平和ボケ
「平和ボケしているバカな国民の皆さん、こんにちは。非日常へようこそ」
どこかアメリカの民族道具のようなお面を被った者が助手席で携帯電話から動画を取っているようだった。ボイスチェンジャーを使っているのか、声がガザガザ……。
「東京に住む皆さん、非日常の恐怖を味わっていただけましたか? 他県の皆さん、他人事として捉えていますか? もし、そうなのだとしたら今すぐ考えを改めた方がいい。政府はテロ組織が危険だと国民に促しておきながら結局、爆破の阻止やトラックの暴走、ネット配信に至るまで何も防げていない。今一度、政府の無能さを痛感した方がいい」
動画配信サイトの視聴者の中に『イキっている奴がいる』やら『嘘つくのはやめた方がいいですよ』とか、配信者が東京の各地を爆破したと信じていない者たちばかりだった。
「この状況こそ、平和ボケと言うんでしょうか。実際に起こっている内容と全く違う内容を国民に教え続けた結果ですね。ほんと昔から隠蔽するのが得意と言うか、お家芸なもんですか。おそらく、この配信もいずれ消されるでしょう」
配信者はトランシーバーで誰かに連絡を取っている様子だった。
「渋谷警察署があと、一分で爆破されます」
配信者の言葉が投下されると、コメント欄はすぐに荒れ始めた。
「無理だろ」
「嘘だ」
「ただのネタ」
そんな文字が溢れる中、時計の針が進みまるで何事もないかのように時が流れた。
だが、一分が過ぎたその瞬間、渋谷駅近くのネコカフェにいた僕たちにも届くほどの凄まじい爆発音が響き渡った。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。警察署の中にどうやって仕掛けたのか。すぐにSNSが荒れ狂い、情報が広まっていく。
渋谷警察署のガラスが粉々に砕け、黒煙が空を覆い尽くす写真が拡散されていく。その瞬間、あの配信者の言葉が本当だと認識する人々が次々と増えていった。
配信者はすでにライブを辞めていた。いや、動画が停止させられていた。大量の端末を使っているのか、何度配信を停止させられても別の端末で再度映像が流される。
流れていた映像は日本じゃないどこか、別の国の映像…。ビルのような、地下施設のような、コンクリートに囲まれた場所。
覆面を付け、顔を隠している武双した凶悪犯が多種多様の人々を囲んでいる。
戦争映画でしか見た覚えのないサブマシンガンのテカリの無い砂っぽい表面。英語で叫ぶ声やドイツ語、イタリア語、……日本語の泣き叫ぶ声が響き渡っている。
前世の言葉は英語やドイツ語と近しく、ヒトシはリスニングが得意だった。武装した集団はテルス・ベッルムと名乗り、アメリカ政府に戦争を他国に吹っ掛けるよう要求している。あの頃の栄光をもう一度と叫びながら。
あまりにもふざけた要求だが、要求をのまないならば、捕虜を殺していくと言う……。
どこまでが現実で、どこからが虚構なのか。誰にも判別できない。公開された映像の中で、大人も、子供も、学生さえも、情け容赦なく撃ち殺されていく。泣き叫ぶ声もむなしく、次の瞬間には命が絶たれていた。
それは、悲惨などという生やさしい言葉では片付けられない。地獄。いや、地獄でさえ、まだ救いがあるように思えてしまうほどの惨状だった。
画面越しに伝わるのは、血の気の引くような冷たさと、底知れぬ狂気。
「やめろぉおっ! やるなら、俺を殺せぇっ! 清嗣、七海、大翔っ!」
「先生っ! た、助けてっ!」
「や、やあぁ、やめ、やめてぇっ!」
「あぁ、あぁぁぁ……、か、母ちゃん……」
大柄の男がサブマシンガンの引き金を軽く引くと、ダダダっと言う何とも軽い銃声が響く。薬莢が吐き出されると同時、赤黒い血しぶきが舞い、学生服を着た三名は泣き叫ぶことも出来ず、突っ伏しながら倒れた。その後、二度と動かず、大柄の男に体を蹴られ、端に寄せられる。
「うわぁああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
叫んだのは動画中の日本人の声だったか、別の者だったか、過去と現在が入り混じっているヒトシの頭で判断するのは難しかった。
『平和ボケした皆さん、見ましたか。これが世界で起こっている現状です。果たして、彼らは誰に殺されたのでしょうか。拳銃で頭を撃ち抜かれて死んだように見えますね。なら、拳銃を撃った者に殺されたのでしょう。ですが、戦争が日常だったころの日本人なら警戒心が強く、このように殺されることも無かったでしょう。もとをたどれば平和を歌い、それが正しいんだと日本人を洗脳してきた政府に問題がある。平和ボケさせるなら、国民を外的から守る義務があるはずだ。国は彼らを守らなかった。皆さん、目を覚ましてください、このままではいずれこの国は…………』
犯罪者の動画の視聴回数は莫大に伸びていた。三〇万人以上が彼の動画を見ていた。あまりにも刺激が強すぎる動画に、モモカは吐き気を催し、途中から見られていなかった。
ただ、視聴者数がいきなり下がりだす。
『みんな~、元気? キララだよ~! なんか、なんか、東京爆破されたっぽいね。私も東京にいるからこわ~い。でも、大丈夫。警察、消防、救急、自衛隊、たっくさんの人が動いているからね! 日本はそんな軟な国じゃないよ! あ、今から皆に特別出荷大サービスで私のドームツアー映像を見せちゃうよ~!』
キラキラ・キララのドームツアー映像が動画投稿サイトに出ると、一瞬でそちらに人が流れた。彼女の人気の度合が伺える。見た目は可愛すぎるのに、歌とダンスがなぜか凛々しくて救世主のような雰囲気を醸し出している。いったい何なんだこの人は……。あぁ、アイドルか。
キララの動画が流れると犯罪者の雰囲気がさらに濃く深く黒くなっていった。
『現実を見ろ! 惨状から目を反らすな! それだから、また同じ過ちを繰り返す! なぜ、理解しない!』
『みんな~、私はみんなが大好きだよ! 辛くても大丈夫、怖くても大丈夫、死にそうでも、泣きそうでも、どんな人でも、私は毎日頑張っているみんなが大好き!』
犯罪者の動画を見ている人とキララのライブを見ている人が分かれ、ネコカフェの中はカオスに包まれていた。現実を見るのか、アイドルと言う幻想を見るのか、誰にも強制できない。たとえ国でも。
『ちっ……、もう、後には引けない……』
犯罪者は動画配信をいきなり切る。奴はどこにいるのか、どこから配信していたのか。情報は限りなく少ない。
ヒトシやユウ、モモカは少しでも何か情報が無いか調べる。だが、情報が一切出てこない。学生の自分たちに何かできるわけでもない。それでも、いてもたってもいられなかった。
「……ねえ、さっき、叫んでいた人の声、聞き覚えがあるんだけど」
マオはヒトシに声を掛ける。動画はすでに削除されているが、違法アップロードされている動画はすでに拡散されていた。まだ、見られる。
ヒトシは慣れない手つきで携帯電話を操作し、マオに動画を見せた。殺される寸前の三名の顔と日本人の叫び声が聞こえる。
「店長、この声、店長の声だ。この三人、店長のパソコンの画面に映っていた気がする」
マオは記憶力がそこはかとなくよかった。タナカの過去など一切知らないが、声と昨日目撃した写真は妙に印象に残っていた。




