しょうもない嘘
一限目の授業終わり、案の定、マオに呼び出されたヒトシは階段の踊り場で普段は綺麗な青色の瞳が今日は紺碧に光っている。
ヒトシは背中にジワリと冷や汗を掻き、呼吸を忘れずにする。そうしなければ窒息してしまいそうなほどの張り詰めた空気が流れていた。
「ムラヒト……、私の家、何なら部屋に入ったのか」
「入った。牧田さんが眠っていたから起こすのも悪いと思って……」
「お前、善行っていうのをはき違えている。今回は完全にお節介って言う愚行だろうが、バカ。人なら誰だって知られたくない事情の一つや二つあるだろうがボケ」
マオは腕を組みながら右足の靴裏で床をペタペタと叩き貧乏ゆすりに近い動きを無意識にしていた。知られたくない事情と言うのは大の猫好きと言う点だろうか……。
「安心して、牧田さんの部屋にあった大量の猫グッツの件は誰にも言わないから」
「そ、そっちじゃねえ! 母親の件だバカ!」
マオは真っ青な双眸をかっぴらき、頬を赤らめながら叫ぶ。だが、彼女の発言にピンとこなかった。マオの母親に今朝、会っていない。だが、彼女は会ったと勘違いしているのか、
「私をあんな母親と一緒にするなよ、あんな糞親のこと、誰にも言うんじゃねえ」
「親に糞って……、お腹を痛めて生んでくれたわけだし、一応感謝の気持ちを……」
「感謝の気持ち? あんなゴミみたいな人間にそんなの持てるか。お前も家の中で見ただろ、ホストと抱き合っている糞ババアの姿」
「いや、見てないけど……」
ヒトシが呟くと、マオは「へ?」とちょっと愛くるしい声を出し、視線を右往左往させていた。自信を持っている時と自信がない時の差が激しい。
彼女の姿は知らない場所に突然連れてこられた猫と同じ。警戒されている人間が近づけばぴゅぴゅーっと逃げ出してしまうくらい気が立っている。
「ね、猫の件、絶対に言うな。あと、今朝のコインランドリーの件も、誰にも言うなよ!」
「じゃあ、僕たちだけの大切な秘密ってことだね。牧田さんの寝顔、凄く可愛かったよ」
ヒトシはちょっと天然で抜けている褐色魔王系美女に受け答えた。
「そ、そんな記憶、忘れろっ!」
マオはヒトシの発言によってさらに赤面し、教室に向って逃げ帰った。
「牧田さん、親とうまく行ってないのか。まあ、そう言う家庭も少なからずあるか」
全ての家族が仲良しという訳ではないと、前世と今の一六年の人生で知っている。
家族の関係は硬い法律で縛られた繋がりだ。
人間はどんな家系に生まれるか選べない。
良い人生悪い人生が生れた瞬間に決まってしまうと考えている若者が多いと聞く。確かにそうかもしれない。だが、そんな言葉は言い訳に過ぎないとヒトシは考えていた。
親が貧乏だからなんだ、金持ちだからなんだ。親がすごければ自分も凄いと錯覚してしまうのだろうか。
マオも自分の親が不摂生を働いていると知られたくないと思っているのは、なぜなのだろうか。マオの親がどうであれ、彼女に一切関係ないのに。
ヒトシは階段を上がり、教室に戻った。開けられた窓から春風が入ってくると妙に焦げ臭いような気がした。
だが、学内で火が上がっている場所があるわけではない。
昼休みになったころ、マオはヒトシの前に仁王立ちで待ち構えていた。弁当を受け取るための体勢にとても見えない。完全に決闘を待ちわびていた佐々木小次郎のそれ。
ヒトシはおじさんに投げ捨てられてグチャグチャになっているであろう弁当ではなく背負っていた学生鞄に入っていた自分用の弁当を取り出し、マオに差し出す。
マオはヒトシの手から弁当箱を奪い取るように抱え、教室からさっさと出て行った。どうやら、教室で弁当を食べる気はないようだ。
「はぁ、ありあわせの品を適当に詰めただけの手抜きの弁当を渡す羽目になるとは……」
ヒトシは手を込んで作ったマオようの弁当箱を保冷バックから取り出し、蓋を開ける。思った通り、グチャグチャ。食べられるから良いかと、割りばしで一〇分と掛からず完食。
「なあ、今日の朝に目黒区でトラックが高層ビルに突っ込んだ事故があったんだってよ。結構近くじゃん」
「そうなんだ……。被害者はいない?」
「一帯が火の海になったらしい。トラックの中身がカセットボンベとか、引火しやすい品が多かったらしくてよ、ボッカン! 警察消防救急隊員一五名が死亡したって」
近くで握り飯を食べているマキオは携帯電話の画面を見ながら大きく声をあげる。
「え……」
ヒトシは耳を疑い、自分が呼んだ者たちが爆発に巻き込まれて死んでしまったのかと、罪悪感に苛まれていた。
マキオの「嘘」と言うあまりにもつまらない告白に、安堵する。人の話をすぐに信用してしまうのは自分の悪い癖だと思いながら、胸を叩いて詰まりそうになったご飯を飲み込む。
「死者はいなかったみたいだ。トラックの運転手は何者かの応急処置が無かったら失血死していた可能性があるってよ。一本はトラックの運送業者が統一で付けている品。もう一本は学生が着ける革製の品。長さから察して男らしい。ヒトシ、制服を上げてくれよ」
マキオは名探偵にでもなったつもりなのか、容疑者ヒトシに視線を向け、にやけた顔を見せる。
ヒトシは長袖の制服の裾をまくりベルトが着けられていないズボンを見せた。
「はぁー、命知らずにもほどがあるぜ……」
マキオの呆れを表す乾いた声が教室の外の雑踏にかき消されていく。なにやら、人目に付く者が近づいてきているようだった。
「ヒトシ先輩! 今日は体育館のステージでダンスを披露する約束ですよね!」
二年八組教室にやって来たのは、アイドルのようなヒラヒラとした衣装に身を包むユウだった。マオに真面な弁当が渡せなかったという失敗のせいで、演劇部の練習をすっかりと忘れていた。彼女の発言を聞き、思い出すとすぐに立ち上がってユウのもとに駆ける。
生憎、昼休みは二〇分ほど残っている。一曲踊る程度なら時間に余裕があった。
マキオも面白がって、体育館に移動。すると、多くの生徒たちが体育館のステージ前に集まっており、文化祭のような盛り上がりを見せている。いつもなら、バスケットボールやバレーボールで盛り上がっているというのに、今日はなぜ……。
ヒトシはふと、体育館ステージの裏で縮こまっているモモカを見つけた。彼女もユウのようなアイドル衣装を身に纏っている。




