第9話 臭いものには蓋
「うお! くさ!!」
思わず鼻をつまんだ。
転移してきたのは冒険者用のマジックバッグ倉庫。
鼻から息を吸うと、ねばっとした何かが喉の奥に張り付いた。
肺がそれ以上の侵入を拒むように、呼吸が浅くなる。
「何があったの?」
私は、側にいたチアリーに尋ねた。
「これ見てくださいよ~」
チアリーの後について隣の区画に移動すると、悪臭はますます酷くなった。
込み上げるえずきを、喉元で堪えた。
「これは……魔物じゃないか」
臭いの発生源は棚に押し込まれた、魔物の死体の山だった。
よく見ると、ちゃんと一体ずつに魔力ラベルが付与され、ロット番号が振られていた。
「腐りかけてます」
アゼッタは鼻をつまんで、目を細めていた。
魔物の山をよく見ると、フォレストボアに、フラワーラビット。
「これはきっと、魔物の皮の採集依頼だと思います」
「えーこんな腐りかけのでも、売れるんですか!?」
「まあ、食べる訳じゃないですし」
遠征先で魔物を狩って、解体業者のある街まで持ち帰るのは、よくあることだ。
確かに、マジックバッグに入れて持ち帰れば、かなり仕事が楽になる。
「精霊さんたち、こんなところじゃ働けないって、別のところ行っちゃって……」
チアリーが申し訳なさそうに、目線を落とした。
アゼッタは、そんなチアリーの顔を見上げて言った。
「とにかく、できることをしましょう。このままでは隣の冒険者の荷物に臭いが移って、クレームになってしまいます」
「そうだ! この前、消臭札をたくさん買ったんだった!」
「消臭札?」
聞き覚えのない言葉だった。
「そう。『護符工房かさね』さんの商品で、匂いを閉じ込める護符なんだよ!」
「護符の1つや2つで、どうにかなりそうな悪臭じゃないですが」
アゼッタが相変わらず鼻をつまみながら、答えた。
「それがね! この間、市場でいつもの半額ぐらいの値段で売られてて、こんなに安くて大丈夫かな、とも思ったけど、お得だからついまとめ買いしちゃったんだよね〜」
チアリーは「持ってくる」と言いながら、その場を離れた。
「とりあえず、箱の中にでも入れちゃいましょうか」
私はアゼッタに手伝ってもらって、大きめの箱に魔物の山を詰め込んだ。
隣の荷物への影響も考えると、まずは腐臭を閉じ込めるしかない。
臭いものには蓋をしろだ。
間もなくして、チアリーは紙束を持って帰ってきた。
私たちは、箱の外側に、その護符を惜しみなく貼り付けた。
「これで大丈夫! なんてったって『かさね』さんのとこの商品だからね」
チアリーは自信満々に胸を張った。
しばらくして、3人は様子を見るために、現場に戻った。
そこに居合わせた全員が似たような表情をしていた。
「えっと、この消臭札……効いてます?」
「いいえ、効いていません」
私の確認に、アゼッタが渋い顔で即答した。
「え、でもでも、『かさね』さんの護符は、本当に品質がいいんだよ!」
チアリーは「そんなはずない」とめずらしく意地を張っていた。
実際、チアリーが事務所給湯室のコンロ周りにも、同工房の火除け札をきちんと貼っているのを、私は知っていた。
家事好きで、ベルの散らかす部屋を、いつも完璧に整えているチアリーが選んだ商品だ。
決して疑っている訳ではない。
ないんだが……
「でも、臭いものは臭いです」
アゼッタの変わらない調子に、私は失笑してしまった。
チアリーは私とアゼッタを睨んで、頬をぷーっと膨らませた。
「きっと腐敗の臭いが強すぎて、護符だけでは追いつかないんだと思いますよ」
私はとっさにチアリーに微笑みながら、フォローを入れた。
しかし、この悪臭を放っておくわけにもいかない。
「臭いが漏れないように、倉庫空間を一つ作ることはできないかな」
「それくらいなら、できますけど!」
チアリーはぷいっと横を向きながら答えた。
次に、私はアゼッタを恐る恐る振り向く。
「魔力消費のほどは大丈夫ですかね?」
「はい。一時的に運用する程度なら、問題ないです」
ほっと胸を撫で下ろし、もう一度、チアリーの方に向き直った。
「チアリー、力を貸してもらってもいい?」
「……わかった」
ようやく目線が合った。
その瞳の奥に、わずかな不安の影が揺れた気がした。
倉庫を改装すべく、私たちは事務所に戻った。
いつも元気なチアリーが見せたその表情の意味を、私はまだ読み解けてはいなかった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
ブックマーク、ご感想いただけると励みになります!




