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第2話 契約書と依頼書

ベルからブロード商会へ誘われた翌朝。


「ブロード商会に転職か……」

冒険者ギルドの重い扉の前で、ため息を吐いた。

鉄の匂いが鼻を刺す。10年分の汗のにおいが染みついた扉だ。

押し開けるたび、若かった頃の自分が、胸の奥で顔を出す。


いつも通りに、ギルドの受付に向かった。

「レジナルドさん、おはようございます!」

ギルド受付の女性が元気に挨拶してくれた。


「こちらが、昨日分の日当です。お受け取りください」

「ありがとうございます」

そそくさと銀貨8枚を財布にしまった。


「今日はお仕事のご予定、入れていないんですね」

「はい、今日は……少し考え事をしようかと」

愛想笑いして、視線を掲示板にそらした。


やけに強調された依頼書が、真っ先に目に留まった。

【募集拡大!ワイバーン巣の調査――報酬金貨1枚】


この後の用事もあるので、今は見ないふりをして、その依頼の前を通り過ぎた。



入り口近くでは、ベルが通りがかりの冒険者に声を張っていた。

「冒険者限定! なんと今ならマジックバッグが初期費用半額!」

何人もの冒険者が足を止めていた。


同業者たちが、羨望と警戒を半分ずつ混ぜた目でベルを見ていた。

「あの商会章ってどこのだっけ?」

「お前知らないのかよ。マジックバッグのブロード商会だぞ」


ベルは私の要件が終わったことに気付くと、すぐに営業を中断した。

周囲に笑顔を振り撒きながら、こちらへ歩み寄ってきた。

「じゃあ、事務所に行きましょうか」




ベルについて到着したのは、街並みを見下ろすように聳え立つ館。

磨き上げられた門扉には金の紋章が刻まれていた。

「おお! これが!」

息を弾ませて、身を乗り出した。


「おーい、こっちこっち」


私の感動を、ベルの声が断ち切った。


豪邸の影に、ポツンと小さな家が隠れていた。

外壁には蔦が這い、色褪せた木枠の窓がのぞいている。

「ここがブロード商会の事務所?」

「そうよ」


ベルは慣れた手つきで、軋むドアを押し開いた。

「ブロード商会へようこそ」



几帳面に整えられた室内には、人の温もりがやわらかく滲んでいた。

手前に応接用テーブル・ソファー、奥には3つの事務机。


どの机にも伝票が山のように積まれていた。

とりわけ1つの机には、伝票とメモが崩れそうなほど積み上がっている。


「ベル、おかえりー」

女性が満面の笑みで出迎えてくれた。


「あ、レジナルドさんですね! チアリーっていいます!」

ペコっとお辞儀するチアリー。

「お茶入れてきます」と敬礼しながら、奥へパタパタと駆けていった。


「どうぞ、お掛けになって」

ベルに促されて、ソファーに座った。


「さっそくだけど、レジー。あなたの力をブロード商会で発揮してみない?」

ベルは契約書類を差し出した。


「月給で金貨5枚! そんなに……」

今の稼ぎなら、よくて金貨1枚いくかどうか。

ーー10年もやってきて、だ。


「今、ブロード商会は大きな転換点にいるの。マジックバッグを『武器』にする時代を、私たちが作らなきゃいけない」

ボーナスに住宅手当。紙の上だけ見れば、これ以上ないほどの好条件だった。


私は前のめりに、ベルの声に耳を傾けた。



「マジックバッグは知っているわよね?」

「はい。見た目以上に物を収納できる、魔法のバッグだと聞いています」

ベルは満足そうに頷いた。


「このマジックバッグ、今までは工房や商人向けに売り上げを伸ばしてきたの。でも、次に攻めるべきは冒険者だと考えているわ」


マジックバッグの名は、ここ最近、冒険者の間でよく話題に上がっていた。

一部が使い始めたのをきっかけに、今や高ランク冒険者のステータスとなりつつある。


ただ、なにぶん私の稼ぎで手が届く値段じゃない。

「いつかは」を飲み込んできた憧れの道具だった。



「うちはこれまで商人相手だったから、冒険者のニーズをまだ掴みきれていないの。だから、冒険者向けの窓口を整えるには、現場を知っている人が、どうしても必要になる」


理路整然とした説明に、なるほどと頷いた。

だが、しかしだ。

10年もDランクくすぶり続けた私が、力になれることなんてあるんだろうか。


「私程度の知識や経験でお力になることは、できないかと、思いますが……」

思わず視線が下を向いてしまう。


ベルは私の顔を真っ直ぐ見つめていた。

「昨日の路地での采配を、私はこの目で見ていた。あれだけの混乱、あの時間でさばける人材なんて、そうそういないわ」

その表情は自信に満ちていて、こちらの卑屈さが少しだけ恥ずかしかった。


「ベルがそこまで言うなんて、レジナルドさん、優秀なんですね!」

カップを3つ載せたお盆を持って、チアリーがずいっと割り込んできた。


「いや、あの時はベルさんが味方してくれましたので」

「まーたしかに。ベルはお仕事“だけ”は超一流ですから!」

「その“だけ”は余計よ。チアリー」


「はーい」

返事をしながら、チアリーはポンっとベルの横に腰を下ろした。

「ねえレジー、冒険者ギルドのお話、もっと聞きたいです!」




事務所を出た頃には、日は西に傾き始めていた。

胸ポケットに入れた契約書を指先でなぞりながら、気づけば足は冒険者ギルドへと向かっていた。


掲示板には、朝見たのと同じ緊急依頼が貼り出されていた。

【募集拡大!ワイバーン巣の調査――報酬金貨1枚】


「レジナルドさん、こちらの依頼、お受けになりますか?」

いつもの受付さんが声をかけてきた。


「Dランク向けの魔物絡みなんて、冒険者になって10年ですが、初めて見ましたよ」

腕に覚えのある連中なら、喉から手が出るほど欲しがる依頼だろう。


「普段ならBランク以上の募集ですね。巣が広くて人手が要るうえに、高ランク冒険者が出払っていて、Dランクまで募集が拡大されたそうです」

「なるほど。この報酬額、ギルドも本腰入れてますね」

「ええ。金貨1枚あればひと月は暮らせます」



私の中には冒険者を志した時の、あの熱が沸々と湧き上がっていた。

初めてギルドカードを受け取った朝日が脳裏を焼いた。


「出発は明日の早朝。募集はあと1枠です――どうされますか?」


依頼書のざらりとした感触が指先に絡みついた。

内ポケットの契約書をつまみ上げて、そっと押し戻した。


ぎゅっとまぶたを閉じると、時計の刻む音だけが耳に残った。






最後までお読みいただきありがとうございます!

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