テロリスト
「僕は、可愛いとか美人とか関係なくユウさんが大好きだよ」
「ぐはっ!」
ユウはヒトシの発言をもろにくらい、激しく吹っ飛んだ。床でひっくり返り、全身をまさぐるように悶えている。スカートの中がギリギリ見えない。あのスカートは、重力を無視しているのだろうか。そんな悠長な考えが巡るほどの時間が経った頃、ユウは立ち上がる。
「ヒトシ先輩はやっぱり女たらしです。でもでも、残念でしたね。私はそりゃあもう、大量の人から大好きと言われてきましたから、心に全然響いてません!」
ユウは息を荒らげながら、乱れた髪と服装を直し、ヒトシに言い放った。
その姿を見ていた演劇部員たちは固唾を飲み、事の行く末を見守っている。
「そっか、まあ、ただの言葉だけじゃ、相手に伝わらない気持ちもあるよね」
「な、なんですか、もしかして、ヒトシ先輩、私とチューがしたいんですか? そ、そんな、チューだなんて……。それこそ、結婚を前提にしてもらわないと、チューなんて」
ユウは鼠になってしまったのか、チューチューと鳴いていた。
ヒトシは首を傾げ、ユウの発言に疑問を覚える。ユウとキスしたいなど一度も言っていないのに、勝手に自分がユウとキスしたいと思われている事態に、困惑していた。
「ユウさん、キスは恋人とするものだよ」
「わ、私は別にヒトシ先輩となら、キスしても良いですけど……」
「僕は遠慮しておくよ。恋人ってよくわからないし」
ヒトシは恋を知らずに生きて来た。今も、昔も。特に、前世など、常に人助けに勤しみ、勇者を救うことだけを考えて生きていた。感情を捨てていたわけではなく、もとから恋愛したいという考えすら浮かんでいなかった。酒や女に浸らず、ただひたすら剣と向き合い、勇者を救った村人。
だが前世で限りなくモテていたということを、人助けのためだけに生きていたヒトシは知る由もない。
よく言えば純潔、悪く言えば鈍感。だが、そんなこと、ヒトシは一切気にしておらず、清らかに生きている。良質な魂の純度が清らかさ百パーセントのお人よしだ。
「じゃあ、ユウさん。僕はもう帰るね」
「むぅぅぅぅ……、私も帰りますっ!」
ヒトシが教室を出ていくと背後を追うようにユウも付いて行った。
「いったいどういう関係なんだろう」
モモカはあっけにとられながら、ヒトシとユウの後ろ姿を見つめている。
☆☆☆☆
ユウをリムジンまで送り届けたヒトシは家までの道のりを走って移動していた。困っている外国人に話しかけて道案内したり、落ちているゴミを拾ったり、迷子の子供を交番に届けたり、喧嘩を止めたり、些細な問題に頭を突っ込んで解決していく。ほぼ無意識の行動。あまりにも日常的過ぎて何ら、疑問をいだいていない。
「えー、テルス・ベッルムを名乗るテロ組織が急拡大しています。各国で無差別に猛威を振るっているため日本も無視できない状況です。国民の皆様が安心して暮らせるよう、国に迅速な対応を求めたい限りですねぇ」
巨大なビル群に設置された映像機器から全世界でニュースになっているテロ集団の話が放映されていた。世界を敵に回してまで、かなえたい夢でもあるのだろうか。人を殺してまでかなえたい夢とはいったいなんだ。
ヒトシはテロリスト集団と前世に対峙した魔王軍を比べていた。魔王軍は魔族が人々の領土を奪うために国の外部から侵略してきた。
日本で例えるなら北海道や沖縄などの端っこに進軍し、国民を虐殺し、国を奪おうとしていた。
勇者のウィンディが現れるまで劣勢で、指導者の魔王を倒し魔族たちの進軍を止める作戦を決行していた。魔王を倒したところまでは知っているが、それ以降は知らない。テロリストと魔王軍を比べたら魔王軍の方が圧倒的に残虐で、ヒトシも人殺しする魔族を何体も打倒してきた。
だが、テロリストは人間だ。人間が人間を襲っている。魔王軍は人間ではなく別の生き物だった。わかり合えないのも無理はない。迫害されていた魔族が人間を憎んでいた気持ちも理解できる。ただ、テロリストの精神だけは理解できなかった。
「テロリストだってー、超怖いねー」
「テロリストっつっても、日本に来るわけなくねー。アメリカとか、中国とか、日本と関係の無い国でドンパチやってくれって感じー」
「ふっ、テロリストとか、アホくさ。映画の見過ぎだっつーの」
道行く大人たちは映像機を数秒見てからすぐに歩いていく。危機感が薄いというか、関心がほとんどないようだった。
大量の人がいる東京の上空でテロリストが飛行機をハイジャックし、東京スカイツリーに突っ込んだらどれだけの人間が危機感を持つだろうか。おそらく、東京の者は怖がるだろうが、沖縄や北海道に住んでいる者達は他人事のようにしか思わないだろう。
前世に住んでいた国はド田舎にいても魔族の恐怖に怯え、自分の村を守ろうとする者達ばかりだった。ヒトシに戦い方を教わり、女や子供も剣を持ち、戦いの中で死ぬことを望んでいた。
今の日本にそのような人間が何人いるだろう。戦争末期の時代なら、国のために死ぬと言える人間は沢山いただろうが、今は百人に聞けば百人が嫌だと言うに違いない。
「僕も、日本のために命を懸けるのは無理かもしれない……。ごめんなさい、天皇陛下」
ヒトシは両手を合わせ、日本の中で最も偉い天皇陛下に謝罪する。古い映像で、天皇陛下万歳と叫び続けている軍人たちの姿を見た覚えがある。
前世の国にも、王様がいた。国の代表で、天皇陛下と大して変わらない立ち位置だった。
だが、魔王軍が進軍してきた時、軍の先頭に立って騎士達を鼓舞し、真っ先に突っ込んでいくような王様だった。血の気が多い武将のような方で、大変慕われていた。
天皇陛下万歳、それを止めさせたのはアメリカのGHQ(連合国軍最高司令官総司令部、占領政策を日本政府に施行させた)と呼ばれる組織。日本人の愛国心が低い理由は戦争後の政策にあるそうだ。
愛国心が強ければ強いほど、国は強くなっていく。それをアメリカが恐れたらしい。つまり、アメリカが日本を弱くした。その結果、アメリカで生まれたテロリストが日本の脅威になっているにも拘わらず、日本人は全くと言っていいほど危機感を得ていない。
「自衛隊が何とかしてくれるかな。でも、ハイジャックされたら……」
電車、バス、飛行機など、テロリストは様々な移動手段を使い、人々を戦慄させる。何の関係も無い人々を巻き込み、おのれの主張を世界に知らしめようとする。
彼らの精神状態は洗脳された者に近しい。前世にもいた。異教徒のような存在が、教会に火を放ち、多くの子供達を焼き殺した。それが己の神にとって素晴らしい善行だと信じて。
ヒトシは前世で数多くの者を助けたが、同じくらい助けられなかった者も多い。
助けられる者は出来るだけ助ける。それがヒトシのもっとうだった。
「早く帰ろう……」