第8章「遠ざかる拍、すれ違う旋律」
あの日、水城翔和から話を聞いて以来——
空斗は、涙と、その周囲にいる二人の少年と、距離を取るようになった。
「犬童くん、最近あんまり話さないね。」
「いやぁ、あいつ元々ムラあるからさ~。」
「特任奏士の三人と、なんかあったんじゃない?」
クラス内でひそひそと交わされる噂にも、彼は乗らなかった。
ただ、一人、太鼓の練習に打ち込む日々。
けれど、音は正直だった。
どれだけ強く打っても、どれだけ正確にリズムを刻んでも—―空斗の太鼓は、どこか沈んでいた。
(俺が悪いのか。でも…あの三人、特別すぎるだろ。マエストロ直轄の”特任奏士”。選ばれた天才たち。)
目を閉じれば浮かぶのは、涙の目。
マフラーの奥に隠された傷。
そして、その傷を負わせたのが—―あの、黒田嵐という男。
(嵐のことは、恨んでる。……でも、それ以上に…俺、悔しいんだ。)
かつて、自分が涙に怒鳴った言葉が、頭の中をよぎる。
『まただ……また、自分を犠牲にして!』
そういった自分が、結局、涙が傷ついたと知った瞬間、誰よりも動揺して、誰よりも逃げている。
「……最低だな、俺。」
その日の練習後。
空斗は、学園の裏手の池のほとりに腰を下ろしていた。
その場所は、かつて涙と何度も語り合った、小さな秘密の場所。
一人、目を閉じて、深く息を吸う。
彼の手の中には、ついさっき、書きかけて捨てたままの手紙が握られていた。
『ごめんな』
それしか書けなかった。
(戻りたい。でも、どうやって戻ればいいかわからない。)
その時背後から—―
柔らかな足音が、ひとつ。
空斗が振り返ると、そこには、マフラーを巻いたままの少女が立っていた。
涙だった。
そしてその手には、何も書かれていない小さなメモ帳と、鉛筆。
彼女は、空斗のそばにすとんと座り込み、メモ帳にさらさらと何かを書いて—―
差し出してきた。
空斗は、震える手でそれを受け取った。
『あの時、怒ってくれてありがとう。』
『空斗が心配してくれてたこと、知ってるよ。』
『私が黙ってたから、言えなくさせた。ごめんね。』
読むうちに、目が滲む。
涙は静かに微笑んだ。
あの春の日、笑わなかったはずの瞳が、ほんの少しだけ—―温かくなっていた。
「……ずるいよ、涙。」
空斗は泣き笑いの声を漏らし、そっと、手紙の切れ端を彼女に渡した。
『ごめんな』
二人は、何も言わずに並んで座る。
音も言葉もない時間——
けれど、そこに流れる旋律は、優しくて、懐かしいものだった。