第8話 赤字決算
「おはようございます」
今日もいつも通り事務所に到着し、自分の事務机の椅子に座った。
横のアゼッタが挨拶を返しがてら、紙を差し出してきた。
「先日の清算が完了しました」
数日前にあったワイバーン事件。
私はその収支報告書を受け取り、細かな数字を目で追った。
支出金額は金貨2枚と銀貨83枚。
「今回の緊急買上げで、違約金は発生しなかったんですね」
「はい。事情を説明したら、粗利の補填まででご承諾いただけました」
「よかった。広告費だと思えば、まだ安い出費ですかね」
「うーん」と、アゼッタは何か言いたげな表情で、腕を組んだ。
報告書の表を順に見ていくと、見慣れない見出しが目に留まった。
「魔力収支?」
そこの表を見ると、マイナスがずらっと並んでいた。
アゼッタは紙を覗き込んでから、一呼吸置いて、私の方を向いた。
「コアに魔力を貯めている、というお話は覚えていますか?」
「はい。倉庫への転送魔法陣の部屋にあるやつですよね」
あの部屋のひんやりした空気と、コアから漏れる紫の光は、思い出すだけでも背筋が伸びる。
アゼッタはコクッと頷くと、話を続けた。
「その魔力で倉庫は形成されています。さらに、ゴーレムの動力源、精霊にとっての給与も魔力で賄われています」
「え、精霊のお給料って魔力なの?」
「私も詳しく知りませんが、『精霊は魔力によって存在する精神生命体で……』みたいなことをチアリーが言っていました」
このマイナスの多さも納得だと頷いていると、ふと疑問が浮かんだ。
「じゃあ、この魔力の収入源ってどうなっているんですか?」
「ああ」と言いながら、アゼッタは奥の棚まで移動した。
足元にあった金庫を開けると、拳大の石を持ち出した。
「この魔晶石を購入して、魔力を補充しています」
「こんな高価なものを!? このサイズなら金貨3〜4枚は下らないですよ」
冒険者で採掘依頼を受けたことがあるので、その希少性は良く分かる。
魔晶石は明るい室内にも関わらず、薄らぼんやりと紫の光をたたえていた。
「なので、商会や工房の契約料には、この魔力分の代金も含まれています」
「なるほど。だから冒険者用のマジックバッグもあんなに高かったのか」
冒険者用マジックバッグは、初期契約料だけで金貨5枚。
最近まで初期費用半額キャンペーンを打ち出していたが、その後も月額銀貨20枚かかる。
冒険者業とは、所詮、ギルドを介した派遣業務だ。
低ランク冒険者には、到底手の出せる代物では無かった。
アゼッタが頭の上に「?」を浮かべ、眉根をわずかに寄せた。
「何を勘違いしているんですか。基本的に冒険者から魔力分の代金はいただいていません」
「へ!?」
声が裏返った。
「その代わり、冒険者からはバッグ起動時に魔力を徴収しています」
「そうか。冒険者であれば、魔法職でなくても、それなりの魔力を備えている」
「はい。その分、だいぶ安くなっています」
真面目に聞いてはいるが、今にも耳を覆いたい気分だった。
「ご理解いただいたところで、話を戻しましょうか。ワイバーン事件の際、多くのゴーレムと精霊を緊急導入しましたよね」
アゼッタの淡々とした声色に、意識は報告書に引き戻された。
「事態が収拾された時点で、魔力リザーブが安全水準のギリギリになっていました」
アゼッタは表を指でなぞった。
「つまり、もう少し長引いていたら、魔力不足で倉庫全体が止まっていた……」
「そういうことです」
理解した一瞬、息が止まった。
倉庫のシステムをよく理解せずに突っ走って、会社に大損害を与えかねなかったのだ。
紙を握る手が、じっとり汗ばんでいるのに気付いた。
「いずれにせよ、今後もこのような事態全てに、対応していく訳にもいきません」
「はい。魔力の運用を含めて、話し合いの場を設けましょう……」
私がぼんやりと報告書を眺めていると、アゼッタがもう1枚の資料を取り出した。
「これ見てください」
そこには、ここ1ヶ月の魔力収支状況がグラフにまとまっていた。
「あれ? 最近、かなり支出が減ってる」
緩やかな右肩上がりの折れ線が、ある日を境に一段ストンと落ちていた。
「覚えていませんか?」
「もしかして……」
「レジーの初出勤日。倉庫内の動線を整え直した日です」
そこを境に、支出は最大で2割近く減少していた。
アゼッタが顔を上げると、私と目線があった。
「レジーならできますよ」
ひとつ脈が高く鳴った。
その時、チアリーの声が聞こえてきた。
『もしもし〜。事務所に誰かいる?』
鼻声でやや苦しそうな声だった。
アゼッタが素早く、壁の通信機を手に取った。
「はい。どうしましたか?」
『ゲホゲホ。ちょっと大変なことになってて、手を貸してもらっていい?』
「分かりました。すぐ向かいます」
アゼッタが通信機を下ろすと、私の方を振り返った。
「行きましょう」
「はい!」
最後までお読みいただきありがとうございます!
これにて第1部完結です。
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