第145話 そして世界は
解決屋ギルド王都支部の一室。
薄く差し込む光に、舞い上がった埃がきらきらと浮かんでいた。
窓辺に立つエリアスは、遠くの空をじっと見上げている。
指で窓枠をなぞりながら、小さく息を吐いた。
「……スカイ……」
掠れた声が零れた、そのとき。
「また、ここで空を見ていたのですか、
エリアス陛下。」
静かな声とともに、扉が軋む。
フィートが入ってきた。
いつもの穏やかな笑みは影を潜め、
どこか痛ましげな表情でエリアスを見つめる。
「スカイ殿は、もうここにはいません。
それは、あなたが一番よく分かっているはずでしょう?」
エリアスは振り向かない。
指先で窓枠をなぞり続けながら、
ぽつりと答えた。
「だって……ここにはスカイの思い出がいっぱいあるもの。忘れたくないわ……本当に、懐かしいの……」
頬を伝う涙を、拭おうともしない。
フィートは少しだけ眉を寄せ、そっと近づく。
「陛下のお気持ちは、よく分かります。しかし――そろそろ時間です。
スカイ殿にとって一番関わりの深いあなたにも、
参加していただかないと困るのですよ。」
「……参加?」
エリアスがようやく振り向き、瞬きをする。
赤く滲んだ瞳が、フィートをまっすぐ捉えた。
フィートは静かに言葉を継ぐ。
「いつまでも“夢だった”と思うのは、もうやめましょう。
これは現実です。
すでに各大使館の者たちも、各国の代表も……
そして、クラウディス陛下もお揃いなのですよ。」
エリアスは俯き、ぽたぽたと涙を落とす。「……スカイは、もうここにはいないのに……」
フィートはそっと肩に手を置いた。
「スカイ殿は、もうここにはいない。
――だからこそ、とにかく今日は本番です。ちゃんと参加してもらいますよ、
エリアス陛下。」
一拍置いてそこで一度大きく息を吸い込むと、くるりとエリアスの正面に立ち、
「なんたって今日は――
「お二人の結婚式じゃありませんか!!」
胸を張って満面の笑みを浮かべた。
「……え?」
エリアスの口がぽかんと開く。
涙で潤んだ瞳が、
信じられないものを見るように大きく見開かれた。
フィートはおどけるように肩をすくめる。
「まったく……
主役が式場に来てくれないんじゃ、
始めようにも始められませんからね。」
「し、式って……わ、私と……?」
「はい。陛下と、スカイ殿の。」
ふたっと空気が変わる。
フィートは柔らかく笑い、踵を返した。
「さあ、行きましょう。世界中が待っています。――“あなた方のこれから”をね。」
◇ ◇ ◇
王宮の別室。
控え室の大きな鏡の前で、スカイは白いタキシードに身を包まれていた。
「……うわ、肩こる……」
詰め襟でもないのに、妙に息苦しい。
首元を指でいじってみるが、どうにも落ち着かない。
そこへ、ノックとともに扉が開いた。
「スカイ殿!」
フィートが顔を出すなり、ぱっと笑顔になる。
「ようやくエリアス陛下もご到着されました。支度に入っておられます。
――おお、なかなか似合っているじゃありませんか。」
スカイは困ったように眉を寄せた。
「お世辞はよしてくれ、フィート。
自覚はあるんだ。似合わねえって。」
「はは、そこまで言いますか。」
フィートは苦笑しつつも首を振る。
「それでも、あなたは今日の主役の一人です。
我慢してもらいますよ。逃げられません。」
「あー……はいはい。分かったよ。
今日一日くらい、これで行くさ。」
スカイは両手を上げて降参ポーズをしてみせる。
フィートは胸に手を当て、小さく息を吐いた。
「それにしても――本当に、こうして迎えられて良かった。
あのときスカイ殿が倒れた瞬間は、さすがに……覚悟しましたからね。
エリアス陛下だって、今もトラウマになっているくらいです。」
スカイは一瞬、視線を落とす。
苦笑とも悲笑ともつかない顔で呟いた。
「……ああ。そうだな。」
しばらく黙ってから、ぽつりと続ける。
「でも、あれしか方法がなかった。
倒れるのが分かってても、エリアスを悲しませると分かっててもさ……オレは、後悔してない。」
フィートは窓際へ歩き、外を見やった。
柔らかな陽光の下、人々が忙しなく行き交っている。
「あれから、もう半年ですか……
早いのか、遅いのか……。」
スカイは鏡越しにフィートを見る。
「さあな。」
静かな答え。しかしそこには、確かな重みがあった。
ゼストールの死から半年――。
世界はなお、数値教テロの傷跡を抱えたまま、それでも少しずつ復興への歩みを進めていた。
王国もまた、破壊された村や町、そして王都を修復するため、総力を挙げていた。
復興の人手として、
各国は捕らえた数値教信者を、
王国は降伏したゼストール軍の残党を、
容赦なく駆り出している。
「神に選ばれた」と豪語していた彼らが、
汗と泥にまみれ、泣き言や逆恨みを吐きながら瓦礫を運ぶ――
その姿は、どこか滑稽で、どこか虚しかった。
世界各国と王国は、数値教のテロとゼストールの侵攻で犠牲になった人々を悼み、
その責任を巡って揺れた。
「全部、自分のせいだ」と、エリアスは真っ先に矢面に立とうとした。
自らの無力を噛み締め、王国女王の座を退くことを真剣に考えた。
だが――そこに、「待った」をかけた者たちがいた。
王族のフィートを中心とした王国民。王国守護騎士団。
そして、各大使館を通じて救われた各国の人々。
「エリアス陛下の退位反対」の署名は、雪崩のように集まった。
中には、こう叫ぶ者たちもいた。
『王国に助けてもらっておいて、責任を
エリアス陛下に全て押しつけるのか!』
数値教テロを止められなかった各国政府には、大規模な抗議デモが起きた。
民衆の怒号が、各国の首都を震わせた。
そんな中、クラウディス王が宣言する。
「今回の数値教のテロとゼストールの侵攻の責任は、娘に代わり、この私が負う。」
フィートもまた、にこやかに、しかし鋭く各国に通告した。
「今回のテロを収束させたのは、スカイ殿の策あってこそです。もしエリアス陛下を退位させるのなら――各国大使館の職員を王国へ一斉に引き上げましょう。外交も支援も、すべて。」
笑顔のまま放たれたその“脅し”と、民衆の声。
エリアス退位によって起こりうる世界規模の混乱を恐れた各国政府は、最終的に、彼女の責任を問わないことで折れた。
そしてエリアスは――クラウディスの退位と引き換えに正式に、王国の女王となった。
真の王にのみ許される「フォン」の名を継ぎ、
彼女はエリアス・フォン・エニーフィートとなった。
その間、スカイは死の淵をさまよっていた。倒れた直後は、本当に危うかった。
だが、ひとつの“奇跡”が、その命を繋いだ。
「あれには、驚きましたよ。」
フィートがふと、スカイを振り返る。
「スカイ殿が運ばれて、しばらくしたあと――
エリアス陛下が突然、
『私の血をスカイに輸血して!』と言ったときは。」
スカイは目を瞬く。
「ああ……あれか。」
フィートは感慨深げに微笑む。
「まさか、エリアス陛下の能力が
『輸血した相手に罹っているあらゆる病と症状を取り除く力』
だとは。まさに、奇跡です。
おかげで、モルヒネとアリナミンの後遺症も、左肩の傷も……跡こそ残りましたが、
命に関わるものはすべて消えた。」
「……体力だけは、自力で何とかしろ、と。」
スカイが苦笑する。
「ええ。」
「駆けつけた時のフィートの涙した安堵の顔、
エリアスの泣きながらの強い抱擁、
そして人目関係なくオレに熱いキス……
今でも覚えてるよ。
側にいた若い看護婦なんか目を両手で覆い隠すフリをして
キスシーンを真っ赤な顔でガン見してやがった。」
「惚気ですか?」
「……しんどいリハビリも、エリアスのほぼ毎日の夫婦みたいな献身、健康食と休養で何とか退院。今日迎えたわけ。
エリアスがほぼ毎日見舞いとオレの世話をしてくれたのは嬉しいけど、トイレの世話まで付き合うことはないだろっ!?おかげで病院中で有名な話になっちまったよ。」
「……やはり惚気ですね。」
スカイは天井を仰ぎながら続けた。
「リハビリの途中、エリアスから聞いたんだ。
――あのとき、エリアスの心に、ルイーダさんの声が聞こえたってさ。
自分の能力の説明と、『その力は一年に一度しか使えない。
本人から取ったばかりの血でしか効かないから、保存も出来ない』って。」
スカイは小さく笑う。
「だから、あの場にいた医者と看護師、フィート、オレ、エリアス以外には……王家の最高機密ってことで、口止めされた。
……本当にさ。ルイーダさんには、助けられてばっかりだ。足、どっちに向けて寝ればいいんだか。」
そう言いながら、スカイは冗談めかして天井を見上げた。
フィートも、ふっと目を細める。
「そうですね……ルイーダ様なら、
『ちゃんとエリアスを幸せにしてくれれば、どっち向いて寝ても許すわよ』と笑いそうです。」
そこへ、控え室の扉がノックされた。
「失礼いたします。」
入ってきたのは侍女長だった。緊張と喜びが混ざったような表情で、深々と頭を下げる。
「スカイ様。エリアス陛下のご支度が整いました。どうか、こちらへ。」
フィートは一歩下がり、スカイの背中を軽く押す。
「行ってください、スカイ殿。……私は先に式場へ。」
「お、おう……」スカイは喉を鳴らす。
急に心臓の鼓動が早くなった気がした。
侍女長の案内で、エリアスの待つ控え室へ向かう。
廊下を歩くたび、靴音がやけに大きく響く。
(やべ……緊張してきた……)
侍女長がノブに手をかけ、丁寧に扉を開く。
「失礼いたします。」
スカイが一歩踏み入れた瞬間――息を呑んだ。
そこにいたのは、純白のウェディングドレスに身を包んだエリアスだった。
柔らかなベールに金色の髪が透け、宝石よりも澄んだ瞳がこちらを見つめている。
まるで、絵本から抜け出してきた女神のように。
エリアスも、白いタキシード姿のスカイを見て、ふわりと花が綻ぶように微笑んだ。
「スカイ……。」
その一言だけで、半年分の不安も痛みも、
すべてが報われた気がした。
スカイは照れ臭そうに頭をかきながら、一歩近づく。
「……待たせたな、エリアス。」
「うん。ずっと、待ってた。
――生きて、ここに立ってくれる日を。」
二人はそっと手を取り合う。
これから、世界がどう変わろうとも。
数値がどう評価しようとも。
この瞬間だけは、ただ一つの事実だけが、
揺るがない。
――スカイとエリアスが、共に歩き出すということ。




