許さない
ヒトシはマオの肩を叩き、直接伝える。
「牧田さん、スカートが背もたれに引っかかって下着が見えてる。早く直した方が良い」
「……っ!」
その瞬間、常に冷徹な無表情を保ち続けていたマオの顔が燃えそうなほど真っ赤になった。無表情から、慌てふためく女の子の表情を見せられたヒトシはここでもギャップに吹っ飛ばされそうになる。
マオはヒトシに指摘されすぐさまスカートを戻し、両手を太ももの下に潜り込ませる。すぐにプルプルと震えだし、肩が上下に動いていた。笑っているのか、泣いているのか、表情はヒトシから見えない。
体の震えが止まると、ヒトシの机に硬く握りしめられた拳が付いた右腕が重々しく置かれる。上半身を捻って後ろを向いた俯いているマオの長い前髪が幽霊のように眼元を隠していた。
顔を少し持ち上げると、澄み切った青空ではなく、曇天の日の海みたいな深みのある暗い青い瞳を潤わせている。
歯を食いしばり、殴りたいのを必死に我慢して何か言おうとしている。
「……み、見たな」
「なにを?」
「な、なにをって、わ、私の……、し、したぎ……」
マオは牙をむきだしにしている虎のような表情を浮かべ、答えようによってはヒトシを食い殺さんとしている。嘘をつくのが苦手なヒトシは何の躊躇もなく、
「見た。動物の刺繍がすごく可愛らしかった」
「つっ、し、死ね!」
マオは準備していた右手の拳をヒトシの顔面に打ち込もうとしたが、ヒトシの鼻先で拳を止めた。完全に殴られると思っていたヒトシは身構えていたものの、殴られず困惑する。
どうやら、殴ろうとした瞬間に先生が教室に入って来たのがヒトシを完全に殴らなかった理由だと思われた。
「……ちっ」
マオは拳を引き、前を向いて何事もなかったように姿勢を正す。内申点を落としたくないのか、はたまた大人の目を気にするタイプなのか、そんな悠長な考えがヒトシの脳内に流れていた。
動物の可愛らしい刺繍が入った下着と柔らかそうなお尻は否応にもヒトシの脳裏が焦げ付くほど張り付いている。マオに感謝するべきなのか、だが、感謝したらまた殴られるんだろうなと優に想像できた。
下着を見てごめんなさいと謝罪するべきだったと、授業中ずっと考え、ノートの端に描いた逆三角形の中に猫や犬の落書きをしてしまうほど反省している。
椅子から立ち上がり、先生に礼して授業が終わった。五限目の授業が終わるや否や、立っている者たちは一〇分の休み時間になる。だが、ヒトシはマオに謝るため、彼女の肩を叩いた。その瞬間、右拳がハンマーのように真横から振り抜かれる。
ヒトシは右手でマオの拳を握りしめた後、真剣な面持ちで、
「牧田さん、さっきは下着を見てしまってすみませんでした。あのままにしておいたら他の人にも見られてしまうかもしれないと思って直接伝えました」
「ムラヒト、お前、モテないだろ……。そういうことは、もっとオブラートに包んで伝えるもんなんだよ、糞がっ!」
マオは足場を整えてヒトシにもう一度殴り掛かる。だが、完璧に受け止められた。今、目の前にいる男は万引き犯二人、出刃包丁を持った犯罪者一人に臆さず攻めかかれる男だったと思い出し、奥歯を噛み締めながら拳を引く。威嚇するように睨みつけ、
「手は引いてやる……、だが許していないから。お前だけは、絶対に許さんから!」
マオは両手を握りしめ、泣きそうになりながらふくれっ面を浮かべた。すぐ、椅子に座り、腕を机に置いて上半身を突っ伏した。
――お、怒り方、可愛いな。でも、許してもらえないのは不味い。牧田さんと友達になりたいのに、僕の印象が牧田さんの中でどんどん最悪になっていく。
もう一度謝ろうかと思っていたころ、マキオが近寄って来て耳打ちしてくる。どうやら、マキオはマオの前あたりの席だったから、ふと後ろを向いた時にマオのスカートが引っかかっているのが見えたらしい。下着は見えなかったそうだが……。
「魔王様の下着、どんなんだった……。やっぱ、えげつない下着履いていたのか?」
「……な、何のとこかさっぱり」
「あ、惚けやがって。いつもいつも、お前ばかり良い目にあいやがって」
マキオは太い腕をヒトシの首に回し、昨日と最近の鬱憤を晴らす。
十分の休みはあっという間に過ぎ、午後の授業は眠気と戦うクラスメイト達を当たり前のように置き去りにして終える。ヒトシは常にノートを取る余裕があった。
掃除の時間が終われば放課後。
マオはバックを背負い、さっさと教室を後にする。クラスメイトとちょっとした会話すらしたくないのか、誰とも目を合わせようとしなかった。だが、
「ハローオー! マオ先輩っ!」
マオが教室の後ろの扉から出ようとした矢先、頭一つ分くらい小さく見えるユウがタイミングよく飛び出した。
「な、お前……。また、私の邪魔を」
「邪魔していませんよ。実は、演劇部の役柄が足りなくてですねー。ぜひとも、マオ先輩にお願いしたいんですよ~。マオ先輩はスタイルもいいですし、顔も整っていますし、何よりおっぱいが大きいので衣装がよく映えます! やっぱり、胸が大きな役は本当に胸が大きな人がやるべきだと思うんですよ!」
ユウはマオの出っ張った胸部に視線を向けた。少々強引な引き抜き現場にヒトシは呆れる。マオも自分の胸についていろいろ言われ、耳を赤らめながら鋭い足技をユウに放った。相手が男だろうが女だろうが関係ないらしい。
だが、ユウは難なく回避した。
「陸上部で忙しいかもしれませんが、雨の日とか、昼休みとか、時間を捻出してくれると助かります!」
「なんで、私が演劇部に入る前提になっているんだ。ふざけるな! そんなお遊びに興味はない!」
鋭利な刃の如く、聞くだけで身が切られるような繊細な美声が放たれる。水風呂に入った時のように寒気がする。これほど、声に力を持っている人も珍しい。
「まあまあ、落ちついてください、マオ先輩。演劇部に協力してくれたら料理上手なヒトシ先輩が沢山の料理をごちそうしてくれるそうですよ!」
ユウはヒトシの方を見て、九八パーセントの確率で男の心臓を打ち抜くウィンクを決める。だが、ヒトシに効果はなく、ユウの目にゴミでも入ったのかと解釈した。




