第4章「三重奏の誓い(トリオ・アコード)」
あの日から三日。
雪月花本部の医務室には、今も静かな空気が流れていた。
白いシーツの上、霜野涙は目を閉じている。
その首には丁寧にまかれた包帯。長く尾を引くような傷跡はまだ癒えていない。
ベッドの脇、椅子に座る悠歌がそっと彼女の手を握った。
かすかに、涙のまつげが揺れる。
「……涙ちゃん。大丈夫…?」
問いかけに、返事はない。ただ、彼女の指が少しだけ動いた。
悠歌は、それが”はい”のサインだと知っていた。
ドアが静かにノックされる。
入ってきたのは、黒田嵐と、コンマス・四十物くれあ。
「……まだ声は出ないのか。」
嵐がぽつりとつぶやく。くれあはそっと頷いた。
「声帯への影響は回復傾向にあるが、心の準備が整っていないのだろう。無理に言葉にする必要はない。」
その言葉に、悠歌もまた頷いた。
—―
雪月花本部・大広間。
荘厳なステンドグラスから、虹色の光が床に広がっている。
三人の子供たちは並び立ち、マエストロの前に立っていた。
涙は松葉杖をつきながらも、まっすぐに顔を上げている。
「お前たち三人は、試された。命を、音を、そして心を。」
マエストロの声は低く、だが確かな響きを持っていた。
「今ここに、黒田嵐、霜野涙、一ノ宮悠歌を—―
”特任奏士”として任命する。」
くれあが進み出て、それぞれに小箱を手渡す。
箱の中には、彼らの為だけに作られた装飾品が入っていた。
涙には、薄紫から空色へと移ろうロングマフラー。
その両端には星形のビジューがきらめき、小さな雪月花の紋章が織り込まれている。
嵐には、雪月花の紋章入りのギターピック。
悠歌には、髪を結ぶ白い紐。その端に、そっと紋章が刻まれていた。
「このピックは、涙ちゃんが嵐くんへ、”もう暴走しないように”とのことだよ。」
嵐は一瞬、言葉を失い、そっと目を伏せた。
「…ありがとう、涙。これ、ぜってー、俺の心臓より大事にするわ。」
ふふっと笑った涙は、両手でマフラーを抱きしめ、一瞬、震える手を止めてから—―
自分の肩からフルートケースを外し、悠歌に差し出した。
「…え?」
戸惑う悠歌に、涙はノートを取り出し、さらさらと書いた。
『私の音は、もうあなたの中にある。大切にして。』
悠歌は震えるようにその言葉を読み、目を潤ませてから、深く頷いた。
「…ありがとう、涙ちゃん。ずっと、大切にするよ。」
—―
くれあがふと、口を開いた。
「この三つの品は、戦闘にも耐えうる素材でできている。装飾であると同時に、絆の証でもある。」
マエストロが頷き、最後に言葉を紡いだ。
「この”特別な音”が、いずれ世界を導く—―そう、信じている。」
—―
その夜、三人は肩を並べて部屋の外廊下に出た。
マフラーを巻いた涙が、星空を見上げながらノートに書いた言葉を二人に見せる。
『三人で約束、しよう。』
『この世界も、悠歌の世界も、私たちが守る。』
嵐と悠歌は、無言で頷いた。
そして三人は、指切りではなく、三人の装飾品をそっと重ね合わせる。
—―それが、音の誓い。
静かに、しかし力強く、三重奏の物語が鳴り始めた。