとヒオリは言った。落とし物の財布をわざわざ交番にまで届けてくれた人に言うように、感謝を込めていた。
「ヒスイさんって、君のお姉ちゃんなんだよね?」
シキは一度確認をする。ヒオリは「はい、そうです。血の繋がった姉ですよ」と答えた。
「人間というものは甚だ理解に苦しむ生き物ですね」
アリーが吐き捨てるように言った。軽蔑をしているわけではなさそうだ。
「先輩は知らないんですよね。魔術師の世界の話なんて」
「私は一般人だ」
「寝言は寝て言ってください。魔術師としてもその魔力量は桁外れです」
皆して魔力量、魔力量とうるさい。シキは十五歳まで一般家庭で過ごしていたのだ。魔力を感知できない一般人からすれば、それが多かろうと少なかろうと意味をなさない。
「魔術師の家庭というのはですね、基本的に一人以上の跡取りを作るんです。まぁ、いつどこで死ぬか分からない職種なもので、ストックはある程度用意します」
情緒のない話であった。
「ストックも作り過ぎると争いのもとになりますから、二、三人ってところが妥当でしょうか。うちは姉と私の二人でした。順当にいけば姉が当主の座を引き継ぎます。長女ですからね。魔術師としての才がないとか、そういう問題がない限りは彼女が継いでしまうんですよ」
テーブルの上のティーカップが下げられ、新しいお茶をミヤコが淹れてくれた。再び「どうぞ」の声がかけられるが、飲む気にはなれない。
「家庭内で暗殺が行われるってどう思います? ひどい家だなーと思いませんか? そう、世間体がよくないんですよ。だから先輩が堂々と殺してくれたのは、とても助かる話だったんです。本当ありがとうございました」
ヒオリはわざわざシキの前に置かれたティーカップを口にした。毒は入ってないと言いたげに。
「姉は魔術の面で言えば、優秀な人物でした。ただ……魔術師としての覚悟がない。性格的に不向きと言えばいいですかね。だって、たったの五人を殺せばいいんですよ? それをミスるなんてあり得ない」
シキは一人っ子である。現代の家庭らしく、親戚付き合いもなかったので、姉妹の付き合いというものは分からない。
中学の同級生は姉のことを偉そうで腹が立つとか、妹のことをわがままでムカつくとか言っていたが、とりたてだから死んでしまえと言うやつはいなかった。
「家族としては、姉のことを愛していました。優しいお姉ちゃんでした。お菓子が一つしかなければ私に全てくれるような人でした。親からストックとしか見られない私のことを、唯一家族として扱ってくれたのも姉だけです」
「無駄話が長いな」
シキは耐えかねて言った。放っておけば、この小娘、ずっと喋り続けるに違いない。
「復讐したいのでなければ、なぜ私をここに呼んだ?」
「それは先程言いましたよね。お礼を言いたかったからです」
「魔術師にそんな常識があるとは思えない」
「えーひどいですねぇ。私は魔術師の中でも常識的で良心的だと思いますよ」
先の読めないことによる緊張からか喉が渇いた。入れ直された紅茶。試されている気がした。
えいやと思い、シキはティーカップに口をつけた。芳醇ぽい香りがした。しかし、シキには紅茶の違いが分かるほど肥えた舌も優れた嗅覚も持っていない。結果、高そうな紅茶だなと思っただけ。
「美味しいですか?」
媚びるような高い声だった。
「食堂の麦茶よりは美味しいよ」
その感想で満足したようなヒオリは席を立つ。足音を立てずにスッとシキの横に立った。
「……!」
顔が急接近してくる。キスされるなと思った。そんな勘違い野郎になったのは、いつの間にか隣で寝転がっている妖精のせいだった。
「先輩、一つ私と取り引きをしませんか?」
「は?」
この取り引きとやらが主題だったらしい。少なくとも話を聞くまでは解放してくれないだろう。
「……取り引きって何?」
シキに聞く気があることを確認したヒオリは、近づけた顔を引っ込める。ソファのアーム部分に腰を下ろし、別角度からシキに接近する。
「先輩には私を守ってほしいんです。無事に卒業できるまで。ボディガードというやつです」
「正気で言ってるのか?」
「正気も正気。大真面目ですよ? もちろんちゃんと報酬を出します。これくらいでどうでしょうか?」
シキの目の前に五本の指が差し出される。
「五百万?」
シキの金銭感覚は庶民である。
「まさか」
バカを見るような目を向けられる。ヒオリは五本の指を振りながら「五億」と言ってのけた。それは一般的なサラリーマンが生涯を通して稼ぐ額よりも大きい。
「君は一年目で私は二年目だ。ストレートで卒業するなら、君の三年目に同行はできない」
「百年のうち一年我慢するだけならいい話だと思いますけど……ではそこは保留にしましょう。先輩の卒業までなら三億、私の卒業までなら五億。それでいかがですか?」
正直に言って胡散臭い話であった。まず五億という破格の価格である。支払い能力は……あるのだろう。代をそれなりに重ねている魔術師は裕福らしいし、彼女からは品の良さも伝わってくる。
すると次の疑問がやってくる。伝統ある家の魔術師が、なぜわざわざボディガードを雇う必要があるのか。先ほどから後ろで待機しているメイドもそれなりに鍛えられているように見える。
「どうして私を?」
シキが質問を投げると、ヒオリはソファのアームから降り、眼前に迫ってくる。それから右手の指を二本立てた。細長い綺麗な指だ。
「二つ理由があります。まず単に私が先輩のことを高く評価しているからです。魔術のマの字も知らない庶民出の人間の分際で、一年と三ヶ月もこの学園で生き残っている。本来ならあり得ないことですよ。魔力量云々以前に、生き抜く強さに感服しました」
素直に褒められているのか分からない。
「魔術師は私みたいな人間を毛嫌いするのでは?」
「そうでしょうね。でも、あまり大きな声では言えませんけど……、魔術って美しいものだとは思いますが、ものすごく効率の悪いものだと思うんです。だって人を殺める時、魔力をわざわざ消費して相手に攻撃を仕掛けるより、カスタマイズされた銃の引き金を一回引く方がよくありませんか? それこそアイスピック一本で人って死ぬんですから」
ひやりと空気が冷えた気がした。
「君の考え方は分かった。それじゃあ二つ目の理由は何だ?」
ヒオリは立てていた二本の指を解いて、揃えた五本の指をシキの隣に向けた。そこにいるのはゴロゴロ転がっている礼儀のなっていない妖精。
「こっちが本命か」
シキはヒオリの目を見る。全てを見通す自信に満ちた目だ。
「もちろん。妖精なんて普通に生きていたら出会える存在ではないですから。そういう意味なら、妖精を使役し続けている先輩にも興味はちゃんとあります」
話の渦中にあるアリーは、話に興味がなさそうだった。
「私が組まないって言ったらどうするんだ?」
「せっかちな方ですね」
ヒオリが目で合図をするとミヤコが何やら準備を始める。あの機器は視聴覚室で見たことがある。プロジェクターだ。部屋がうっすらと暗くなる。
「この学園にいるうちはお金を払えませんし、先輩には特別ボーナスを進呈します」
プロジェクターとヒオリのスマホを有線で繋げる。すると真っ白な壁にスマホの画面が映る。それは全校生徒が毎日絶対に見る、ポータルアプリであった。休校情報などの小さなものから、重要な情報お知らせまでお知らせが並ぶ。決闘通知もこのアプリからくる。
「私はこんなんでも特待生扱いでして、情報は一般生徒や奨学生よりも早くくるんです」
「そんな些細なことで私が協力するとでも?」
些細、というのは間違いかもしれない。友達のいないシキにとって個々で得られる情報には強い意味がある。
「知っていますか? ポータルの情報は、全てが全生徒に提示されてるわけではないと」
特待生にだけ提示されるものがあると言いたいのだろう。
「いいですか、先輩。この世の中は情報社会なんです。魔術師の学校のくせに連絡方法をスマホに依存しているほどに。情報の数は勝利への近道になるんです」
ヒオリはシキを小馬鹿にしたように言うと、スマホの画面をタップした。それは学園的に重要とされる情報がアップされるページである。現在、シキのスマホのアプリには何もない。しかし、ヒオリが操作するスマホには一つのお知らせがあった。
『或土式にかかる懸賞金について』
シキのスマホが鳴る。決闘の申し込みを知らせる通知だった。




