牧田真央
「テルス・ベッルムを名乗るテロ組織が拡大。アメリカ合衆国国防総省も存在を強く意識している模様。テルス・ベッルムによると思われる死者数は世界各地で八千人を超え日本人の被害者も出ています。『今の世界は戦争が必要だ』と言う危険運動を続けており……」
朝から暗いニュースを聞き、すでに心が廃れているヒトシは朝食を終え、食洗器に食器を並べた後、皆よりも先に家を出る。
「なろうと思えばなんにでもなれる日本に生まれてきているのに、なんで犯罪者になるんだろう。雨風がしのげる家があって水が飲めて勉強出来て便利な道具に溢れているのに。前の世界じゃ、何もしなければ死ぬだけだったから、余計わからない」
ヒトシは考え込みながら車道の白線側を走り、ヘルメットを被らずイヤホンを付け、スマホを見ている自転車を追い抜いていく。警察に見つかったら普通に指導ものだろう。だが、そこら中、見渡せばどこにでもいる。このすべての者に警察が指導するわけがなかった。
「軽犯罪、見て見ぬふり、空気を読め……。はぁー、言われ過ぎて聞き飽きたよ」
ヒトシは信号が青色だった横断歩道を渡っていた。その最中、信号が点滅し赤色になった。
後方から来る自転車は信号が見えていないのか、スマホに夢中で止まる様子がない。ヒトシが危ないと思って声をかけてもイヤホンのせいで聞こえていない。赤信号に突っ込むと左折車両とぶつかりそうになっていた。トラックの運転手が急ブレーキで止まったから事故にならなかった。そんなことは梅雨知らず、自転車に乗ったおじさんは何食わぬ顔で横断歩道を通過。
「危ない運転は、してはいけませんよ!」
ヒトシはたまらず声をあげるも、自転車に乗っていたおじさんは中指を立てて素通り。子供が大人に説教してんじゃねえよと言う捨て台詞まで吐いて高笑いしながら去っていった。
「……可哀そうな人だ」
このような会話はよくあるので、ヒトシも無駄にイライラしたりしない。前世にいたおじさんたちはお酒を飲んでないと生きていけないような人達ばかりだった。
妻や子が殺され、戦争で腕や脚を失っても笑って生きていた。自分もよく食事をおごられて可愛がってもらっていたなと昔を懐かしみながら高校に直走る。
どうも日本人は他人との繋がりが恐ろしいくらいに弱い。背中を任せて命を預けあったり、共に街を守ったり、という仲間意識がないのが原因だろう。自分の知り合いの中に何人背中を任せられるか考えてもパっと思いつかないのが現状だ。
「まぁ、人の数が多すぎるから仕方ないか。一人で生きていける世界なんだもんな」
日本に住んでいるとほとんど一人で生きていける。仲間がいなくても問題ない。それが、どこか寂しさを覚えるのはなぜだろうかと考え始めたら、無駄な思考は止まらない。
ヒトシは学校に到着し、二年八組の自分の席に座った後も考えは巡っていた。
「なんだ、ヒトシ。浮かない顔してんなー」
早朝から柔道部の朝練に参加していたと思われるマキオはテカりが見える肌を曝し、長袖のカッターシャツを肘ほどまで折り曲げた状態でヒトシに話しかけた。
「いや、大人になったら寂しくなるのかなと思ってさ……」
「なんだ、そんな簡単なことで悩んでんのかよ」
「簡単なこと? 解決策でもあるの?」
「そりゃあ、ずっと独身でいたら寂しいかもしれねえ。でも、結婚して子供が出来りゃあ、寂しいなんて感じる暇ないと思うぜ~。まあっ~、子供を作るためには女子とベッドの上で夜の寝技大会しなきゃならんがな~!」
マキオは鼻の下を伸ばしながらゴリラのような顔を曝している。ここまで下品な奴は前世でも滅多にいなかったなとヒトシは思った。
「でも、妹ちゃんから未だに嫌われていないヒトシがそんなことを考えるなんて珍しいな。いきなり将来の不安なんて考えても仕方ないぜ。どうせするなら超絶可愛いトップアイドルのキラキラ・キララの初々しい地下アイドル時代の話とかしようじゃないか!」
「僕、アイドルとかあまり興味ないからな……」
マキオのアイドル好きにも困ったものだ。暇があればライブに行っているという。一種の現実逃避らしい。貢ぐのが心を潤わせてくれるのだそう。いや、マキオ、それはそれで寂しいぞ。
「ヒトシって何かスポーツ以外で趣味ないのかよ」
「えぇ、趣味……。料理や素振りとか?」
「味が薄い趣味だな。もっと、熱くなれる趣味を見つけたらいいんじゃね? 何かに熱中している人間は歳食ってもいい男に見えるらしいぜ。あー、だからと言って深夜までアダルトビデオを見て鼻の下伸ばすような人間は駄目だぞ。言っておくが、俺じゃないからな」
「はいはい、わかったよ」
午前八時二五分、担任の先生が出席者を確認し、連絡事項を伝え終わったころ見覚えのある女性が教室に入って来た。乱れた黒髪、汗が下たる褐色の肌、吸い込まれそうなほど青い瞳の魔王様。ギリギリ遅刻扱いにならなかったみたいで、ほっとしている様子が見て取れる。
「僕、魔王様と同じクラスだったんだ」
「気づいてなかったのかよ……。お前、他人に興味なさそうだもんな」
魔王様はヒトシの前の席に座った。
ヒトシは昨日に一年生教室前廊下であった喧嘩の時、ようやく魔王様の顔が見えたため、目の前にいた黒髪ロングの女子が魔王様だと気づけていなかった。
椅子の背中に張り付けられている名前シールに牧田真央と書かれている。ハーフっぽい見た目だが、名前は純日本人のようだ。背中から発せられている、話しかけてくるなと言うオーラは禍々しい。
授業はしっかりと受けて……いない、頭がこっくんこっくんと上下に動き、斜め後ろから軽く覗くと目を瞑りながら寝落ちしている。シャープペンシルを持ち、ノートに何か残そうという意志は見て取れるが気持ちよさそうに眠っていた。
タブレットを使った授業形態とは言え、先生は教室の中にいる。眠っていたら普通に怒られる。ただ、夜遅くまでアルバイトしていたと知っているヒトシは疲れているんだろうなと察し、すぐに起こさない。
先生が来たら起こそうと思っていたが、魔王様は突拍子もなくビクリと跳ね、椅子と机を震わせて音を鳴らす。その音にさらに驚いたのか辺りを見渡し、自分の出した音だとわかるや否や肩を縮こませ耳を赤く染めていく。
魔王様は案外恥ずかしがり屋なのかもしれない。そう思うと威圧感のある雰囲気もどこか可愛らしく見える。そんな彼女は昼食時になるとどこかに移動していく。
魔王様のことばかり気にしてもいられないので、ヒトシは自作の弁当を教室で食べる。
「「いただきます」」
ヒトシは聞き覚えのある声に身を一瞬固めた。自分の机の上に置かれた自分の弁当箱と漆塗りの重箱が見える。視線を少し前に向けると両手を合わせている可憐な少女が視界に映った。ユウで間違いない。