012
平和な日が続いていた。季節は夏になった。制服もブレザーからサマーベストに変わる。衣替えからもしばらく日が経っているある一日。
「薄着ばんざーい!」
着替えたそばから密着してくる妖精。決闘の申し込み数が極端に減った数週間、必然的に肉体的接触も減っていた。
「何してるの?」
「充電というやつです」
息を吸うだけで人の魔力を消費する燃費の悪い妖精だ。
「離れて」
「嫌です。……シキからキスしてくれれば離れてあげなくもありません」
「なぜ上から目線?」
抱え込まれたままベッドに横にさせられる。この体勢でどう自発的に動けと。動きにくい状態で手首の時計を確認する。午前九時過ぎ。一限が始まっている時刻だが、シキには関係ない。
外に出るの面倒くさいな、とシキは思ってしまった。人というのは毎日ささやかな目標がないとだらけてしまう。命をかける世界でなんと甘えたことか。しかし、本当に珍しいことに、決闘がない。あの、実践授業のおかげだろうか。このまま平穏に過ごしたいという気持ちと、魔術師を滅ぼしてやりたいという気持ちが拮抗していた。
「アリー」
「はい」
「どいてくれる?」
近くにあった唇にキスをする。すんなりとアリーはどいてくれた。
スマホの画面を点ける。今日の予定もなければ、お知らせの類もない。
いつも通り午前中は筋トレをしようと思い、着替えのジャージを持ち部屋の外に出た。ロックは自動でかかるが、防犯面で大した役には立たない。魔術を真面目に学んでいれば、鍵開けなんて簡単だからだ。無論、シキにはできない。力づくで破壊した方がスマートだ。
演習場がある建物の地下部分にジムがある。元は筋トレに興味のない人間だったので、備え付けの設備がどの程度のものなのかシキには分からなかった。ただ、古びた様子はない。
更衣室で学園指定の紺色ジャージに着替える。必ずシキがやると決めているのはランニングマシンだった。とにもかくにも、体力が必要だった。戦いに生き残るためにも、アリーの相手をするためにも。
「ただ走ってるだけでつまらなくないですか?」
ランニングマシンの横にアリーは座り込み、退屈そうにシキに話しかけていた。妖精である彼女に体力作りは関係のない世界の話だった。
「もっとペースを上げましょう!」
立ち上がったアリーがマシンのボタンを勝手に押す。
「ちょ、ちょっと待って!」
急速に回転し始めたベルトの上を必死で走る。ほぼ短距離走の如く疾走だった。
「いや、無理、だって……!」
手を伸ばしてもバランスを崩して転げ落ちそうだったので、シキは軽く横に飛んだ。「ぜぇ、ぜぇ」と肩で息をしながら、停止ボタンを押した。
「足は速そうですね」
「どうも……」
シキの五十メートル走のタイムは同学年の男子並みである。はたして、この妖精のタイムがいくつなのかは分からない。
タオルで汗を拭い、息を整える。高校に入ったら、何かしら運動部に入るつもりだった。でもきっとここまで一生懸命にはならなかっただろう。
次にシキはスピニングバイクに移った。持久力を高めるという意味ではランニングマシンと同じだと思う。気分を変えたい、それだけだ。あとスピニングバイクはアリーが好きだった。自転車に乗ってみたかったそうな。
「シキ、競争しましょう」
「競争するもんじゃないから……」
競争したところで、この脳筋妖精に勝てるわけがなかった。
アリーの会話を全て無視し、シキはペダルを漕ぐごとに増える走行距離に目を向ける。結果が数値で出るものは好きだ。スポーツ然り、勉強然り。代わりに点数で表せない芸術という科目は苦手だった。あんなもの評価者の体感で変わる。だから、決闘というシステムも分かりやすくて好きだった。一かゼロか。一を掴み取ればいいだけなのだから。
バイクを一時間ほど漕いだ。このくらいが達成感の出るちょうどいいタイミングであった。
「次は腹筋ですかね?」
先にバイクから降りていたアリーにお腹をつままれる。元々細身の体であるがゆえ、贅肉というものは生まれてこの方ついたことがない。
「セックスした翌日、シキってばお腹痛そうですもんね」
事実なので返す言葉はなかった。でも他人がいないとは言え、簡単に言葉にしてほしくなかった。
「ちなみに腰もちゃんと鍛えておいた方がいいですよ」
「うるさい」
名誉のために言っておくが、そのために鍛えているわけではない。決して。
一通り、いつものメニューをこなす。終わったらシャワーを浴びて制服に着替える。小腹が空く時間だった。お昼は購買でいろんな総菜パンを購入し、部屋に持ち帰った。
「…………」
部屋に入る瞬間、嫌な違和感があった。魔術が得意でないシキは侵入者向けの感知トラップなど仕掛けようがない。もちろんドアの間に紙とかシャー芯を挟んでおくという古典的な手も使わない。そんなものに引っかかるやつは相手にもならないからだ。
直感というやつである。この散らかった部屋、出ていく時と何かが幾分違う、気がする。部屋に侵入されたことは度々ある。唯一の救いはそれが下着泥棒や暴漢でなかったことか。
すでにコロッケパンを開けているアリーに廊下で待つように伝える。「全部は食べないでね」と念押しもしておく。
この部屋は散らかっている。汚いわけではない。ゴミはちゃんと捨てているし、飲み残したペットボトルなどはない。ものが散乱しているだけだ。書類の分類とか、そういうのが苦手なだけだ。
パッと見、何かが取られた気配はない。そもそも取られるようなものがないのだ。今、この部屋にあるもので一番高価なものは女子高校生の制服やジャージであって、それはシキが外に持ち出していた。次に高価なものはなんだろう。下着、だろうか。どれも一般的なオークションに出したらバンされそうだ。
物取り目的ではないとすると……。
シキはマイナスドライバーを利き手である右手に出現させ、ベッド脇にあるコンセントカバーのすき間に差し込む。思った通り、簡単に開いた。プラスドライバーでさらに奥も開けてみる。ビンゴだった。
取り出したソレ――盗聴器を握り潰す。
他のコンセントも調べたが、設置されているのはベッド脇だけみたいだ。監視カメラも疑ってみたが、見つけられなかった。
「古典的な……」
魔術師の仕業とは思えぬ仕業だ。
「アリー、入っていいよ」
考えるより先に、全部食べられてしまいそうな総菜パンを食べるとしよう。シキが食べたかった焼きそばパンはなくなっていたが、好きなソーセージ揚げパンは残っていた。ラッキーだ。他人に侵入されておいておかしな話だが。
どうでもいい情報だが、アリーの食べ方は綺麗である。スピードは優雅と言えなかったが、ちゃんと王家の子なんだなと感じられる。
「やっぱりコロッケパンが一番美味しいです」
随分庶民的な舌だ。
二個目のパンであるカレーパンを食べたところで、シキの腹は膨れた。ペットボトルの炭酸水を飲みながら、握り潰した盗聴器のことを考える。次に決闘を申し込みたい輩の仕業だろうか。シキはどうするべきだろうか。
窓を開けて外を見てみる。ビューはあまりよくない。なんたって木々が生い茂っているだけなのだから。チクリと一瞬だけ視線を感じた。シキが気づいた瞬間、相手はいなくなった。
確実にストーキングされているようだった。いつからモテ期がきたのだろうか。もしかしてシキではなく、アリーのストーカーかもしれない。それなら納得だった。
見られながら生活するというのは生きづらいものだ。そういう癖の人もいるかもしれないが、シキは違う。プライベートは守りたい。
「アリー、ちょっと出かけようか」
「いつもはお昼寝してから出かけるのに、どうしたのですか?」
この違和感をアリーは覚えていないのか。それとも気にするほどのものでないのか。
「ちょっと探し物をね」
「部屋が汚いからなくすんですよ」
居候のくせに、生意気なやつだ。
◆ ◆ ◆
視線を感じた先に足を運んだ。学園内に生えそびえる木々である。なんという木なのかは知らない。イチョウでないことは確かだった。
位置的にこのあたりの木に上っていたのだろう。魔術を施せば一時的に視力を向上させることもできるらしい。本当、魔術とは便利な代物である。
あたりの木を見て回ると、一本、表皮が擦れた木があった。直近で誰かが登ったのだと思う。
シキはわりとワンパクに育った。もちろんおままごとも人となりにしたけれど、男友達と木登りもしたことがある。登るかと思ったがやめた。登っても得られる情報があるとは思えなかったからだ。
「外、暑い……」
へばるアリーに「アイスあげるから」と声をかける。この学園の良いところは、とある高級アイスが食べ放題なところだ。シキはストロベリーが好きである。
今もシキたちは見られているのだろうか。殺意はもちろん、視線も感じられない。学園内において、決闘及び授業外の殺し合いは推奨されていないから突如襲われるということはない、はず。別に規約を破ったところで即退学になるわけではないから、絶対安全とも言えないが……。
「アリー、行くよ」
テキパキしないアリーの手を取り、シキは歩き出す。一度部屋に戻ろう。
寮に入るところで、再び視線を感じた。授業がない生徒ならいてもおかしくないが、明らかにシキたちをターゲットとしている。
「誰だ」
このまま泳がせるのも精神的に嫌だった。だからシキは声をかけてみた。小さい声でアリーが「アイスはまだですか」と言った。無視した。
「こんにちは、先輩」
後ろから現れたのは人工的に作られた影のもとで涼む銀髪の少女と、日傘を持った桃色の髪の少女だった。




