非日常
ヒトシとユウ、メイはマオの家庭について根掘り葉掘り聞いたわけではない。マオが高校を辞めないようにするために何ができるか考えている。
ユウ曰く、どんな状況でも母親の権利はとても強いらしい。激しい虐待があるわけでもなく、生活できているマオの家庭から見ると親子の関係を切り離すのは難しい。
そうなると、マオが成人するまで我慢するか、耐えきれなくなったら専門家に相談する流れになる。
本題の解決方法はいたってシンプル、マオが母親に高校を辞めたくないと言うだけ。
人権の尊重の観点から見て、母親が子供を奴隷のように扱うのは憲法第十八条奴隷的束縛からの自由により不可能。母親だからと言って娘をいきなり高校を辞めさせるなんて出来ない。
マオの「高校を辞めたくない」と言う気持ちが何より重要なのだ。だから、マオが勇気を出せればそれだけで高校は辞めずに済む。だが……、
「…………ど、どうしよう、い、言える気がしない」
マオは両手で体を抱きかかえるように背中を丸める。子供が寒さを我慢するかのような体制で、より一層弱々しく見えた。他人が言っても意味がない。マオ本人が言う必要がある。
「大丈夫、一人で言えないなら、僕たちも一緒にいる。ずっと抱え込んでいた気持ちを僕たちの前で言えたんだ。お母さんの前でも言える。僕たちが付いてる。牧田さんはもう一人じゃない」
ヒトシはマオの手をぎゅっと握り、曇りのない眼差しを向ける。口先だけだと思ってしまうような甘い言葉の数々だが、口調に芯が通っておりヒトシの心の真っ直ぐな所はマオも嫌と言うほど見せつけられていたため、疑いようのない事実だとわかってしまう。
「よ、よくそんな恥ずかしい言葉を吐けるな……」
「仲間は恥ずかしい言葉じゃないよ。一人でも仲間がいてくれるだけで人間はどんな世界でだって生きていける。一人だと絶対に生きていけないのに、二人なら不可能じゃない。それだけ僕たち人間にとって仲間は大切なんだ。牧田さんはもう、三人の仲間がいる。向かうとこ敵無しだよ!」
ヒトシは前世で仲間に背中を預け、何度も生き残って来た。仲間の大切さは誰よりも理解しているつもりだ。
「私たちはマオ先輩の味方です。一緒に『犬のおまわりさん』を歌った仲じゃないですか」
「マオちゃんと私はもう、親友だよ。心がそう言っているの。何年も待ちわびていた私の心の友はマオちゃんだったんだよ!」
「二人はなんか……、言葉が軽いな」
「「…………」」
ユウとモモカは視線を反らし、口笛を吹く。女の友情があまりにも儚く脆いと両者は知っている。だが、マオはそんな二人を見て、吹き出して笑った。いずれ敵になるかもしれない。ずっと味方かもしれない。破局するも、親友として繋がり続けるも、逆らえぬ運命。
幸か不幸か、マオが笑った時だった。
何かしら不吉な感覚、人間と言うよりも動物的な本能による直感がヒトシの体に電撃となって流れた。
「みんな! 伏せろっ!」
ヒトシのただならぬ狂気の声を聴いた一般客は反射的に身をかがませる。幼少のころから日本人は災害時の時に机の下に隠れるようにと教えられてきた。
ヒトシは猫と隣にいたマオを庇うように床に押し倒す。誰もが、なぜこんなことをするのか疑問に思っていた。ユウですら半信半疑だった。だが、ヒトシが叫んでからものの二秒。
建物の二階、ネコカフェの大部屋。その東側の壁に取り付けられた一面の大きな窓ガラスが、外から響いた異様な爆音と同時に、まるでハンマーを使って破裂したように粉々に砕け散った。
空気を裂くような鋭い破砕音が室内を貫き、無数のガラス片が光を反射しながら四方へ飛び散る。
「キャアッ!」という甲高い悲鳴が、その直後に耳をつんざく金属の軋み音にかき消された。外で、車同士が衝突し合う激しい衝撃音が立て続けに響く。まるで街そのものが狂い出したかのようだった。
それだけにとどまらず、巨大なトラックが唸りを上げながら人々の悲鳴と怒号が交錯する中、逃げようとする通行人を故意か不本意か、次々と撥ね飛ばしていく。
鈍い音を立て、トラックの車体が近くの建物に激突し、震動が床を伝って足元を突き上げた。エンジンが空転するような音とともに、黒煙がボンネットから吐き出される。
続けざまに別の大型トラックが制御を失ったように走っていくのが見えた。大型トラックたちは理性を失った獣のように止まらず、突進していく。
日常の風景は、わずか数秒で地獄へと変わり果てていた。
「な、なに、何が起こっているの……」
ヒトシに押し倒されているマオは子猫のように縮こまり、軽く震えていた。
「わからない、でも……、ただ事じゃないのは確かだ……」
ヒトシはマオの上からどき、辺りの様子を見回す。
猫たちは何事も無かったように床に転がる日差しを反射して輝いているガラス片をこねくり回していた。
ネコカフェの店員も腰を抜かし、何が何だかわかっていない様子。ヒトシはすぐに猫を抱きかかえ、冷静にゲージに戻していく。
「さっきの爆発、ガス漏れの影響かな……。でも、ガス特有のにおいがしなかった」
ユウは周りの女子が腰を抜かしている中、ヒトシ同様に冷静で原因を考察している。
「こ、こういう時はとりあえずSNSだよね」
現代っ子のモモカは携帯電話を操作し、さっき何が起こっていたのか調べている。
「し、四月六日午後四時……、渋谷、六本木、原宿、秋葉原、銀座……各所にて謎の爆破事件が発生。同時に起こった爆破のため、ガス漏れによる単なる事故ではなく何者かによる犯罪の可能性が高い。爆破による二次被害が多数報告されているらしい。今、警察が原因の究明に取り掛かっているって。電車はしばらく止まるっぽい」
「渋谷だけじゃなかったんだ」
「SNSだとテルス・ベッルムの仕業じゃないかってもっぱらの噂になってる……」
「テロリストが東京を攻めてるってこと? でも、日本はテロが起こりにくい単一民族国家でしょ。わざわざ海外のテロ集団が危険を冒して東京を落とし入れる必要がない」
ユウは顎に手を当てながら、ガラスの破片を踏みつぶして歩いている。氷の表面を踏み割るような普段聞かないガラスが砕ける快音がネコカフェに響き渡る。
「とりあえず、安全な場所に移動した方が良さそうね」
「あ、安全な場所って……、そんなところあるの?」
「県外かな。列車は止まっているけど、車移動なら出来るでしょ。あぁ、でも、通路が塞がっていたら無理か。ま、五カ所で爆破を一斉に起こしているってことはもう、準備が完了しちゃっているし、新たな爆発が一度爆発が起こった場所で起こるとも考えにくい。ここで待機しているのが一番安全かもね」
ユウは椅子に座り直し、ミルクティーを優雅に飲む。多くの者の携帯電話に連絡が入る。それぞれ親だったり恋人だったり、会社だったり、繋がりがある。ヒトシの知り合いの中で怪我を負った者は誰もいなかった。トワも友達と一緒に家で遊んでいた。
「ちょっ! 皆、見て! なんか動画が上がってる!」
モモカは動画配信アプリにアップロードされているライブ動画をヒトシたちに見せる。




