第5章「青空に響く音(サウンド・ブルー)」
朝の空気は澄んでいて、学園の桜並木が、春の光にふわりと揺れていた。
雪月花中央学園。
国家組織・雪月花が管轄するこの学園には、幼児から大学院生までが通う。
それは「音楽と能力と心を育てる」ための場所。悠歌にとっては、新たな世界での”はじまり”でもあった。
『ほんとに、一人で大丈夫?』
寮の玄関前、霜野涙は不安そうにノートを掲げていた。
ツインテールだった長い髪は、あの日を境にショートカットになっている。
首に巻かれた薄紫から空色委変わるロングマフラーが、春風にふわりと揺れた。
「うん。…今日は、ちゃんと自分で歩いてみたいんだ。」
一ノ宮悠歌は笑ってそう言った。
制服の胸元には、雪月花の紋章のピンが光っている。
少しだけ震える手で、涙がそっと悠歌のハーフアップを整えてくれる。
「嵐くんは?」
そう聞くと、涙はノートにさらさらと書いた。
『朝の訓練の続き。たぶん遅れて教室に来るって。』
「そっか。じゃあ、行ってきます。」
涙は頷いて、小さく手を振った。
悠歌は、緊張とわくわくが混ざった気持ちを胸に、学園の門をくぐった。
初めての学校。
初めての、自分の一歩。
校舎に入ると、春らしい空気に包まれた廊下が伸びていた。
新学期の始まり。教室前では生徒たちがにぎやかに話していて、どこか楽しそうな空気が流れていた。
—―けれど、その雰囲気に慣れきれず、悠歌は思わず歩みを緩めた。
知らない世界。知らない人たち。
(だ、大丈夫…だよね……。)
その時だった。
「よっ、新入りーっ!」
パン、と音を立てて教室の扉を開けた誰かが、悠歌に手を振った。
高めの背に、明るい茶髪と青い瞳。
制服の裾が少し乱れていて、どこか子犬のような印象。
少年は悠歌の目の前に立ち、にっこりと笑った。
「お前、今日から来たって噂の子?一ノ宮…えーと、名前何だっけ。」
「あ、えっと…一ノ宮悠歌です…。」
「へぇ、”はるか”か!俺は空斗!犬童空斗!よろしくなーっ!」
勢いよく差し出された手を、悠歌は少し戸惑いながらも握り返した。
その手は、思ったよりも温かかった。
「……ありがとう、空斗くん。」
「くん?硬ぇなー。タメだろ?”空斗”って呼べって!」
無邪気で軽やかな空気。
けれど、その背後——空斗の視線が一瞬だけ、悠歌の背後を掠めた。
マフラーを巻いたまま教室に入っていく、ショートカットの少女の後ろ姿。
—―涙。
空斗の目に、わずかに曇りが宿った。
(首…隠してる。)
言葉にはしない。けれど、何かが胸に引っかかった。
何も知らない悠歌の無垢な笑顔が、その曇りに気づくことはなかった。
「さーて、新入りくん!今日からお前、俺の隣な!」
空斗は肩を組むように悠歌を引っ張っていく。
クラスのざわめきが、春風のように教室に満ちていく。
悠歌の”新しい日々”が、ここから始まった。