不運は試練
「真央さんと出会って、ちょっとした不運を沢山経験したけど、そのおかげか人生が楽しくなった。今まで僕に不運なことがほとんど起こらなかったから、パッとしない毎日だった。ずっと幸せでいたら幸せの素晴らしさが薄くなる気がする……」
「なにが言いたいの」
「幸せなことばかりが起こってもつまらないし、不運なことばかりが起こっても辛い。幸福と不幸が良い具合に混ざり合って良い人生になるんじゃないかな?」
ヒトシはようやく着替え終わり、カーテンを開けてマオの前に出た。
「幸せは皆で分け合えばいい。不運は皆で受け持てばいい。もう、真央さんは何も心配いらない。真央さんをこれから一人にさせない。そうすれば、僕たちは良い人生を送れる。真央さんの夢でしょ、良い人生を送るの」
ヒトシのお人よしな発言に、マオの目に取り付けられた涙を止めるダムは容易く崩れ去った。
ずっと一人で生きていくんだと思っていた。これから、ずっと……。
だが、糞が付くほど善人な奴に目を付けられてしまった。
ヒトシが不運にならないよう、突っぱねていたつもりだったが効果はなく、不運が目の前のお人よしに流れ、ちょっとした……、いや、大分大きな幸福が巡り込んで来た今日この頃。
マオが心臓の高鳴りと、熱りだす体の反応に頭がどうにかなってしまいそうな中、
「マオさん、僕と友達になってください。一生幸せにします」
ヒトシは最近できた夢の実現のため、太陽と見間違えそうなほど無垢な笑顔のまま右手を差し出した。
マオは差し出された手とヒトシの顔を交互に見回しているだけ……と思いながら頭を上下に振っていた。
溢れんばかりの涙と嗚咽を堪えるために左手を口元に当てる。泣きたくもないのに辛さと幸せな瞬間が複雑に混ざり合う。
心に溜められる感情に限度があり、幸せに追い出された辛い感情が涙に変わってどんどん流れ出ていく。スカスカだった色合いの視界がより一層晴れやかになり、ヒトシの眩しさを見ていられない。
警戒していた猫が心を許してくれた時のようなゆっくりとした動きで、マオはヒトシの手を握った。バチっと静電気が走り、反射的に放してしまう。
「こ、後悔しないでよ。これから、どんな不運があんたに降り注ぐかわからないから」
「大丈夫、僕は真央さんと友達になれただけで幸せだから」
ヒトシの発言一つ一つに、マオの心は惑わされ、気恥ずかしさで頭が狂いそうになる。
「そ、そんなこと、よく堂々と言えるな……」
「だって、事実だから」
ヒトシはあっけらかんとした表情のまま、真っ直ぐな視線をマオに向けていた。
その表情を見たマオは口をもごもごさせながら何も言えず、ベッドの上に置かれた不格好に畳まれた入院儀を見て、綺麗に畳み直す。
これ以上ヒトシと話していたら心臓が持たない。そう考えて取った行動だった。
ミチコが病室に戻ってきた後、車で村坂家に移動。
マオはこれからどうやって生きて行けばいいかミチコに相談するため、ヒトシの家にお邪魔すると決めた。自分が住んでいた家の何倍も綺麗な一軒家で、少々緊張しながら建物に入る。
「お兄ちゃ~ん、お帰りぃ……、で、デカパイっ! なんで家にっ!」
ヒトシの帰りを待っていたトワの前にマオが現れたため、両者共に面食らう。
ミチコに言葉遣いを怒られたトワはヒトシの右腕を抱きしめながら頬を膨らませ、飼い猫が他の家の猫を警戒するような雰囲気で威嚇している。
「えっと、こんにちは。日曜日なのに、ごめんね。すぐ、終わるから……」
マオは自分がここに長いしたら、村坂家の者たちを不運にしてしまうと思い、一時間もしないうちに離れようと考えていた。
手洗いうがいを済ませた後、ダイニングテーブルの柔らかい椅子に座る。いつも、トワが座っている椅子だった。
口うるさいトワと寡黙な父はダイニングを離れ、家の周りを散歩に行く。
マオの隣にヒトシが座り、ミチコが紅茶を入れたカップとクッキーが置かれた皿を出した後、ヒトシの前の席に座る。
マオは今住んでいるところを出なければいけないことと、お金や生活面での不安、それでも高校に通いたい意思を簡潔に話た。
誰かに頼るのは悪いことじゃないと知ったため、少しでも良い未来につながるよう大人の意見が欲しかった。ほんと、ただただ、意見が欲しかっただけだった。だが、マオが頼っている相手は糞お人よしのヒトシの母である。
「東京で安いアパートなんて中々ないし、そんな簡単に見つからないと思うわ。でも、安心して。治安が良くて、三食食事つきで、トイレお風呂も完備されているのに月一万円の良物件を知っているわ」
ミチコの話を聞き、マオは度肝抜かれた。東京にそんな場所があるのかと。目を星屑の如く輝かせていた。すぐさま申し込むべく「どこですか!」と叫ぶと、
「ここよ」
ミチコは笑顔のまま、土地代建物代全て支払い済みの一軒家の天井を指さす。二階に使われていなかった部屋が一カ所あり、そこに住めばいいと話す。
「で、出来ませんっ! そ、そんな、もう、すでに迷惑をかけているのに、また迷惑をかけるなんて」
「今時、留学生を引き受ける家庭も少なくないわよ。部屋が余っているのに、使わないなんて、もったいないじゃない。別に同情でも何でもないわ。出来ることを伝えているだけ。どうすかは、真央ちゃんしだいよ」
「で、でも……、私がいたら、皆さんが不運に……」
「真央ちゃんが背負っているのは不運じゃないわ。試練よ」
「し、試練……」
「神様が、マオちゃんが立派に成長するための試練を沢山与えているの。それだけ、神様に愛されているってこと。私たちはマオちゃんを手助けしたい。私、試練が大好きなの。多少、苦労した方が人生楽しいものね」
ヒトシが変わり者なら、母も変わり者なのか、マオはミチコのあまりのポジティブさに感銘を受けながら、隣にいるヒトシに軽く視線を向ける。




