イケメンゴリラ
マキオは携帯電話の液晶画面を向けて来た。妹とメッセージを送り合っていたらしい。
『朝起きた時、動物園(家)からゴリラ(マキオ)がいなくなっていて清々した。一生帰ってくるな。帰って来たら殺処分する』
中々辛辣な文章で、マキオは啜り泣いている。こんなやり取りするなら、普通に仲がいいんじゃないかとヒトシは疑う。そうしたら、大量の柔道技を掛けられている彼の動画を見せられた。やはり、仲が良いじゃないかと返すと、
「こんな過激な妹は嫌だ。目に入れても痛くないような可憐な妹が良い……」
好かれたいのか嫌われたいのかよくわからないマキオはイケメンゴリラと一緒に帰るとメッセージを送っていた。
ヒトシは「イケメンゴリラなんているの?」と訊いたら、鼻を摘ままれる。マキオの額に血管が浮かんでいる様子が見える中、背後から話しかけられた。
「ゴリラとムラヒト、じゃま」
汗を掻いている魔王様も昼休みを終えて教室にギリギリ戻って来た。ヒトシとマキオはすっと道を譲り、魔王様の逆鱗に触れないよう配慮する。
その後、鼻が解放され、午後の授業が始まった。一年生のころの延長線上のような軽い授業を終え、掃除をこなしたあと、帰る者遊ぶ者部活に行く者に別れる放課後がやってくる。
「ヒトシ、俺の命のために部活終わりまで待っていてくれ」
「はいはい……、わかったよ。でも、あまり遅いと困る」
マキオはヒトシの了承を貰い、足早に部活に向った。
二時間ほど時間が空いたヒトシはユウの襲撃に恐れ、教室で時間を潰すのはまずいと思い体育館に近づかないよう校内を歩く。
放課後になると人が減るため、危険も減る。退屈な時間が流れているが、何も無い平和な時間だと思えば幸せを感じられる。
芸術系の文化部に入るという手もあった。だが自分に対した才能がないと幼少のころ習っていたピアノで知っている。引けるが、それ止まり。絵も、習字も、歌も、大した才能がない。
全て試したので間違いのない事実だ。ちょっと試したわけではなく、習い事で先生から言われたこと。
いや、そうではない。スポーツの方が才能に満ちていると知ってやんわりと止めるように諭されただけ。つまり、才能がないのに続けていても意味がないと先生が言っていたことになる。
子供の精神なら良かったかもしれない。だが、当時から精神が十六歳を超えていたヒトシにとって何事も初めての経験で純粋に楽しんでいただけなのに才能がないといわれるのは結構響いてしまった。
前の世界でも教会が魔法で才能を見つけ強い部分を伸ばし、弱い部分を補っていたなと思い出した。
日本に才能を調べる魔法などない。子供達に言い渡されるのは魔法によって数値化された個々の才能ではなく、大人たちの勝手な自己判断である。
昔の世界は良くも悪くも自分の才能を生かして生活していた。だから劣悪な環境でも生きていられた。魔法のない地球では自分の才能を見つけられない人ばかりなのだろうなと察してしまった。
なんせ、地球人は才能と言う言葉が大好きで、天才の称号を欲するものが驚くほどに多い。それにも拘わらず、天才を見るのを嫌う。
ヒトシはスポーツの場でよく目の敵にされた。今まで天才とよばれてきた子達の、その称号をどうにかして維持しようとする我の強さに引いた。
伸びる者もいれば、自分は天才ではなかったのだと挫折した者もいる。
ヒトシが気づかぬ間に消えているので本人は大した傷を負っていないがスポーツで全力を出すのも控える生活になった。
ゲームは苦手、そもそも電子機器が苦手で携帯電話は一応持っているが、上手く使いこなせない。
どちらかと言えばアウトドアな性格のヒトシは校舎の中ではなく、グラウンド側に出た。陸上競技部が各自の選んだ種目を黙々と練習している。男の自分が太ももや腹を盛大に出ている陸上競技用の衣服を着ている女子をじろじろ見ていたら犯罪者に思われるかもしれない。だからと言って男子を凝視するという訳にもいかない。大概の者が体操服なので目のやり場に困らないが、一カ所、妙に浮いて見えた。
「あれ、魔王様……」
ヒトシの視界の先、グラウンドのトラックを他の女子生徒と並走しているやけに小顔で、脚が長くて、おっぱいとお尻が大きい褐色美女がいた。周りに大量の人がいる中、ひときわ目を引くスタイルの良さ。走るたびに揺れる胸が素晴らしい……、と思いたくないが健全な男子高校生のヒトシはいっぱしの人間ほどに女性に興味を持ち合わせている。
その後、グラウンドが見える休憩場所のベンチに座り、陸上競技部の練習を見続けた。
何かを投げる競技、何かを飛び越える競技、直走る競技。どれもこれもヒトシがすればすぐに世界記録を塗り替えられる自信がある。そういう妄想ではなく、事実だ。
野球部が吹っ飛ばしたボールを拾った時、外野が手を振っていたが、どうせキャッチャーのもとに投げるのだから、気にせずキャッチャーに向って投げた。キャッチャーは全く予測していなかったため、いきなり飛んできた剛速球にぶつかり吹っ飛ばされていたなんていう記憶も新しい。
自分の限界を突き詰めている陸上競技は美しいと思うが、だれかと競い合っている場面を見ると萎える。もしかすると、自分は捻くれているのかもしれないと感じる今日この頃。
ヒトシは常に魔王様を見ていた。誰とも喋らず、ただひたすら走っているだけ。楽しそうではない。だが、やる気は感じられる。
ざっと二時間が過ぎるころ……、
「だーれだ?」
ベンチの背後から可愛い女の子みたいな声が聞こえた。身の怖気が止まらない。
「ま、マキオ、さすがに気持ちが悪い」
「えぇー、私、マキオじゃないよー。ヒトシ君、ひどーい」
寛大な心を持つヒトシも切れそうになる。眼を覆う手の平を払いのけ、背後を振り返る。やはり、マキオだった。こういう面倒臭い所があるから妹に嫌われるんじゃないのかと思う。
ヒトシとマキオは帰路につく。マキオの実家は学校からそう遠くなく、徒歩で移動出来た。彼が妹と喧嘩した時、ヒトシはいつも駆り出される。理由はわからないが、喧嘩が仲裁されるらしい。
一五分もしないうちにマンションが視界に入ってくる。セキュリティが万全な良いマンション。マキオがピポパっと慣れた手つきで暗証番号を入力すると入口が開き、エレベーターの前に移動。そのまま八階に移動すると彼の家の玄関がある。通路に自転車や観葉植物などが置かれており、軽い物置スペースになっていた。それでも二人で、余裕で歩ける道幅がある。
マキオはカードキーを使って玄関の鍵を開けると、重そうな扉を開く。
「帰ってくるなって言ったのに! さっさと死ねこのゴリラ!」
入口で待っていたのか、マキオの妹である芽生が、柔道着を来た状態で人差し指を突き出していた。中学生ながらすでに黒帯で、マキオと顔があまり似ていない。細身の可憐な少女と言った印象。部活帰りか、はたまた今から習い事でもう一度柔道しに行くのか。
「って、ひ、ヒトシさん……。ちょ、バカゴリラ、イケメンゴリラを連れてくるって、言ってたの嘘じゃん!」
「嘘は言ってねえ。俺が、イケメンゴリラだからな!」
そう言ったマキオはメイに巴投げされて、玄関の遥かかなたに吹っ飛んで行った。